一也 対 火之禍津
高城清和は固まっていた。
彼の前には大きな立方体のような機器がある。そこに映っているのは、屋外に設置している写映機からの映像だ。
今、その映像を前にして、忠実な執事は大きく目を見開いていた。
「馬鹿な、奴は確かに火之禍津の主砲で」
「一体どうしたんですの、兄様......え、え、えええっ!?」
隣に立った美憂もまた常ならぬ表情を見せる。肩までかかった髪を振り乱すようにして、彼女は兄の方へ振り向いた。
「あ、あの銃士、死んだはずではなかったのですかっ。何かの見間違いです、こんなのっ」
「死んださ。我々二人も写映機で確認した通り、間違いなく胸を貫かれて死んだ。だが、何らかの理由で奴は立ち上がっている。その理由を詮索する術は無い」
美憂に話しながら、清和は落ち着きを取り戻した。
死者蘇生の秘術はあらゆる呪法の中でも秘中の秘とされているが、この世に無いわけではない。
呪法士の娘か、あるいは西洋魔術を操る異国の女か。
答えは出ないが、決断は急を要する
「いずれにせよ、手をこまねいているのは悪手だな。美憂、ご主人様に連絡は?」
「取れません。恐らく戦闘に集中するため、札を一時使用停止しているかと」
「そうか......よし、出るぞ」
映像の中では、三嶋一也がゆっくりと立ち上がる姿が確認出来た。
死霊憑きなどではないのは、そのしっかりした表情を見れば明らかだ。
早足で部屋を出ながら、清和は薄手のフロックコオトを纏う。
「嫌な予感がいたしますわね」
兄に一歩後れて、美憂も続く。
こちらは首もとまで覆うメイド服を着ているためか、外套の類いは着ない。
「ご主人様があの機体に乗る限り、滅多な事があるとは思えないが」
「黄泉還りというのも滅多なことではございませんわね」
「ああ、不測の事態と言う物は起こりうる。そして主君の不測の事態に備えるということが」
「良き執事とメイドの必要条件ですわ」
「そういうことだな」
二人は揃って屋敷の外に出た。門を出てからは一本道である。
直に九留島子爵と第三隊の戦場に着くはずだ。心配し過ぎかもしれない、だが最悪の事態が起こってからでは遅い。
「間に合わせる」
清和の独白めいた言葉に、美憂は無言で頷いた。
******
一也の目論み通り、雷光弾は火之禍津に命中した。
弾丸を核とした電撃が、背面を向けていた機体に広がる。人間で言えば、右肩の裏の辺りだ。
当たりどころが良かったのか、火之禍津が動きを止めた。
電気の回路にショートでも生じたのか、いや、ともかくこれは好機である。
「逃げて、ヘレナさん!」
一也は大声を張り上げる。
一町程も離れていたので聞こえるかは賭けだった。
けれど地面に転がされ、今にも踏み潰されかけていたヘレナにも、微かにこの声は届いたらしい。反射的にその場を脱出する。
一也が何故生きているのかという疑問はあるのだろうが、それはそれということだろう。
「三嶋君、か」
ヘレナは大きく間合いを取った。
喜びよりも驚愕が心の内を占めるが、それはともかく目の前の危機を脱しなければならない。
一時間近くもの火之禍津との死闘で、体力も魔力も底を尽きかけている。
順四朗と小夜子が倒れかけた彼女を回収し、何とか木陰に引きずりこんだ。
「あ、あれあれあれあれ、か、かっ、一也さんですよね! 一也さんですよねええっ!?」
「どないなってんか分からんけど、そうやろな。隊長、傷は?」
声を上擦らせる小夜子と比較して、順四朗は落ち着いている。
手頃な木にもたれながら、ヘレナは何とか答えた。
息が荒い。瀕死でこそないものの、もはや戦闘継続は難しいのは明らかだ。
「自覚出来る範囲で言う。左肘が壊され、右の肋が二本。流石に限界だ」
泥と血に汚れた顔を苦痛に歪ませる。
離脱する瞬間、零距離射程で白之大砲を叩き込んだ。
最後の意地であったが、それでもあの機体は倒れない。
九留島子爵の全てを賭けた傑作というだけはある。
「かなり削ったつもりだが......まだ動くようだな」
ヘレナの言う通り、鋼の機体はぶしゅうと白い蒸気を上げた。
動作関係に異常が生じたのは、残念ながら一時的な物だったようだ。
痛撃を加えた相手を探すように、それはぐるりと旋回する。
"まだ......まだ倒れない"
小夜子の背筋に冷たい物が伝う。一也の復活はさておくとして、まだ去っていない危険に対して集中する。
人間の三倍はある背丈、幅も厚みもそれに比例している。
だが、一也の呪法内蔵式の特殊弾が既に三発浴びせられ、ヘレナが散々攻撃を繰り返しているのだ。
いい加減異常をきたしてもいいと思うが、火之禍津はまだ動く。
盾は割れた部分もあるし、装甲各所にひび割れも出来ているのだが、まだ致命傷には至っていない。
"でも、一也さんの特殊弾はまだある"
思わず拳を握りしめた時、小夜子は別の事に気がついた。
先程命中させてから、既に一分以上経過している。
なのに、何故一也は追撃しないのか。いや、もしかして撃たないのではなく。
「......まさか撃てないんですか」
呆然としつつ、小夜子は一也の方を見た。彼が魔銃を構える気配は無い。
小夜子の推測は残念ながら的中していた。
ただ一度、雷光弾を撃ち込んだだけで、一也は魔銃を構えられなくなっていたのだ。
魔銃の銃身が加熱された為では無い。銃撃の反動が来たのは、一也の体の方だった。
"く、くそったれ! 腕に力が入らねえ!"
がくんと力が抜ける。恐らく生き返ってから急に動いた為だろう、妙に手足がだるい。
絶好の追撃の好機にも関わらず、体が言うことを聞かないのだ。
息が苦しいとか、心臓がばくばくするといった症状は無い。
けれどもピンチには違いない。
自然と指がほどけ、魔銃のグリップを手放してしまった。
ガチャンと重い音を立て、現代のライフルに酷似した銃が地面に転がる。
"落ち着けっ、時間さえ、時間さえあれば!"
自らに言い聞かせる。
だがその時間が果たしてあるのか。九留島子爵が先程の攻撃を笑って見逃してくれるのか。
いや、それ以前に一度は殺した敵が生き返っているのだ。
みすみす放っておくような馬鹿な真似はするまい。
力の無い足で後ずさる。ごぅんと鈍い音を立てながら、鋼の機体が近づいてくるのが見えた。
実のところ、九留島子爵はかなり追い込まれていた。
火之禍津の機体損傷率は三割を超え、各箇所に不具合が出てもおかしくない段階である。
痛みを感じない機械だからこそ無理が出来るだけだ。
もし、ヘレナ・アイゼンマイヤーのあの漆黒の大鎌や砲撃を、そう、あと数発もらえば片腕が停止していただろう。
"それでもまだ稼働はするが、予想以上にやりおるわ"
加えて、先程いきなり食らった銃撃には驚いた。
駆動部に直撃していれば、最悪行動不能になっていたかもしれない。
それは免れたものの、盾を持つ右腕に負荷をかけられた。
鋼鉄の装甲で内部への損傷は最小限に抑えてはいるが、無視出来るはずがない。
"いや、それよりも――あの銃士、何故生きている?"
肉眼で捉えた時には、度肝を抜かれた。見間違ったかと思ったが、着ている奇妙な黒い軽鎧は破れている。
やはりあの主砲が直撃したのは間違いない。ならば、生き返ったとでもいうのか。
「ふ、ふふ、長生きしていると不思議なこともあるものよ。よかろう、三嶋一也。この九留島朱鷺也、再びお前を葬りさってくれる」
九留島子爵は不敵な笑みを浮かべ、念の為、ヘレナらの位置だけ確認した。
ヘレナの傷が酷いせいか、一時撤退したようだ。
だが油断はしない。左腕の大口径ガトリングガンを操作して、適当に辺りにばらまく。
当たらずともいい。これから再びあの銃士を殺害するまでの抑止になれば、それで十分である。
「逃げるなよ、黒の銃士よ」
疲弊した顔に凄絶な笑みを浮かべ、九留島子爵は真っ直ぐに火之禍津を進めさせた。
"逃げることは出来ない"
早々に一也は諦めた。
元々、自分にはあれから逃げ切るスピードは無い。おまけに足にまだ力が入らない。必死に逃げても、間違いなく追い付かれる。
いや、追い付かれることさえない。
あの主砲が撃ち込まれれば、それで終わりだ。今度は背中から貫かれることになる。
自殺行為だ。ならば立ち向かうしかないが、それもまた賢明ではないだろう。
打つ手無しか。
銃を握ることも出来ず、このまま二度目の死を待つしかないのか。
究極の危機感は、火之禍津が一歩近づく度に煽られる。
"いや、待て"
直感。そうとしか言いようがない。
先程の雷光弾を撃った時、自分の呪力が以前――正確には生き返る前より増加していたように感じなかったか。
それを上手く使えば、どうにか。
九留島子爵は前進させる為の操作桿を止めた。
約二十五間程の間合い、その間合いを経て黒衣の銃士が立っている。
服はぼろぼろだが、その視線は真っ直ぐにこちらを睨んでいる。
あの厄介な銃は何故か地面に転がっていた。
「三嶋一也、何故君は再び立ち上がったのだ。どのみち私に、いや、この火之禍津に敵うはずがないのにだ。大人しく死んでおけば良かったものを!」
嘲るような調子は無い。むしろ九留島子爵は哀れみすら抱いていた。
「黙ってやられたままは趣味じゃねえんだ。殺れる物なら殺ってみろ、さっき俺を貫いたその自慢の主砲でな!」
一也も怒鳴り返す。
正直分が悪すぎる賭けである。だが、あの鋼の機体がただ単に突っ込んでくるよりは、まだましに思えた。
一応、策は思い付いた。
高まった呪力を練りながら、一也は集中する。
「もとよりそのつもりだとも。わざわざ生き返ってきてまで歯向かう相手だ、火之禍津の最大火力で焼き払う!」
絶対優位を確信しての、九留島子爵の宣告である。
にもかかわらず、これは一也の狙い通りであった。
あの主砲の狙いは正確でしかも強力無比だ。
しかし射線は一直線であり、ガトリングガンのように多数の弾丸がばらまかれる訳ではない。
"そこに僅かに付け入る隙がある"
体内で練り上げた呪力を使い、二種類の呪法を同時発動させた。
九留島朱鷺也は冷静であった。
突っ立つ三嶋一也を一瞥し、火之禍津の主砲を発動させる。
駆動部の動力を直結させて放つ、必殺の熱線だ。
今度こそ跡形も無く消し飛ばす。
「狙撃眼」
対する一也は増大した呪力を上手く操り、両目の動態視力を高められるだけ高める。
火之禍津の主砲が右肩から伸び、こちらへと倒れる。
砲口の奥に、恐らく熱線の核となる赤い光が瞬いていた。それがみるみるうちに輝きを増していく。
"射角は見極めた、だからここからは"
もう一つの手札を切った。呪法"鉄甲"を発動、ただしその効果を発揮させるのは全身では無い。
「さらばだ、銃士!」
九留島子爵が操作桿を倒す。破壊の熱線が解き放たれた。
その瞬間を完璧に見切り、一也は左手を前に出す。
射角、熱線の速度を"狙撃眼"で見極めた上で、熱線にジャストタイミングでぶつけられるように。
一也の左手が極高温の熱線を捉え、そして――掴んだ。
耐え難い程の圧力を受けてはいる。
だが、たかが人間が左手一本で、人智を越えた破壊力を抑えこんでいた。
人体にはありえない硬度を実現した左手は、高濃度の黒色の呪力を纏っている。
「ば、馬鹿なっ!」
「う、うおおおおおぁああっ!」
九留島子爵の驚愕を、一也の絶叫が引き裂いた。
一也が左手を体の外側へと払う。
その動きに合わせて、受け止めていた熱線が逸れた。
近くにあった木が薙ぎ倒され、消し炭と化している。熱風と破壊が荒れ狂うが、一也には全く命中していない。
鋼の機体は立ち竦むのみ。まるで魂を抜かれた木偶と化したようにも見えた。
「"鉄甲"の応用版だ。片手集約式防御――"黒鉄腕"」
時雨の力の恩恵なのか、呪力自体が増加している。その力を以て編み出した防御系呪法である。
間一髪、しかし何とかなった。
最大の危機を切り抜けた今、躊躇う理由はどこにもない。
体は動く。今の攻防が呼び水になったからなのか、あるいは時間が経過したからなのかは分からないが、動くならばそれでいい。
一也が魔銃を拾い、構える。
呆然としていた九留島子爵だが、それにようやく反応した。一也を押し潰すべく、出力を最大まで引き上げようとする。
だが火之禍津はのろのろとしか動かない。ガトリングガンを備えた左腕も、鈍い回転音しか立てない。
駆動部の動力を主砲の攻撃力に回した代償であった。
「く、馬鹿な、そんな馬鹿な事があってたまるかっ! 動け、動け、火之禍津!」
「そういう台詞ってさ」
呪法内蔵式弾丸にありったけの呪力を注ぎ込みつつ、一也は呟いた。
銃身の内側に刻まれた言依仮名が共鳴し、再び電撃の火花が散った。
「――死亡フラグって言うんだぜ。終わりだ、九留島朱鷺也」
引き金を引いた。
撃鉄の落ちる音が、銃士と標的を繋ぐ。
「消し飛べ、雷帝弾」
全てが青白く染め上げられる。
轟音と共に、雷帝の名を冠した弾丸が放たれた。
機体のやや左側へとそれは命中し、天をも突かんばかりの放電現象が炸裂した。
バチチッ、バチ、バチチッと細い電撃の糸が何本も何本も、火之禍津の装甲を蹂躙する。
数瞬の静寂の後、鋼の機体は火を噴き上げた。
まず黒煙、そして小さな爆発音が生じる。
機体の各箇所がめくれ、そして割れていく音が次々に鼓膜を叩く。
最後を締めくくったのは、駆動部内の石炭の暴れ狂うような爆発音と、真紅の火炎の乱舞であった。




