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港町にて再会し 弐

 その部屋の中に入ると、外の騒音が一気に静かになった。

 壁が厚いのは勿論だが、この建物全体に漂う閉鎖的な雰囲気も関係あるのではないだろうか。

 あまり論理的ではないことを考えながら、三嶋一也はその場で佇む。



「それじゃ、一也さん。私達は高城美憂を引き渡してきます。何かあれば、呼んで下さい」



「分かった。ありがとう、小夜子さん」



 背後からの声に、一也は答える。すぐに小夜子の気配は遠ざかる。恐らく金田警部らを追いかけたのだろう。

 ここ関内刑務所を訪れた目的は、そもそも美憂の引き渡しの為である。



 "だが、俺がここにいるのは"



 部屋を見渡す。前後左右は漆喰塗りの壁、けして広くは無い。左側の壁には、小さな採光用の窓が空いている。その狭い空間だけが、唯一外の空気と触れる機会ということか。

 自分の入室した扉の他に、真向かいにも扉がある。その扉は閉ざされたままだ。年季の入った木製の扉は、妙な存在感を備えていた。



 "自分の為でしかないんだよな"



 ヘレナや順四朗も知っていて、それでも黙認してくれた。

 刑務所への引き渡しの手続きは難しい事ではないが、小夜子に押し付けた形である。

 そこまでして、三嶋一也はここにいる。

 関内刑務所に設置された、囚人との面会部屋に。



「三嶋巡査、おられますか。囚人七号、入ります」



 知らぬ声に答える間もなく、正面の扉が開いた。

 体格のいい制服姿の女性は、付き添いの看守らしい。

 その後ろから、もう一人女性が入室してくる。作務衣(さむえ)のような簡素な服を着ており、足は裸足だった。

 相変わらず華奢だなと思いながら、一也は視線を上げて驚いた。



「随分とさっぱりしたね」



「ん、ああ、これね。規則で切らなくちゃいけなくて」



 少年並みの短い黒髪に手をやりながら、その女は笑った。

「面会時間は三十分です。それでは失礼します」と一声かけて、女性看守が立ち去る。

 部屋の中に残されたのは、一也とその女だけだ。他には簡素な木製の椅子が二脚、部屋の隅に置かれている。



「レディファーストかな。座ったら、寺川?」



「二脚あるのにレディファーストって言われても......でもありがとう、三嶋君」



 椅子を部屋の中央に引っ張り出しながら、作業着姿の寺川亜紀は薄く笑った。

 背中まであった長い髪は最早跡形も無く、以前を知る一也としてはどう声をかけていいのか戸惑う。



「似合わなくもないんじゃないかな。やっぱり髪、切られちゃうのか」



 捻り出した言葉は、寺川にどう届いたのだろう。行儀よく対面の椅子に座りながら、寺川亜紀は答える。その視線は真っ直ぐに一也を捉えていた。



「長い髪だと作業中に邪魔になったりするし、他の囚人にやっかまれたりもするから。だから、皆これくらいの長さに切られるのよ。びっくりした?」



「すげえびっくりした。大学での寺川しか知らないけど、髪割りと長かったし。背中まであったよな」



「うん。幼稚園くらいからずっとね。でも楽よ、短いと。髪乾かすのも時間かからないし。ドライヤーとか無くても、手拭いだけで十分」



「はは、毛利先輩よりも短いもんな。あの人、ずっとショートだったし」



「そうね、こっちの時代に来てからよく言われたもの。亜紀ちゃんさー、ドライヤー無しで髪乾かすのしんどくない? 切ったげよーか? って。丁重にお断りしたけどね」



 毛利美咲の声真似をしながら、寺川は表情を崩した。

 今はまだ、自分の中に、サバゲー部の皆の顔が記憶として残っている。

 中西や中田の顔も思い出せる。

 それでも、いつかは――いつかは忘れてしまうのだろうか。



「ああ、毛利先輩、不器用だったもんな。バレンタインデーの時にクッキーくれたけど、歯が欠けそうな堅さだったし」



「それでも三嶋君、有り難そうに食べてたよね?」



「他に貰ってねえもん、あ、寺川からも貰ってたな。ええと、チョコプディングだ」



 とめどめない思い出を話す内に、一也の緊張はほぐれていった。昔話が出来る相手がいてよかったと、心の底から思う。

 恐らく、それは寺川も同じなのだろう。最後に会った時から少し痩せた顔には、穏やかな表情が浮かんでいる。



 このような形で寺川と会うことに対し、一也に葛藤が無かった訳ではない。

 勝負の結果とはいえ、明らかな勝者と敗者という格差が二人の間にはある。

 下手をするとこの訪問が、一也の警察官という立場にマイナスに働くかもしれない。



 "だけど、俺はそれでも話したかった"



 刑務所の中にいる寺川亜紀と、包み隠さずに話してみたかった。

 無論、彼女の罪が消えた訳ではなく、何故あんなことをと思うことはある。

 けれども、そのマイナスを踏まえた上で、三嶋一也はこの機会を逃したくなかった。



「あの、三嶋君に聞いてもいいかな」



 不意に寺川が問う。飾り気の無い作業着姿は、どうしても痛ましさが漂う。



「何? 答えられることなら、出来る限り答えるよ」



 この子と自分がこの時代に共に飛ばされていたなら、どうなっていただろうか。

 拉致も無い仮定が心の片隅を掠めた。一也は椅子に座り直す。



「仮にずっと明治時代にいることになったとしたら......三嶋君はやっていける自信はある?」



「正直言えば、五分五分かな。とりあえず定職あるし、生活するだけならどうにか」



「そうね、公務員だもんね。勝ち組だよね」



「それだけ考えたら、元の時代に戻るのが惜しい気もするな。超絶ハードに働いてるけどさ」



 一也がそう言うと、寺川は眉を潜めた。



「警察官ってそんなブラックなの? 明治時代って、割りと帰るの早いって聞いてたけど」



「帰宅時間は別にそんなでもない。けど、第三隊の場合は命を賭ける必要がある。それは寺川だって知っているだろう」



「――嫌と言うほど」



「自衛隊なんか目じゃないくらい、危ない橋だって渡ってきた。この前の任務では、比喩じゃなく一回死んだしな。何とか生き返ったけどね」



 衝撃的な発言に、寺川がギョッした顔になった。その大きな目で、まじまじと一也の全身を探るように見る。



「失礼なこと聞くようだけど、生きてるんだよね? 実は幽霊です、なんて言わないよね?」



「生きてるよ。足もある」



 一也は袴に包まれた足を揺らす。幽霊、という単語に少し感傷的になる。



「任務中に敵に殺られた時、一人の幽霊が俺を助けてくれたんだ。その幽霊、もうちょっとで成仏出来るところだったのに、自分は消滅しちまって」



「......そうなんだ」



「そのお陰で、何とかこうして命を長らえているってこと」



 沈んだ気持ちを立て直す。暗い顔をしていては、時雨に申し訳が立たない。「色々あったんだね、三嶋君も」と寺川はぽつりと呟いた。膝の上で両手を握り合わせながら、彼女はゆっくりと話し始めた。



「私さ、ここで一人で刑期を過ごしてるじゃない。色々考えることだけは出来たと思う」



「例えば?」



「例えば、そうね、何で神戦組なんかに味方しちゃったのかなとか、なんで人を傷つけてまで自分の理想を追おうと思ったのかなとか。ほんとに色々よ」



 そう話す寺川の目は遠い。その目はここではなく、もっと遠い場所を映しているのだろう。



「タイムスリップに巻き込まれた物語、読んだことあるの。元の時代に戻ることが出来るケースも、出来ないケースもあるんだけど」



「ああ、俺も昔読んだことあるな」



「うん、それでね。どっちの場合でも、主人公が作中で思う事って同じなんだ。家族や友人に自分が生きてるってことを伝えたいって。戻れなくても、せめてそれだけはって」



「すげー分かる」



「私さ、もう何となく無理な気はしてるんだ。理由もはっきりしないまま、こんな時代に来ちゃって、結構時間経つし。その間に犯罪に手を出して、今は刑務所でしょ。例え神様が気紛れ起こしたとしても、私なんか助けてくれないだろうなって......考えちゃうんだよね」



 寺川の声が徐々に小さくなる。



「そんなことないだろ。いや、そりゃ俺だって難しいかもとか思うことあるけどさ、だけど」



「ありがと、でもね、仕方ないかなって最近ようやく思えてきたんだ。私は私で、何とか罪を償って、この明治時代で生きてみようかなって思え始めたの。けど、やっぱりね、親しい人に連絡取りたいなとは思っちゃうんだよね。それくらいは......願っても罰当たらないよね」



「その気持ち、分かる。時々、俺のこと心配してるんだろうなって思うとさ、苦しいし」



「そっか。一緒だね、私達」



 はは、とどこか突き抜けた笑いが、寺川の唇から漏れた。

 最後に病院で別れた時に見た時は、悲痛さに泣き崩れていた。それに比べれば、まだしっかりしているとは言える。

 けれどもその笑いは、何かを犠牲にした上での諦観の表れなのかもしれない。



 一也は考える。

 面会時間は残り少ない。最後に何か、気の利いたことの一つでも言えないか。同郷の友人の心の支えになるようなことを、せめて。



「届くよ、きっと」



「え?」



 一也は話しながら考える。

 はったりでも何でもいいから、希望の一つも運んできてくれる仮説は無いか。

 脳細胞をフル回転させながら、必死で話す。



「この明治時代って、どこかおかしいだろ。魔術や呪法がまかりとおってるくらいだ、俺達の常識で計れない事も可能なんじゃないか。だからさ、絶対何か出来るって」



「何かって、家族に無事を知らせること? どうやって?」



「それはこれから考えるさ。けど、信じないとどうにもならないだろ。寺川、お前、期待した事が全部潰されるって思いながら生きていきたいか? 俺はお断りだね、そんな暗い人生は」



 強く、これまでに無いくらい強く、一也は言い切った。呆気に取られる寺川の肩を、一回だけ強く叩く。

 信じても無駄かもしれない、けれど信じなければどうにもならないだろう。



 "だろう、時雨さん。あんたなら分かるよな"



 死からの復活に比べれば、親しい人に無事を告げるくらい何だと言うのだ。



「何だか、三嶋君変わったね。サバゲー部では、そんなに前向きじゃなかったのに」



「え、そんなに暗かったか?」



「暗いというより、こう、淡々としててあんまり熱くならない感じかな。でも、今の前向きな三嶋君」



 彼女は微笑む。長い間忘れていた、暖かな感情が胸の内に沸いた。だから素直に言えたのだろう。



「ちょっと格好いいよ」




******




 いつの時代も、駅は出会いと別れの場所である。既に夕刻。傾き始めた西日の赤が、蒸気機関車の黒い車両に映えている。電車マニアならたまらない光景だろう。



「横浜滞在時間、凡そ五時間ですか。慌ただしいですな」



「そうですね、でも十分日帰り出来ますから」



 プラットホオムで出発を待ちながら、一也は金田警部に答える。この場には二人しかいない。小夜子は車中の飲み物を買いに行っている。岩尾巡査はその付き添いである。



 ジュオウ......と蒸気機関車が煙突から白い煙を吐いた。

 まだ出発の時間ではないが、機関室の汽缶(ボイラア)を暖めているのだろう。

 郷愁的(ノスタルヂック)な光景だが、その重々しい蒸気の音はどこか頼もしい。



「これは看守から聞いた話ですがね、寺川亜紀は真面目にやってるらしいですな」



 次の煙が吐き出されるより先に、不意に金田警部が口を開いた。駅のベンチから立ち上がり、少し一也と距離を置く。

 一也に話すというよりは、ただ聞かせるというだけのような口調であった。



「真面目にですか、そっか、良かった」



「ええ。収監された当初は反抗的な態度も見られたらしいですが、今は模範囚と言ってもいいくらいだそうです。このまま大人しく過ごせば、そう遠くない内に仮釈放されるかもしれないですな」



「刑務所の外に出られるってことですか?」



「ええ、条件付きですがね。それでもずっと獄中よりは良いでしょう」



 西日が二人を照らし出す。

 金田警部はポケットに手をやったが、中は空っぽであったらしい。「禁煙せえっちゅうことかのう」と空しくぼやく。



「ありがとうございます、金田警部」



「いやいや、お安い御用です。多分、三嶋さんも気にかけておられると思うたんで」



「ええ、まあ。寺川とは、それなりに長い付き合いでしたからね」



「小夜子さんがおらんから聞かせていただきますが、昔の恋人とかですか」



「いや、そういうのとは違うんですけど。俺と普通に話せる唯一の人間、と言えばいいですかね」



 どう説明していいか迷った。苦しい説明だと自分でも思う。



「なるほど。ああ、すみません。立ち入った事を聞くような真似を」



「別に構わないです。俺はあいつが元気だってことさえ分かれば、それで十分ですから」



 一也にすれば、寺川亜紀は感覚的に同じ水平線にいる存在である。

 何かあっては困る。

 昔の恋人という単語を反芻する。微かに片想いしていた時期もありはしたが、それは今の気持ちには当てはまりはしないだろう。



 複雑なのだ。一也と寺川の関係は。

 互いに死なれては困る。かといって、銃口を向けあった事実も確かにある。

 三十分という限定された時間内であればこそ、あれだけ遠慮なく話せるというだけなのかもしれない。



 "いや、別に今考えることじゃないな"



 整理出来ない気持ちを丸めて、心の隅に置いた。

 左に顔を向けると、小夜子と岩尾巡査が歩いてくるのが見えた。

 どうやら飲み物は無事に買えたようだ。



「一也さーん、飲み物買ってきましたー。珈琲でいいですよねー」



「いいけど、まさかその竹筒の中に入ってるの?」



「ええ! 揺れる車中で飲む為の工夫らしいですよ!」



 明治時代版のペットボトルということらしい。

 一也と小夜子がそんな会話をしている横では、岩尾巡査も金田警部に竹筒を差し出していた。



「警部ー、僕らの分も買ってきましたよおー」



「おい、岩尾。わしらの分はいらんじゃろうが。別に東京まで行く訳でもないし、何で買うてきとるんか」



「やだなあ、単に夕日に照らされるプラットホオムで珈琲を飲む。この状況が格好いいからに決まってるじゃないですか。やっぱり警部には浪漫(ロマン)が足りない気がしますねえ、僕は」



「別に足りなくても生きていけるわ、全くお前という奴は」



 口では注意しつつも、金田警部は岩尾巡査から竹筒を受け取った。それを横目で見ながら、一也は駅の時計を確認する。



「じゃ、金田さん、岩尾さん。そろそろ出発の時間みたいなので、俺達は失礼します。色々とありがとうございました」



「また横浜に来た時は、お願いしますね。それでは私達は東京へ戻りますから」



「いやいや、こちらこそ! お二人がいらっしゃる時は、是非とも声をかけて下さい。この不肖金田、粉骨砕身して働く所存ですからな!」



「僕も忘れないで下さいよお、三嶋さん、紅藤さん! あっ、そうだ、ヘレナさんと奥村さんにも宜しく!」



 四人其々の別れの挨拶が終わる。「それじゃ」と言い残して、一也は陸蒸気(おかじょうき)に乗り込んだ。

 黒い鉄製の乗降口を踏む時、また汽缶(ボイラア)が蒸気を噴き出す音が聞こえた。




******




 ガタンゴトン、ガタンゴトン。



 重々しく車輪を回しながら、陸蒸気(おかじょうき)は走る。

 車窓から外を眺めると、横浜の海が見えた。

 夕陽を浴びた海は赤と橙が混じった色に染まり、落日の華やかさを訴えかけてくるようにも見える。



 ガタンゴトン、ガタンゴトン。車輪の音に合わせるように、小夜子が口を開いた。



「寺川さんと話せました?」



「うん」



 向かいに座る小夜子の問いに、一也は短く答えた。二人が乗る二等車両は空いている。他の乗客は、疎らに散らばっていた。その為、会話には支障は無い。



 小夜子はそれ以上は問わない。一也も敢えて答えない。

 一也の私的事情(プライバシイ)に関わる事であり、小夜子はそこには踏み込まない。

 一也はそれに感謝しつつ、竹筒の栓を抜いた。珈琲の香りが鼻をくすぐる。



「髪がずいぶん短くなっていたよ」



「ああ、そういう規則らしいですね」



 ぽそりと一也は口を開く。

 小夜子は相槌を打つに(とど)めた。

 こういう口調の時の一也は、多分積極的に話したい気分では無い。それくらいは分かるようになっていた。



 竹筒から珈琲を一口飲みつつ、一也は今日の寺川との会話を思い出す。

 戻れなかったらどうするのか。この明治時代で生きていけるのか。その問いの意味は重い。

 家族や親友に、自分の無事を伝えたい。その願いの切実さは、痛い程分かる。



 ああは言ったが、今すぐに妙案など出る訳も無い。目を閉じ、固い客席の背もたれに頭を預けた時だった。



「周囲に気を配るべきだと、お前には何回か注意した筈だがな。悪い癖だぞ、三嶋」



 左。自分から見て通路側。聞き覚えのある、否、忘れるはずもない声。



「貴方っ、横浜の時のっ!?」



 小夜子の鋭く圧し殺すような声。一也もまた反応する。ひりつくような緊張感が、一也の声を凍らせた。



「――中西さん、か」



「御名答だ。久し振りだな、三嶋。そしてそちらのお嬢さんも」



 ガタン、と陸蒸気(おかじょうき)が揺れる。

 車窓から斜めに飛び込む西日に、通路に立つ人物の姿が浮かび上がる。

 見慣れぬ眼鏡姿ではある。けれどもその小柄な若い男性は、あの中西廉に相違無かった。

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