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第三隊の実情

「やあ、いらっしゃい。約束通りだね」



「失礼します」



 ヘレナに促され、一也は扉をくぐった。小夜子も恐る恐るという感じで後ろについてくる。

 指先だけで椅子を促され、二人は腰を下ろした。ヘレナとは部屋の中央に置かれた卓を挟む形となった。すぐに一也の眼が素早く部屋の中を観察する。

 全体的にシックにまとめられた洋風の広い部屋だった。

 ダークブラウンの背の低い棚にはガラス工芸品やティーカップが並べられ、その後ろの壁は明治には珍しいクロス張りとなっている。

 南に向いた部屋の一面は庭に面しており、丁寧に刈られた芝生の緑が目に優しい。



 そして何より、ヘレナから少し離れた位置に立つ男が目を惹いた。

 警察官の着用する濃紺の制服が長身によく似合う。

 少し長めの髪と無精髭だけ見れば、賭場の方が似合いそうな男だが――腰に帯びた刀の鞘がその印象を見事に覆す。

「や、どうも」と軽く会釈をしてきたので、とりあえず一也も頭を下げた。



「こちらは奥村順四朗という。私の部下だな」



「ご紹介に預かりまして。奥村です。関西人なんで関西弁出るけど、気にせんといて」



「三嶋一也です。えっと、こちらが――」



「紅藤小夜子です、初めまして」



 意外にはっきりと小夜子が挨拶を返す。二日酔いの気配はもはや無く、それだけでも一也はほっとした。

 そこにタイミングよく飲み物が出される。

 白いティーカップによく映える真っ黒な液体――



「これ、何でしょうか?」



「ああ、紅藤さんは初めてか。三嶋君は?」



「珈琲ですね」



 ヘレナの問いに一也は素知らぬ顔で答える。

 小夜子の反応で分かったが、どうも珈琲は一般的な飲み物ではないらしい。

「牛乳と砂糖があった方がええんちゃうの?」と奥村が手際よく小さな陶器のポットを持ってきてくれた。

 小夜子に渡してやりながら、一也はしばらくぶりの珈琲を啜る。味にうるさいわけではないが、少なくとも缶コーヒーよりは遥かにましであった。



「さて、一息ついたところでだ」



 ヘレナが口を開く。遠回しな言い方は嫌いな性格らしく、切り込んでくるような鋭利な口調であった。



「昨夜三嶋君に話した通り、私は警察官で所属は特務課第三隊であるわけだ。そして現在人手不足で、新規募集中」



「なんたって二人しかおらんもんなあ~」



「黙ってろ、順四朗。とはいえその通りでね、新設されて二ヶ月ということもあり、隊長である私と順四朗の二人しか人がいないのさ。事務局の人間は別にしてな」



 ヘレナの言葉に一也と小夜子は顔を見合わせた。

 二人とも警察の機構に詳しくはない。だが、それでも一つの隊の構成員がたったの二人というのは少なすぎるというのは分かる。

 そんなところに勤めて大丈夫なのだろうか――その疑念がよぎった。



 一方、説明するヘレナの方も無理強いは止めることにした。

 順四朗に諌められたこともあるが、人の良さそうな二人を見ている内に気が変わったのだ。

 第三隊の実情を包み隠さず話した上で二人の情に訴えた方がいいと判断し、そのまま説明を続ける。



 明治政府における警察庁の成り立ちから第三隊の設立経緯まで、出来る限りヘレナは懇切丁寧に話した。

 何点か欠けた部分については脇から順四朗が補足する。

 そうして凡そ三十分程が経過してから、一也が手を挙げる。



「まとめると特務課というのは、警視庁の中でも凶悪犯罪への対処に特化した課である。そして、第三隊の設立意義はいわゆる異能、怪異、妖物の類い及び火器を携帯するような攻撃力が高い犯罪集団を相手にすること――そういうことですね?」



「えっと、予算上の問題から隊員の募集も大々的に出来ず、今回たまたま私達二人に声をかけられたんですよね」



 一也に続いて小夜子も発言する。

 ヘレナは首肯し「ああ。その理解で合っているよ」と言いながら、手元の珈琲を啜る。



「正直に言えば危険な任務が多い。従って求められる能力の基準は高い。

 お金の話はいやらしいかもしれないが、重要なのでそれも話そう。我々特務課第三隊は設立理由からして普通の警察官とは異なる。その為、任務の重要性や危険度を考慮して基本給に報奨金が適宜つくような給与制度となっている。

 まあ出来て二ヶ月だから実績に乏しくはあるが、並の警察官の倍は軽くいくだろう」



 そうだな、とヘレナは順四朗を促した。無精髭を指でこすりつつ、順四朗は肯定する。



「正直、業務の危険性に釣り合う程度は貰えるで? ただまあ......人手不足が解消されへんと、それも絵に描いた餅やねんけどね」



「通常ならば警察官になるには入隊試験が必要となるが......こんな状況なのでな。知事の推薦状付きということと第三隊の窮状を理由に、無試験で二人を入隊させることは可能だと思う。その代わりに数ヵ月は見習いという立場になるが」



 そこでヘレナは話すのを止めた。二人の顔には興味と当惑が混在している。

 無理も無い、別に警察官になりたいという強い動機があるわけではないのだ。他に職を探そうと思えば、いくらでも探せる。



 中途半端な覚悟では本人が危険な目にあうだけだ。

 だから今出来るのは、可能な限りの好条件の提示と職務情報の開示だけである。危険の一言で怯むようならば、どのみち長くは続けられはしない。

 警察官が新人勧誘で事実を歪曲して、結果的にその新人が人生を誤ることなどやはり許されることでは無かろう。



 この時代、警察官という職業は旧幕府時代において、主に士族だった者が成る職業であった。国家治安の為に働くという意義、必要とあらば格闘もやむ得ない業務内容から考えればある意味必然である。

 そういう意味で、呪法士とはいえ実家は農家である小夜子が警察官になるのは異色であり、また一也の場合はそもそもがこの時代の人間ですらない。

 どこの家の者かと聞かれれば答に窮するのだが、幸いまだその場面は無かった。



 "女性警官かあ。危険な目にもあうだろうけど、格好いいかな"



 小夜子が漠然とそう考えている一方、一也はというと。



 "やっぱ銃が売りとくれば、こういう職業しかないよな"



 その事実を噛み締めていた。

 職業軍人よりは警察官の方がまだましかな、という程度にしか考えられない。しかし、そもそも一介の大学生に過ぎないのだから無理はないだろう。偶然手に入れた魔銃という幸運は生かすべきだろうな、と一也は思考する。



 "悪魔祓い"――DaemonBasterと英語で刻印された魔銃については、当然ヘレナも興味を示したので見せた。

 だが銃器についてはそれなりに知識のあるらしい彼女にしても、亜米利加(アメリカ)で製造されたのだろうというくらいしか分からなかった。



「珍しいには違いない。ミニエー銃にしろゲーベル銃にせよ、欧州から輸入している。新大陸経由の銃は稀少だろう」



「そうですか、ありがとうございます」



「機構がずいぶん高度だな。警視庁(うち)の技師ならば分解して調べることも出来るが――ああ、無理に入隊してくれと言っている訳じゃないよ」



 この時ヘレナは嘘は言っていない。

 ただ本当のことを全ては伝えなかっただけである。

 彼女が分かったのは唯一つだ。

 銃身内部にはライフリングと呼ばれる螺旋状の溝が刻まれている。そこに魔術文字が記されており、放たれる弾丸次第では魔術的な副効果を付与するだろうということは分かった。

 ただ全部説明するのは面倒であるし、それをこの場で言うのは控えただけだった。







 影が長くなっている。午後の陽射しが傾いた証拠だ。

 輝くような黄金の髪を陽射しに溶け込ませながら、ヘレナは二人を等分に見た。



「第三隊についての説明は以上となるのだけど――何か聞きたいことはあるかな」



「今ここで決断しないと駄目というわけではないですよね」



「無論。無理矢理入隊してもらうのは良くないからな」



 おずおずと聞く小夜子にきっぱりと断言するヘレナ。

 だが順四朗は"多少悪どい手を使ってでもって言うてたやろ!"と内心突っ込んでいた。

 勘のいいヘレナにそれを気づかれ、卓下で軽くつま先を踏まれたのは顔には出さない。警察官の鑑である。



 "いいか、余計なことは言うなよ、順四朗!?"



 "分かってますって!"



 そんな卓下の無言の攻防を知るよしも無く、三嶋一也はどう答えるべきか思案していた。

 どちらかと言えば、良い印象はある。

 だが、業務内容はかなりハードそうだし、隊員がたった二人というのも気になった。正直もう少し判断材料が欲しい。



 ヘレナの許可を得た上で、小夜子を伴い席を外す。廊下に出てから一也は「どう思う?」と率直に聞いてみた。



「う、うーん。悪い話ではないと思うんですよお。ヘレナさんも奥村さんもいい人そうだし」



「そだな。俺もそう思う」



 ただ、と小夜子は付け加えた。微かに寄った眉が何より雄弁に気持ちを物語っている。



「......私達、入ったとしてちゃんと働けるんでしょうか? それに今二人しかいないんじゃ、私達が入っても四人しかいないです」



「不安点はそこだけ? んん、俺は――そうだなあ、何だか実感が無いってのがそれに加わるかな」



 小夜子にほぼ同意しつつも、気持ちとしては一也の方が更に複雑だった。

 十九歳といえばまだ社会に出る前のはずだったのに、という未練が残っているのだ。

 今さら何を言うか、と自分を叱りつけても、足りない覚悟が邪魔をする。



「それは私も少しあります。何だか簡単にお仕事見つけちゃっていいのかなあって」



 小夜子の返答に頷きつつ、一也は背中を壁にもたせかけた。

 あまり長い間席を外すのも失礼だ。迷う心を閉じ込めるように目を閉じる。

 暗闇の中、自分と小夜子が何をしたいのかを頭の中で並べ反芻してみた。



「少し機会が欲しいよな」



 薄目を開けながらの呟きに、小夜子は視線だけを寄越す。疲れをほぐすように、一也は瞼の上から軽く目を揉んだ。



「実際にヘレナさんと奥村さんの仕事を見てみる機会があれば、な」



「......それってあり得るんです?」



「分からない。でもさ、第三隊って言ってもずっと危険な任務ばかりじゃないだろ。定期巡回みたいな仕事ならもしかして」



「見せてくれるかもってことですか」



 まだ訝しげな小夜子に一也は「試しに頼んでみよう。それに向こうだって俺らの実力を見たいだろうし」と話しかけつつ、再び部屋に戻る。

 小夜子も無理かもと思いつつも、あえて反対はしなかった。

 これで無理なようであれば、縁が無かったと思えばいいのだ。




******




 プカリ、と灰色の煙が輪っかになる。

 夜が生む静寂の中、それに続いてもう一つ、煙の輪っかが生まれて徐々に消えていく。

 その頃には最初の輪っかは微風にかき消され、ただの灰色のもやとなっていた。



「三日後でしたっけ。さてさて、どうしますかね」



 煙草を挟んだ右手を芝居めいた動きでひらめかしつつ、奥村順四朗は傍らのヘレナに問いかけた。

 辺りはとっぷりと闇に包まれ、光源は所々路地裏に吊るされた提灯のみという寂しさだ。

 これでも東京の中心部からほど近い神楽坂の小路なのだが、料亭や芸者処で賑わうこの界隈でも一歩路地裏に踏み込めばこんなものである。



「何がだ」



 コツコツ、と靴音を石畳に響かせつつ、ヘレナが答えた。闇夜を見透かすかのように、その青緑色の目が煌めく。



「あの二人に俺らの業務を見せることに決まってますやん。いつもの定期巡回とはいえ、危険が無いわけやないし」



「それについては上層部(うえ)に認可は取ったさ。それにな」



「それに?」



 長身の部下を見上げつつ、ヘレナは肩をすくめた。

 その視線がある料亭の二階へと向く。

 路地裏に面した一室の窓に映る影が踊り――にわかに大きく、また奇妙に歪んでいくのが見えた。



「確かに実際に見てみないと分からないものさ。ああいう怪異を相手に怯まぬかどうかというのは――」



 言い終えるが早いか、ヘレナは闇夜に舞っていた。

 石畳から塀へと跳び、更に次の跳躍で料亭の一階の屋根へと移る。

 ここから先程の二階の窓へはもはや一間(一間は約1.8メートル)も無い。視界の中で存在感を増した影は異形と成り果てて、おぞましい気配を放っていた。



 このヘレナの二度の跳躍の間に、順四朗は表へ回っている。

 敵の逃走経路を遮断し、ヘレナの業務遂行を助ける為だ。狂桜(くるいざくら)の鯉口が切られ、鍔鳴りの音が響く。



「さて――今夜もやるか」



 屋根の上を慎重に進みながらヘレナ・アイゼンマイヤーが微笑(わら)えば。



「斬り捨て御免やね」



 奥村順四朗は颯爽と表玄関へと回り込む。夜風が煙草の紫煙を何処へか運んでいった。



 三嶋一也と紅藤小夜子が第三隊を訪ねたその日の夜、いつもの定期巡回の一幕であった。

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