傍話 時雨ほろほろ 後編
驚くことばかりだ、と時雨は改めて思う。
幽霊となってからも、一応世の中の変遷は掴んでいたつもりではあった。
だが、所詮は吉原の中しか知らない身である。
地縛霊独特の内に籠る傾向もあり、新しい物に接しようという意欲も薄かった。
「何だか惜しいことをしてきたでありんす」
ぽつりと呟く。一也と小夜子にくっついて歩いてみると、自分の常識という物がいかに時代遅れなのかと痛感させられた。
「時雨さんの気持ち、分かりますよ。私だって、最初東京に来たときにびっくりしましたもの」
「へえ、小夜子さんでもそないでありんしたん?」
「そりゃもう」
別に胸を張って言うことでもないのに、何故か小夜子は誇らしげであった。
「ちょっと東京から離れたら、地方はまだまだ文明開花の恩恵なんか被ってないですよ。例えばほら、時々通る四輪馬車だってないし、洋服を着ている人も殆ど見かけないです。明らかに変わったのは、男の人の髪型くらいじゃないですか?」
「ははあ、やっぱり新しい物は帝都からでありんすか」
「ですね。時々、村長さんの家に新聞が届けられるんですけれど、それを皆で回し読みするんですよね。そうしないと、世間ずれしちゃうんです」
小夜子と時雨の会話を聞きながら、一也はずるずると蕎麦を啜る。
昼食時ということもあり、三人が入ったこの蕎麦屋もそれなりに混雑していた。
それでも急かされる程でもなく、ちょっと会話を楽しむくらいの余裕はある。
"新聞だけが情報源か。平成って便利な時代なんだな"
辛めのつゆの喉ごしを楽しみながら、一也はふと考える。
江戸時代の人であった時雨とは異なり、一也は平成の人間だ。
新聞も当然あるし、テレビやインターネットのニュースサイトもある。情報を受け取るだけでなく、個人がSNSを使って情報を発信することも出来る。
段違いどころか、次元が違う情報量を、二十一世紀の人間は常に処理しているのだろう。
"明治に飛ばされてから、全然スマホとか触らねえしな。電波繋がらないから当たり前だけどさ"
分からないことがあれば検索サイトを使えば済む、連絡を取りたければ瞬時に出来る。
それらがいかに便利なことなのかは、自分でも分かっていたつもりではある。
けれども、今日こうして時雨の反応を見ていると、江戸から明治にかけての進歩というのも相当なのだろう。
郵便や電報という、一也にとっては常識あるいは骨董品のような制度や技術に、あれほど驚いているのだ。
そんな内心を綺麗に隠しつつ、一也は締めの蕎麦湯をぐいと飲む。正直言えば、蕎麦は明治時代の方が美味い気はする。理由は分からないが、小さな幸せではあった。
「さて、そろそろ次行こうか」
「私、見たことないんですよねー。実は楽しみだったり」
「そない楽しいとこでありんすか」
蕎麦屋を出てから、三人はゆるりと歩き始めた。興味津々といった時雨に、小夜子が答える。
「うふふ、時雨さんびっくりしますよ、きっと。何たってあの鹿鳴館ですからね」
******
目の前に立ちはだかる建築物に、時雨は目を見張った。
何だろうか、これは。西洋式のお城かと最初は思ったが、城門は無い。むしろ宮殿のようにも見える。
守衛のいた門扉から敷地に入れてもらったが、近くに寄ると建物が視界に入りきらない。
「これが鹿鳴館。井上馨外務卿が五年前、つまり明治十六年に建設した日本の公式の迎賓舘だ。俺も来るのは初めて」
「話には聞いてましたけど、こうして見ると大きさを実感しますよね。元は薩摩藩のお屋敷跡地だったんですって」
「大きいなんて言葉が不釣り合いに聞こえるでありんすよ。こんな立派な場所、ほんまに入ってええん?」
一也と小夜子の背後から、時雨は建物を仰ぐ。
こう、何と形容すべきかも分からない形の柱が、建物の正面にずらりと並んでいる。
欧米の建築様式なのだろうか、縦に彫られた線が柱の印象を引き締めていた。
それらの柱は真っ直ぐに立ち、軒先にぶつかる寸前で左右に柔らかく広がっている。その曲がり具合は半円形の窓枠を思わせた。
「許可は貰ってるから大丈夫だ。一応俺らも警視庁の一員だから、昼間であれば立ち入ることくらいは出来る。夜会が行われる夜は無理だけど」
「素敵ですよね。総煉瓦造りの二階建てらしいんですけど、特に二階の舞踏室が見物なんです。百坪もあるんですって」
「ひ、百坪!? 舞踏出来る方がそないに集まって、床が抜けんか心配でありんすな」
車寄せを横目に、一也達三人は玄関から鹿鳴館の中に入る。敷かれた真っ赤な絨毯は靴音を吸収するせいか、ひどく舘内は静かであった。
どこまで続くかと思わせるような、広い廊下が玄関から延びている。足を踏み出しながら、一也が二人に声をかけた。
「すぐには無いとは思うけど、俺らも要人警護の任務を受けたら、こういう場所に来るのかな」
「第三隊の皆さんて、そんなことまでやりはるん?」
「今までは無いですけどね。特務課自体がちょっと特殊任務が多いですから」
時雨の問いに答えつつ、小夜子が角袖羽織を脱いだ。
煉瓦造りとはいえ、壁が分厚いためか冬でも暖かい。舘内には暖炉が設置されているお陰でもある。
流石、欧化政策の象徴とも言える日本きっての迎賓舘であった。
入館許可証を提示し、一也らは館内を閲覧していく。
二階の舞踏室は立ち入り禁止らしく、館内の管理人にそっと注意された。
夜会がある時だけ解禁される為、普段は掃除係以外は二階には上がらないとのことであった。
それでも時雨は別に残念ではなかった。ほう、とため息をつくばかりである。
ある部屋の扉をそうっと開けると、部屋の中央に置かれた黒檀の円卓がまず目に入った。
天鵞絨張りの椅子がその周りに配置され、落ち着いた豪華さを演出している。
部屋の奥には、西洋風の彫刻が為された棚が据付けられている。
絢爛たる薔薇の花束がその棚の上に飾られており、その気品ある赤色がぱっと目を惹いた。この部屋の色が白と黒を中心としているだけに、見事な差し色として機能していた。
「談話室みたいだな」
「うわあ、何だか落ち着きませんね。あの椅子に座ったら、気持ち良すぎて立てなくなりそうです」
「こんなのに慣れたら、人は駄目になるでありんすな......」
ここまで豪華に作る必要があるのか、と時雨はやっかみ半分に思う。
しかし、殊更に華美を演出する仕掛けは、彼女が生きてきた吉原でもふんだんにあった。
西洋人に対して劣等感のある日本だからこそ、この鹿鳴館は舞台装置として豪華に修飾する必要があるのかもしれない。
「さて、他の部屋も見せてもらうとしようか――あれ?」
「うわ、驚いた。何や、自分ら来てたん?」
一也が踵を返した時であった。
聞き慣れた声と共に、長身の男と顔を合わせる。
隣の部屋の扉から顔を覗かせたのは、よく見知った奥村順四朗であった。
廊下に出てきてから、順四朗は声をひそめる。
「時雨さんに帝都見物させるいうから、ここは来やへんやろ思っててんけどな。やっぱ気になったん?」
「――あ、思い出しました。確か、ヘレナさんに警視庁の広報から話が来て」
「その言い方やと忘れてたんかい、一也ん」
「すいません、私も忘れてましたね。今、思い出しましたけど」
「え、何があるんでおすか? わっち、全く訳が分からないんでありんすけれど」
会話の流れについていけなくなり、時雨が困った顔になる。
それに気がつき、助け船を出したのは順四朗であった。
自分が出てきた部屋の扉を親指で指す。
「警察の広報通してな、新聞社がヘレナ隊長に取材したい言うてきてん。何処から聞いたんか知らんけど、独逸人の女性警官が珍しいんやろ。広報も警察の印象向上になるならと、許可出したんやわ」
「なるほど、事情は分かったでありんすよ。けど、わざわざこの鹿鳴館のお部屋使わないけやん?」
「いや、制服姿だけやと味気ないからな。隊長に西洋の夜会服を着てもらって、取材時にその写真撮らせてくれと頼まれてん。そんな格好が似合う場所言うたら、鹿鳴館ぐらいしかないやろ?」
「あー、それでわざわざでありんすか。大変でおすなあ」
時雨の気の毒そうな声に、順四朗は「己は別に平気やけど、本人は嫌そうやったで?」とくすりと笑う。
「嫌そうって取材受けることがですか」
「いや、夜会服を着ることがや。鹿鳴館来るまでの馬車の中でも、あんな動きにくい服を何故着るのかと不満顔やった」
一也に答えた後、順四朗は三人に目くばせした。明らかに面白がっている顔つきである。
「取材が始まって暇になったから部屋から出てきたんやけど、どうするん。自分ら、隊長の夜会服姿見たいんちゃうの?」
「そりゃ見たいですよね。似合わないことないと思いますし」
「きゃー、ヘレナさーんって言ってあげたいです!」
「わっちもそういう服、見てみたいでありんす。中々無い機会でありんすし」
四人の目が合う。一つ頷き、順四朗はゆっくりと扉のドアノブに手を伸ばした。
******
"おおお......ヘレナさん、普段と違うでありんす。流石にきらびやかでおすな"
心の中で、時雨は感嘆の溜め息を漏らした。
一也ら三人が入室してきたので、ヘレナは一瞬目を見張ったが、結局そのまま大人しく取材を受けている。
新聞記者らしき男性が二人、机を挟んで何やら熱心に質問したり、手元の小さな手帳に書き付けていた。
「普段と全然雰囲気違うな」
「素敵ですねー」
一也と小夜子のひそひそ話を小耳に挟みつつ、時雨もしげしげとヘレナを観察した。
やや膝を斜めにして長椅子に腰かけながら、彼女は丁寧に質問に答えている。
その女性らしい曲線を描く体は、順四朗の言っていた通り夜会服に包まれていた。
女性用の夜会服という物を、時雨は見たことが無い。それだけに中々興味を惹かれる。
襟ぐりが大きく開き、肩から鎖骨の辺りのヘレナの白い肌が露になっている。素材は絹だろうか。僅かに光沢のある薄手の生地は深い青に染め上げられ、身じろぎする度にしゃらりと揺れた。
視線を下に落とせば、長いスカートから覗く華奢な足が見えた。裾の方は透かし刺繍が施されており、煩くない程度に足元を賑やかにしている。
"普段の制服姿とは違うて、これもまた似合うでありんすね"
方向性も趣旨も異なる。
けれども、吉原の花魁の纏う華やかさや艶やかさにも、全くひけを取っていない。
普段は無造作におろした髪は後頭部で編み込まれており、白い首が見えている。
日本人には有り得ない青緑色の瞳が、神秘的な深みを添えていた。
同性の時雨の目から見ても、ヘレナの夜会服姿は魅力的の一言であった。
部屋の隅に陣取る一也らを気にする素振りを時折見せつつ、ヘレナは取材に答え続けていた。
その様子を見る限り、夜会服が嫌なだけであり、取材そのものは別に嫌いではなかったようだ。
新聞記者も心得た物で、質問内容は当たり障りの無い物に終始していた。
しばし質問と返答が往復し、写真撮影がその合間に行われた。
部屋の柱時計が午後三時の到来を告げたのを確認してから、年輩の記者が襟を正して口を開く。
「それでは最後に一つよろしいでしょうか。ヘレナ・アイゼンマイヤーさんにとって、日本は異国です。あけすけに言わせていただければ、命を賭ける価値が無いと思われても何ら不思議の無い国です。ですが、現実には危険な任務に身を投じて帝都の治安維持に貢献しておられる」
反応を確かめるように、記者は一度言葉を切った。何も言わずに、ヘレナは待つ。脇から見守る時雨には、その横顔しか見えない。
「その原動力はどこから来るのでしょう。縁の無い他国の為にそこまで尽くす理由があるなら、是非教えていただけないでしょうか」
ヘレナはすぐには答えなかった。
その細い顎を指で摘まみ、視線を卓上に落とす。やがてその唇を開き、ぽつりぽつりと話し始めた。
「正直に言えば、最初は嫌ではありましたね。先程ご説明した通り、所属しているグレゴリウス鉄旗教会の命令に従い、私は単身日本に来ました。その当時は、何故自分が極東の島国へ行かねばならないのか――そう思わなかったと言えば、嘘になります」
ヘレナが窓の外を見る。時雨もそれにつられた。硝子越しの空間には、ちらほらと白い物が見える。雪が降り始めたらしい。
「......けれども、実際に着任してみれば別にそう悪くもなかった。日本語が不自由な私に対しても、人々は概ね親切でした。ま、差別が全く無かったとは言いませんがね。自分の権限を生かせるだけの職位も与えられましたし、信頼出来る部下もいる。大変は大変ですし、いつかは祖国へと思う気持ちはありますが、それでも――そうですね。欧州とは全く異なる文化や風習に触れたこと、日本の警視庁に身を置いたことは、私の世界を広げてくれた。それは間違いありません。ならば、私がこの国に対して何か貢献出来るのであれば、それは命を賭ける価値があると思える。そういうことではないでしょうか」
言いたいことは伝えられたのか、ヘレナはそこで口を閉じた。「立派でありんす」と呟いてから、時雨は何やらじんと感極まった。その感動の正体が何なのか分からずにいる間に、取材は終了したようだ。
一礼してから、若手の記者が何やら紙箱を取り出した。綺麗に包装されたその箱を、恭しくヘレナに差し出す。
「今日はありがとうございました。これはつまらない物ですが、心ばかりのお礼です。どうか受け取っていただきたく」
「申し出は有り難いのですが、一応公職にあたる身ですので。お気遣いなく」
「左様ですか、横浜よりわざわざ取り寄せたアイスクリンなのですが。いや、季節限定でチヨコレイト味や苺味もあるのですが、そうおっしゃるのであれば仕方な――」
「喜んで頂戴いたします」
前言撤回と言わんばかりに、ヘレナは遠慮なく箱を受け取った。目を輝かせる彼女に、年輩の記者が挨拶をする。
「それでは私どもはこれにて。良い記事が書けそうです、本当にありがとうございました」
「あまり仰々しいのは恥ずかしいので、控えめにお願いしたい」
「ええ、そこは私どもも新聞記者の端くれなので」
やおら立ち上がり、二人の記者が部屋を辞去する。「ええもんもろたやん」と順四朗が声をかけると、ハッとヘレナが表情を変えた。一也、小夜子、時雨の三人がにまにましているのが目に入ったらしい。
「いやあ、やっぱり隊長は違いますね。艶やかな夜会服でも、芯の通った正義心は忘れない。かっこいいなあー、俺はいい上司持ったなあー」
「私、広報に伝えておきますね。帝都に咲く一輪の冬薔薇の如く、ヘレナ隊長は職務への想いを語った。否、それは愛にも等しい熱意でありましたと! くう、最高ですぅー、惚れちゃいますね!」
「こない綺麗で凛とした警察官やったら、逮捕してほしい言う悪人も仰山出てくるでおすなあ。ヘレナさんがいるだけで犯罪数が減りそうでありんす」
「......お、お前ら人をからかって楽しいかこのやろー! こんな着なれない服着て、こっちは大変だったんだぞ!」
「無事終わったんやし、ええやん。あ、これもろてええ? アイスクリンて、横浜まで行かんと買えんのよな」
ヘレナが顔を真っ赤にして言い返す間に、順四朗が横からさっと箱を手に取る。「これな、冬場に火鉢に当たりながら食べたら美味いねん」としれっとのたまう順四朗に、ヘレナが血相を変えて食ってかかった。
「私が先に選ぶ権利があるだろ、何でお前が勝手に選んでるんだ!」
「え、食べる気なんか。この前隊長、最近食べ過ぎやから少し控えるて、言うてなかった?」
「言ったさ、ああ言ったさ! だが、このアイスクリンは別腹だ、私の労働の成果だ、返せっ!」
艶っぽい夜会服姿と、発言の低俗さが見事なまでに好対照である。「わっちの先程の感動を返しておくれやす」と時雨は項垂れた。
******
とっぷりと日は暮れ、冬の夜が頭上に広がっている。
幽霊である為、直接的な寒さは感じない時雨だが、気持ちとしては寒い。
ヘレナが取材を受けていた時に降り始めた雪は、夜中になっても止んではいなかった。
「冬にアイスクリンなんて予想もしませんでしたけど、美味しかったですね」
「ヘレナさんのおかげだな。しかし、あんなにアイスクリン食べて大丈夫かな、あの人」
時雨の一歩先を歩きながら、小夜子と一也が話している。
鹿鳴館を訪ねた後、全員で一度第三隊の拠点に戻ったのだ。
そこでアイスクリン争奪戦になったのは、致し方ないことである。
「江戸の頃には、あんな冷たいお菓子は無かったでありんしたねえ。西洋のお菓子は不思議でありんす」
「やっぱり人って食べる物には貪欲なんですよ。木村屋のあんぱんだって、維新直後に作られ始めたらしいですし!」
「うう、そう聞くと食べられない我が身が恨めしいでおす」
小夜子と話しながら、時雨はわざとらしく泣き真似をしてみた。
無論、冗談である。この世にこんなものがあると知ることが出来ただけでも、十分幸せであるのだ。
これ以上何を望むというのか。
「一日だけだったけど、とりあえず東京見物はこれで終わりだ。どうだった?」
「勿論楽しかったでありんすよ。こんなに目新しい物ばかりとは、想像も出来やんかったよし。一也さんと小夜子さんには感謝しきれないでありんす」
「それなら良かったな。改めて見学してみると、俺も考えさせられたし」
ふいと一也が視線を外す。その何とも言えない表情が、何故か時雨の心をざわめかせた。
何故であろうか、妙に一也が遠くにいるように思える。手を伸ばせば届く、それほど近くにいるのに。
けれどもその理由が分からない内に、一也の顔はインバネスコートの襟に隠れてしまった。
多分、気のせいであろう。そう考えてから、時雨は今日という日を振り返る。
「江戸やなくて、今は東京なんでありんすね。色んな物が出来て、それを作る人がいて」
「ですねー。私がお婆ちゃんになる頃には、もっともっと新しい物が出来ているんだと思います。人も時代も進歩するって言うのかな、こういうの」
「ほんにええことやと思うでありんす。こうして夜道を歩いても、ほら、あの灯り」
時雨が指差した先にあるのは、街並みを照らす瓦斯灯であった。
瓦斯の青い炎が揺らぐ度に、ほわりとした光が三人の足元を照らす。
まだ雪がちらつく中、夜の闇が仄かな灯りに散らされ、揺らいでいるように見えた。
「夜中でもこないに道を照らしてくれる、これがまさに文明の火でありんすよ。提灯が無くても、歩くのに不自由もしやんし、ほんまええことよし」
「文明の火か。いいな、その表現」
「それなら、その火を消さないように、私達頑張らないといけませんね。何たって明るく治める時代ですもん」
「うふふ、あの世から応援しているでありんすからね。頑張っておくんなまし」
一也と小夜子に声をかけながら、時雨は背後を振り返った。
夜の帝都に小雪がちらつき、それが瓦斯灯の淡い光に浮かび上がる。
名も無き水墨画のようなその光景が、すぅと花魁の幽霊の心に沁みていった。




