6.「知らない人です」
空気すら振動しない。不自然な程に静かすぎる一筋が俺のすぐ傍を通り抜けて、焦げた木の枝を音も無く両断した。
ジャリッ、と乱入者の脚が立てた音が妙に響いて聞こえた。尾のように結んで流している長い髪の色は混じりの無い紅。俺の胸程の高さからから睨んでくる瞳も透き通るような赤色だった。リアよりも僅かに小柄な外見をした女の白い手が持つ得物は、剣の類だがリアのものとは形が違う。確かあれは"カタナ"とかいう武器――
「っ!」
語る言葉も持たずにそれが揺らめく。空気を切り裂く音すらしない一撃を咄嗟に腕で防ごうとした。
「げ――」
魔力で硬化してある筈の服が紙のように散る。紙一重で回避できた腕が自分にくっついていることを確認して、不覚にも流れた冷や汗を拭った。
マズい、アレに触れたらただじゃ済まないだろう。斬ることに関してはエク公以上だ。何なんだこいつは……ひょっとして放火魔のボスはあのスキンヘッドじゃなくこいつなのか。
動きの鋭さはリア(エク公のみ)とほぼ同等。だが触れたら腕が落ちかねないモノを腕で受け止める訳にもいかない。木の棒を魔力で目いっぱい硬化したら、何とか受け止められる……か?
「あぶねっ」
胴を狙う一撃を避けた俺は、地面に転がっている手頃な枝を掴んでありったけの魔力を込めて強化した。棒切れを振り回すなんて滅多にしないので自信ないけど、素手よりはマシだ。
ぽろっ。
え。
赤髪に向けて構えた棒切れが、真ん中から切断されてぽろりと落ちた。
「…………無理だ。」
限界まで強化してこの有様かよ。
棒を投げ捨てて次の手を考えるしかない。
迂闊に背を見せて撤退するのはダメだと思う。目を離した僅かな隙に目の前まで間合いを詰めてくるような相手だ。背後からバッサリやられる可能性が非常に高い。
だったら立ち向かうしかないんだけど、相手に触れられない以上魔法を使うしかない。しかし魔法を使うとなるとどうしても無防備な一瞬が出来てしまう。そんな隙を見逃してくれる程甘い相手には見えないのだ。何か使えそうな物も落ちていないし。
どーしよう。
気付けばさっきまで居たはずの連中が消えている。何処に行ったか知らないが俺も一緒に連れて行って欲しかった。
「勘弁してくれよ……」
俺はただの不幸な迷子ちゃんですってば。
生まれた沈黙の時を狙い主張する俺の言葉にも、目の前の赤髪は耳を持たないかのように返事をくれなかった。
頭、足、胴、肩、腕。凶悪な刃が振るわれる度に冷たい汗が流れる。どうしようもなく心臓に悪い時間を過ごしている俺は、そんな中で一つの光明を見た……気がした。相手は頭を狙ってカタナを振り下ろした後、決まって足を狙ってくるのだ。
これが相手の無意識的な行動ならば、それを見越して攻撃を叩き込む事ができる。
ただ万が一、それが相手の意識的な行動だったとしたら、非常にマズイ結果になりそうだ。俺がこのクセを見抜いて反撃に出る瞬間を、相手が待ち構えているのだとしたら。
「……………………。」
あまりウダウダ考えている時間は無かった。このまま相手が諦めるまで避け続けるなんて選択はむしろ危険だと思う。俺が避けるごとに動きに慣れてきたのか、相手の動きはむしろ鋭さを増している。
やるしかないよな。
胸を狙う突きを避けた先へ追尾するように、肩、腕、脚へとカタナが伸びてくる。ぐっと力を込めるように踏み込んだ相手が上段に構えを取った。来る。
頭を狙い振り下ろされたカタナを、まずは右へ回り込むように避ける。
相手はそのまま俺の脚を狙うように動くはず。それを避けて一気に反撃する為に、カタナを飛び越えるようにジャンプして一気に間合いを詰める。
何かを考える時間も惜しい。無防備に伸びきった相手の腕に狙いを定め、俺の右手に用意した雷撃を叩き付けた。
「ッ――」
相手の驚いたような息遣いが聞こえた。いける。目論見が成功したことを確信した俺は、予想外の動きをした相手にまた驚かされた。
体に雷撃が届く前に、赤髪は飛び込んだ俺の下をくぐるように体を投げ出したのだ。行き場を見失った雷撃が地面に吸い込まれて消滅する。慌てて振り返った俺から離れるように、赤髪は猫のような身のこなしで大きく距離を取った。まるで俺がこんな風に反撃することを予め知っていたような、鮮やかな反応だった。
「……これでもダメか。ったく、面倒な相手だ」
* * *
そして俺は、また胃が痛くなるような睨み合いへと戻されてしまう。
しかしさっきまでとは少し状況が違った。相手との間合いが10m近く開いているのだ。さっきまでとは違う、剣士に不利な位置関係だ。
この位置なら接近される前に魔法が使える。もう遠慮なんかしてやらない。小さな女だと思って油断していたらごらんの有様だ。
―――――あれ?
ふと気付くと、赤髪が構えを変えていた。
「……何だこのイヤな感じは。」
殺気が膨らむのが嫌でも解かった。エク公の時とは違う純粋な敵意が俺に突き刺さる。相手が武器を納めたというのに殺気が膨らむ一方の構えからは、悪い予感しかしない。
昔どこかで聞いたことがある。抜刀術と名付けられた剣技は防ぐことの叶わない一撃必殺。相手の間合いに踏み込んだら最後、俺の体は2つになっちまうだろう。
しかしこの距離ならば魔法が使えるし、相手の武器は絶対に届かない。射程比べではこっちが圧倒的に有利なんだから、迂闊に前に出なければ大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。
「……。」
それなのに、俺は少しも安心できないでいた。まるで相手の射程距離内に突っ立っているような、皮膚がピリピリするような感覚が消えないのだ。
「。」
赤髪が、短く何かを呟いた気がした。カタナを納めていたヤツの脚が焦土に線を引く。鞘から引き抜かれる刀身が見えない。速過ぎて扇形としか認識できない赤銀が俺の遥か手前で空を切り、
冷たい何かが俺の右の頬に触れた。
「――――」
頭に沸き起こる疑問を全てキャンセルした。退け、と考えていたらその時はもう駄目だっただろう。情けなく仰け反りながらも、俺はまだ生きていた。恐る恐る頬に触れても、手に血は付かなかった。
心の中で舌を打つ。
とんでもないヤツだ。1000年後の世界ってのはこんなのがゴロゴロしてるのか?
何故届いた。錯覚じゃない、間違いなくあれは命を刈り取る一閃だった。ぐるぐる巡る思考と共に改めて無言の襲撃者を見る。そいつは仕留め損なった事にか忌々しげに眉を顰めて、
「ちっ、なの」
変な語尾をつけた。
なの?
ふと殺気が消えたかと思ったら、そいつは刀を肩に乗せて笑った。笑いやがった。
「ジャイノスの手下にこんな骨の有る輩が居るとは思えないなの。あんた、なに? なの」
今絶対に無理やり語尾付けただろ。
「……道に迷った旅人ってやつ?」
言ってから大笑いした連中を思い出す。しまった、もう少し本当っぽく聞こえる言い訳を探しとくんだった。こんなの誰も信じないよな……と後悔したのだが。
「それは大変だった、なの」
……どうも俺の周りにはちょくちょく稀少(変)なのが出現するらしい。ま、話が早くて助かった。
「俺達は此処から出たいだけなんだ。何とかしてくれないか」
「主様に頼まないと駄目なの。これから会いに行く、なの」
* * *
「問答無用で切りかかられた時はどうなるかと思った」
「過ぎたことをクヨクヨしてもしょうがない、なの」
お前が言うとすごく腹立たしいんですけど。
口の先まで出掛かった文句を飲み込んで、目の前の赤髪に続いて森を進む。自信にあふれたその足取りは安心して先頭を任せられた。行く手に邪魔な枝を音もなく切り落として一言。
「あんたさっきの攻撃よく避けた、なの」
「あまり良く覚えていないんだけどな」
ふつうはその前に意識が切れてるの、などと物騒なことを言う。
「サキはあんたのこと気に入った、なの」
「そりゃどうも」
こいつサキって言うのか、聞く手間が省けた。まあ褒められたら悪い気はしないので適当に相槌を打つ。サキは上機嫌らしく、ふんふんと鼻歌なんぞ歌っていた。
「なあ、どうして俺に襲い掛かったりしたんだ?」
「主様を狙う不届き者の手下だと思った、なの」
聞けば今までにも襲撃されたことがあるらしい。相手はずいぶんとしつこいヤツらしく、もう何度目の事かは覚えていない、とつまらなそうに教えてくれた。
「お前、その間ずっと戦ってきたのか」
「当然なの。主様を守ることが私の生きる意味、なの」
生きる意味、ねえ。良く解らないけど、コイツがいれば何回襲撃されたところで負けないだろう。小さい体を精一杯反らしてふんぞり返るその姿はやっぱり小さい。リア以下かもしれない。良かったな、お前よかちっこいのが………………。
!?
「? そんなに汗水垂らしまくってどうした、なの」
忘れてた。かんっぜんに頭から抜け落ちてた。あの馬鹿は何処へ。
いない。どこを見渡してもあの方向音痴の姿が見つからない。
「なあ、さっき会った場所に、お前よりすこし大きいくらいの女の子居ただろ?」
あんなのでも放置すると後味が悪い。リアのやつ間違いなく森の中で迷っているだろう。サキと会うまでは確かに居たんだけど。
「私を見てすぐ逃げたアレならの森の中に行っちゃた、なの。知り合いなの?」
「知らない人です」
見捨てよう。暫く反省でもしていろ。
* * *
案内されて辿り着いたレンガ造りの館は、思った以上に立派なものだった。木々に紛れる為か1階のみの造りかと思ったら、どうやら地下に伸びているらしい。それを考えると少なくとも数十人は暮らせるほどの部屋数がありそうだ。扉を抜けると目に入った内装は、派手ではないが落ち着いた色合いでデザインされていて、居心地の良さそうな雰囲気だった。ここで休めるのなら悪くない。
「あー、何だかとんでもなく疲れた。」
ここで一通りくつろいでゆっくり休んでから、今頃泣いて反省しているリアを回収してやろう――と思っていたのだが。
「もう、遅かったですねレオンさん」
案内されたティールームに、茶菓子を幸せそうに頬張る未知の生物がいた。何故だ。何故貴様がここに居る!?
『ふん、随分と苦戦したようだな』
隣には同じように茶を啜るエク公が居た。ホントにお茶飲んでやがる。リアの茶飲み友達だという告白は嘘じゃなかったようだ。大ピンチだった俺が捨て置かれたのはひょっとしなくてもお前の差し金か。
「ほっほ、ようこそ。お仲間の方も到着したみたいじゃな」
エク公に文句の一つや二つを叩きつけていると、笑みの形に皺を刻んだ男がやってきた。
一目で直感する。きっとこの男がラインハルトだ。
「主様、ただいまなの」
俺を席に案内したサキが男の傍へ向かう。
短く何かを報告したサキは頭をぽんぽんと撫でられて、嬉しそうに目を細めていた。その様子はとても俺を怖い目に遭わせた人物とは思えない。まるで飼い主に甘える子犬みたいだ。外見はどちらかと言えばネコっぽいんだけど。
「サキも座りなさい。……さて、改めて自己紹介をさせてもらおうかの」
予想通りの名を告げた男に続いて、俺達も簡単に名乗る。
一通り挨拶が済んだところで、どうしてリアがこんな所に居たのかを聞いてみた。
「気絶した私達の部下をここまで運んでくださったんじゃよ。」
リアは俺と離れてそんな事をしていたらしい。近衛兵を気絶させたのは俺達なのだがそこは黙っておこう。リアに対し「ありがとう」と人懐っこい笑みを浮かべる男の見た目は初老に入ったくらいだが、その雰囲気には同年代と話す気安さがあった。
隣に視線を向ける。静かに茶を啜るサキは"ヨーカン"という甘菓子を幸せそうにつついていた。女の子って皆甘いものに目が無いんだろうか。糸の先に括りつけたら釣れるかもしれん。
「それにしても、あやつらまさか森を燃やしにかかって来るとは。ちとゆっくり構えすぎたようじゃはっはっは」
かんらかんらという表現がとても似合う笑い声とその表情からは、追われている者の恐怖が全く読み取れなかった。リアが綺麗にした皿の上にフォークをそっと置く。紅茶の香りを楽しむようにゆっくりと一口。
「おじ……ラインハルト卿はもう随分とここに居らっしゃるのですか」
「ふふ、無理にそう呼ばなくとも良い。おじいさんなり、好きに呼んでくれて結構じゃ」
顔を赤くしたリアが恐縮するのを見て何故かこっちまで恥ずかしくなる。それにしてもずいぶん出来た人のようだ。
「この森に来てから今日でもう一月近くになるかの。あんな国でもワシの愛する国でな。簡単には見捨てられんのじゃよ」
「どうしてこんな事をなさっているのですか? ラインハルトといえばこの辺りでは知らぬ者は居ない程の名士であり、代々王に仕えていると聞いていますが……」
「一言で言えば退屈しのぎの相手かの」
意味をうまく読み取れない。リアも同様らしく困惑の顔で一口紅茶を含んだ。いつしか空になった俺のカップを見てじいさんがおかわりを勧める。目を離していた隙に侍女のような格好になっていたサキがテキパキとお代わりの準備を進める中で聞いた話は、数分程で話し終える簡単なものだった。
* * *
その王は、平和でつまらない世の中が退屈だったらしい。嘗ては魔王を相手に戦った勇敢な国だったが、魔王が消えて久しい現世では自分達が戦う相手が居ない。強力な手駒を持て余す事に耐えられなかったというのだ。
「なんか子供っぽいなそいつ」
思ったことを素直に言うと、じいさんは怒るどころか苦々しい顔で笑った。
「その通り、私も言ってやったよ。もっとも穏便になるよう言い方には気をつけたがね。返ってきた言葉は『無礼者』じゃったよ」
ますます子供だ。良くそんな王の居る国が繁栄を続けられたな、と思う。
「最近即位したてのほやほやじゃからの。王様であることにはしゃいでおるのかもしれん。なんせ12歳じゃから」
ホントに子供じゃないか、そんなのがトップなのかあの国は。どうりであの兵士も品が無いと思った。
じいさんが言うには、ジャイノスという男が王に近づきだした辺りから、王の考えが変わっていったらしい。
「好戦的な意見ばかりを取り入れだした王に、厳しいお灸をすえたかったのじゃが……何度意見を申しても無視されるばかりか、とうとうわしを含めた明確な反対派は反逆者扱いになってしもうたのじゃよ。はっはっは。」
これっぽっちも気落ちしていない風に笑っているその様を見ていると、何となくこっちの方が王様っぽい気がする。風格ってやつだろうか? 視線をサキに向けると、彼女はそんな主を見て誇らしげに微笑んでいた。
「それで、この森に?」
彼らは逃げられないのではなく、逃げなかったらしい。そもそもこの森に結界を張った理由は追っ手を呼び寄せることにあったのだという。捕らえた追っ手は殺してしまうのではなく、わざと情報を与えて逃がしていた。そんなことを意図的にしていると思わせないように軽い記憶操作をしているらしいが。
「どうしてそんなことを?」
「退屈しのぎに付き合うためじゃよ」
暇になったからと兵を動かすような王だ。周りに進言されて隣国へ攻め込むといった一大事を引き起こしかねない。その目をこちらに引き付けておく為にこうして篭城めいたことをしていたらしい。アピールの為に、進入してきた相手に宣戦布告めいた書簡を渡した事もあったのだとか。思い切ったことをするじいさんだ。
「じゃが、やはりたかだか数十人では限界というものがある」
もともとこの森には50人の私兵がいたのだという。それが今はたった6人+サキだけになってしまった。選りすぐりの兵といえど限界などとっくに来ていたのだ。そこにきて今回のように森を燃やされてしまえば、隠れるところそのものが無くなってしまう。地の利を生かして戦力差を埋めてきたこれまでのように行かなくなれば、あっというまに勝負は決着するだろう。
ほんの少しだけ、初老の男の顔が悲しそうに歪む。しかし一瞬のこと、すぐに彼は笑った。それが義務であるかのように笑顔を最後まで崩さなかった。
「わかりました!」
短絡思考が大真面目に手を上げる。
根拠は無い。しかし、何故か厄介なことになる予感がした。『私がその困った王様にお灸をすえちゃいますから! 大丈夫です。ノープロですっ』なんて言い出すかも、とかそんな予感。
やめてほしい。
そういえば何故こんな立ち入った話をしているんだ俺達。
「おいリア、発言は良く考えてから」
「わたしたちがその困った王様にお灸をすえちゃいますから! 大丈夫です。ノープロですっ」
「って俺もかよ! 何でだよ!」
そんな俺の心の叫びは当然のように無視された。