港町へ
駅とは出会いと別れの場所だ。使い古された言葉ではあるが、一也はそう思わずにはいられない。
殊更に今はそれを強く感じる。多分にこの情景が感性を揺さぶるからだろう。
四角く切り取られた空間の底面は黒ずみかけた木目の床だ。
左右を挟むように設置された対面式の座席には天鵞絨が貼り付けられ、懐古な雰囲気を醸し出している。
窓から外を覗けば、これまた木製のプラットホームをせわしなく歩く人々が見えた。時折、駅員らしき制服姿の人物もその中に混じる。
「これが陸蒸気ですか」
「わあ、私乗るの初めてです!」
一也と小夜子がそれぞれの感想を洩らすのに対し、対面の座席に座ったヘレナと順四郎は特に何も言わない。
そう、四人は陸蒸気こと、蒸気機関車の中にいるのだ。
明治五年―西暦1872年―十月十四日に新橋と横浜の間に日本初の鉄道路線が開通し、その区間を力強く往復し人々の歓声を浴びていたのがこの陸蒸気であった。
片道一時間の所要時間は現代から比べると約二倍、しかし徒歩か早馬くらいしか移動手段が無かった明治においては、それこそ既存概念を覆すような速さである。
「仕事で乗るんだ、あまりはしゃがないように」
「そうそう、お仕事やからね......うん」
ヘレナがたしなめるのは平常通りだが、妙に順四朗の元気が無い。
灰色に染めた着物に雪駄というラフな格好で、ぐでんと長身を座席にもたせかけている。とても警察官には見えない。
ちなみに一也らも制服ではなく、私服である。
尤もあまりパッとしない書生然とした一也に対して、着物姿の小夜子と洋装のヘレナは華やかさがまるで違うのは仕方がないことではあった。
「どうしたんですか、元気無いですね? あっ、分かった! 悪い女の人に騙されたんでしょ!」
「何でやねん! ただちょっと昨日食あたり起こしただけや!」
小夜子の突っ込みに順四朗が反論する。しかしその声も弱々しい。
「三日前から残ってたコロッケのせいや」という説明に、一也は少し驚いた。
まさか明治時代にコロッケがあるとは思っていなかったからであり、順四朗の身を案じた訳では無いところが業が深い。
「そりゃ傷みますよ......他に食べる物無かったんですか」
「お前普段から飲んでばかりだから、そういうところに気が回らないんだよ」
それでも少しは先輩を労る精神を見せる一也に対し、ヘレナは容赦無かった。
ほんとに来日直後に世話になったと思っているのだろうか、と一也は疑問の目でヘレナを見る。
つい十日程前に聞いた話は嘘だったのだろうか。
「うう、早く嫁さん貰った方がええかなあ。そしたらこんな目にあわんで済んだんちゃうやろか」
「結婚の理由が食あたり起こしたからでは、お前の嫁は浮かばれないな」
「流石ヘレナさんの突っ込みはキレがありますね!」
「弱り目に祟り目というか......」
小夜子が何となく嬉しそうなのに対し、同じ男として一也は笑っていられなかった。
冷蔵庫の無いこの時代、食品の管理はある意味死活問題である。家電製品の発展が男性の結婚願望を下げたのだ、と超短絡的に考えたが、誰にも発表出来ないので二秒でその考えを廃棄した。虚しい。
「そうだ、名案を思いつきましたよ!」
ピコーン! と擬音が閃きそうな笑顔の小夜子。
三人は思う。嫌な予感しかしないと。
「順四朗さんがヘレナさんと一緒になれば万事解決なんです!」
「「「何にも解決してねー!!!」」」
三方から同時に否定された小夜子の姿は、さながら塩をかけられたナメクジのようであった。しおしおのパーである。
「ぐ、ぐすっ......名案だと思ったのに」とまだ言うので、一也は思わずそのサイドテールを陸蒸気の車輪にくくりつけてやろうか、と思った。
かろうじて止めたのは理性が働いていた証拠である。
「新橋発ー、横浜行きー、只今発車いたしますー」
「お、そろそろ出るな」
駅に響き渡る駅長の声にヘレナが反応する。
汽笛のピュウという音と共に、黒鉄の汽車はガタン、と動き始めた。「そもそも新橋――横浜間しか路線無いだろ!」と思わず突っ込む一也の横では、小夜子と順四朗がワイワイと騒ぎながら車窓から外を見ていた。まるで遠足である。
「緊張しすぎてるよりはいいさ」
「はあ、そうですかね」
ヘレナのたしなめるような口調に答えつつ、一也は思う。
無事に帰ってこれますようにと。
そんな青年のささやかな望みを乗せつつ、黒煙を吐き出す汽車は鉄の車輪を線路に軋ませるのであった。
******
近々重大な任務が下る、というヘレナの言葉は嘘では無かった。あの大掃除の日から一週間後、特務課第三隊の四人はそれを拝命したのである。
予見していた通り、赴任業務だ。それも場所は。
「横浜だ」
「というと、外国人居留区絡みっすか?」
順四朗の問いにヘレナが出した答えは、半分肯定である。
それが関わる可能性があるという示唆だけ与え、彼女はそのまま任務の中身を説明した。
流石に三人とも神妙にそれを聞くことにした。幾つかの問答の後、速やかに長期の現場赴任の準備を整えたのは誉められていい。
今回は幸いなことに、ある程度の荷物は警視庁の他の隊が先行して輸送してくれた。おかげで本人達は必要最低限の荷で済んでいる。
もっとも銃二挺とある程度の弾丸と火薬を携行する為、一也はそれほど軽装でも無かったが。
――最近、横浜近辺である奇妙な集団を確認した。目だった事件をそれらが起こした訳では無いが、武器を携帯している者も中にはいるようだ。
彼らの意図を掴み、必要であれば捕縛を。最悪殲滅も止むを得ない。
簡潔にまとめれば、第三隊の赴任業務はこういう内容であった。
横浜に行って速攻で殲滅――とはいかないのは、その集団が明確な犯罪は行っていないからである。
確かに警察には捜査権並びに逮捕権はある。
だが、それは明らかに犯罪を犯した、あるいはその可能性が高いと判断された者にだけだ。
いかに挙動不審な動きをしていようが、法に触れない範囲の行動は警察の範疇にあらずである。
だが、であればこその疑問が沸く。
明確な犯罪行為を犯していない集団に、わざわざ第三隊を貼り付けて調べさせる程の価値はあるのかということだ。
都内だけでも対怪異、妖物に高い戦闘力を発揮する第三隊の出番は多い。
横浜まで出向き赴任業務まで行うのは、実のところかなりの物を犠牲にする。
その当然とも言うべき疑問に対して、ヘレナの答えは簡潔であった。「数が多い、無視できないのさ」と。
確認出来ただけでも、二百名近い人間がその集団を形成しているという。もしこれがよからぬ企みを抱く武装集団であれば――捨ててはおけない。
第三隊の四人が駆り出されたのは、つまりはそういう訳であった。
******
ガタンと最後の一揺れと共に、陸蒸気は停止した。「やっとか、下りるぞ」と声をかけるヘレナに皆が続く。
終点である横浜駅のプラットホームに下り立ち、一也は少々驚いた。
新橋駅もそうであったが、駅が小さい。
JR、地下鉄、私鉄の改札が複層的に交差し、更に商業施設が駅に組み込まれているのが一也の知る横浜駅である。
だがこの時代の横浜駅は、殺風景な木製のプラットホームと改札があるだけだ。予想していたとはいえ、記憶にあるそれとのギャップに改めて時代の差異を感じる。
「みなとみらいも山下公園も無いよな、そりゃ」
「ん? 一也さん、何か言いました?」
「いや、何でもない」
独り言を聞きつけた小夜子をごまかしつつ駅を出た。
一階建ての小さな駅舎から出ると、そこはすぐに大通りである。元は神奈川の村の一つに過ぎなかった横浜だが、幕末のペリー来航を契機に港町としての機能を拡充させてきた。
それもあってか、往来を行く人にはちらほらと異国の人の姿も見える。無論日本人の方が割合としては多いが、それでも東京よりは明らかに目立つ。
パッと見渡せば一人や二人は確実にいる――感覚的に表現するならばそんな感じだ。
「ああ、あれかな。行くぞ」
「予定通りのお迎えやね。いきなり迎車も無いとかやったら不吉やもんな」
「出だしから躓くのは勘弁だな」
駅前大通りの一角に向けて、ヘレナと順四朗が歩く。
それに続いた一也の目に見えたのは、一台の馬車であった。「墨塗りの旭日章、あの馬車ですよね」と確認する小夜子に頷くことで合意する。
通常、警視庁の馬車には金色の旭日章が付けられている。黒い旭日章の馬車は、捜査支援やあまり目立ちたくない場合に使われる。
"隠密裏に事を運びたいならばそもそも旭日章など外せばいいのに"と一也は思うのだが、ある程度の印が無いと他に埋没してしまい見つけられなくなってしまう。
その落としどころとして、黒い旭日章に落ち着いたということらしい。
馬車を引く二頭の馬の横、出迎えの人間がさりげない仕草で立っていた。
四人が近づくのを認めると、頭を下げながらさっと馬車の扉を開ける。
「お疲れ様です。予定通りですね」
「ええ。ご送迎痛み入ります」
常より若干丁寧な口調でヘレナが答えつつ、さっさと馬車に乗り込んだ。
四人全員が乗車するとすぐに馬車は動き始める。事前の予定通り、まずは元町に手配してあるホテルへ移動するのだ。
出迎えの人間もそうだが、神奈川県内での活動となるためこうした手配は神奈川県警の協力を仰いでいた。
一也は馬車の窓から何となく横浜の町を見た。
向かって左側が海である。建物の間から初秋の海がちらちらと覗く。
青い海は日を照り返し、人の世の事件など知らないよとばかりに穏やかな様子である。
「散々話してきたことですけど、やっぱり集団の名前が気になりますよね」
海から視線を外した一也はポツリと呟いた。真っ先に反応したのは順四朗である。
「そらそうやな。何を思ってあんな名前つけとんやろうと、普通の人なら思うわな」
「よりによってですよね。目立ちたがりなのか、幕末かぶれなのか」
小夜子も話に乗ってきた。彼女の大きな目が微かに細まる。
幾分厳しさを増した声でヘレナが締めくくる。
「神戦組だと――ふざけた名前だよ。過去の遺物を甦らせて何になる」
シンセングミ。その発音から、とある人斬り集団を連想しない者はいない。
幕末最強の剣客集団、京都にその名を轟かせた壬生の狼――それが言わずとしれた新撰組だ。
局長の近藤勇、副長の土方歳三、一番隊組長の沖田総司が特に有名ではあるが、他にも名うての剣士が揃っていた。
彼らは皆、浅黄色のだんだら模様の羽織に身を包んでいたという。
ごく近い過去の存在として捉えてきた順四朗や小夜子と違い、一也は知識としてしか新撰組を知らない。
それでも小説や漫画になるくらい、新撰組は有名であり人気があるのだ。
それと同じ発音の名を持つ集団がいると聞けば、多少なりとも血が騒がぬ訳が無かった。
"神戦組と新撰組か。ただのブラフか、あるいは何か意味があるのか"
名うての剣客集団の名を匂わせたのは、人集めの為のはったりの可能性も捨てきれない。あまりのめり込むのは危険かな、とも思う。
一也は思考を冷静にするため、意図的に窓の外を見た。港町の風景が馬車の速度に流されていく。
日本国内でありながら、たまに外国語の看板が見えるのがらしいと言えばらしい。
カロン、カロンと馬車は車輪を廻して進む。目指すホテルはすぐそこであった。




