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後日談 西暦1916年 露西亜 後編

 ヘレナの袈裟懸けを、ラスプーチンが食い止める。

 体格も腕力も、明らかにラスプーチンの方が上回る。だが、押し込んだのはヘレナの方であった。

 銃弾による傷が、確実にラスプーチンの体力を奪っていたのだ。



 "行ける"



 鍔競り合いを制し、ヘレナが攻勢に出る。切り返して、逆側からの横切りを。

 ラスプーチンはこれを辛うじて防ぐが、ヘレナの闘光剣(リヒトデーゲン)は止まらない。

 横切りから瞬時に縦に切り落とし、光の刃で相手の膝を浅く傷つける。



「ぐおっ......!」



 苦痛に顔を歪めながら、ラスプーチンも反撃する。

 剣を持たない左手に溜めた攻撃魔術を、この至近距離から叩きこむ。

 距離が近すぎて自分も被弾するだろうが、そこは肉体の回復力に任せるつもりであった。



 黒く澱んだ魔力が、炎となって燃え盛る。高濃度に凝縮された火炎が、ヘレナに襲いかかるその寸前。



蒼風守盾(ヴィントシルト)!」



「何っ!?」



 黒い火炎が吹き散らされた。ラスプーチンの攻撃に合わせて、ヘレナが防御魔術を展開したのだ。

 風の守りが火炎を阻み、ヘレナには傷一つついていない。たまらず、ラスプーチンは距離を取る。



「腕を上げたな。まさか今の攻撃が防がれるとは」



「驚くのは早いんじゃないか。まだまだこんなもんじゃないつもりだよ」



 ヘレナの言葉は、威嚇でもはったりでもない。ここまで仕上げた罠に落とし込んだのだ。後は自らが仕留めるだけである。



 "奴の肉体が異常な回復力を誇るとしても、銀の銃弾をあれだけ食らったんだ。早々簡単には回復など出来ない"



 だから、攻め急がない。

 だから、攻守の切り替えに重きを置く。

 自分の優位を確信しているからこそ、奇策は必要ない。

 逆に相手は、一発逆転を狙う必要がある。

 先程のように、自傷すら覚悟してでも、ヘレナの隙を突こうとする。



 皮肉なことに、ラスプーチンもこのヘレナの考えを察していた。

 お互い言葉には出さないものの、一連の攻防でどちらが優位かくらいは分かるものだ。

 自分の劣勢を悟りながらも、ラスプーチンは牽制のように口を開いた。



「昔とさほど外見は変わらぬか。若作りの秘術でも行使したのかね」



「今の一言だけでも、万死に値すると思わないのか。苦し紛れの戯れ言にしては面白くないな」



「これは失敬。いや、それにしても、力を増していたのは嬉しいが、まさかこれ程までとはな。予想を遥かに上回る成長だ、ヘレナ・アイゼンマイヤー」



「お褒めに預り、恐縮だね。どんな気分だ、子猫が実は虎だったと知るのは」



「成長した姿を見るのは嬉しいが、大きくなりすぎて冷や汗をかいている......と素直に言わせてもらうよ。人間欲張り過ぎると、ろくなことは無いものだな。優秀な魔術師の力を集め、糧としてきたのだが、大きすぎる獲物は手に余る」



「なるほど、大方こちらの予想通りか」



 ラスプーチンの返答から、ヘレナは一つの結論に辿り着く。

 恐らくこの男は、他人の魔力を吸収する技術を持っている。

 具体的にどのように行うのかまでは分からないが、それがラスプーチンの特殊技能と考えて間違いあるまい。



 "だから祖父はじりじりと追い詰められて"



 結果的に、魔力を失い衰えたところを心臓発作に見舞われた。



 "日本で私を見逃したのは、もう少し成長してから刈り取るつもりだった訳か"



 ほぼ解答に辿り着いていた自信はあったが、それが完全な物となる。

 ならば、もはや終わらせても問題はあるまいか。油断なく様子を伺いながら、ヘレナは仇敵を見据えた。

 その時、心の片隅に残った小さな疑問を思い出した。



「ラスプーチン、一つだけ問う」



「何だね、今更」



「権力欲に取り付かれなければ、こんな事態にならなかった――とは思わないのか。日本でお前と戦った時、私はお前との間に絶望的な差を感じた」



 最後の勝負を前にして、ヘレナは敢えて言葉を紡ぐ。また雪が激しくなってきた。ラスプーチンの返答は、ごく短い。



「それで?」



「確かに私は強くなった。だが、お前があれから鍛練に励んでいれば、現時点で私が逆転することも無かっただろう。魔術師としての修業を怠り、俗人として生きてきた結果としか思えない」



「なるほど......そうだな、認めよう。私は権力欲に取り付かれたということを。力をいくら高めても、それが生み出す対価は僅かだ。それよりは政権に取り入り、それが産み出す果実を啜る方が良い。金も女も手に入るならば、その方が余程甘美だ」



「......俗物が」



「俗物だよ、私は。だが、責めてくれるな。露西亜(ロシア)の寒村に生まれた小作人の子供など、皆、俗物だ。高尚な心意気など私には無い。そのような余裕は無かった。餓死した両親の遺体を喰らい、どうにか生き延びた子供に――魔術師としての心構えなど、求めてくれるなよ」



 それだけ吐き捨てるように言い、ラスプーチンは剣を棄てた。その眼は爛々と燃えている。髭に覆われた唇が、詠唱を紡ぎ始めた。



「そうか、ならばここで全てを終わりにしよう」



 僅かに生じた感傷を切り捨て、ヘレナもまたそれに応じる。




******




 月だけが見ていた。



 二人の傑出した魔術師が、雌雄を決する瞬間を。



 金髪の魔女が放つは、かって火之禍津(ヒノマガツ)を穿った至高の攻撃魔術だ。

 それは上位魔術が一つ、白く灼熱する閃光。解き放った光は六本に分かれ、真っ直ぐに標的へと突き進む。



白之大砲(ヴァイスカノーネ)六連射(ゼクス)!」



 対して、黒衣の怪僧も抗う。

 全盛期に比べれば幾ばくか衰え、更に傷付いてもいる。

 だが、やはりその実力は本物だった。禍々しい黒い魔力が、ただ純粋な破壊の嵐となって放たれた。

 滅し、磨り潰していく暴虐が冬の森を駆け抜ける。



「魂までも喰らい尽くせ、黒衣之死神(チェルノボーグ)!」



 白と黒は激突し、森の木々を薙ぎ倒す。

 被害はそれにとどまらず、大地を抉り破壊する。

 網膜を焼くほどの明滅は夜を照らし出し、爆音が鼓膜へと突き刺さった。

 威力は拮抗、けれども最後に押し勝ったのは。



 全てを清廉に染め上げるかのような、白い六本の光であった。




******




 駅はいつの時代も、出会いと別れの場所である。

 人と人が行き交うこの場所で、一人の女性が駅中のカフェに立ち寄っていた。

 見事な金髪は肩まで流れ、地味な旅装姿にもかかわらず、その美しさは際立っている。



「すいません、珈琲を一つ」



(ヤー)御令嬢(フロイライン)。今、お持ちいたします」



 その女性、つまりヘレナ・アイゼンマイヤーが頼んだ注文を、給仕の青年は笑顔で承った。

 恐らく彼の目には、自分が未だに二十歳台に見えるのだろう。

 肉体年齢の老化を極力抑えた結果、ヘレナの外見は年不相応に若い。今年五十歳になるにも関わらず、未だにお嬢さん扱いされる。



 "他人から見れば、私も化け物かもしれないなあ"



 椅子に腰掛け、首を左に回す。傍らには大きなトランクが置いてある。

 そろそろ冬の終わりではあるが、まだ外気は冷たい。露西亜(ロシア)から持って帰って正解だったと、毛皮付きの外套を膝の上に乗せる。



 あのラスプーチンとの死闘が、脳裏に甦る。

 何とか奴を倒し、死亡を確認したまでは良かった。

 けれども、事後処理に時間がかかり、露西亜(ロシア)を離れるのに結局一ヶ月以上もかかってしまった。

 カタリナという名で働いてきた結果、予想よりも政務に関与してきてしまっていたのだ。



 過ぎ去った露西亜(ロシア)での日々に思いを馳せる。

 考えてみれば、結構な期間を外国で過ごしてきた。もういいかなあとも思う。

 ブレーメンに残してきた家族と、しばらくはゆっくりと過ごしたい。そんな事を考える間にも、ヘレナはじっとカフェの外を見る。



 ドッドッドと力強い音を立てて、一台の蒸気機関車が駅に滑り込んでくる。

 ゆっくりと時が止まるような速度まで減速してから、黒い機関車はぴたりと止まった。

 開いた扉からは、笑顔の乗客が下りてくる。皆、ここベルリンをそれぞれの理由で訪ねて来たのだろう。



 逆にベルリンからブレーメンに移動するヘレナは、あの列車に乗ることになる。



 "そういえば、昔、日本でも蒸気機関車に乗ったな。あれは陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれていたっけ"



 昔の思い出が目の前の光景に重なる。

 長い間、彼らとは連絡は取っていない。

 三嶋一也は、紅藤小夜子は、そして奥村順四朗は元気にしているだろうか。



「お待たせしました」



 先程の給仕が珈琲を運んできた。

 礼を言いながら、ヘレナはそれを口に運ぶ。

 香ばしさを伴った苦味が舌の上に広がり、その懐かしさに思わず顔が綻んだ。



「いかがしましたか、何か不都合でも」



「いいや、何でもない。やはり珈琲は、祖国が一番だなと思ってね」



 給仕に笑顔で答えつつ、ヘレナはカップを両手で包んだ。磁器を通した温もりが、疲れた体に優しかった。

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