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ずっと好きでいたいから

 玄関ホオルで展開されるは、まさに死闘。



「驚きました。意外にしぶといですのね」



 一人は黒いメイド服姿の少女である。

 彼女は右手にナイフ、左手に赤く揺らめく血液を纏わせていた。その赤紫がかった双眼は、ホオルの光と影を見通す。

 視線の先には、また別の少女が一人。



「これしきで音をあげるような緩い鍛え方はしてないですからねっ」



 その少女は紺色の制服に身を包み、長い棍を構えていた。

 年頃の少女だけが許される溌剌とした美しさは、機能的な制服姿からでも滲み出る。

 だが、その生地の何ヵ所かは酷く破れていた。微かに覗く白い肌が艶かしくも、痛々しい。



「可愛げがありませんのね。早々に降伏すれば、命だけは助けてあげますのに」



「嫌です。そうしたら、貴女は一也さんを追うじゃないですか。邪魔させてたまるもんですか」



「あくまで譲らないとおっしゃりますか」



「譲らないですよ。せっかく一也さんが生き返ってくれたんです、背後から貴女に襲わせる訳にはいかないですよ」



 制服姿の少女――紅藤小夜子は頑として譲らない。左側で結ったサイドテールが、ふわりと揺れる。体力的にはそろそろ厳しくなっているだろうに、小夜子の心はへし折れていない。



「......あの銃士殿をそれほどまでに慕うのですね、小さい呪法士さん」



「だから小さいは余計ですぅ!」



 小夜子の反論を無視しつつ、メイド服の少女――高城美憂は軽く口許を引き締めた。その表情は歳不相応に苦々しい。



「何も躊躇いなく、好意を寄せられる殿方がいる......正直言って少々羨ましいですわ。私には夢のまた夢です」



「え、いきなり何を言い出すんですか」



 小夜子は面食らった。

 一也への気持ちをからかわれたり、貶されたりするかと思っていたのだ。

 そうされたらされたで、思いきりお返ししてやるだけではあるが――だが、美憂の表情はどこか暗い。



 "な、何か変ですよ、このメイドさん。さっきまでがんがん仕掛けてきたのに"



 小夜子は戸惑いを隠せない。

 物静かな印象はあるが、高城美憂は強気な態度を崩してこなかった。しかし、今の彼女はむしろ弱々しさすら感じさせた。

 伏せ気味の長い睫毛の下、その大きな目が小夜子を見る。



「呪法士さん、いえ、紅藤さん。一つお聞きしてもよろしくて?」



「......どうぞ、答えるかどうかは別ですけど」



「単刀直入にお聞きします。貴女、好きな殿方であれば抱かれてもいいという覚悟はあります?」



 明け透けに過ぎる美憂の問いに、小夜子は思わず顔を赤くした。

 脳裏に浮かぶのは、寝ぼけた自分に抱き着く形で倒れた一也の事である。

 あれは不慮の事故であったが、もし素であのような事態になったらと思うと――顔から火が出そうであった。



「あ、あ、あ、あなた、ななな何をいきなり言い出すんですかあああ! 破廉恥ですよおおお!」



「破廉恥、ですか。そうですわね、仰る通りかもしれません。けれども」



 声を上ずらせる小夜子とは対照的に、美憂の調子はどこまでも静かであった。いつの間にか、呼び出していた血の流れも消えている。



 コツ、と美憂は編み上げ式の革長靴(ブウツ)の踵を鳴らす。

 ナイフさえも鞘に納め、ぽいっと足元に放り捨てる。

 余裕というよりは、急に戦意を無くしたような――いや、どちらかと言えば、子供が拗ねたような態度であった。



「そんな破廉恥な事を妄想したりすることさえ、私には許されないのです。恋なる物を夢見る権利さえも、この体では!」



「ちょっと、えっ!?」



 美憂の小さな叫び声に、小夜子の声が重なった。

 美憂が取った行動は、余りに意外であった。小夜子が目を見張る。

 ビッと何かが引き裂かれるような音が聞こえ、そして乱暴に破かれた黒い布地を掴む美憂の白い手が見えた。

 美憂のメイド服の喉元から胸元までが裂け、白い豊かな谷間が覗いていた。



「それ、血管なんですか」



 だが、小夜子が目を惹かれたのはそこではない。

 白く透き通るような肌は確かに扇情的ではある。

 けれども、それを台無しにする物が、その肌の上にのたくっていた。



「......ええ、これが私の血液呪法の源。そしてその代償ですわ」



 美憂の細い指が、つつと胸元を掠める。

 その先にあるのは乙女の柔肌だけではない。

 小夜子が指摘した通り、赤黒い血管が何本も何本も皮膚の上に盛り上がっている。

 不吉な紋様か、あるいは呪いの刻印のように見えた。



「血液呪法なんて聞いたことなかったですけど、今分かりました。高城美憂、貴女の特異体質を源とする固有呪法でしたか」



「ご明察です、紅藤さん。自分の血液を触媒とし、他人の血液を操る――それが私の血液呪法です。そして、この醜い肌がその証」



「そういうこと、でしたか」



 小夜子と美憂の視線が交錯する。数瞬の対峙の後、口を開いたのは小夜子であった。



「固有呪法とは、並みの呪法とは異なり、呪法士の体質により決まると聞いた事があります。そして呪法士自身の身には、その体質によって何らかの痕跡が浮かび上がると」



「ええ、その通りです。私の場合は、それがこの異常発達した血管でした。五歳頃からでしたかしら、これが目立ち始めたのは。そう、丁度父様と母様が自害された頃です」



 美憂の発言に、小夜子は息を呑む。白い胸元とそこを這う赤黒い血管を無防備に曝しながら、美憂は薄く笑った。



「両親の自害がこの特異体質発生の引き金になったのか、それは今となっては分かりませんわ。兄様と二人で貧民窟に転がりこんだ時には、もう誰の目にも明らかな異常な状態になっていた。確かなのはそれだけです」



 美憂は多くを語った訳ではない。だが、ここまでの話だけで小夜子は察する事が出来た。

 体の目に見える位置に異常が発生した場合、その保持者を忌避する者は多い。

 単に気味が悪いというだけならまだしも、伝染病ではないかと疑い畏れる者もいる。

 好奇や軽蔑の視線に囲まれ、幼い高城美憂はどれ程傷つけられてきたのか。その想像は難しくなかった。



「だからですか、メイド服を着ているのは。喉元まで覆う服なら、ほとんど肌を人目に見せずに済むから」



「ええ。もっともこれは都合がいいと気がついたのは、着始めてからですけど。明治の世で良かったです。メイドという職業が無ければ、この服も着られませんしね」



「九留島子爵は貴女のその体質を知った上で」



「雇っていただいています。それにご主人様は――この体質を改善する方法を探してやるとまで言ってくださいました。大陸にはこうした体質を治す薬があるから、入手してやろうと」



「まさか、だから、貴女は九留島子爵の無法な兵器開発に協力して? 清に勝利すれば、日本が亜細亜大陸の覇者になるから、その為に?」



 まさかという驚きと、理詰めによる納得が小夜子の中で同居する。いや、確かにそれなら辻褄は合う。



「全てではありませんけど、理由の一端ではあります。否定はさせませんよ、紅藤さん。貴女に、貴女に私の気持ちなんか分からない。分かってたまるもんですか」



 美憂がぎり、と歯を軋ませた。憎悪を込めた視線が鋭く小夜子を射抜く。



「異性を素直に好きになる権利があって、いえ、それを権利とさえ思わず、当たり前の幸せとして享受して! 何が一也さんの邪魔はさせない、ですか。私からすれば、貴女ほど邪魔で目障りな存在はいない!」



「っ、けれど、けれどそれだけで!」



「貴女にはそれだけかもしれない、だけど私にとってはそれほどの事なんです。だから、ご主人様の為にも、私の為にも」



 話しながら、美憂はメイド服のポケットに手をやった。

 そこから取り出した細い硝子瓶を開け、中に入っていた液体を顔に浴びる。

 赤い。どろりとした赤い粘性の高い液体が、美憂の白い顔を汚す。

 血液の補充を終えたのだと、小夜子は察した。それはつまり。



「――貴女を殺させて、いえ、第三隊の皆さんを殺させていただきます。覚悟はいいですね?」



「本気という訳ですね、高城美憂」



 小夜子は二歩間合いを離した。

 美憂がすぐに仕掛けてくる気配は無い。だが、彼女の周囲は、血煙で赤く染まりつつある。

 どんな呪法を使うかは分からないが、これまでより強力な攻撃が来る可能性は高い。



 "対応策は無い訳じゃないですけど"



 切り札とも言える、今の小夜子に残された唯一の手はある。

 だが、それを使う前に、小夜子はどうしても美憂に問いたい事があった。



「いいです、戦うことに異論は無いですよ。けれど、その前に一つ言わせてください」



「構いません、聞いて差し上げますわ」



 答える美憂は、凄惨とも言える姿であった。

 黒いメイド服は胸元まで裂け、下からは白いさらしがのぞいている。それで押さえ付けられた胸を這う血管が、何とも奇怪な物象(オブジェ)に見えた。

 可愛らしいとも言える顔に、先ほど浴びた血が垂れている。



 怖い、と小夜子は思う。だが、悲しい、とも小夜子は思う。

 もし美憂が血液呪法を使う特異体質で無ければ、こんな荒事に首を突っ込むことも無かっただろう。

 周囲から忌避され、自己否定することも無かっただろう。



 それがただ悲しかった。だから、紅藤小夜子は口を開く。



「自分の不幸を嘆いて八つ当たりして、それで満足なんですか。程度が低いですよ、美憂さん」



 小夜子の言葉は痛烈だった。表情は穏やかではあったが、それとは裏腹の激しい糾弾だった。

 美憂が激昂したのも無理は無いだろう。



「貴女も......私を嫌って、除け者にして、それで満足な人なんですね。別に同情してくれとは言わないですが、全く理解されなかったのは――かちんと来ますね」



「いえ、違いますよ。除け者にはしてないです」



「誤魔化さないでくださいっ!」



 美憂が右手を振るう。鋭く空気を切り裂き、血の鞭が唸った。

 それに左頬を激しく打たれ、小夜子が顔を背ける。「い、痛たたた、あー、跡に残っちゃうかな」と小夜子は顔をしかめる。

 だが、その痛みを堪えて顔を上げた。



「もう一回言います。除け者になんかしません。何故なら私だって、貴女と似たような事を味わいましたから」



「そんな見え透いた嘘、信じられるもんですか」



「嘘じゃないですよう。私が生まれた村、帝都の西の方にある吉祥寺村って言うんです。そこ、あんまり自衛手段が無い村だったんですね」



 小夜子は美憂に語りかける。再び血液呪法が来るかもという恐れはあったが、それでもこれだけは伝えねばならない。



「呪法の素質に恵まれた人もいなくて、そんな中、私だけがたまたま呪法士になったんです。ちっちゃい頃からその素養があったから、村の人にやたらと頼られて、あんまり友達と遊ぶことも出来ませんでした」



 小夜子は分かっている。

 別に体に何か目立つ症状があった訳ではない自分と、明らかな異常を抱えた美憂を単純比較は出来ないことくらいは分かっている。

 痛い程にそれは分かる。

 だが――だから、何も言わずにおくことが正しいとは、どうしても思えなかった。



「最初はそれが嫌でした。私も皆と遊びたいな、と思いました。でも小夜子ちゃんの力が必要だからと言われて、大人の人に頭を下げられたら......断れないじゃないですか」



 友人らしき存在がいなかった訳ではない。

 だが、何かとあっては呪法士として頼られる小夜子は、やはりどこか同年代の子供達から浮いていた。

「小夜子ちゃんは特別だから」と言われることが、嫌で嫌で堪らなかった。



「帝都の話を聞いて、一回は行ってみたいな、見てみたいなとは思っても、村を離れるのは無理だと思って......ずっと諦めていました」



 美憂は何も言わない。その目は敵意以外の感情を含んでいるように見えた。それに背中を押され、小夜子は話し続ける。



「でも、一也さんと出会って、私は村から出ることが出来たんです。一也さんがいなければ、あのままずっと村に閉じ籠もったままだったと思います。それだけ私にとっては大事な人だから」



「――だから、何ですか」



「美憂さんにも、きっと大事な人が出来ると思います」



 小夜子は一歩も退かなかった。

 徐々に美憂の周囲が赤く染まりゆくのに、退かなかった。

 一度退けば、きっと自分の言葉は届かない。

 自分の伝えたいことは、矛先を逸らして逃げてしまう。



「っ、あっは、あはははっ、馬鹿馬鹿しい! 私なんか、こんな体の私なんかを好きになってくれる殿方なんか、いるわけが」



「美憂さん自身が誰かを好きにならなきゃ、どうしようもないじゃないですかっ! 辛いからって殻に閉じ籠ってばかりで、それで何が分かるんですか! 自己卑下してばかりで誰かに好かれるのを待つだけじゃ、何にも変わらないです!」



 美憂が固まる。

 何かに撃たれたように、一、二歩下がりながら、彼女は唇を震わせた。

 きっと小夜子を睨むその目は、しかし、どこか脆さを含む。



「綺麗事ばかり言わないでください。突き放されることを知っていながら、誰かを好きになるなど......!」



「私だって、一也さんに全然相手にされてないですよ。子供扱いされてばかりで、たまにすごい苛々しますよ。でも、それでも決めたんです。この人を好きになろうって。ずっと好きでいたいって! だから――私、貴女には負けられないんです!」



 言葉で伝えられることは、全て伝えた。ならば、次はそれを身を以て示すが道理だ。

 式神を全て失い防戦一方ではあるが、それでも奥の手はある。



「最後の勝負です、高城美憂。出でよ、死鬼神!」



 小夜子の瞳に、赤い光点が灯った。

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