定期巡回 2
夜の闇にはまだ早く、昼の光にはもう遅い。
夕暮れとはそんな隙間の時間帯だ。光の屈折率の関係で赤い光だけが残るんだっけ、と一也はふと思い出した。
何故今こんな時にという自問が墓地の空気に溶ける。
それは恐らく緊張をまぎらわす為の無意識の行為。
それは恐らく胸中に巣食う未知の恐怖からのごまかし。
野犬の時は相手がまだ自分の知る範疇だったから、怖くはあってもそれだけで済んだ。
だが――今日のそれは違う。一也が知る生物というカテゴリーから明らかに外れた物が"いる"のだ。
「そこそこ数はいるようだな」
「そんなに悪質やなさそうですけどね」
刻一刻と高まるその場の障気にもかかわらず、ヘレナと順四朗の口調はのんびりしている。
油断しているわけではなく、絶対の自信から来るものだとはすぐに分かった。
だが武器すらまだ抜いていないというのは、やり過ぎに思える。
墓地に相応しくうっすらと漂う霧、あるいはもやがその灰色の密度を上げていく。
霊感が無い一也でもはっきりと分かる。ああ、これはいるなと。
「大丈夫です。霊なら慣れてますから」
「あ、ああ」
隣に立つ小夜子の声は強がりでは無さそうだった。
一也の表情が固いのを見抜き、安心させるかのようにぽんと彼の肩を叩く。
「それに私達が何もしなくても、片付くと思いますよ」
「紅藤さんの言う通りさ。この程度の低級霊など」
「そう手は焼かへんやろうな」
小夜子の言葉を期待と感じたか、ヘレナと順四朗が答えた。いまだ無手であるのに焦りは微塵も無さそうだ。
「順四朗、先陣は任せた。私は二人を守りつつ、討ち漏らした奴を相手にするからな」
言葉通り、ヘレナは動かない。だが、彼女の全身から極々微細な気のような物が立ち上っている。
それは見る間に広がり、一也と小夜子を墓地から遮るように白い半透明の膜となった。
この時、順四朗は無手のままゆらゆらと前に進み出ている。
生者の侵攻を目の当たりにしてか、何やら呻き声のような――響きが聞こえてきた。妬み、恨み、怒りといったネガティブな感情が奏でる声だ。
一也でも分かる。これが幽霊の声なのだと。
"ォオォォォオゥ"
"ウァァアゥアア"
"ヒィィィアヒィィ......アオオォ"
声が重なる。それと共に墓石の暗がりから何かが姿を見せた。
人間の形は一応保ってはいる。だがこけた頬、抜けかけた髪、窪んだ眼窩はそれが生者ではないことを明確に伝えてくる。
半透明のそれはもやを隠れ蓑とするかのように浮き上がった。一、二......一也が確認できた限りで六体の幽霊がこちらを睨んでいる。
人を脅すだけとはとても思えぬ凶悪な外見だ。"これはただの幽霊じゃなくて悪霊だろう"と一也は思うが、その場から動けない。じっとりと冷や汗が手を伝う。
だが一也の心中などいざ知らず、順四朗はすい、とまた一歩進み出た。威嚇するように幽霊達が包囲を縮めてくるのに、だ。
「生者を脅かしていい気になっとったら――」
ニィ、と順四朗が笑った。
馬鹿にされたかと思ったか、二体の幽霊が不意に片手を伸ばす。ビュアと奇妙な音を立て左右からそれが迫るが、順四朗は微動だにしない。
否、動く必要が無かった。
「あっ!」
「えっ......斬った!?」
一也と小夜子は目を疑った。二人の目に映るは、もやが凝縮したような手を散らされ叫び声を上げる二体の幽霊、そしてその場から一歩も動いた様子の無い順四朗の姿である。
一也には何が起きたのかは全く見えなかった。
小夜子にしても、小さく聞こえた鍔鳴りと幽霊の様子から順四朗が刀を抜いた、と推測出来ただけである。
ヘレナが「いつもながら見事だ」と声をかける。
「見学者にいいとこ見せたいだけやし?」
皮肉っぽい口調で答えつつ、奥村順四朗は幽霊の群れを見渡した。
自分の斬撃を恐れたか、それらは若干距離をおいていた。だがこちらを狙う敵意は更に増しているようだ。
今の順四朗の動きを正確に捉えていたのは、この場ではヘレナのみ。
彼の超高速の一刀が幽霊の手を切り裂き、すぐにまた鞘に帰る――その芸術的なまでの一連の動きは嫌でも目に焼き付けられる。
「覚えておくといい。あれが特務課第三隊の奥村順四朗の得意技だ」
ヘレナの声に順四朗の第二撃が奏でる音が重なる。
刀の鍔と鞘は激しく、冷たく、美しく鳴った。
「呪法補助式抜刀術――」
その言葉が終わる前に、またもや狂桜が舞う。
夕闇に銀の軌跡が重なったと見えたのは、あるいは一也の錯覚だろうか。
「影爪や」
何でも無さそうに順四朗は刀を鞘に収める。先の一撃で弾いた更に倍、四本の手による攻撃すらも瞬く間に切り裂いて。
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呪法という物を大別すると二つに分かれる。
一つは呪の力を秘めた言葉の連なり、別の言い方をするならば一定の型式を正しく発音することにより、自分の中の呪力を発動させる方式である。
もう一つはある物体を使う際に、その物体に秘められた呪法を発動させる方式。これは使用者自身に呪力が無くても使えるのが利点となる。
通常、呪法士というのは前者の呪法を使える者を指す。
自らの内に呪力があり、それを何らかの現象へ自律的に変換出来る者――それが呪法士の定義と言えよう。その意味で小夜子は正しくそれにあたる。
西洋における魔術師、魔女も呪法士と大きな変わりは無く、その意味でヘレナも呪法士のくくりに入ると言える。
今しがた幽霊の攻撃を軽く捌いた順四朗には呪力は無い。
彼が行ったのは基本的には剣術の一つ、抜刀術である。ただ人とは違うのは、愛刀"狂桜"に秘められた呪法、即ち鞘走りの速度強化及びそれに伴う斬撃力の上昇だ。
端的に言うなれば、それは抜刀術に極めて高い適性を発動する狂桜を、正しい方向に生かしたに過ぎない。
「かわせへんで、生半可な腕じゃあ己の影爪は」
だが順四朗にはこれで十分であった。
そもそも呪法などとは縁遠い男である。
自分が拠り所とする剣術と相性の良い武器がたまたまあった、だからそれを生かす技を磨いた。それ以上でも以下でもない。
余程の腕でなければ、影爪はかわせない。
それは、順四朗の腕前と狂桜に施された呪法が生む神速の抜刀術である。
鞘から抜き放たれた最初の一撃だけに限るならば、順四朗の腕前は日本有数の物であろう。その領域に至った斬撃は、例え生者の域を外れた幽霊であってもかわせる物ではない。
ある程度の高度を保ち、幽霊が殺到する。
襤褸にくるまれた半透明の手は、伸縮自在の鞭のようだ。触れればそこから生命力を吸いとられる――それが容易に想像出来る。
だが、それを順四朗は次々に迎撃していく。
不用意に踏み込んで死角を作らないよう飛び込みこそしないものの、ただ一人で六体もの幽霊の連続攻撃を叩き落とす。
間断無く放たれる影爪が高密度の刀閃を築き、四方からの攻撃を容赦なく叩き伏せていた。
一也は目を見開いてそれを見つめていた。
驚愕一色に染まった心は、幽霊への恐怖を追いやり軽い興奮を呼び覚ます。
剣に心得は無いものの、順四朗のそれが凄まじい達人の領域にあることくらいは分かる。
幽霊の群れがやや離れた位置から攻撃を仕掛けるため、彼の刀は腕を切り刻むのみで致命打にはなっていない。
だが一撃ごとに幽霊の呻きが聞こえ、少しずつその半透明の体が消えている。これならば。
「行ける、このまま削り続ければ!」
「いや」
思わず声を出した一也をたしなめたのは、ヘレナだ。
「あの六体だけなら大丈夫だったろうがな、周りを見てみたまえ」
「あ......いつの間に」
ヘレナに促された一也が気がつく。
順四朗と幽霊達が争うその後ろ、墓地の奥からぞろぞろと沸いてくる物があることに。
霊感の無い一也ははっきりとは認識できなかったが、それが恐らく幽霊であることくらいは分かる。
「十、いえ、十二体くらいといったところでしょうか」
「いい読みだ、紅藤君。私も同意見だな。これで戦況が変わる」
小夜子にいやにのんびりとヘレナが答える。
そんなことでいいのか、と一也は思ったが、順四朗もそんなことにはとっくに気がついていたらしい。
六体の内、一体はほぼ削りきってはいたが残り五体はまだ動ける。ここに更に十以上も増えれば、多少の苦戦は免れない。
ちっ、と舌打ちを一つ鳴らしつつ、後方に素早く下がる。
それに吊られて不用意に一体が踏み込んできた。最後の置き土産とばかり、順四朗が袈裟懸けに切り捨てる。
幽霊の体が霧散した。まさに一刀両断である。
「やー、案外時間かかってもうたわ。ごめん、隊長」
下がった順四朗に頷きつつ、交差するようにヘレナが前に出る。様子を伺っていた幽霊の集団が散開した。
新たな標的とばかりに、落ち窪んだ眼窩はヘレナを睨み付ける。敵意が物理的な圧力となり吹き付けるが、それはそよ風ほどもヘレナに影響しなかった。
生命力をじわじわ奪う霊の息吹である。
一吹き程度ならば気持ち悪い程度で済むが、これだけの数が集えばじわりと体温を奪い、体に異常が生じてもおかしくないのだが。
「受け流してる?」
「ええ。しかもごく自然に」
一也の問いを小夜子が肯定する。
確かに、彼女に吹き付けられた冷たい息吹は受け流されていた。 ヘレナの周辺に霊の息吹とは異なる気流が見える。
赤、黄、橙といった暖色が絡み合った燃え盛るような気流が轟と唸り、それは魔女を護る鎧と化す。
風が風を押し返す。
熱が冷気を駆逐する。
夕焼けの残照よりも更に赤い風に包まれつつ、ヘレナはその金色の髪をかきあげた。
「あれだけ順四朗が時間を稼いでくれたからな、焔之番人くらい唱え終えているさ」
空気そのものがじわじわと対象物も無いのに発火し、チリチリと音を立て始めた。
ヘレナを護る熱風は今や火炎を生む巣となり、幽霊達が吹き付ける冷たい息吹を流すどころか、呑み込み始めている。
いつの間にか軽く二十を超える幽霊が集まり、この異国の魔女に執拗に攻撃を仕掛けているのにそれを全く寄せ付けていない。
逆に勢いに押されたかのように、幽霊達の足並みが乱れる。
感情など無くしたはずのその顔が恐怖に歪んだように見えた。
「す、すげえ......」
魔銃の銃士は呆然と呟き。
「これが西洋魔術......」
呪法士の少女は冷や汗を流し。
「終わるで」
熟練の剣士は静かに言い切った。
まさにその言葉を待っていたかの如く、ヘレナの周囲の空間が武器と化した。
風に乗った火炎が数条、猛然と幽霊目掛けて襲いかかる。それはまるで、餓えた大蛇が獲物を待ちきれぬ様子にも似ていた。
「この世への未練ごと焼き尽くす」
ヘレナの呟きが、火炎が踊り狂う墓地に静かに溶けていく。彼女の視界を真紅が染め上げていった。




