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銃士と魔女は向かい合う

 気温が落ち着いてきたな、と一也はふと思った。

 日中はもとより朝夕はそれが顕著だ。

 夏の日差しに炙られた空気も、季節の移り変わりと共に静かになったように感じる。

「秋だな」とぽそりと呟くと、本棚の向こう側から「そうですねー」と小夜子が応じたのが聞こえた。



「聞こえてた?」



「はい。しっかりと。ところで一也さん」



「何?」



「......一旦休憩にしません?」



 心底疲れたと言わんばかりの小夜子の声であった。

 一也は視線を上下左右に動かし、自分の視界を塞ぐ物を見渡す。

 高さ七尺はある本棚にはぎっしりと本が詰まっている。

 和紙を紐で綴じた冊子のような本が大半であるが、中には百科辞典のような立派な背表紙を備えた本もあった。

 幾つかの隙間を空けつつも、基本的にはその大量の本がみっしりと詰め込まれていた。



「確かにうんざりだな」



「でしょ? もう手が疲れちゃいました」



 お互いに疲労感を滲ませた声を交わす。

 ここは第三隊の拠点たる一軒家の二階、その一室である。

 警視庁の書類保管庫として使われているこの部屋の整理をやっているのだが、既に一刻以上もこの埃臭い環境で単純作業に従事していた。それは辛くもなるだろう。



「下行こうか。肺がかび臭くなりそうだ」



「嘘!? 寄らないでくださいね!」



「最近扱い酷くない?」



 苦笑しながら本棚を回り込むと、小夜子の姿が目に入った。服のあちこちに埃が白い跡を作り、髪には蜘蛛の巣が引っ掛かっている。



「酷い格好だね」



「うっ、し、仕方ないじゃないですか。むしろ仕事していた勲章ですよ」



「そうだね、言い直す。格好いいなあー、流石小夜子さんだなあ」



「何ですかその棒読み!?」



「おーい、一也ん、小夜ちゃん、いったん降りておいでー。休憩にするでー」



 一也と小夜子の軽い応酬――いつもの掛け合いである――を階下からの順四朗の声が遮った。二人は顔を見合せた。



「「今行きまーす!」」



 無駄に息が合っていることを突っ込む者はいない。




******




「ああ、お疲れ様。上はどうだ」



 一階に下りてきた一也と小夜子に振り返ることなく、ヘレナが声をかける。

 別に顔を合わせたくない訳ではない。珈琲を淹れているので目が離せないだけだ。

 順四朗はまだ自分の机で何か書き物をしていた。珍しく眉根を寄せている。



「半分弱くらいは片付けたと思います。小夜子さんの方は?」



「私もそれくらいですね。ただ、あとはやってみないとどうにも」



「思ったより時間がかかるが、仕方ないか。こっちは六割くらいかな」



 肩越しにちらりと視線だけ寄越し、ヘレナが答えた。

 独特の青緑色の瞳は猫科の獣の眼を連想させる。日本語を上手に話す外国産の猫を、一也は一瞬だけ想像した。



「全く、本庁から押し付けられた荷物がこないあるとなあ。たまらんわ」



「私たちも本庁の一部なんだが......」



 順四朗のぼやきに答えながら、ヘレナが視線を下に落とした。

 別に落ち込んだ訳でも何でもない。

 珈琲を淹れる為の硝子管がぐねりと曲がった機器――サイフォンから抽出される黒い滴がそろそろ途切れかけていた。抽出終わりの合図である。



「まあいい。とりあえず休憩だ」



 そう声をかけ、ヘレナはさっさと陶器のカップに珈琲を注ぎ始めた。

 芳しい香りが部屋の空気に広がり、疲れた雰囲気を洗い流す。「お茶菓子何かあったやろか」と順四朗が腰を上げると、さっと小夜子が機先を制するように動く。



「何や、別に君の分を取ろうとかちゃうで?」



「ひっどーい、違いますよおー。先輩に下働きさせるわけにはと率先して動いただけですよお」



「――小夜ちゃんが変わった」



「そんなしみじみ言うほどのことですかっ」



 うう、と唸りながらもさっさと小夜子は棚から栗羊羮を取り出し、人数別に切り分けている。別に高級品では無いが、ヘレナが好きなのでよく第三隊には常備されているお菓子である。

 いつぞやか一也が「隊長って日本の食べ物で好き嫌い無いんですか?」と聞いた折にも「あまりないな。強いて言えば蒟蒻(こんにゃく)は苦手だ。あの味が無いのがちょっと」という程度であり、独逸(ドイツ)人と思えない程ヘレナの味覚は日本人に近い。



「隊長はいつも通りブラックですよね」



「うん。ミルクもいらない」



 一也とヘレナがさっさと珈琲を皆に配っている間に、小夜子が切った栗羊羮を順四朗が皆に配っている。見事なコンビネーションである。

 昼前の一時(ひととき)、ソファに座った皆は急な書類整理及び季節外れの大掃除から逃れ、和洋取り混ぜたお茶の時間を楽しむのであった。



「しかし何でまあ、第三隊(うちら)の拠点が荷物押し付けられるんやろな」



 順四朗がぼやく。

 無理もない。今日出勤するや否や、ヘレナが苦虫を噛み潰したような顔で三人に命じたのである。

「本庁から溢れそうな荷物の一部が運び込まれる。今日中に拠点に空きを作るぞ」と言われたのでは、順四朗でなくても不満の一つも言いたくなろう。



「私も詳しくは聞いていない。ただ、本庁の部屋の一部を改築するから、その間だけ荷物を置く空きを貸してくれとのことだった」



「改築の間だけで済むのでしょうか?」



「狭いのは嫌だけど、上層部(うえ)が決めたことじゃなあ」



 ヘレナの説明に続いて、小夜子は懸念し一也は社会人としての理解を示す。

 ほんとは一也も嫌なのだが、理屈をつけないと気持ちだけが先立つためわざとやっている節もある。

 順四朗などは口では何だかんだ言いつつも「しゃあないわな」と飄々としてやり過ごしており、その辺りはしっかり大人であった。



 一也が庭に目をやると、木箱が何箱か既に運び込まれていた。

 蜻蛉が何匹かその上を舞っているのは初秋らしい風情があるが、だからといって仕事の量が減る訳でもない。

 軽く目を閉じて栗羊羮を口にする。小豆の濃い甘味と栗のほくほくした甘味が疲れを和らげてくれた。



 四人がそれぞれ束の間の休憩と雑談に興じている時間、それは穏やかな時間ではあったが、そう長くは続かなかった。



「近々、重要な任務が下されるぞ」



 コトリ、と珈琲カップを受け皿に置いたヘレナに、皆の視線が集中する。

 肩まで伸びた金色の髪を払いながら、ヘレナは三人を等分に見た。



「まだ正式ではない、とだけ先に言っておくが。しばらく拠点を空けることになりそうだ」



「それって――赴任業務ですか」



 一也の質問にヘレナは頷く。「(ヤー)」と短く発した独逸(ドイツ)語に自然と三人の背筋が伸びた。



「だからこちらにしばらく荷物を預けても大丈夫、という判断もあったんだろうが......」



「留守にするからですよね?」



「赴任て何処へなんですのん」



「まだ私にも知らされていないよ。落ち着け」



 小夜子と順四朗をたしなめつつ、ヘレナはその長い足を組む。猫科の猛獣めいた優美さだな、とまた一也は思いつつ、黙って隊長の言葉を待った。

 赴任業務といえば、隊全体で一定期間拠点を離れて特定の業務に従事する仕事だ。

 当然ながら小規模な事件には適用されず、かなり大掛かりな事件のみが対象になる。全員の顔が引き締まるのも当然であった。

 だが固くなったその場の雰囲気をなだめるように、ヘレナは穏やかに告げる。



「まだ詳細は知らされてはいない。近々そうなりそうだ、という言伝てがあっただけだから」



 珈琲のお代わりを一也に頼みつつ、これでその話は終わりと言うようにヘレナは栗羊羮の最後の一切れを口にした。

 順四朗が「それやったら焦ってもしゃあないか」と呟き、小夜子も「一也さーん、私も珈琲ー」と間延びした声をあげる。

 一也が了承し、順四朗の方を向いた。



「順四朗さんは飲むんですか?」



「己はいいわ。夜眠れんようなるもん」



「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず、ですかね。あれはお茶ですけど」



「お、一也ん、気の利いたこと言うやんか。そうそう、己みたいな小心者は珈琲二杯も飲んだら気が高ぶってもうてな」



 昔、日本史で習った知識を引っ張り出した一也の一言に、順四朗が笑う。その様子を見てヘレナと小夜子が顔を見合せた。



「どの口が言うんだろうなあ。そう思わないか、小夜子君?」



「ほんとですよねー、ヘレナさん」



「あっ、酷いなあ。ギヤマンみたいな繊細な心の持ち主に向かって。そう思わへん、一也ん?」



 いかにも心外である、という顔をする順四朗に一也は「そうですね、いや、ほんとその通りですよ」とにやにや笑うだけであった。

 多少日常にゴタゴタはあれど、少人数故の連帯感がプラスに働くのか第三隊の雰囲気はいい。それが素直に嬉しかった。



 二杯目の珈琲が入る。

 一也は自分の分もカップに注ぎ終わり、その黒い表面をじっと見た。

 豆がいいのか、はたまたヘレナの私物であるサイフォンが上物なのか、トリップ前に飲んでいた珈琲より遥かに美味しい。

 小さな幸せだな、と心の中で呟いた。




******




 何とか片付けを終えて本庁から運び込まれた荷物を押し込むと、既に午後も遅い時間となっていた。

「うわっ、もうこんな時間やん! 小夜ちゃん、定期巡回行くで!」「わ、わわ、待ってくださいよお、順四朗さーん!」と順四朗と小夜子の二人がバタバタと出ていった。

 埃まみれの制服に顔をしかめるヘレナと一也の二人が、その後に取り残される。



「今からやってもしれている気はするが、残件整理だけでもしよう。やらないよりはましさ」



「そうですね......」



 そんなやり取りの後、二人して書類に向かう。

 特務課第三隊は基本的には最前線で武力を振るうのが主たる業務となるが、そんな物騒な業務ばかりでもない。

 時間的割合で測るならば、拠点で書類に向かうか、あるいは事件の起きた周辺で聞き込みなどをしている時間の方が余程多い。

 現在は手持ちの未解決事件がさほど深刻な物が無いので、余計にこういう半端な時間をデスクワークに回したくなる。



 例えば第三隊にとっては、以下のような業務も日々を支える業務であった。

 帝都の各自治体にいる防衛団員への教則本を書いたり、特務課第一隊や第二隊から回ってきた事件調書に意見を記す。

 明かりを嫌う妖物対策の為に、帝都の地図とにらめっこして暗闇が濃い地域に特殊な角灯(ランタン)を手配したり――詳細(ディテール)を書くとキリが無いが、こうした地味な仕事が実は多かったりもするのだ。

 その一方で、第三隊に期待される武力行使も無論ある。時にヘレナの胃が痛むのも無理は無かった。



「忙しいですよね、第三隊(うち)って」



「貧乏暇無しだな」



 机に顔を伏せたまま、ヘレナが一也に答える。

 既に日は落ち、貴重な電力を消費してのアーク灯下の作業である。

 順四朗と小夜子からは「定期巡回後にそのまま直帰します」と小夜子が飛ばしてきた式神による連絡があった。その為二人で残業である。



「え、俺ら公務員ですよね。貧乏って?」



「予算の奪い合いのことだよ。他の課より業績をあげれば発言権も強くなるからな」



「ああ、なるほど。生々しいですね」



 納得した一也にヘレナは黙って頷いた。

 一也は時々思うのだが、ヘレナは一也と比べても一歳しか年長ではない。なのに人格的な成熟や社会経験でかなり差がある。

 これは何だろうか。

 単に立場の差なのか、一也が本当はただの大学生だからか、あるいはヘレナの経歴が原因なのだろうか。



 そもそも――何故わざわざ遠い欧州は独逸(ドイツ)から日本に来ているのだろう。

 本人は日本の警視庁から依頼された、とは言っているが果たしてそれだけが理由なのか。



「ヘレナさん、日本に来て二年でしたっけ?」



「正確には二年半かな。それが?」



 机を挟んで相対する形で一也はヘレナと向き合った。



「日本に来た理由って警視庁に誘われたからだけなんですか? ヘレナさん、欧州では高名な魔女なんですよね。なのに二年以上もこんな極東にいるなんて」



「奇妙だということか?」



「はい。あくまで俺の個人的な印象ですけど」



 一笑に付されるかとも覚悟していたが、一也の予想は外れた。

 ヘレナ・アイゼンマイヤーは幾分上目遣いで一也を眺め、微笑する。絶対に媚態などではなく、むしろ硬質の感情がその笑いにはあった。



「なるほど」



 青緑色の双瞳は一也の黒い双瞳を射抜く。



「なるほど、なるほど。いい推察だ、と褒めておくよ、三嶋君。流石は銃士(ガンナー)、いい目をしている」



「褒め言葉と受け取っておきます」



 一也の返事を合図にしたかのように、ヘレナはさっと立席した。「座りなさい」と部屋のソファを指差し、自分はそのまま壁に背をもたせかける。

 一也がソファに身を沈ませた。部屋の空気が急に――気温を下げたように感じたのは錯覚だろうか。



「結論から言えば、君の推察は当たりだ。私がここ、日本に来たのは日本の警視庁から請われただけじゃない。別の理由もある」



 腕組みをしながらヘレナが語り始める。

 桜色の綺麗な唇から洩れる語調はしかし、艶美とは無縁の鋭さがあった。

 一也はそこに磨き抜かれた刀剣を見る。

 冷ややかに鍛えあげられた薄い鋼が、言葉の形をとって紡ぎ出されてゆく。



「長くなるかもしれないが......」



 微かに開いた窓からの夜風が、ヘレナの呟きを揺らした。

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