剣士二人
自分の右上から振り下ろされる長剣を、順四朗の目が捉えた。
考えるより先に体は動く。振り上げた狂桜の刃は銀光を描き、長剣の刃を食い止めた。
重い、そして圧力がある。押し込まれそうになるところを、何とか踏ん張る。
"この程度でみすみす殺られて"
弾き返した。目前に迫っていた清和が、僅かに体勢を崩す。
"たまるかい!"
押し込まれた反動で、順四朗は前に出る。
振り下ろすというよりは、体ごと叩きつけるような剣であった。
自分の体重、前に出る勢いをそのまま武器に乗せた。
「ぬっ!」
清和の反応も速い。
分厚い長剣を縦に構え、順四朗の刀を防ぐ。
恐らく西洋の騎士が使うような剣だ。単純な破壊力で言えば、日本刀より上だろう。
だが、順四朗に臆するところは無い。
「しぃっ!」
順四朗の方が一枚上手であった。
清和の押し返す力を、巧みに力点をずらして反らす。そうして出来た体勢の乱れに乗じて、右から横薙ぎを放つ。
掠めた、フロックコオトの袖が裂けたのは見えた。
"追撃は無理やな"
手傷を負いながらも、相手も怯まない。むしろ反撃に出てきた。
清和の真っ向唐竹割りを、順四朗は単純に退いてかわした。
重い長剣が地面に埋まる。土埃が立ち、小石が弾けた。
「大した破壊力やなあ、身震いする程やわ」
「かわしておいて、よく言いますね」
順四朗の褒め言葉に対し、清和の返答は素っ気ない。
清和が間合いを測りながら構える。自分の右肩のやや上方に両手を引き付け、剣の切っ先を天に向けていた。
いわゆる八相の構えだ。袈裟懸けや逆胴狙いの攻撃的な構えを、軽いとはいえ自分が手傷を負った直後に取るか。
戦意は些かも衰えていないらしい。
"生半可なことじゃ諦めへんか。しゃあない"
長期戦の覚悟も新たに、順四朗は再び正眼に構えた。
無理に切り崩すよりは、清和の攻撃を受ける覚悟だ。
そこからの返し技を入れていけば削れる。一発一発は軽くとも重ねていけば、という読みである。
だがそこで、順四朗は相手の変化に気がついた。
「俺の攻勢を受け止めきれるというのか、奥村順四朗」
ぞわ、と総毛立ちそうな殺気が、清和の目から放たれた。青紫がった目は細く研ぎ澄まされ、順四朗に降り注ぐ。
「ふぅん、何や、こっちが本性かいな。九留島子爵や妹さんの前じゃ隠してたと」
「別段隠してはいないさ。ただ、本気にならなければ」
ざ、と清和が前に出た。
品のいい仮面を脱ぎ捨て、その獰猛な本性を剥き出しにして。
「お前に勝てそうもないというだけだ」
「へえ、高く評価してもろうてどーも」
ただの虚仮脅しかもしれないが、順四朗も油断はしない。
最初から強敵と目していた相手である。今更油断などするはずもない。
"そしたら、こっちから行くで"
軽く左右に切っ先を揺らしつつ、順四朗が仕掛けた。
攻めたがる相手の機先を制し、その意図を崩す。
八相の構えならば、清和の左半身の防御は薄い。ならば、ここは素直に行く。
「はっ!」
静から動へ。いきなり清和の左足へと斬り込む。
振りは小さいながらも、順四朗の剣ならば十分に速い。
ぎりぎりでかわされる、けれども順四朗には二の剣がある。
"左の胴、がら空きやっちゅうねん"
一撃目をかわされるのは想定内だ。故にそれを見越して、順四朗は自分の右へと回りこんでいた。
狙いは清和の左半身である。
普通ならば、ここで相手は守勢に回る。攻撃的な八相の構えが災いし、清和は後手を踏む――いや、これは。
"逆に踏み込むやと!?"
「おおおお!」
不十分な体勢ではある。だが順四朗の回り込みに対処しつつ、清和は反撃してきた。
わざと反応を一拍遅らせ、順四朗の攻撃を誘ってきたのだ。
あえて自分の左半身を餌にして。
順四朗の叩きこんだ胴は清和のフロックコオトを切り裂き、更に手傷を負わせる。
清和の放った袈裟懸けは、順四朗の左肩を僅かに切り裂く。
浅い、致命傷には遠い。
だが肩に走る焼けつくような、ひりつくような痛みは幻などではない。
"こいつ、ほんまにやりおるな!"
返す刀を叩きつけながら、順四朗は唸った。
人間誰しも死ぬのは怖い。相手を攻撃するよりは、自分の身を守る方を優先するものだ。
その本能をねじ伏せて、高城清和は攻撃に出た。大胆不敵、いや豪胆不敵というべきか。
しかし、それ以上考える暇も無かった。
間合いの測り合いと読みを中心とした流れから、一転乱撃戦へと移る。
順四朗も清和も、傷を負ったことで軽い興奮状態になっていた。
無論、理性が吹っ飛ぶ程ではない。
乱撃戦とはいっても、その中で高度な技と力をぶつけ合うことには変わりない。
順四朗が踏み込む。鋭い気合いと共に、強烈な上段からの一撃を。
それが防がれるや、逆袈裟とも逆胴とも取れる一撃を食らわせる。
それを清和が切り返す。長剣を回し、刃で絡める。
押し返すだけではない、そのまま強引に変化させて横薙ぎへ。
攻め手と守り手、守り手と攻め手、攻め手と攻め手、守り手と守り手が矢継ぎ早に交替し、重ねられ、そして激突する。
「らあっ!」
清和の左頬を、順四朗の刀の切っ先が掠めた。飛び散った血に、清和の視界が奪われる。
だが、驚くべきことに彼の動きは止まらない。
「ちぃぃぃ!」
端正な顔を鬼の形相に変え、清和の長剣が唸る。大気をも寸断しそうな袈裟懸けを、順四朗は止めきれない。
勢い余った重い刃は順四朗の二の腕の肉を削ぐ。異物感は灼熱を伴い、鉄くさい赤い液体が散った。
噛み合った刀と剣が互いを喰らわんと軋む。
拮抗する力と力が真正面からぶつかる。
鍔競り合いだ、これだけ近いならば蹴撃で崩す――いや、それも無理だ。踏ん張りを失った瞬間にねじ伏せられる。単純な腕力ならば、清和が一枚上手である。
じりじりと順四朗が押されかける。
キン、と鋭く狂桜が鳴った。
日本刀の緩やかな刃の曲がりを利用して、順四郎がどうにか長剣の圧力をいなしたのだ。
痺れかけた両腕を叱咤しながら、順四朗が真一文字に刀を振るった。
立て直した清和が受け、即座に返す。
「断ち切る!」
「やらせるかい!」
二人の気迫と剣撃が重なり、烈風を生んだ。
******
何故剣の道を志したのかと問われても、はっきりとは覚えてはいないとしか順四朗は答えられない。
奥村順四朗が生まれた頃、世は幕末の只中にあった。
ペリイ率いる黒船が全国を騒がせ、尊皇攘夷の機運が薩長を中心に高まっていた頃である。
"気がついたら、玩具の竹刀振っていたわなあ。別にあの頃は、それが当たり前で"
不意に脳裏を掠めた思い出と共に、清和に斬りかかる。
鬼の形相と化した執事の服は、あちこち切り裂かれている。一つ一つは小さな傷でも、これだけ数が増えれば無視は出来ない。
だが、それは自分も同じか。
体のあちこちが痛む。動く度にじわりと制服に血が滲む。
順四朗が住んでいた大阪は、帝のおわす京都の隣である。その為、他の地域よりは尊皇思想が高まりやすい地域ではあった。
元々、大阪人は気を見るにつけ敏である。
現体制の徳川幕府に弓引くは論外としても、時代の変遷として天皇が政権を握るは仕方ないのではないか――このような考えは、じわじわと浸透しつつあった。
"時代の移り変わりの世代なんかな"
その中で磨き上げてきた。剣術として、古くより練り上げられ伝えられてきた技術を。
三人の兄と共に竹刀を振るい、やがては真剣を手にした。
この刀一つで身を立てていくと、いつから考えるようになったのか。
"お前もそうなんか、高城清和!"
かってない程の激烈極まる剣技の応酬に、順四朗の闘志は否応なく叫ぶ。
時代は変わった、いや、今も変わりつつある。
刀や剣は時代の遺物として、取り残されていくだろう。
秩父に着いてから考えたことを、より強く感じる。
愛刀を振るう度に、手傷を一つ負う度に、血の流れる度により強くだ。
いつもならば、得意の呪法補助式抜刀術"影爪"をもっと繰り出しているところだ。
だが、清和の奇襲を迎撃した初撃以外には、順四朗はそれを封印していた。
使う暇すら無かった訳ではない。
確かに多少の隙は生じる技ではあったが、一、二回ならば使う瞬間はあった。
"何でやろうな"
自問しつつ、またもや切り結ぶ。
何合刃を交えたか。三十合、いや、もう四十合は確実に超えている。
ここまで互いの武器が歯こぼれ一つしないのは、奇跡に近いのかもしれない。
「――何故、使わん」
たまたま間合いが開いた時、清和が問うてきた。汗と血にまみれたフロックコオトを投げ捨てる。
その下の黒い執事服も、何ヵ所も切り裂かれていた。
「何のことやねん」
息を切らしつつ、順四朗が答えた。何度も重い長剣を止めてきた為か、両腕が重かった。
「とぼけるな。何故、得意の抜刀術を使わないのかと聞いている」
「へえ、よう調べとるやん」
怒気をはらませた清和に対し、順四朗は飄々と答える。
この相手が容易ならざる敵というのは十二分に知っていたが、何故か笑いが込み上げてくる。
それが表情に出たのだろう、清和が苛立ちを露にした。
「笑うようなところか。俺が相手では不足だと?」
「いや、逆や。高城清和、あんたは強いわ。己が今まで剣を交えた中でも、最強言うてもええくらいにな」
本心からの称賛であった。
少なくとも真剣での戦いにおいて、ここまで自分が追い込まれた事は無い。
持てる全ての技を惜しみ無く繰り出しても、まだ清和は倒れない。
それどころか、自分から攻め込む程の勢いが残っている。
「文字通り、誉め殺しか。まあいい、俺もこれ以上はお前に付き合う暇は無い。ご主人様と美憂が心配だからな」
「仕舞う前に一つ聞いてええか?」
「――ああ」
風が鳴る。
三峰山の山肌を降りてきた風が、淡い緑の葉を鳴らし、その存在感を声高に叫ぶ。
その風の中、順四朗は清和に問うた。
「自分、剣術好きなんか」
その余りに素朴な問いに、清和は一瞬虚を突かれたような顔になった。口端に小さく滲ませた笑み、だがそれもすぐに消える。
「好きでも嫌いでも無いさ。呪法にはまるで才能が無かったから、俺は愚直に剣を握るしかなかった。ご主人様が与えてくれたこの西洋式の長剣だけが、俺の力だというだけのこと」
「さよか。ほな、遺言代わりに言うとくわ。己はな、これが好きやねん。あんた同様、これしか出来へん言うのもあんねんけど」
カシン、と一つ堅い音が鳴る。
それは順四朗が狂桜を納刀させた音であった。
腰に帯びた鞘に、全ての刃が納まっている。左足を少し引き、右半身に構えた。
「......己な、剣術好きやねん。餓鬼の頃から竹刀振ってな、よう兄ちゃん達とチャンバラやっとったわ。今はもう己しか剣をやっとらへんけどな」
これは独り言のような物だ。清和がこの瞬間に斬りかかってくるならば、別に中断しても構わない――その程度の物だ。
だが、何故か清和は黙って聞いている。順四朗の抜刀術の構えに合わせて長剣を構えてはいるが、そこから動こうとはしない。
「あんたが相手やから、持てる全ての剣術繰り出せたんや。だから、別に悔いは無いわ。ここで最後の切り札出すって宣言したる」
「良いだろう、受けて立つ。お前の呪法補助式抜刀術"影爪"が上か、俺の長剣による抜刀術が上か」
「ええなあ、分かりやすくて」
清和もまた鞘に長剣を納める。
順四朗の脳裏に甦るのは、帝都で彼が見せた抜刀の妙技である。
石畳を割る程の破壊力を見せつけたあの剣技を前に、果たして自分の奥の手が通用するか。
"やるしかないやろ"
しん、と二人の周囲が静まり返った。
比喩や錯覚などではない。卓越した剣士だけが放つ剣気に、音が呑まれたのである。
先程煩かった風も全く聞こえなくなった。
申し合わせたように、二人が動いた。
傷口から血を流しながら、それを感じさせない俊敏さで。清和の剛剣が唸る。
対して、順四朗は狂桜をその鞘から――抜かなかった。
その代わりに、鯉口を握った左手を逆手に振るう。
「何だと!?」
清和が目を剥く。
彼の長剣が激突したのは、日本刀の刀身ではない。刀身とはまた違う鈍い手応えに、びしりと鞘が割れる音。
意表を突かれた。
だが、問題はないのではないか。鞘では絶対的に威力が不足するだろう。
長剣と鞘の普段はない激突だ。その刹那、自分の方が押していると瞬間的に理解した。勝てる。
"所詮は苦し紛れの奇手に――"
だが、順四朗の右手がその時動いた。
"――過ぎな"
その右手は納刀されたままの柄を握り、左手は逆手に持った鞘を懸命に押し込む。
そして次の瞬間、狂桜は鞘から解き放たれた。
清和が順四朗の意図に気がつく、だがその反応は間に合わない。
"まさか!?"
右足を軸に、順四朗の体が沈みこみながら時計回りに回転する。
ぎりぎりまで残した左手の鞘で以て、清和の長剣を反らした。
その時には、順四朗は既に回転を終えていた。
やや下方から迫る銀色の刃が、最高速で清和の右脇腹へと吸い込まれる。
「かっ......」
身の内に広がる衝撃に、清和はたまらず膝を突く。
骨を断ち切った刃は内臓も切り裂いたか。口から鮮血が溢れ、腹部からどしゃりと血の塊が落ちた。
開いた掌から、長剣が重力に引かれて零れる。
「裏抜刀術"鞘打ち"、そこからの連技"影爪廻式"や。己の持てる剣術全部使わせたもろたよ、高城清和」
「ま、さか、そんな手があろうとは、な」
清和は懸命に口を動かした。
爪で土を掻いてでも、何とか立ち上がろうとする。だが、再び傷口から血が溢れる。
立ち上がるどころか、仰向けに転がるしか出来なかった。
「奥の手も奥の手や。鞘を犠牲にするから、もう"影爪"使われへんしな。なあ、最後に何ぞ言い残すことあるか」
順四朗の声が、清和の意識に引っ掛かる。
最後の力を振り絞り、高城清和は口を開いた。この一言だけは伝えねばと、消え行く意識を叱咤する。
「美憂を、妹の、命だけはどうにか」
「分かった、間に合うたらな」
その順四朗の返答に満足したのか、清和は微笑を浮かべた。そして、それきり動かなくなった。青紫がかった瞳は、既に光を失っていた。
「さて、こっちは何とか終わったけれども」
ぽつりと呟いてから、順四朗は手近な木に身を寄せた。
負傷のせいで体が重い。懐から取り出した軟膏で止血を試みるが、どれほど効くかは分からない。
少し休まなくては、歩く体力すら怪しいだろう。
"屋敷まで行くだけやねんけどなあ"
清和の遺言を噛み締める。
その為にも、回復する時間が必要だった。息を整えながら、壊れかけた鞘を撫でる。
最後の"影爪"を放った鞘は、どこか誇らしげに見えた。




