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地の底へと沈みゆく

 赤い絨毯が敷かれた廊下はすぐに終わった。

 この屋敷の全体図が分からない為、即断は出来ない。けれども推測は可能だ。

 屋敷の中央部分をぐるりと囲むように外廊下が作られているらしい。



 "九留島子爵に遅れること、十五分てとこか。回復には足りないだろうが、一息はつけるな"



 一也の心に焦りが生まれる。

 仕方なかったとはいえ、あの狂気の科学者に反撃の暇は与えたくなかった。こうなれば少しでも早く捕まえるか、あるいは倒すしかない。

 突き当たりの角が左に折れている。装飾的な洋灯(ランプ)が、その角の高い位置に設置されていた。

 あの兄妹のどちらかが掃除していたのだろうか、古い物にも関わらず綺麗に磨かれていた。



 だが、一也の注意はすぐに別の対象へと向く。

 角を曲がった時に、ゴーグル越しの視界に飛び込んで来た物があった。

 九留島子爵かと一瞬思ったが、違う。全部で三体、白木を組み合わせた人形がいた。



「え、こいつら動くの?」



 のっぺらぼうのつるりとした顔が、人間の骨格だけを白木で組んだ体に乗せられている。

 小学生が割り箸で作るようなという表現が、ふと一也の頭に浮かんだ。

 しかし重要な点はそこではない。ぎくしゃくした動きではあるが、三体全てが一也の方へと歩き出した。



 "ただの木ならM4でも!"



 どんな動きをするか分からなかったが、どちらにせよ壊して進むしかない。

 M4カービン改が唸ると、人形共の手足が吹き飛ぶ。どうやら何の防御処理も施されていなかったらしい。

 御影石製の弾丸を雨あられと浴びせられては、細い白木ではどうしようもなかった。

 転がった人形の白木製の骨格に、念には念を入れて更に掃射を浴びせる。

 呪法がまかり通る奇妙な明治時代である、粉微塵にしておかないと安心出来なかった。



 "もういいか。こいつら、単なる足止めだな"



 マガジン一つを空にするまで撃ち尽くした後、一也は慎重にその場を通過した。

 ちらりと人形の破片を見ると、どうやらゼンマイで動いていたらしい。

 火之禍津(ヒノマガツ)には比べるべくもないが、一応は戦闘用だったのだろう。

 しかし、手足が砕け、背や腰に当たる木もへし折られては流石に動けないようだ。



 "足止めがいたってことは、やっぱりこの先に九留島子爵がいるのか"



 左肩にかけた魔銃に触れる。

 グローブ越しに銃身(バレル)からの熱が伝わる。

 駄目だ、まだ少し余熱が残っていた。

 雷帝弾(バレットオブトール)の反動は、予想以上に大きい。もう少し使わないことにする。



 "M4のマガジンはまだある、こっちの弾切れは心配ない。魔銃が使えるようになるまで、何とか凌ぐしかないな"



 正直なところ不安ではある。

 殺傷力において、元がトイガンのM4カービン改は魔銃に大きく劣る。だが、今は他に頼れる物は無い。

 慎重に歩を進めながら、使える武装を頭の中で確認する。

 右手のM4のマガジンはさっき変えた。

 魔銃に装填されているのは、最後の特殊弾――水色の弾底の霊殺弾だ。

 通常の9mm弾なら六発装填可能だが、とりあえずこれで良しとする。いずれにせよ、すぐには使えない。



 廊下の突き当たりに大きな扉が見えた。

 数滴の血痕をその前の廊下に認め、一也は素早くその扉の横に駆け寄る。

 扉に耳を当てる。音はしない。

 真鍮製のドアノブに手を伸ばすと、それは難なく回った。



 "迷っている暇も無いか"



 覚悟を決めて飛び込んだ。

 床を転がるように走り、手近な障害物――椅子だろうか――に身を隠す。

 部屋の内部は暗い。カーテンが完全に下ろされているからだと気がついた。人の気配は無い。

 かなり暗いので部屋の様子もよく分からなかったが、奥の方でちかちか光る物があった。

 蝋燭や洋灯(ランプ)の揺らぐような暖かさがある光ではなく、少し刺激的な光だ。



 "何だ、あれ?"



 近寄るかどうか迷ったが、放置するのも危険かもしれない。

 姿勢を低く保ちつつ、一也はその光の正体へと近寄る。

 薄闇の中、どうにかそれを判別した時には「うわ......」と小さな声が出た。

 


 ぼうと独特の目に焼き付くような光は、複数の方向から一也を取り囲む。

 その光源に目をやれば、やや白っぽい熱の無い光が平面の画面から漏れている。

 一也は知らないが、これが九留島子爵らが使っていた写映鏡(モニター)である。

 やや画像は粗く色も白黒ではあるが、テレビの画像と呼べるレベルには達している。



 "こいつで屋敷の外を監視していたのか。明治時代にテレビとは驚いたな"



 呪法も併用したのかと思ったが、即座にその考えは捨てた。

 確かテレビの仕組みは、カメラが捉えた映像を電気信号に変換して送り、受信機であるテレビが映し出す――だったと思う。

 その基本概念を理解していなければ、呪法で代用しようとしても無理だろう。



 "確か白黒テレビって昭和の頃じゃなかったか? よく作れるな、こんな代物"



 複数の画面に展開される屋外の映像に驚愕しつつ、一也は部屋を見渡した。

 とりあえず、これは後回しだ。今は九留島子爵の身柄確保が最優先である。

 それにしても、この部屋のどこに消えたのだろうか。

 


 扉の前の血の跡から考えて、この部屋に入ったのは間違いないだろう。偽装工作の時間も心理的な余裕もあったとは思えない。

 一也を邪魔した三体の白木の人形を、そこに加味する。

 逃走を補助する為に、横を通過した時にでも起動させたと推測した。

 その推測に並行して、視線をあちこちへと配る。



 "おかしいな。この部屋には隠れるような場所は無いし......ん? あれは"



 じっと部屋の奥を伺っていた時、一也はふと気になる物を発見した。

 一也の入ってきた部屋の扉からはほぼ対角線となる、部屋の隅っこだ。

 窓からの光が最も届きにくい場所であり、暗闇が一際濃い。

 衣装箪笥らしき家具が手前にあるせいか、と一也は思ったが、どうにも違和感があった。

 妙にその辺りの壁がへこんでいるように見えたのだ。



 "あれ、これさ、扉かな?"



 近づくとはっきりと見えてきた。

 壁の一部を掘るようにして、扉が据え付けてある。

 どこに通じるのかは分からない。だが、黒々とした重そうな扉である。

 普通は屋敷の部屋に取り付けるような物ではない。



 "非常口にある防火扉がこんな感じだったような気がするけど。なんでこんなもんが部屋の中にあるんだ?"



 用心しながら、グローブ越しに扉を触る。

 鉄製らしく、やたらと堅い。ノブは無いらしく、扉に取り付けられた取っ手を見つけるまで少し手間取った。

 何となく嫌な予感がするが、ここまで来たならば開けるしかない。

 力をこめると、扉は軋みながら横へと動いた。引き戸だったようだ。



 "地下へ通じているのか?"



 恐る恐る覗きこむと、扉の向こうには下へと続く階段があった。

 両側は土壁だ。等間隔に松明が設置され、弱々しい炎が闇を照らし出していた。

 幅は約五尺か。狭いということも無い。

 意を決して踏み込む。

 思いの外、靴底が石段に響く。

 カツン、カツンという音と共に、一也は地の底に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。




******




 "三階分くらいは降りたかな"



 最後の段だったと気がついたのは、道が平坦になった為だ。

 ここからは急に道幅が広がっている。石段が終わった辺りから徐々に広がり始め、少し先では三間程もありそうだった。

 相変わらず、九留島子爵の姿はない。だが、一也は歩を進める度に薄気味悪さを覚えていた。



 "寒い......それに何だ、この圧迫感は。地下だから空気が澱んでるってだけじゃないよな"



 多少の湿気は覚悟していたが、それどころではない。

 まるで冷蔵庫の中のような、全身を包む冷気が漂っている。

 そして重い。息が詰まりそうな圧迫感が――どうしようもない程、体を包む。



 何かとんでもない場所に来てしまったのではないかと、畏れにも似た感情にすくみそうになる。



 けれども、頭の中では"ここから逃げてはならない"と理性が諭す。

 妙だ。余りにも妙だ。

 仮にも華族に名を連ねる九留島子爵の屋敷なのだ。その地下に、このような薄気味悪い場所があるのはおかしい。

 どう考えても、この奥に何かがある。



 "九留島朱鷺也の......隠したい何か、あるいは大事な何かだろうか"



 あの重々しい扉の造り、そしてやけに長い階段から続く地下通路である。何も無い方がどうかしているだろう。

 血は止まったのか、九留島子爵の血痕は無い。

 けれども一也は確信していた。

 ここだ。この地下通路の果てに、九留島子爵は逃げ込んだのだと。



 薄気味悪さを振り払いながら、また一歩進んだ。

 心臓の鼓動を意識しつつ、土壁沿いに歩く。肩にかけた魔銃がカチャリと鳴る。

 まるで警報のようだと一也が思いながら、角を曲がった時だった。



 視界が急に開けた。

 高い。天井が高い。

 それまで地面から天井まで七尺くらいだったが、ここは違う。十尺、いや、もっとか。

 ドーム状に丸くなった天井は、途中から土では無くなっている。

 白っぽいような、青っぽいような不思議な色が混ざり、そこから所々地面へと伸びる突起が見えた。



 鍾乳洞で見るあれか、と一也は気がついた。

 石灰岩が土に侵食されて出来るとか何とか、確か地学で習った。

 だが、人間が住む屋敷の地下に普通は無いだろう。

 驚きと疑問を抱いたまま、一也はそのまま視線を奥に移し、そして息を呑んだ。



「九留島......!」



 いた。この奇怪な空間の奥、凡そ二十間程離れた場所に九留島子爵の姿があった。

 壁に設置された松明の火が揺らめく。その度に、彼の黒い影が踊る。

 だが一也の注意は、むしろその背後に向けられる。



「......遅かったではないか、銃士。それともよくここまでたどり着いたと言うべきかな。まあ、早いか遅いかの違いしかないか」



 九留島子爵の言葉が響く。

 耳には届いているものの、意識には届かない。

 あれは何だと言う疑問だけが頭の中を占めていく。



 "死体、いや、それにしては綺麗過ぎる?"



 奥の壁に張り付けになったような、あの手足を広げた物は。あれがこの圧迫感の正体なのか。

 見たくもない、けれど怖いもの見たさなのか。一也の眼が認識する。



 "髪が長い、着物を着たままだ。女か、いや、だがこんな場所で"



 それは白を基調とした着物を着ていた。袖は長く、高級そうな着物に見えた。

 閉じた瞼の横を、長い黒髪が流れている。やけに青白い皮膚を除けば、単に寝ているだけのようにも見えなくは――違う。



「千鶴子、千鶴子、目を覚ましてくれ。私はお前の為に、お前ともう一度会う為に、全てを犠牲にしてきたんだ。ここで終わる訳にはいかないのだ。どうか、力を」



 九留島子爵が必死でそれにすがりついている。半分おかしくなっているのかもしれない。

 一也もまだ状況把握は出来ていないが、少なくともこれだけは分かる。

 鍾乳洞に体を半分融けこませた人間が、生きている訳がないと。

 そこまで思考が至った時、ぴんと来る物があった。



 "死蝋化してるってことか。低温が保たれ、かつ石灰が豊富な条件下ならあり得るって何かで読んだけど"



 状況から考えると、九留島子爵の妻の遺体だろう。会津福島で亡くなったと聞いていたが、どうにかここまで運んできたのか。

 ぞくと一也の背中が震える。

 石灰のぬめりとした光沢が、千鶴子と呼ばれた女を覆っている。

 それに向かって、九留島子爵が半狂乱になって呼び掛けているのだ。



「答えてくれ、私に力を貸してくれええええぇ、千鶴子おおおおぉ!」



 見ていられなかった。

 九留島子爵の洒落た洋装の所々は破れ、黒い煤が付着したままだ。華族らしき気品はもはや伺い知れない。

 老いを滲ませた灰色の髪を振り乱しながら、九留島子爵は死蝋化した女の死体にすがりついている。



「止せよ、九留島さん。そんなことしても無駄だ。あんたの奥さん、かな、とうの昔に亡くなってるんだろ」



 とにかく連行しなければならない。

 一也が数歩近づいた時、思わぬ事態がその場に発生した。

「お、おお! おおっ!」と狂喜じみた声が、九留島子爵の喉から漏れる。

 遺体に触れていた手は、そのままそれを抱き締めた。



「馬鹿な――動く、のか?」



 一也が目を見開く。ゴーグル越しの視界の中で、千鶴子と呼ばれた女の遺体が僅かに蠢いた。

 微かに、ほんとに微かにだが、手足が震えた。

 一也と九留島子爵が見詰める中、それは徐々に始動する。

 石灰で半ば土壁と同化した四肢を、めりめりと引き剥がす。



「ち、千鶴子」



 九留島子爵は恐らく幸福だったのであろう。

 何故なら、誰より愛していた妻の名が、彼の人生で最後に発した言葉であったのだから。




******




 ずぶりと突き刺さる。何が――千鶴子の口、いや、歯が。どこに――九留島子爵の首筋にだ。

 彼の真っ赤な血がスウツの襟元を汚していく。それを千鶴子の舌がすぅ、と舐めた。

 血色の悪い青みを帯びた舌の上、啜ったばかりの血の赤がやけに目立つ。



 九留島朱鷺也の体が、地下通路に転がった。

 代わりに立つのは、今まで死蝋化していた女の死体だ。その眼が開く。

 白濁したままの眼は、毒々しい黄色い光を放っていた。



 ア......アア......アアァアア



 オ、オゥ......オアアアゥウウ



 ぎしぎしと軋むような声が、その喉から漏れる。

 久しぶりに発した声に、自分でも驚いたのだろう。グァともグェともつかない声を発して、それは辺りを見た。

 まず自分の足元に倒れた人間の死体を、そして周囲の地下の様子を。

 そして最後に、自分から離れた位置にいる銃を構えた人間を。



 ウウウゥルル......ジァオ



 獣じみた唸り声を発しながら、千鶴子は標的を定めた。

 生前の記憶は無く、ただ生者の命を刈ることだけを望んで。

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