後日談 平成二十八年 日本
幼い子供の声が風に乗り、三嶋哲矢の耳に届く。
そちらに視線を向けると、一組の家族が目に入った。
小さな子供が二人、舞い散る桜の花びらを追っている。どちらもまだ就学前か。
男の子の方が年上らしく、女の子の方の足取りはまだ頼りない。
「こら、待ちなさい。走ると危ないわよ」
若い女性は母親だろうか。注意をしつつも、その顔は穏やかだ。
父親らしき若い男性が、子供達の後を追っていた。
鬼ごっことでも思っているのか、子供達は歓声をあげて逃げている。
ありふれた幸せであり、頬を緩めたくなる日常のひとこまだ。恐らく、この日の風景は写真に撮られ、家族のアルバムの一部となるのだろう。
自分の経験と照らし合わせながら、哲矢は微かに嘆息する。
「ため息つくなんて、哲矢さんらしくないですよ」
「ん、つい昔を思い出してしまってね」
隣からかけられた声に、哲矢は振り向く。
長年連れ添ってきた妻、和子と視線が合った。この一年で少し白髪が増えたようにも見える。
「そうですね。この公園、一也と次晴が小さい頃によく来ましたもの。あの頃は、まさかこんなことになるなんて」
和子の言葉には、悲しい響きがあった。それを受け止めつつ、哲矢はゆっくりと頭を振る。
「お互いそれを言うのは止めないか。気持ちは分かるけれどね」
「ごめんなさい、つい感傷的になっちゃって」
和子が軽く頭を下げる。
その肩に手を置きながら、哲矢はもう一度だけ先程の親子の方を見た。
まだ二人の子供は逃げ続けており、父親の方がバテそうだった。
「一也は何処に行ったんだろうなあ」
何度となく繰り返した呟きが、一人の父親の口から零れた。
******
サバイバルゲーム部員大量失踪事件と、一般的には認知されている。
平成二十七年六月某日に起きた、私立立候大学サバイバルゲーム部員五名の失踪事件の事である。
事件が発生したその日も、特別な事はしていなかった。
通常の部活動の一環として、サバイバルゲーム部は、いつも使っているフィールドで部活動を楽しんでいた。
予定していた回数が終わり、皆で引き上げようとするまでは何も問題は無かった。
「あれ、部長は?」
「毛利先輩もいなくね?」
「変ね、三嶋君達も見当たらないわよ」
戸惑いつつも部員達は、この時点ではさほど慌てていなかった。
けれども、徐々に焦りが広がっていった。近隣を探しても見当たらない。スマホをかけても反応も無い。
夕方まで粘った後、付近の警察署に届け出るところまでが、彼らが出来る限界であった。
中西廉。毛利美咲。中田正。寺川亜紀。三嶋一也。
一度に五名の大学生が失踪したという事件に、世間は一時騒然とした。
学生とはいっても、二十歳前後である。
まともな判断が出来る年齢であり、それだけに事態は深刻であった。
事態を重く見た警察は、地元の消防署に協力を要請した。
捜索の範囲は広く取られた。
失踪の現場であるサバイバルゲームのフィールドを中心に、その付近の低山やその山向こうの市街地まで、多数の人員を投入して探し回った。
ニュースにも、五名の名前と顔写真が流れた。立候大学の事務局はマスコミの対応に追われ、失踪した五名の関係者――家族、親しい友人達にも記者やジャーナリストが殺到した。
けれども、一年近くが経過した現在に至るまで、何の成果も上がってはこなかったのである。
世間の注目は別の事柄へと移り、捜索も打ち切られた。
残ったのは、途方に暮れた関係者達だけだった。
******
"一也、どこに行ってしまったのかしら"
あの日以来、三嶋和子の頭をその懸念が離れた事は無い。失踪当初はそれこそ二十四時間中、ずっとそればかり考えていた程である。
世間から見れば、ごく平凡な男子大学生に過ぎない。
素行も普通、学業も可も無し、不可も無し。
けれども、和子にとっては可愛い我が子である。
時に子育てのしんどさに愚痴をこぼしつつも、すくすくと育つ一也を見るのは嬉しかった。
"あの子、次晴の面倒みたり優しいところもあったわねえ"
そんなことをふと考える。
遊んでいる小さな兄妹の姿が引き金になったのだろうか、幼い一也と次晴が遊んでいた頃を思い出してしまった。
自然と視界が涙でぼやけ、慌ててハンカチで拭う。
「ちょっとごめんなさい、歩いてきます」
哲矢の返事も待たず、和子はその場を離れた。こんな顔を見られて、夫に心配をかけたくなかったから。
手で庇を作り、ずらりと並んだ桜の木を見上げる。風にはらりと花びらが散り、それを何となく目で追う。
多分、一也がいたとしても、もう一緒に花見に行くような事はなかったろう。
歳が歳だし、あの子には他にやりたいこともあったはずだ。
けれど、それは些細な事である。
家に戻っても、一也は帰ってこないのだ。
いつの日か、突然戻ってくる日があるのかもしれないが、その可能性は日々薄くなっていくようにしか思えない。
記憶の中にある一也の姿が消えたら、どうなってしまうのだろうか。
それは、あの子の痕跡が永遠に自分の中から消えてしまうという事なのだろうか。
胸に忍び寄った考えは、ただ冷えた寂しさを伝えてくる。
それを噛み締めながら、和子はもう一度だけ桜を見上げた。
「あら? 何かしら、あれ」
目の錯覚だろうか。
下の方に伸びている枝に、何か引っ掛かっている。白い長方形をしていた。
枝は低く、和子でも手が届いた。取った際に花びらが数枚散った。軽く乾いた感触が、指に伝わる。
それは、一通の封筒だった。妙な胸騒ぎに駆られ、和子はその表に目を通す。
「え......これ、まさか」
どくん、と心臓が鳴った。信じられない思いで、和子は震える指で封筒の表面をなぞる。
「おーい、どうしたんだ。そんな場所で固まって」
「哲矢さん、大変! 大変なの! とにかく見てください、これ!」
いきなり大声をあげた妻に、三嶋哲矢は仰天した。
だが、胸に押し付けられた和紙製の封筒をどうにか受け取る。
さっぱり訳が分からないまま、それに目を走らせた。
三嶋哲矢、三嶋和子、三嶋次晴。
そうとしか読みようがない人名が、見覚えのある筆跡で記してあった。
******
拝啓、は止めておきます。この手紙には、何となく似合わない気がするから。
ええと、俺、三嶋一也はこの手紙を宛先の三人に書いています。
もしこの手紙を拾ってくれた人がいたなら、S県K市X丁目―15―6に届けてもらえますか。
住所が変わってなければ、まだそこに三嶋家はあるはずです。
本題に入ります。
まず、いきなりいなくなってしまって、心配していると思います。
ごめんなさい。事情から説明しておきます。
あの日、いつものようにサバゲーをしていたら、タイムスリップに巻き込まれました。
いや、嘘みたいだけど本当なんだ。だから、ああそうなんだって受け止めて下さい。
俺自身訳が分からないんだけど、飛ばされた先は明治二十年でした。
吉祥寺の近くに飛ばされて、色々な事情から、一人の女の子を助けました。それから都内の方に移って、働くことになったんだ。
今、俺は警察官をやっています。それもサバゲーの銃の腕を買われて、特務課第三隊というちょっと特殊な部署に。
この明治時代、俺が知っている明治時代とほぼ同じなんだけど、随所随所でおかしいんだ。
次晴なら分かると思うけど、魔法や式神を使う人がいるし、変な怪物や妖怪も出没する。
平行世界って言うのかな、こういうの。もう慣れたけれどね。
俺がこの変な明治時代に飛ばされてから、色んな事を経験しました。
陸蒸気と呼ばれている汽車にも乗ったし、あの鹿鳴館も見てきた。
吉原には花魁のお姉さん達がいた。牛鍋も食べた。教科書の中でしか知らなかった明治時代を、リアルな体験として感じてきた。
それはそれで楽しい反面、やっぱり平成っていい時代だなって強く思う。
電気や水道は当然あるし、電話やネットが手軽に使える。トイレは綺麗だし、車や電車で移動は楽に出来る。
当たり前の事のありがたみっていうのかな、こういうの。
明治時代だと、まだ江戸時代の風習が残っていたりもするしね。
不自由だなとは思いつつ周りの人に助けられて、俺は何とか生きています。
勿論、良いことばかりじゃなくて、嫌なことや辛いこともたくさんあるけど、俺は明治という時代の良い所を分かってきたとは自信を持って言える。
そして同時に、自分が生まれた平成の良さも本当の意味で分かったと思う。
今は何とかして元の時代に戻りたい。
思い出もあるし、やっぱり自分が馴染んだ時代だから。
その希望を捨てずに頑張ってるってことだけは、分かってほしいんだ。
父さん、母さん、次晴にもう一度会って、心配かけてごめんて謝って。
それから、俺が見てきた明治時代のことを、時間をかけて話したい。
こういう事書くの照れ臭いけど、今度いつ書く機会あるか分からないから、最後に書いておくよ。
父さん。
俺が生まれた時に、すごく喜んでくれたんだろ。
何で知ってるんだって驚きそうだけど、それは秘密な。
今はこれだけ言わせて欲しい。ありがとうって。
母さん。
俺が膝やって、不貞腐れてた時あったよね。
あの時気を使ってくれたのに、つっけんどんな受け答えしか出来なかった。悔しくて、悔しくて、当たり散らしちまったんだ。
ごめんなさいって、今、言っても遅いかな。
次晴。
小さい時さ、お前いっつも俺の後にくっついてたよな。時々喧嘩もしたけどな。
けど、やっぱり俺、お前がいて良かったよ。兄弟でしか話せないことって、絶対あるもんな。
そろそろ長くなってきたから、ここらで筆を置きます。
いつか必ず帰るから、待っていて下さい。
そして、もし万が一帰れなくても、心配しないで下さい。
時代が違っているとしても、俺は、三嶋一也は確かにここにいるから。
追伸
この前、第三隊の皆で写真撮ったんだ。白黒写真だけど、同封しておくよ。
明治二十一年 四月某日
三嶋一也
******
どう反応していいか分からず、三嶋哲矢と和子は顔を見合わせた。
公園で封筒を見つけてから、大急ぎで帰宅したのである。
あまりにも気が動転したので、二人とも冷たい水で顔を洗い、それから封筒の中身を開けたのだ。
「たちの悪い悪戯じゃないだろうなあ」
「ちょっと手が込みすぎてるでしょ、それにこの字、一也の筆跡ですよ。ちょっと右肩上がりの癖ありますもの」
「ああ、それはそうなんだけどね」
呆然となりながら、哲矢は髪をくしゃくしゃと掻き回す。
キッチンの椅子に座り直しながら、手紙の文面にもう一度目を通した。
次いで、同封されていた写真を眺める。手紙に記されていた通り、白黒写真だ。休日に撮影したのか、写っている四人は全員私服である。
「全員警察官なのかねえ」
「そうらしいですねえ。あら、外国人らしい方もいるわ」
哲矢と和子は二人で写真を眺めた。
向かって左から、四人の人物が並んでいる。見慣れない白黒写真を、穴が空くほどじっと見つめる。
一番左は、一際背の高い男性だ。着物姿に身を包み、長い髪を首の後ろで結んでいる。警察官らしからぬ、どこか気さくな雰囲気が漂う。
その一つ右は、外国人らしき女性であった。丈の長いスカートを履き、勝ち気そうな瞳をこちらに向けている。白黒でよく分からないが、恐らく金髪なのだろう。凛とした顔立ちが印象的だ。
また一つ右にずれると、小柄な少女が映っていた。サイドテールというのだろうか、黒髪を顔の左で結っている。着物姿も可憐な少女は、穏やかに笑っていた。
そして一番右端に、一也がいた。落ち着いた様子で、きちんと正面を向いている。書生風というのだろうか、襟の詰まったシャツを着ていた。見慣れぬ格好ではあるが、自分の子供の顔を忘れる訳もない。
「......あの子、本当に働いているんですねえ」
丁寧に写真をテーブルに置きながら、和子がしんみりと言う。
「......この人達が同僚なんだろうな。そうか、警察官か」
どことなくほっとしたように、哲矢は表情を緩めた。
元気にしているという言葉は、嘘では無さそうだった。
写真越しの息子の顔は、存外しっかりしている。
まだまだ子供だと思っていたのに、気がつかない間に成長していたようだ。
「上手くやってるんだよ、その、明治時代でな」
「そうですね。良い方達に恵まれたみたいですし、きっと大丈夫ですね」
哲矢に答えながら、和子は大きく息を吐いた。安堵が胸を満たし、自然とその表情は柔らかくなる。
その時、玄関のチャイムが鳴った。二人が反応するより早く、ガチャリと鍵が回る音が聞こえた。
「ただいまー、あー、疲れたー。模試って何でこんなにしんどいのかな」
「おかえり、次晴。一也から連絡あったぞ」
哲矢は玄関の方へ声をかける。その顔は朗らかで、とても嬉しそうだった。
次晴の息を呑む気配を感じつつ、哲矢はいとおしむように手紙に視線を落とした。
「元気にしているそうだよ、遠く離れていてもね」
This is the end of story "Cross bullet ~a black gunner goes over Meiji era~".
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