8.「もうバレてる、なの」
あのバーに随分長居をしていたらしく、空気の篭った部屋から外に出るとすっかり陽が落ちていた。
「また甘いもの食べましょうね、サキちゃん」
「なの」
俺の後ろでは不良勇者とその仲間が稼ぎの山分けに興じている。元手に幾ら使ったか知らないが、アイスクリームなら気絶するくらい食べてもまだまだ余りそうだ。
「そろそろ飯にしないか?」
時刻は夕食の時間に差し掛かっている。辺りの食事処からは競い合うように魅惑的な匂いが撒き散らされていて、肉や魚が焼ける良い匂いや音はどれも旨そうだ。どこの店に入るか迷ったが、結局はサキお気に入りの店に突撃する事になった。
「ここの店は色々な食べ物が揃ってる、なの」
案内されたのは明々とした松明が外観を照らす華やかな雰囲気の店だった。流石に地元住民は良い店を知っているらしく既に結構な数の客が並んでいる。数分ほど待たされた俺達は店員の案内で奥のテーブル席へと案内された。
「美味いな」
「おいしいですっ」
「口に合って良かった、なの」
俺は米と色々な具材を豪快に炒めた鉄鍋料理を頼んでみたのだが、食べてみると色んな味が混ざって面白い。明日もここに来ようかな。
……ああ、忘れてた。そういえば明日の予定について話し合うんだっけ。
「明日王様に会う予定だったよな」
「そうなの。明日は謁見の日、なの」
こくりと頷いたサキは"サシミ"という生魚を美味そうに食べている。余計な心配だろうけど腹を壊さないのだろうか。
「でもそう簡単に会えるのかな。謁見は飛び入りの申請が通りにくいですし」
幸せそうにパスタを口に運んでいたリアが額にソースをつけながら割り込んできた。見た目はふざけているが言っていることは正しい。珍しく。
「最近は誰も会いたがらないから、すぐ会えそうなの」
どうやら相当人気が無いらしい。
それも当然かもしれない。さっきのバーのマスターにもちょこっと話を聞かせてもらっていたのだが、兵隊にずいぶん甘く好き勝手を許しているらしい。実際乱暴な兵士による厄介事があのバーでもよく有るそうだ。反面国民には厳しいらしく、突然税を重くして全て軍備に回すなんて暴挙も有ったらしい。
「やっぱり大分嫌われているみたいだな」
「みんなジャイノスのせい、なの」
黒幕、ねえ。そいつには会えるのか?
「あいつ王に四六時中くっついているの。金魚のフン、なの」
顔でも思い出したのかサキの箸運びが乱暴になっている。主を脅かす敵だからか、ジャイノスってヤツが相当嫌いなようだ。
「まあ落ち着け。ところでその謁見にお前が出席しても大丈夫なのか?」
ほら、お前じいさんの側近だし顔割れてるだろう。城に入った途端襲われそうじゃん俺達まで、と主に自分を心配して言ってみる。
「そうなると、俺達だけで行ってくるってのが妥当だよな。気が乗らないけど」
「その心配は無いの」
なんで? と首を傾げる俺が食べていたチャーハンに変な影が映った。何この丸い影。
「もうバレてる、なの」
「よぉう。ガキ共」
「あ」
俺の後ろでスキンヘッドが笑っていた。もうあれっきりの人だと思ったのに結構しつこい。さっきポーカーでコテンパンにされたのにまだ懲りないみたいだ、というか相当怒っている模様。
「これはひょっとしなくても面倒事になるのでは」
「いまさら、なの」
「すみませ~ん、食後のデザートお願いしますっ」
一人だけ無関係ぶっているヤツがいるぞ、こら。
* * *
結論から言うと、サキがあいつを蹴散らした。
大体相手も悪い。チビだのガキだのさんざん叫びまわった挙句こっちに問答無用で殴りかかってきたのだ。かなり酔っ払っていたが、そんな事は沙汰に手心を加える理由には少しもならなかったようだ。スイッチは、じいさんを侮辱するような言葉を大声で叫んだ事だろう。
『もういちど言ってみろ、なの』
凶悪な視線が男を射抜き店内が音を無くした。それでも意地だけでサキに突っかかったのは賞賛に値するかもしれない。俺なら逃げる。
連中自慢の鎧もサキの刀の前には紙同然だった。しつこく絡む男に何気なく振り下ろされた一閃は、あろうことか鎧だけを両断して見せたのだ。いや、殺っちゃったと思ったのは俺だけではない筈だ。何度思い出しても男が二つに分かれていないのが不思議だった。
何より恐怖したのは体験した本人だろう。真っ青だった顔を憤怒の形相に変えて
『貴様ら絶対に覚えてろよ!』
という教科書どおりの捨て台詞と共に退散したあいつは、また登場する気だろうか。出来るだけ面倒なことにはしたくないんだけど……あまり深く悩んでも仕方がないか。
「ごちそうさまです。美味しかったですっ」
手を合わせて行儀よく食後の挨拶をするコレは、ちっとも気にしていないようだし。
* * *
ほぼ同時刻。ここはハイグレイ王城、王の間。
「ふん」
おもしろくないという心境を全身で表すように、少年がただっ広い王の間でふんぞり返っていた。この国では誰よりも上に立つ人物である彼は、小さな頭に大きすぎる王冠を載せて大層ご立腹の様子だった。
またラインハルト卿の始末に失敗したのだ。
宣戦布告の書を寄越された時、王はこれを自分に対する挑戦だと受け取った。指揮を一手に引き受け、自分の優秀さを知らしめる良い機会だとこの一月の間追っ手を差し向け続けた。
しかし一向に成果が得られない。今日も役に立たない兵士長から言い訳ばかりの報告を聞かされるのだろう。
「も、申し訳ありませんっ!」
ごちん、と王剣の鞘で叩かれた男が鼻を押さえてうずくまる。最近王は会話開始後の数言で結果が判るようになってきているらしい。
もうすぐ聞く前に結果が解かるようになるかもしれない。
「こんの役立たず! ばか! お前なんてどっかいっちゃえっ!」
「しっ、失礼します!」
兵士長に格上げされたばかりだったこの男は、今回の失敗で雑用まで一気に降格することが決定している。背後から同情の視線を送っていた文官を押しのけるようにして転がり出て行った。
「どいつもこいつも、ボクの作戦をちっとも成功させない!」
誰も声を掛けられない程怒りを顕にするその様はただの駄々っ子にしか見えない。下手に機嫌を損ねれば待つのは暗い未来しかなく、家臣達は一様にこの王を恐れていた。ただ一人の男を除いて。
「ゲッゲッ、お静まりください、グレイス王」
両生類が声を持てばこんな感じになるのだろうか。まるで蛙がゲコゲコ鳴いているような人間離れした音が、王を振り向かせた。
「ジャイノスか。うん、少し取り乱してしまったな」
誰も手に負えない王を一言で鎮めてみせた男の名はジャイノス。現在の王の右腕を勤めており、執政全ての事実上の支配者だ。彼のことを、周囲の人間は揶揄と畏怖の念を込めて"ドールマスター"と呼ぶ。
というのも、何故か王はこの男に対してだけ耳を傾けるからだ。
他の者は首を捻るしかない。ガラスを金属片で引っかく音くらいに酷い声が王には心地よく聞こえるらしいのだが、周りの家臣達には全く理解出来ない。
そんな声を笑顔で受け止めた幼い王は、ジャイノスに先を促した。
「ゲ。実は王が懸念されている問題について報告がありました。ラインハルトを守護しているサキが、現在この王国内に潜入しているらしい、と」
「それは本当か!」
サキの名に王が色めき立ち、周りの人間も互いに顔を合わせる。
彼女を知らぬ者はこの場に居ない。かつての王の右腕ラインハルトの下に舞い降りた、"紅き守護天使"と称えられる少女剣士だ。失脚したラインハルトに今なお忠誠を誓う彼女は、彼を守る最大の壁として立ち塞がっている。煮え湯を飲まされた回数はもう小さな両手でも追いつかないほどだった。
「それで、サキは今何処に?」
興奮気味にまくし立てる王を片手で制す。腰を下ろすのを待って、ジャイノスは玉座の間全体に響くように迷惑な声を張り上げた。
「ゲッゲッ、申し訳ございません。それは現在調査中でして、具体的な場所は申し上げられません。が、この状況を見逃す手はありません。守護の居ない今こそ絶好のタイミングと存じます。ここで一気にラインハルトに引導を渡すことを、強く進言いたします」
王側近の一人が隣と目配せした。相手も困惑の顔だった。
ここに居る誰もがラインハルトという男の重要さを知っている。彼を殺してしまう事は、国の首を絞めることになりかねない。
不幸な事故で両親を亡くして半年余り。落ち込む幼き王に対し厳しくも真摯に仕えてきたラインハルト卿が反逆者として追放された時は、誰もが驚いた。王にどんな心変わりがあったのか、誰もその真相を知らない。ラインハルトの後釜となったジャイノスが怪しいと呟く者も居る。
だが誰も何も言わない。言えないのだ。ジャイノスの発言中に口を挟む事は、暗黙のうちにタブーになっていた。禁を破った数人が既に処刑されている今、とても迂闊なことは言えない。
皆が同じ事を考えていたのだろう、誰も声を発しない。
「そうか、わかった」
本当に内容を理解しているのかと疑いたくなる程王はあっさりと了解する。満足そうに礼をしたジャイノスは「ゲッゲッ」と低く笑った。
夜の闇が深くなってゆく。耳障りな哄笑だけが、我が物顔で飛び回っていた。