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血戦の終焉

「我願い奉る。鬼灯の赤は西に射し、北斗の黒は北に指し」



 朗々たる詠唱が小夜子の唇から紡がれる。

 まずいと思いつつも、美憂はそれを止められない。

 式紙を全て破壊され、小夜子には攻め手は無いと思っていた。



「蛇の青は東に眠り、骸の白は南にさ迷う......四方に捧ぐ、我が祈り、我が力、我が魂!」



「く......こんな奥の手があるなんて」



 小夜子の詠唱を邪魔しようと試みたが、それすら叶わない。

 両の手のひらを足元に叩きつけ、小夜子は詠唱を終えた。漆黒の呪力が玄関ホオルの床から噴き上がる。

 その勢いに押され、美憂は思わず腕で顔を庇った。



 ミリ......ミリ......と軋むのは、玄関の扉だ。



 シュウウウ......と床を流れるのは、闇よりも濃い黒ずんだ空気である。



 一気に迫るような圧力ではない。しかし、階段前まで下がった美憂にまで、それははっきりと届く。

 蛇に睨まれた蛙のようだ、と美憂はふと思う。



「ん、あ、あれ。前に呼び出した時と違いますね。どうしたのかな」



 一方、小夜子は僅かに困惑していた。自分が呼び出した死鬼神の姿を眺めては、首を捻っている。

 前回呼び出したのは、横浜で神戦組と交戦した折である。

 記憶が確かなら、狼に近い頭部を持った熊のような四足獣であったはずだ。



 "でも、どう見ても人間に近いんですけど"



 青みを帯びた灰色の古風な鎧姿、そして人と同じように伸びた二本の手に二本の足。

 蓬髪を後ろで無造作に縛り、その右手には槍らしき武器を握っている。

 長さ八尺はある長槍には、飾りの一つすらない。



「あ、あのう、死鬼神さんですよねえ?」



 不安になり、小夜子は呼び掛けてみた。

 言葉が通じるかどうか不安であったが、幸い相手は頷いてくれた。

 その背は小夜子より頭二つは高く、顔は骸骨を象った仮面に覆われている。

 とりあえず強そうだと判断し、小夜子は指示を出すことにした。



「あそこにいるメイド、あ、分からないか、召し使いっぽい格好の女の子が相手です。出来たら殺さないで下さい、お願いします」



 主の丁寧な命令に、死鬼神は槍を掲げることで応えた。相変わらず一言も喋らないが、こちらの意図は伝わったらしい。

 小夜子は美憂の様子を伺う。

 一時の驚きからは立ち直ったのか、相手の臨戦体勢は万全のようだ。

 美憂の体を中心に、凝縮された血液が浮かび上がる。三日月形に整えられたそれらが、ゆっくりとこちらを向いた。

 血の赤が窓からの光を受けて、鈍く輝く。



「こちらも準備は整いましたよ、紅藤さん。それが貴女の奥の手ならば、私も全力で行きます――血液呪法奥技"千刃紅嵐"」



 千の刃という表現に多少誇張はあったとしても、小夜子はとても笑う気にはなれなかった。

 透き通りそうな程、薄く鋭く形成された赤い三日月は、まさに刃と呼ぶに相応しい。

 (おびただ)しい数のそれが、美憂を守るように浮遊している。

 互いの切り札を従えたまま、小夜子と美憂は一瞬だけ視線を交わした。



「貴女には感謝いたします、小夜子さん。もしかしたら、私は間違っていたのかもしれません」



「はい」



「自分から相手にぶつかることなんて、ずいぶん昔に止めてきました。傷つくのが嫌で、ずっと目を背けていました。それを指摘してくれたのは、貴女が初めてです」



「いえ、それほどでも」



「ですけど、ご主人様への忠義はまた別。あの方がいなければ、私はとうの昔に死んでいました。ですから――全力で行かせていただきます!」



「上等です!」



 美憂の目が煌めいた。自己嫌悪の濁りが消え、ただ純粋な戦意だけが瞳を輝かせる。



「唸れ、紅の刃! 無限の嵐となって切り刻め!」



 小夜子も応じる。

 小さな体に負った傷は積み重なり、呪法の連発で精神力も削られている。

 それでも、この場だけは退けない。この戦いだけは負けられなかった。



 "私の為にも、美憂さんの為にも、そして何より一也さんの為にも"



 ここで自分が負けたら、全てが中途半端のまま終わってしまうから。その思いは弾け、少女の口から叫びとなって迸る。



「お願いします、死鬼神!」



 主の命令を受け、黄泉比良坂の悪霊はその槍を構える。




******




 高速で飛来する薄刃は、回避するのも受け止めるのも難しい。まして、それが多数襲いかかるとなれば尚更だ。

 美憂の作り出した血の刃は、玄関ホオルの空間を埋め尽くさんばかりに控えている。

 千は大袈裟にしても、数百はあるだろう。



 "可能な限り捌いて!"



 死鬼神が強力であることは疑い無い。

 しかし、小夜子は祈らずにはいられなかった。もはや指示でも命令でもなく、ただ純粋な祈りである。

 黄泉比良坂の悪霊に対して祈るというのも可笑しいが、もはや小夜子にはそれくらいしか出来ない。



 包囲網を築くように、血の刃は四段に分かれた。

 最初の一、二段目が捌かれたとしても、後の三、四段目で崩す。

 それが美憂の狙いらしい。未知の相手を前に慎重な攻撃である。



 "来る!"



 最初の一段目が、死鬼神に襲いかかってきた。

 槍一本でどうにかなるのか。小夜子のその疑問に、死鬼神は結果で答える。

 赤い刃が次から次へと叩き落とされていく。数十を超える刃が迫り、回避出来る隙間など無い。

 だが、死鬼神は縦横無尽の槍捌きを以て、それらを全て迎撃していく。

 神業という言葉すら生ぬるい。まさに鬼神の技量である。



「くっ、ですがまだこちらにも備えは!」



「耐えきってやります!」



 美憂の指示により再び血の刃が殺到し、小夜子の激励に死鬼神はまたも槍を振るう。

 その豪槍は目にも止まらない。

 いや、それどころか、あまりの勢いに槍に嵐すら纏わせていた。

 風の乱舞で刃を巻き込み、死鬼神は技の限りを披露した。突き、払い、巻き込みが人間には不可能な速度で繰り出される。

 玄関ホオルには、破壊された刃が血潮となって飛び散った。



 声にならぬ雄叫びが骸骨の仮面から吐き出され、その周囲は鮮血に染まりゆく。烈風は赤く濡れた。




******




 そもそも人間ではないと分かってはいた。そのただならぬ迫力から、相当の強敵だろうと覚悟はしていた。



「ぜ、全部受け止めた......んですの」



 それでも、高城美憂は目の前の光景が信じられなかった。

 彼女が放った奥技"千刃紅嵐"は、その名の通り無数の血の刃を投擲する呪法である。

 相手が誰であれ、かわしきれる筈が無い。

 絶命までは至らなくとも、何かしらの手傷は負わせることが出来る。それくらいの期待はしていたのだ。

 だが、美憂の期待は見事に裏切られた。

 あの死鬼神とやらが何なのかは分からないが、床に広がった無数の血の跡が全てである。



「打つ手はもう無いみたいですね」



 美憂の様子に、小夜子は勝利を確信した。

 驕りでも油断でもない。

 千刃紅嵐という呪法に、美憂は全力を込めていた。呪力は欠片も残っていないはずだ。

 もっとも、それは小夜子もほとんど変わらない。死鬼神の召喚を維持するのは、大量の呪力を消費する。



「だけど、もう少しだけならっ」



 必死で意思を伝える。

 小夜子の指示に反応し、死鬼神は鋭く前に踏み込んだ。

 その槍の穂先が、甲高い金属音を奏でる。

 床に落ちていた美憂のナイフを弾き飛ばした、と小夜子が気がついた時には、既に死鬼神は美憂の動きを制圧していた。



「くっ......ここまでですか」



 悔しそうに美憂が唇を噛み締める。

 喉に突き付けられた槍の向こう、表情の見えぬ骸骨の仮面がこちらを注視していた。

 呪力は使い果たし、武器も無い。

 敗北を噛み締め、美憂は俯いた。心が折れた。

 それを確認して、小夜子は内心ほっとする。彼女もそろそろ限界が近かったのだ。



「ありがとう、もういいですよ」



 美憂の両手首を取ってから、小夜子は死鬼神に声をかけた。

 かくん、と死鬼神の骸骨の仮面が縦に揺れる。そしてすぐに、煙のように消えていった。

 役目を果たしたのであれば、現世に呼び出しておく意味も無い。



「私は――負けたのですね」



「そうですね、何とか警察の面目は保てたかなというところですか」



 小夜子は静かに美憂に答える。

 両手を後ろで束縛され、メイド服の少女は力なく座り込んだ。

 胸元の破れが気の毒になり、小夜子は自分の外套を貸してやる。



「寒くないですか、美憂さん」



「......何ですか、急に。敗者に対する憐れみだったら不要ですから」



「うわあ、そういう言い方可愛くないですよ......」



 軽く引きながら、小夜子が顔をひきつらせる。

 だが、美憂の顔が見えた時、小夜子は軽く目を見張った。

 何故なら、彼女の顔はこれまでに無いほど、穏やかであったから。



「強いのですね、紅藤さん。人を好きになるということが、こんなにも貴女を強くするんでしょうか。ふふ、何だか可笑しな気分ですわ」



「強くないと、一也さんに置いていかれちゃいますからね。これでも頑張っているんですよ」



 少し照れたように、小夜子は答える。

 その時、不意にホオルに影が差した。入り口からだと気がつき、小夜子は顔をそちらに向ける。



「小夜ちゃん、お手柄やん。一人確保やな」



 聞き慣れた声と共に、長身の男がこちらに近付いてきた。



「順四朗さん!」



 小夜子の顔がぱっと明るくなる。

 傷だらけではあったが、順四朗はとりあえず命に別状は無いようであった。

 制服のあちこちが破れてはいるが、それは小夜子も似たような物である。



「しかし、凄い有り様やな。床、血だらけやん。多分、あの子が原因なんやろけどな」



 順四朗の視線は黒いメイド服の少女に向けられた。それを受け、高城美憂が口を開く。



「奥村順四朗警部補、でしたわね。貴方がここに来たということは、兄様は」



 美憂の問いは答えを必要としない物だった。

 順四朗は無言のまま、ただ頷いた。首の後ろで束ねた彼の髪も、ふいとそれに釣られて揺れる。

 それで全てを悟ったのか、美憂は黙り込んだ。

 涙は無い。覚悟はとうにしていたのかもしれない。



「勝てたんですね」



「何とかな。めっちゃ強かったけど」



「私もぎりぎりでしたよ、危なかったです」



 互いの無事を喜びながら、小夜子は束の間の安堵を噛み締めた。だが、順四朗の発した言葉が、それを吹き飛ばす。



「いやあ、人を好きになるって凄いわ、ほんま。ずっと好きでいたい、ああ、若いってええもんやなあ」



「き、き、き、聞いてたんですかああああ!? ど、どこからっ、どうやって!?」



「そこのメイドさんが、谷間見せて特殊体質について語り出した頃から。普通に玄関からこっそりと」



「ひ、酷い! 順四朗さんのすけべ! 覗き魔ぁ!」



 疲労も忘れ、小夜子は順四朗に非難の声を浴びせる。

 清和の死を沈黙の内に悼んでいた美憂も、順四朗に白い眼を向けた。

「しゃあないやろ、出られる雰囲気やなかってんから」という順四朗の弁解は完全に無視された形である。



「不可抗力やん。一也んにはちゃんと伝えといたるから安心しいや」



「外道ですよね、順四朗さんって」



 人の悪い微笑を順四朗が浮かべた。

 ぎりぎりと歯軋りしつつ、自分の発言に小夜子は頭を抱えた。

 すぐに一也が九留島子爵の後を追った事を思い出すのだが、この瞬間だけは、それさえも忘れている。



 もっともそんな茶番劇をしている暇は無く、小夜子と順四朗はすぐに次の行動に移った。

 一也は屋敷の奥に向かったことを、小夜子は手短に説明する。「何か仕掛けがあるかもしれへん。無闇に全員が踏み込むんも危険かもな」という順四朗の意見に、小夜子も同意した。

 とりあえず美憂の身柄を確保しつつ、二人は玄関ホオルに陣取るのであった。



「一也さん、大丈夫でしょうか」



「大丈夫やって。己らは万が一の逃亡に備えて、ここ抑えとこ。一也んが引っ捕らえたら、それで終わりやけどな」



 順四朗が小夜子を宥めつつ、屋敷の中を見渡した。

 小夜子は一つ深く息を吐き、壁に体をもたせかけた。

 体力も呪力も底を尽きかけていたが、まだ任務は終了していないのだ。

 気力まで萎えかけている事に気がつき、しゃんとしようと自戒する。

 一也の無事を祈りながら、今は待機するしかない。

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