あるサバイバルゲームの一幕
黒く光る強化プラスチックの銃身の重みが手にかかる。右手はグリップを握りしめ、左手はバレルに添えていた。
こうして両手持ちをしないと射撃の際に安定しないということは、サバイバルゲーム部に入部してから教わったことだ。
"まだ見つかってはいないよな"
三嶋一也は雑草の陰に身を潜める。細い木の枝が視界を塞ぐが、それは逆に自分も見られづらいという利点にもなる。
劣勢の今は防御を重点すべきであり、この場を使うのは悪くなかった。少なくとも三嶋一也はそう考えている。
春の光が斜めに射し込み、雑木林の中を浮かび上がらせる。木々の陰が光と絡み、複雑な陰影を形成していた。白と黒に木々の濃い緑が重なる。
サバゲーで着るBDU―バトルドレスユニット―の迷彩色ならばあの中に紛れるだろう。敵を見落とさないよう、注意しなくてはならない。
相手の旗を奪うフラッグ戦である。既に五人中三人が倒された赤チーム――一也がいる方のチームだ――としては、どうしてもフラッグの周囲に張り付くように展開せざるを得なかった。
もう一人の生き残りである中田は一也の左方にいる。それほど距離は離れていないはずだが、ここからでは雑草が邪魔してお互いの姿は見えない。
相手の白チームはまだ四人いる。二倍の人数で力押ししてくることも考えられるが、一也はその可能性はすぐに放棄した。
サバゲーで使う電動アサルトライフルは機種によっては秒間十発以上も撃ち込むことが出来る。複数が並行に攻めてきてもタイミング次第では一掃することは可能。そしてそれは相手も熟知していることだ。
"左は中田に任せるしかないとして......右は俺が何とかするしかないな"
改めてそう考えつつ、ペットボトルの水を一口喉に含む。冷たい水の感触が意識をはっきりさせてくれた。
焦りは禁物、サバゲーに必要なのは忍耐力、冷静さ、そして思いきりだと教わったじゃないか。ガンガン撃ち合うだけが全てじゃない。
その姿勢のまま数分が経過した。ゲームの残り時間から考えるとそろそろ動くか、と一也が思った時だった。
視界―左前方、何かが動いた。木々の隙間から黒っぽい物が見えた。あっ、と思う間も無くそれが素早く手持ちの武器を構える。
この距離だと機種までは分からない。だが大まかなシルエットから、電動アサルトライフルだと一也は判断する。
「中田!」
「おう!」
一也が低く鋭く叫ぶと、左から声がした。姿は見えないままだったが、中田も相手に反応したのは分かった。それで十分だ。
一也の側にはまだ誰も確認していないが、自分が気がついていないだけかもしれない。むしろ陽動の為にわざと左方だけが動いたとも考えられる。
パラララッと軽い音が響く。
相手の放ったBB弾が着弾した音だと気がつくより早く、中田もほぼ同時に攻撃を繰り出していた。セミオートにしているのか、三発ごとに間が空く。残りの弾数を気にしているのだろう。
"加勢したいが無理だ"
一也はそう判断した。出来るなら、相手がまだ本格攻勢に出ない内に一人でも倒しておきたい。だが、もし自分が中田の支援に回ればどうなるか。
手薄なフラッグか、あるいは自分自身に他の三人が攻勢をかけてくるのは明らかだ。みすみす自分から隙を作ってしまうのは悪手と言えた。
中田が動いたようだ。左の藪ががさがさ揺れ、木々の間を通して彼の姿が微かに見えた。アメリカのレキシントン社製の黒っぽいBDU姿が滑らかに走る。
一也としてはこのままフラッグを守るしかない。
中田がやや離れた以上、実質的には一人で守る責任が生じる。
まだ相手には索敵されていないだろうが......フラッグの位置から逆算すれば見つかるのは時間の問題だろう。
「そこぉ!」
「!」
前――否、真正面だ。突如飛び出してきた人影に注意を奪われた。短めの髪をまとめた髪止めを認めた瞬間、一也は瞬時に反応する。
"毛利先輩かよ!"
一つ上、三回生の毛利美咲に違いない。低い体勢から滑り込むように距離を詰め、彼女がトイガンを構える。やや短めの銃身がこちらを向いた。
愛用のサブマシンガンかと気がついた時には、体が右に飛んでいた。
バララララッと甲高い着弾音が自分の後方で弾ける。命中率は高くないものの、装弾数の多さを誇るサブマシンガンだ。適当にばらまいてもどうにかなるというメリットは大きい。
だが一也はこれを大木の陰に逃げて避ける。あれだけ派手に声を挙げてきたのだ、その後の攻撃を予想するのは難しくない。
――だが。こちらに逃げるのを予期していたとしたら。
――そもそも俺をあぶり出すことが毛利先輩の役目なら。
疑念混じりの推測が頭をよぎる。
今の移動で自分の位置が完全にばれた、と一也は覚悟した。となるとここからは正面きっての撃ち合いしかない。
"結局こうなる!"
愛用の電動アサルトライフルを構えた。
M4カービンと呼ばれる最もポピュラーなこのトイガンが一也の主力武器だ。
弾丸全てを撃ち尽くすつもりで、モードをセミオートからフルオートに切り替える。
右手、グリップ。左手、バレルに添えて。
目はフロントサイトとバックサイト両方を一直線上に捉えられるように。そこが弾丸の行く末となる。狙わなくては当たらない。
片膝を着いたシングルニーの姿勢から構え、狙いをつけるまで僅か四秒に過ぎない。何度も練習した動きは一也を裏切らなかった。
無言のままトリガーを引く。
ダダダダダッと軽快さと重厚さを兼ね添えた音が響き、銃を持つ両手に軽い反動がきた。
だがぶれない。射線は一定に保ち、不用意に出てきた毛利美咲を見事に捉える。
「いたたたっ! ヒット、ヒット!」
「っし、まずは一人! って休む暇ないし!」
そう、中田に一人しか行ってない以上、一也は三人相手にしなくてはならない。
幸いなことに相手の一人の位置は把握出来ていた。かなり右側、二時半の方向にロングライフルを構えた男の姿がある。まだ線が細い。ふらふらと頼りない射撃姿勢を一瞥した。
「甘いよ、土井」
まだ一回生の彼にひけをとる訳にはいかない。ゴーグル越しに標的を見据え、一也は冷静に場所を移動する。
木から木へ、藪を利用してなるべく見えづらく。そして相手を捕捉できる位置へと。
パン、パァンと甲高い音が聞こえてきた。
土井の銃撃だ。だが一也を捕らえるには無理があった。大体の位置は捕捉しているのだろうが、まだ狙ったところへ着弾させるスキルが低い。撃つことにだけ意識が行っている。
無言で引いたトリガーの先で土井が呻いた。「参りました、三嶋先輩」という声が聞こえてきたが、一也がヒット数増加の喜びに浸る暇は無かった。
「ホールドアップだ、三嶋」
いつの間にと歯噛みする暇さえない。
後頭部に固い感触がある。
一也は振り向くことも出来ず、素直にM4カービンから手を放した。銃を突き付けた声の主が満足そうに低く笑う。
「よし、降参と。中田もやられたから、俺達白チームの勝ちな」
「降参っす、中西先輩」
やっぱり無理かと思いつつ、一也は手を上げたままゆっくり振り返った。
正面にいるのは、小振りのハンドガンをホルスターに収納する小柄な男だ。見た目は身長170センチもない優男に過ぎない。
だが、彼こそが一也が所属する立候大学サバイバルゲーム部の部長である。
重火力は好まず、素早い動きと相手に悟られないよう隠密の如く気配を殺すハンドガンの名手......中西廉。
「目の前の相手に気を取られ過ぎだ。もっと周囲に気を配れ」
「はい、すいません」
中西の指摘に一也は素直に頭を下げた。目下、このサバゲー部で一也が一目置く唯一の存在。それがこの中西だった。
******
「いやー、やっぱり廉さん強いわ。さっきも廉さんだけで三人やられたもんなあ」
「作戦が上手くいっただけだよ。いつもこういくとは限らない」
中田――フルネーム中田正の呆れたような、嘆きのような声に中西がクールに答える。大柄な体つきでBDUを着ると本当に傭兵のように見える中田と、小柄な体躯ながら腕組みしたまま木にもたれる中西。
見た目だけならまず間違いなく中田の方が怖いが、見た目が実力に直結するとは限らないのがサバゲーの面白いところだ。
".....いい線までは行くんだが"
ゲームが終わり皆が談笑する中、一也は一人黙然としていた。他の部員とは目を合わせず、M4カービンの手入れに集中している。否、集中している振りをしていた。
六月の半ば、梅雨の合間を縫っての久々の野外フィールドを使ってのゲームである。
楽しくないわけではない。
むしろかなり真剣にサバゲーに打ち込む一也のようなヘビープレイヤーにとっては、心が燃え上がったのは確かであった。
右手に微かに残る銃撃の反動の余韻はその名残だ。
だが同時に悔しくもあった。理由は明白、やればやるほど中西に敵わないことを思いきり知らされるからである。
東京北部にキャンパスを構える立候大学サバゲー部の部長にしてエース、そして大学サバゲー界では名の知れた全国区。それが中西廉という男だ。
いくら一也が第二エースとして頭角を表しているからといって、そうおいそれと追い付ける相手ではない。
埋まらない差について考えながら、一也はバレルを点検する。
いくらプラスチック製のBB弾が軽いとはいえ何発も撃てばトイガンに影響はある。特に弾丸が加速し放たれる、いわば発射台の役目を果すバレルは最も影響を受けやすい。
ゲームの後は真っ先にそこを点検するのは一也の癖だった。
「三嶋君、はいこれ」
「ん......ああ、ありがとう」
不意にかかった声に顔を上げる。差し出されたサイダーのペットボトルを受け取り、小さな親切の主に礼を言った。
一也の視界で、ほんの少し茶色がった髪がBDU姿の肩口で揺れている。一瞬だけ目が合い、すぐに一也は視線を逸らした。
同じ二回生の寺川亜紀だ。何かと皆の世話を焼いてくれる気立てのいい子である。
「覚えてるんだ?」
「何が?」
そう答えながら、寺川はすとんと一也の隣に腰を下ろした。自分の視界を掠めた寺川の髪に女性を感じつつ、一也は口を開く。
「俺がサイダー好きだってこと」
「うん。だっていつもそればっかりじゃない。嫌でも覚えるよ」
「そんなに飲んでるかな......」
ストック――肩に当て安定させる部分だ――を触りながら、一也は苦笑した。
なるほど、確かに自分はサイダーが好きだが、それほど親しい訳でもない寺川でも分かるくらい飲んでいるとは意外だった。お茶などもそれなりに飲んでいるつもりだったので、それとなく反論してみると――
「――ううん、私が見てる限りサイダーしか飲んでない。もうね、糖尿病になるリスクを考慮すべき頻度で」
「それはそれは」
自分では気がつかないものだ、と思い知らされただけだった。
もっとも、好感を抱く相手に自分の好みの飲料を知られるのは悪いものでは無かったが。
一也は周囲をざっと見回した。総勢十人のサバゲー部の部員は各々好きに固まって談笑している。少し寺川と話す時間くらいはありそうだった。
「なあ、俺と中西先輩の差って何かな」
「顔? 頭?」
「そうだね、スペックが違うよね......って酷いな! いや、そこも確かに差あるけど!」
何気に刺さる寺川の返答に、一也は突っ込む。分かってるわよと寺川はヒラヒラと手を振った。
「サバゲーのスキルの話でしょ。ん、私はそこまでのめり込んでないから、正確に把握してるか分からないけどさ」
「教えてくれるか」
一也の問いに寺川亜紀は頷いた。
「中西先輩の方が視野が広いかな。三嶋君も私から見たら凄く的確に状況把握してるんだけど、あの人は別格かな。あと、早撃ち上手いよね。冷静に、だけどそれを保つ中で最高速度で撃っている」
的確な指摘だな、と一也は思う。そう、単純な射撃の正確性や体力なら一也も中西にひけをとるわけではない。勝てるとは言わないが、そこまで差があるわけではない。
だが今日のようなゲーム形式になると、中西と自分の間には差があると嫌でも認めざるを得なかった。
「場数の差なのかな」
「そうかもね。ね、私さ、前から聞きたかったんだけど」
寺川がこちらを向いた。会話の方向性が変わる予感を抱きつつ、一也は一口サイダーを飲む。
「何か」
「三嶋君、凄く真剣にサバゲーに取り組んでるけど......何か理由でもあるの? 部活だから真剣にやるのはいいことなんだけど」
そこでちょっと言葉を切り、寺川は視線を落とした。一也のM4カービンを眺めているようだった。
「時々、真剣過ぎて恐くなる時あるよ」
一也は口をつぐむ。
自分が真剣にサバゲーをやる理由か。もしも全部言うのであれば色々あるが。
それらをだらだらと説明することを、一也は選ばなかった。
「俺、これくらいしか才能ないからさ。だから打ち込んでいるんだ」
だから言えたのは一番濃く、一番自嘲的な理由だけだった。
微かに一也の口調に苦い物が混じる。寺川が気がついたかどうかは分からない。
身長174センチ、体型はやや痩せ形、顔も頭も十人並み――これが三嶋一也のスペックだ。
一芸特化の特技らしき物でもあれば、まだ目を見張ってもらえるが残念ながらそれも無い。
唯一他人に勝るのは、趣味にしているサバゲーの腕前だけだ。
だからこれにのめり込んでいるんだよ。トリガーを引く時だけは嫌なことを忘れられるから。
寺川亜紀の横顔をそっと見る。綺麗な整った鼻筋、パッチリとした目が印象的だ。
それを見ていると、"可愛いな"と思いそれと同時に"こんな子と付き合うのは俺には無理だな"とも思う。
三嶋一也、十九歳。立候大学法学部所属の二回生はそんな平凡な男であった。