異変はいつだって突然
午前中に1ゲーム、休憩を挟んで午後に2ゲームをこなしていた。アクセスを考えればそろそろ帰る時間帯だ。
中西の指示の下、サバゲー部全員が撤収にかかる。この作業には一回生も四回生も関係ない。皆が平等に片付けを行う。当然ながら一也もそれに倣い、ゴミや落とし物が無いかを探していた。
ビブラム底の頑丈なコンバットブーツで、木の根や雑草を踏みしめる。正直ゴミの数は多くはない。空のマガジンやBDUから飛んだボタンなどがたまにある程度だ。
それでも次のユーザーに配慮して片付けはきちんとやるのが、大人のマナーというものだろう。
あちこちの繁みを覗きながら、ゴミ拾いを一也は続けた。
頭の片隅では今日のゲームのことが渦を巻いていたが、それは奥歯で噛み締める。
サバゲーに打ち込むくらいしか、自分には能が無い......自分で言っておいてなんだが、改めて考えると鬱な言葉だ。せめてもう少し他の要素で秀でた物があれば、と思うが一々悩んでも仕方ないことではある。
あるのだが、それでもやはり人には持ってる奴と持っていない奴がいるんだなと考えてしまう。
どろりとした諦念と悔しさに身を浸しつつ、どれくらい歩いただろうか。いつしか一也の注意力は外から内面へと向いていた。
ふう、とため息を一つついた。キャリングケースに収納したM4カービンが肩に食い込む。
やるせない思いを吐き捨てながら、あともう少し周囲を探したら戻ろうと一也が考えた時であった。
「あ、あれ? なんかおかしくないか?」
一也の視界に映る景色がいつの間にか――普通ではなくなっている。日が西に傾きつつあったとはいえ、まだ夕方には早い時間のはずだ。だがいつの間にか周囲は暗くなっている。
雑木林の葉を通して差し込んでいた陽光がほとんど無い。白々とした樹皮を晒していた木々は、とっぷりと暮れた闇の中にうずくまる黒い柱のようであった。
カァ、カァーと烏の鳴き声が頭上から響き、思わず身を竦めた。考えことをしながら歩いていたから、知らぬ内に遠くへ来てしまったのか。
サバイバルゲームのフィールドの中には自然の林の浅い一角を利用している物もある。今日使ったフィールドも、確かそのタイプだったはずだ。
ならばあり得ない話ではない。埼玉の山あいにあるフィールドなら、場所によっては山の奥に踏み込むこともあるだろう――
――いや、だがこれは。
頭に浮かんだ考えを一也の理性が否定した。
違う。
これほど木々が密集しているのは普通ではない。
そもそもサバゲーフィールドから歩いて踏み込めるような山あいならば、足場はある程度人の手が入っているだろう。
しかし暗くなった視界をペンライトで照らしても、それらしき跡がない。人が踏み固めた痕跡が地面に無いのだ。
「何だってんだ、くそっ」
これは意外とピンチなのかもしれない。理由は分からないが迷子したことを認め、大声で助けを呼ぶべきだ。いや、それよりスマホで連絡すればいい。
少々格好悪いがさっさとこんな訳の分からない場所からは脱出したかった。
動揺しながらも、肩に背負ったM4カービン、それに腰に収めたベレッタ――滅多に使わないハンドガンだ――に触ったのは、サバゲーマニアならではの癖のようなものだろう。
スマホを取り出す。
だがまさかの圏外の表示に目を見張った。そんな馬鹿なと思いつつ一也が顔を上げたその瞬間。
「!?」
世界は、彼を取り巻く全ての世界は、突如その色を黒から目映い白へと激変したのだった。
******
後の話になるが、その視界全てが白く変わった瞬間のことを一也は思い返してみる時があった。
何が起きたのかさっぱり分からないまま、いきなり自分の周りが白熱したかのように変わったのだ。
もしかしたら、自分の視神経がおかしくなっていたのかとも考えたが結局答えは出ないままだった。
少なくとも、その時点ではいきなりの異常に頭がついていかなかった。彼が気がついた時には――
******
最初に感じたのは酷い目眩だった。車酔いに近いような、頭が振り回され腹がひっくり返りそうと錯覚してしまう。
視界が安定しないため、ふらついた一也は膝を地に着いた。その時思わず声が出たのは、地面はあるんだなと実感したからだ。
気持ちが悪い。
周りの様子もよく分からないし、とりあえずしゃがみこんで体調を確認することにする。
うずくまるようにして喘いでいる内に、徐々に呼吸が安定してきた。
目眩もましになってきたので、落ち着けと自分自身に活を入れる。
目だけで辺りを探る。
自分が座り込んでいるのが土の地面であり、周りには木が生えているのは分かった。先程の白い光のフラッシュの前と同じように見えたことに、とりあえず安堵する。
つまりそれは夜の雑木林にただ一人ということであり、別の意味で危険ではあったのだが。
――五体は満足だろうか。手は大丈夫、ある。足もきちんと動くようだ。まだちょっと気持ち悪いが目立った外傷は無さそうだ。
――五感は大丈夫だろうか。目は......見えている。暗いので分かりづらいが、視力に異常は無さそうだ。小さく声を出すとそれはちゃんと聴こえた。耳も口も大丈夫らしい。
「何があった?」
一也は独りごちる。少し余裕が出てきたので自分の格好を確認する。
変わったところは無い。
BDUは着たままだ。
足にはブーツを履いているし、肩にはM4カービンがぶら下がっている。
予備のマガジンやバッテリー、それにポーチに入れている財布なども無事だった。無くした物は無いと判断する。
「けどなあ、嫌な予感しかしないんだけど」
目眩が完全に収まってから、一也はそろりと立ち上がった。
どうにも妙なことが続いている。普通にフィールドを歩いてゴミ拾いをしていたら、時間の経過がおかしくなったかのように暗くなった。辺りは山の中に踏み込んだかの如くだ。
それだけならまだしも、謎の白い光に包まれたというのは一つの連想を呼び起こした。
未確認非行物体、通称UFOによる地球人の捕獲。
一也は小学生の時に読んだオカルト本にそんなことが書いてあったことを思い出した。
あの本には"被害者は目が覚めたら白い未知の金属で出来た部屋にいた"と記されていたが、今の状況はそれとは違う。
山の中に拉致した人間を放置する宇宙人はあまりいないと思われる。
だが、ならば何なのだ。
自分がどんな状況にいるのか分からない不安、それが一也の心に忍び込む。サバイバルゲームをしていたら、いきなり訳の分からない状況で一人きりだ。
シン......と静まった空気から察するに人の気配は無い。時折、木の葉が風に揺れる音しかしない。
一度ぶるりと身を震わせてから、一也は動くことを決めた。
目が暗さに慣れてきたこともあるが、動かないと寒い。
着込んでいるBDUは手首まですっぽり包んではいるが、山の中の夜は思ったより冷える。
それに自分に起きた得体の知れない事態を考えると、一刻も早く人里に出たかった。
万が一県道が見つからなかったとしても、ここで夜を明かすよりはましだろう。
歩きながら腕時計を見る。
アウトドア用のごついデジタル腕時計は夜十時を指していた。歩き始めてから約一時間が経過しているという事実に、一也は軽く落胆していた。
おかしい。視界が悪い山道を行くのでペースは当然遅いものの、一時間も歩けば街や道路の明かりくらい見えるだろう。
だが彼の目は未だ何も捉えていない。ちなみに一也は両目とも視力2.0である。
どれだけ山奥なのか、と気味が悪くなってくる。ほんとに自分は神隠しにでもあったのではないかと考えつつ、慎重に足を進めた。ペンライトは使っていない。電池の残量を考えてのことであった。
大抵の人に冷静な性格と言われる一也だが、流石に焦りと恐怖に心が塗り潰されかけていた。じわじわと積もる疲労がそれに拍車をかける。
空腹と喉の渇きは手持ちのドリンクで多少はましにはなったものの、残りは200mlも無いだろう。
このままでは行き倒れかと思うとぞっとする。
"これは野宿も覚悟か"と半ば自棄になった頭で考えた。野外で寝たこと自体はあるが、それもキャンプで二回程度に過ぎない。
サバイバルゲームが趣味ではあるが、あくまでそれは野外での生存活動には直結はしない。
そういう意味では、一也もまたぬくぬく育った現代人の一人である。
あと十分歩いて何も明かりが見えなければ不本意だが休もう。そう決めて坂道を下っていた一也はふと立ち止まった。
微かに......微かに音が聴こえてくる。ザリッというのは砂利をはね飛ばすような音だ。
それだけではなく、獣――犬か? の吠え声のような音が闇の中を裂き、それに人の声らしき音が混じる。
野犬が人を襲っているのだろうか。今時そんな狂暴な犬がいるとも思えないが、狂犬病にでもかかったのであればあるいは――
――あり得なくもないか。そう思うとぞっとしたが、それ以上に人がいることの方が一也には希望に思えた。
自分と同じように道に迷った人が野犬にでも襲われているのだろう。助けてあげれば、少しは今後の見通しも立つかもしれない。それならばやるべきことは一つだ。
キャリングケースを下ろし、僅かな月明かりを頼りにM4カービンを取り出した。
まだ残弾はたっぷりある。セーフティを解除しいつでも撃てる状態にした。
動物愛護協会から非難されそうだな、と思いながら一也は声の方へと近づいていった。
異様な光景が一也の視界に飛び込んできた。
ギャウン! という複数の犬の吠え声が響き、小汚ない野犬の群れが一人の人間によってたかっている。それも女の子にだ。
木々が並ぶ風景に似つかわしくない着物姿の若い女、それが野犬の群れを相手に長い棒のような物で切った張ったを繰り広げている。
野犬が何匹いるのか、すぐには数えられない。
だがパッと見ただけでも二十匹超はいそうだった。
こんなに犬とは群れるのか。しかもそれと戦うとは一体あの女は何者なんだ。
「おいおい、色々とおかしいだろ」
一也が小さな声で突っ込んでしまったのは、それだけが理由ではない。
若い女――よく見れば女の子と呼んだ方が近いか――の周りには白い人形のような物が浮いている。
大きさは成人男性くらいだろうか。三体のそれがふわふわと浮きつつ、女の子を護衛するかのように動いていた。
けして速い動きではないものの、野犬の群れを牽制するには十分なようだ。
そして何よりも夜にも関わらず、こうして一也が正確に状況把握出来る原因もおかしい。着物姿で棒を振り回す女の子の頭上......そこに何か青白い炎のような物が燃えて辺りを照らし出しているのだ。
一也にしてみれば目にしている物全てが浮き世離れしていた。野犬、女の子、着物、炎、山と一つ一つを独立して考えるとそこまでおかしくはない。
だがこれら全てを合わせると、とても二十一世紀の日本の風景とは思えなかった。
「きゃっ!」
一也が助けに入るかどうか躊躇っている間に、女の子が小さな叫び声をあげた。人形のサポートを掻い潜り、更には女の子の棒の一撃をかわした犬の一匹が攻撃を加えたのだ。
足首を掠めた一撃に女の子が怯むのが見えた。着物の足元の裾がはだけ、白いふくらはぎがチラリと見えたのが妙に艶かしい。
負傷したのかガサガサと草を揺らしつつ、彼女が後退する。
反対に犬の群れはグルル......と不気味な唸り声を喉から漏らしつつ、女の子を半包囲するように動いていた。
"これはちょっとまずいかもしれない"
そう判断し、一也は迷いを捨てた。
状況の異常さに戸惑っていたが、このまま放置していてはあの女の子は犬の餌になってしまいそうだ。
助けたからといって一也を助けてくれるとは限らないが、野犬の群れよりはましだろう。
距離を目測する。一也が身を潜める木陰からは――約20、いや25メートル。射程範囲だ。
相手はざっと二十匹の犬の群れ。装甲は薄い、BB弾でも痛手くらいは与えられる。電動アサルトライフルの連射力ならば複数でも相手どれるだろう。
悪いな、犬ころ共。
木の陰から半身を乗り出す。
射撃の安定性確保の為、右膝を着いたシングルニーの姿勢を取った。ストックを右肩に当て、射撃の瞬間のぶれを抑えた。
目が確実に標的を捉え、心が指先と腕を制御する。
「一掃させてもらう」
三嶋一也は短い呟きと共にM4カービンの引き金を引いた。