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最後の対峙

 動けなかった。

 あまりにも突然の再会に、一也の体は硬直していた。この至近距離に接近されるまで、まるで気がつかなかった。

 陸蒸気(おかじょうき)の振動に紛れれば、確かに足音は消えるだろう。

 だが、一也と小夜子二人の目を掻い潜ってとなると、それは並大抵の(わざ)ではない。



「ああ、そう緊張するなよ。別にここで殺り合う気はないから。ちょっと顔を見に来たってだけだ」



 固まっている一也と小夜子を諭すように、中西は声をかけた。いっそ優しいとすら言える口調である。



「小夜子さん、抑えて」



「......分かっています」



「物分かりが良くて助かる。相席させてくれるか、立ち話も疲れるんでね」



 二人の様子に気を良くしたか、中西は視線だけで小夜子を動かした。彼女が一也の隣に座った後、空いた向かいの席に座る。

 まるで気負いの無い無造作極まりない態度、しかし、それでも三嶋一也は動かない。いや、動けない。



 中西は縞格子の着物を上衣とし、下は紺袴である。

 武器の携帯の有無は分からない。

 だが、仮にあの二挺の回転式拳銃(リボルバー)を持っていなくても、自分には勝ち目は無いだろう。



 "まんまとここまで近寄られた時点で負けだ。それに体術でも、この人には勝てない"



 小夜子と二人がかりならあるいは、と思わなくも無い。けれども、少ないながら他に乗客もいる。もし自分達が少しでも妙な動きを見せれば、中西は躊躇なく乗客に手を出すだろう。



「生きていたんですね、中西さん」



 だから、一也が採った行動は会話のみ。自分と周囲の状況を総合的に判断した結果、苦渋の決断である。



「何とかな。肩が完治するまでちょっと時間はかかったが、今は何ともないさ。っと、怖い顔だな、お嬢さん。そう睨まないでくれないか」



「よくそんな口が叩けますね。あれだけの事件を起こしておいて、こんな無防備にしゃしゃり出てきて」



「そのしゃしゃり出てきた男にあっさりと間合いを詰められたのは、どこの誰だろうな」



 中西の眼が鋭さを増す。

 眼鏡越しでも、それははっきりと分かった。

 小馬鹿にしつつも、油断は微塵もしていない。その自信と警戒心両方が伝わってくる。

 小夜子が黙りこんだのを確認してから、中西は一也に視線を向けてきた。

 一也はそれを真っ向から受け止める。



「眼鏡、似合いますね。伊達眼鏡ですか」



「そうだよ。念を入れての変装用だ。最初は煩わしかったがな」



「そこまでしているのに、何で今日はわざわざ?」



「可愛い後輩にお別れのご挨拶にさ。横浜から新橋まで一時間、話をするにはちょうどいいだろう」



 緊張感をはぐらかすように、一也と中西は言葉を交わす。

 一也の傍らで小夜子は黙っているが、彼女の気持ちも似たような物だろう。

 今日、一也は銃を携帯しておらず丸腰である。仮にこの間合いから外れても、攻撃手段は無い。

 それを考慮すると、小夜子としては中西の挙動を見張るくらいしか出来なかった。



「お別れですか。現世にって訳でもなさそうですね」



 聞きようによっては危険な冗談を、一也は口にした。



「勿論、こんなところで死ぬ気は無い。日本を離れるつもりなのでね、その前にって訳だ。本当は寺川にも挨拶しておきたかったが、流石に刑務所の中じゃあな」



「貴方、私達を尾行()けていたんですか」



 思わず小夜子が口を挟むと、中西は頷いた。

 その間にも、陸蒸気(おかじょうき)は海岸沿いの線路を走る。時折、ボゥーと空に抜けるような蒸気が噴き出す音が響く。



 ガタン、ゴトン。



「君ら二人だけになる時を見計らう為にね。四人まとめてじゃ、俺も苦しいんでな。新橋から横浜、そこから横浜署と関内刑務所、そして横浜。中々忙しかったよ」



「それは御足労をおかけしまして」



 小夜子の皮肉に、中西は口許を歪める。



「警察というのは勤勉だなと思ったね。おっと、これが話の本題じゃあないんだった。三嶋、お前に言っておきたい事があったんだ」



「そうですか、俺もです。生きていたと知ったなら、尚更」



「なるほど、お互いちょうどいいってことか。先に譲ってやるよ、何が聞きたい」



 鷹揚な口調で、中西が促してくる。現役警官二人を前にして、これだけの余裕めいた態度である。

 それがカチンと来ない訳でも無かったが、一也はその感情を圧し殺した。



「半年前から今まで何してたんですか。一人、それとも誰かと」



「前者の質問には、色々としか言えないな。絵描きの物真似までしてみたりね。後者の方は......協力者はいるよ。名前は無論言えないけどな」



「土谷史沖の関係者ですか?」



「そうらしいね。詳しくは教えてもらってないんで、それくらいしか知らない」



「なるほど。じゃ、俺達が探しだそうとしても無理ですね」



 元々さほど期待せずに入れた探りである。あっさりと一也は矛を収めた。けれど、次に中西が口にした言葉は予想外だった。



「特務課第三隊の隊長、ヘレナ・アイゼンマイヤーとは浅からぬ因縁があると――本人がそう口にしていたけどな。俺が言えるのはここまでだ」



「ヘレナさんと因縁?」



 一也は眉をひそめる。いきなり出てきた上司の名に、少々驚いたのである。小夜子もまた、怪訝そうな顔になっていた。



「それ、どういうことなんですか、貴方何か聞いているんですよね?」



「知らないね。そいつも、それ以上は教えてくれなかった。信じるか信じないかは、君次第だけどな」



「君って何ですか、子供扱いされているようでカチンとするんですけど」



「実際子供だろ。幾つなのか知らないが、三嶋より年下なんだろう。それなら俺よりも当然年下だしな」



 中西が意図している訳ではないのだが、自然と小夜子を煽る形になっていた。

 この状況下で、小夜子も我慢していた部分はある。

 それを刺激された形になれば、いくら温厚な小夜子でも攻撃的にならざるを得ない。



「調子乗らないで下さいよ、逃亡犯罪者が。一也さんに海に突き落とされて、今頃のこのこ出てきた分際で」



「......へえ、言うじゃないか。いいぜ、そっちがやる気ならやってやっても。この零距離の間合いでも、俺ならいくらでも手はあるんだからな」



「ちょっと待った、待った。小夜子さん、腹が立つのは分かる。けど、今は止せ。客車一両丸々消し飛ぶぞ。中西さんも、ここでやり合うのはまずいだろ。人目につくのは避けたいんだろうが」



 険悪な雰囲気の二人の間に、一也が慌てて割って入る。

 正直なところ、一也自身も我慢しているのだが、彼以外の二人が暴走してはなだめ役にならざるを得ない。

 水を挿された形になり、中西も小夜子も睨み合いを解いた。一也はため息をつく。



「質問変えていいですか。中西さん、その協力者って外国人ですか?」



「そうだな」



「何処の国の人ですか」



露西亜(ロシア)だよ」



露西亜(ロシア)......だとすると、日本を離れて向かうのは」



 一也の問いは途中で遮られた。中西廉が何かをした訳ではない。彼はただ、軽く呪力を放出しただけである。単なる威嚇に過ぎないが、それ以上答える気が無いのは明白だった。

 一也だけではなく、小夜子も中西の呪力に息を呑む。

 小夜子とて、呪法士として日々精進している。

 それにも関わらず、中西の呪力の攻撃的な気配に怯まざるを得なかった。



「そこまでにしておくべきだ。近々、日本を出るとだけ教えてやる。一応言っておくが、変な気は起こすな。海外への船を張ったとしても、俺は見つけられないさ。万が一発見出来たとしても、もし俺に手を出せば、その場で船を爆破する」



 中西廉のその言葉は、恐らくはったりなどではない。

 船の爆破までは出来なくとも、同程度の被害を発生させる事は出来る。

 この男には、それくらいの事を実行する度胸と能力がある。

 神戦組の指導者的立場にいた実績だけで、そう思う訳ではない。

 威圧感溢れる攻撃的な気配は、二人を警戒させるに十分であった。



 ガタンゴトン。



 陸蒸気(おかじょうき)がまた揺れる。横浜は遥かに遠くになっただろう。新橋まではあとどれくらいだろうか。

 一也がそう考えていると、今度は中西が口を開いた。

 いつしか日は更に傾き、その横顔は鮮烈な陰影を帯びている。



「今度は質問するのは俺の番だな。三嶋、お前、今満足しているか? 帰りたいと思ったことは」



 一也の胸の内に、ひゅうと冷たい風が吹いた。小夜子には、自分が未来から来た事は話していないのだ。その一也の懸念を踏みにじるように、中西は容赦なく問う。



「――ないのか。何だかんだと言いつつ馴染んではいるようだが、お前にも家族がいるよな。会いたくはないのか?」



「中西さん、ちょっと待て、ここでそれを」



「ふん、今聞かなくていつ聞くというんだ。その様子だと、周りの人間に話していないようだがな。それは俺の知った事じゃない」



 止めてくれと言いたくなった。

 多分、中西には悪意は無いのだろう。ただ単に、容赦なく自分が聞きたいことを聞いているだけだ。

 だからこそ始末が悪い。小夜子にも誰にも、自分がどこから来たのかという事は話していない。



「一也さん、この人何の話をしているんですか? 帰るって、一也さんの故郷にってことですか?」



「ごめん、小夜子さん。今ははっきりは答えられない。故郷と言えばそうとも言えるし、そうじゃないとも言えるんだけど」



 黙っていられなかったのか、小夜子が聞いてきた。

 だが、一也は曖昧な返答が精一杯だった。

 歯切れが悪いと自分でも思う。

 せめて小夜子が怪しく思わないでほしいと願うが、自分でもそれは無理だろうとも思った。



「ふうん、なるほどなあ。いや、まあいい。それはお前がいつか話すべきだろうよ。それで、俺の質問に対する答えがまだなんだが」



 あくまで冷静な中西に対して、一也の返答は簡潔だった。



「俺は帰りたいと思っている。具体的な考えは無いけど、それでも諦めたくはないです。これでいいですか、中西さん」



「そうか。分かりやすくていいな、お前は」



 ふと、中西が微笑したように見えた。伊達眼鏡を外した目許を緩め、かっての立候大学サバゲー部の部長は軽く視線を落とす。膝の上で組んだ手を、ぼんやりと眺めるように。



「お前が戻れるよう、心から願っているよ。俺は戻る気は無いから、余計にな」



「それ、どういう意味ですか。まさか本気じゃないですよね?」



「本気だよ。寺川とは理由は違うが、俺もあまり未練は無いんだ。身勝手と謗られそうな理由だが」



 驚く一也を尻目に、中西は口を閉じた。

 正確に説明するのは難しいかもしれないが、これが恐らく三嶋一也と会う最後の機会である。

 それを思えば、億劫がっている場合でもあるまい。



 ガタンゴトン。



 ガタンゴトン。



 車窓の外はすっかり暗くなりつつある。広がり始めた夜の闇に、更に陸蒸気(おかじょうき)の吐き出す黒煙が重なっていく。それを目の端で追いながら、中西は口を開いた。



「何故俺が神戦組に与したのか、話していなかったよな。生活の為という切実な理由は勿論だが、個人的に興味を惹かれたという事もあったのさ。俺の知識、俺の技術を存分に活かす場として、あの組織は適していた。土谷も俺の力量を認めてくれた。結果的に、徐々に俺の権限は増えていったよ」



「だからって人を騙したり、武器を向けていい理由にはならないですよね」



「それも承知の上でだよ、お嬢さん。結局のところ、俺は失敗したのかもしれない。三嶋に敗北を喫し、お尋ね者になった現在を振り返れば、それも致し方無い。だがな」



 ガタン、ゴトン。



「生きている限り、機会はある。この世界が激動の渦中にあることを、俺は知識として知っている。そこには必ず隙があるだろう」



「隙?」



 一也のごく短い問いに、中西は頷く。



「俺が才覚の羽根を伸ばす隙間だ。そしてその隙間は、西暦1800年代後半のここでしかあり得ない。簡単に説明すると、そんなところだ。ここでなら大きな可能性に手を伸ばせる、そんな予感がするのさ」



「理解は出来ます、けど俺には無理だな。そんな簡単には割りきれない」



 一也は首を横に振り、自分の気持ちを伝えた。

 元の時代に戻らないということは、自分の過去を切り捨てるということだ。

 そう簡単に割り切ることなど、一也には出来そうもなかった。



「お前が真似する必要は無いさ。さてと、そろそろ新橋が近くなってきたが、最後に一つだけ忠告しておくか。半年前の横浜での件は忘れろ。中田正を撃ったのは間違いなくお前だが、それはお前の責任じゃない」



「......」



「俺はお前の性格を知っているつもりだ。寡黙だが、仲間意識は高い。優しいところもある。そうだろ、お嬢さん?」



 いきなり話を振られた小夜子だが、反応は速かった。中西の目を真っ直ぐに捉え、きっぱりと言い切る。



「そうですね。一也さんはちゃんとした方です。貴方なんかと違って」



「中々言うじゃないか。まあいい。そこでだ、そんな性格だから、お前は中田を撃った事でお前自身を責めている。今も自責の念に駆られているんだろう、違うか」



 一也は言い返せない。思い当たる節はいくらでもある。沈黙を保つ一也に、中西の言葉が更に降り注ぐ。



「もし自分に責任があると思うなら、俺に転嫁すればいい。あの時、最終的に決断したのは俺だからな。中田や毛利は巻き込まれただけだ。自分を責めて生きるのは辛いぞ」



「――考えさせてもらうよ」



「ああ、そうしろ。納得いくまで考えろ。お前には自分の澱みを俺に向ける権利がある。本気でお前が俺を憎むなら、この世界の何処かで決着をつける機会もあるだろうしな」



 ガタン、ゴトン。車輪の立てる重々しい音が、中西の語尾を包み込んだ。「そろそろか、じゃあ俺はこれで失礼する」と中西は立ち上がる。その時、一也は思わず呼び掛けた。



「中西さん」



「何だ」



「何故、あんた俺にそんな事をわざわざ言うんだ。もし本気で俺があんたを追えば、いつか俺は躊躇いなくあんたを撃つ。それが予想出来ない訳じゃないはずだ」



「ああ、なるほど。理由が知りたい訳か」



 中西はうっすらと笑った。その笑みがぞわりと一也の胸に刺さる。



「一つ、かつての先輩として、後輩の悩みは解いてやる義務があると思ったからだ。そしてもう一つ、鬱々としたお前じゃ、仮に撃ち合っても意味が無いからさ。条件は公平にしておきたい。これでいいか」



 一也の返事を、中西は待たなかった。

 一也と小夜子の二人を置き去りにして、その背を向ける。紺袴を捌き、滑るように間合いを離した。

 追うことすら躊躇わせる、そんな隙の無い動きである。



「じゃ、元気でな」



「中西さんも」



 ごく短い一也の返答を。



「一也さんに免じて、この場は見逃してあげます。けど次はありませんから」



 憤りを秘めた小夜子の呟きを。



 振り返らずに中西は受け止め、そして立ち去っていった。

 まるで何事も無かったかのように、陸蒸気(おかじょうき)は走り続けている。

 新橋が近くなってきたのか、少しその速度が落ちてきた。



 ガタン、ゴトン。



 ガタン、ゴトン。



 ガタン――ゴトン。

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