52.奪還・2
飛び込んだ部屋は薄暗く、小窓から入ってくる陽光と淡く光る魔法石にのみ照らされていた。破壊した壁付近は明るいが、奥に行くほどに暗くなっている。
端から端まで二十歩ほどの広さで、壁も床も全体が赤く染まっている。絨毯には意味不明な模様が描かれていて、見ているだけで気分が悪くなりそうだ。奥に向かって右手の壁には子供が悪戯で描いたような絵が飾られていて、左手側の壁付近には目が痛くなるような宝飾類が調和を乱すような配置で陳列されている。
趣味の悪い部屋だ。どう考えても、この部屋の主と気が合いそうにない。
部屋の中央には四角錘の形をした台座があり、その上には球状の宝玉が安置されていた。この国の日天玉だ。
周囲を警戒しながら歩いて思わず顔をしかめる。部屋に大穴が開いているのにもかかわらず、頭がクラクラするような甘ったるいニオイが充満していた。
部屋奥の壁際には太い鎖が二本垂れ下がっている。先ほど見たとおりの状況だ。小さな身体は完全に力が抜けていてグッタリとしたまま動かない。その近くには、この状況を作り上げたであろうヒゲ面の男が立っていた。
「なんだ貴様ら。騒々しいぞ」
不審気に目を細めた男が俺達の前まで歩いてくる。気分の悪くなるような視線で睨んできたそいつは、何かを思い出したように「ああ」と頷いた。
「どこかで見たことがあると思えば"魔王"か」
男はそれだけ言うと、俺たちへの興味を失ったのか背を向けた。後ろに撫で付けている己の髪に触りながら指を動かす。
大蛇が呻いて、直後に悲痛な叫び声が響き渡った。
「この娘が思いのほか強情でな、今は忙しい。相手をしてほしければ出直してこい」
「――――ッ!!」
サキが言葉にならない怒りを叫ぶ。僅かに身体を沈み込ませて柄に手をかけた。
「サキ、無闇に近づくな――」
言葉で止めようとしても無駄だった。脇目も振らず駆けだしたサキは強く柄を握り締めて刃を引き抜く。
「不躾な小娘だな」
しかし、サキの身体は行く手を阻むように立っていたヒゲ面に止められた。見かけからは想像できない速度で前へと詰めて、刀を振る直前にサキの腕を掴みやがったのだ。
「しゃがめ!!」
俺の声に反応してサキの身体が沈む。その上を通すようにして、ヒゲ面の胸へとエク公を突き出した。
しかし、とんでもなく硬い手応えを残して聖剣は簡単に弾かれてしまう。
「無駄だ。語り部たる私は常に神聖なる宝玉に護られている。"奇跡"を自在に操れるのだよ。こんな風にな」
口を閉じた途端、男は音も立てずにその場から三歩ほど後方へと移動していた。相手はただ立っていただけで何の予備動作も見せていないのに。
どんなカラクリなのか少しも解らない。驚きを隠せない俺に対し、自らをアウグストだと名乗った男は余裕の笑みを見せつけてきやがった。
「ただ、"奇跡"にも代償が必要だ。少々酷使したのが祟ったのか我が国の宝玉は限界が見えていてな。最初はウィクマムの宝玉を使ってやろうと思っていたのだが邪魔が入った。仕方がないからこの娘が持つ宝玉を使ってやろうという訳だ」
だから邪魔をするな、と寝言を吐かれてコメカミあたりの血管が軋む。不遜な態度の相手を睨んだまま、サキの腕を掴んで後ろへと距離をとった。
「……おいエク公、お前の刃は飾りかよ」
『ふざけるな、何だ今のヘッピリ腰は。お前では話にならん、サキ殿に渡せ』
「バカみたいに魔力燃費が悪いくせに偉そうなコト言うな。サキに持たせたらあっという間に倒れちまうよ……っと」
血を流し過ぎたせいか少しよろけてしまう。あまり長く立っていられなさそうなのでさっさと終わらせたいところだが――その前に、どうしても確認したいことがあった。
「わかりました。全力で捜査します」
俺の指示を受けて、サディアは膝をついた姿勢のまま床に染みこむ様に消えていく。その様子を横目で確認してからサキへと視線を向けた。
「レオン。アイツの右手に用心してほしい、なの」
そう言ったサキの腕には、やや黒ずんだ手の跡がこびり付いていた。アウグストに掴まれた途端、気を失いそうなほど脱力したという。生気を吸われてしまったのかもしれない。
「わかった、お前は俺の背後から隙を見つけてくれ。あのヒゲやたら硬いけれど、その刀なら切れるはずだ」
今度は俺が先行する。エク公を上段に構え、だらしなく立っている相手の頭から両断するつもりで振り下ろした。
脳天に叩き付けた聖剣がビタリと止まる。俺は顔をしかめたくなるほど腕が痺れているのにアウグストは涼しい顔だ。完全に余裕ぶっていた。
いちいち癇に障るヤツだ。一撃でダメなら手数を多くしてやる。
僅かに腕を引いてから、喉に向かって一気に切っ先を伸ばす。肩口へ叩きつける。胴を横薙ぎに一閃して、脚元を刈り取るように斬りつける。俺自身の力に聖剣の力を上乗せして鋭く相手に襲い掛かる。
『くっ……』
しかし、それでもまるで攻撃が通らずにエク公が苦しげに呻いた。俺からの魔力ではどうにも本調子にならないのか以前のようなキレがない。奇怪な軌道を描いて相手の眉間に刺さったかに見えた一撃も、僅かな切り傷さえ生まなかった。
「もうちょい本気出してくれよ」
『う、うるさい!』
即興コンビなので少しずつ慣れていくしかない。エク公が言うには、腕に力を込めるように体の延長上だと思いながら魔力を通わせるといいらしい。
もう一度大上段に構えて力を込める。じわりと染みこむ様にゆっくりと聖剣に力が宿っていき、刀身の光が今までよりも強くなる。
これなら――
「それは、降参を現す所作なのか?」
――がら空きになっていた俺の腹に痛みが走った。
絶対に目を離していないのに、相手の移動過程がまったく見えなかった。距離を詰められたと理解した時には、相手が無造作に伸ばした右の拳が腹にめり込んでいたのだ。
疑問は尽きないが答えは見つからない。急速に全身の力が抜けていく感覚にこのままでは危険だと本能が叫ぶ。
しかしこの好機を逃す手はない。力を吸われる感覚に耐えながら、無防備な相手の腕を掴んで逃がさないように固定した。
「やっちまえ」
その瞬間を待っていたサキが背後から飛び出す。深く身体を沈めると、気合と共にアウグストの胸元を一閃した。
「……なんだ、その武器は」
ガシャン、と硬いものが割れるような音が響いてアウグストの体がよろめく。さすがはサキ、斬ることにかけてはエク公よりも数段上だ。
『続け!』
言われるまでもなく俺も追撃に動く。無防備にさらされている腹にむけて剣を叩きつけると、アウグストの身体がくの字になって壁まで吹き飛んだ。
『今度はちゃんと技名を言うのだぞ』
「言わねえよ」
両手で構えた剣を大上段にまで振り上げる。エク公にできるだけの魔力を吸わせ、歯を食いしばりながら全身に力を込めた。
聖剣が勝手に軌道を修正する感覚にもだいぶ慣れてきた。下手に力もうとせず、一本の線を通すつもりで動かせばそれでいい。
刀身を覆っていた闇色の光が爆発的に大きくなる。ムカつく相手の脳天に目標を定め、脱力感に耐えながら聖剣を振りおろした。
放たれた光刃が一瞬ごとに大きく成長する。
未だよろめいているヒゲ面へと向かった一撃は、轟音と共に着弾した。
* * *
エク公と共に放った一撃は、真っ赤な壁を粉々に吹き飛ばした。
相当に分厚い壁の傷口は焼け焦げたように変色していた。空気の通り道ができたお陰で大量の新鮮な空気が入ってくる。部屋中に漂っていた甘ったるいニオイが薄くなったお陰で、いくらか気分がよくなった。
「……結構足に来るな、今の」
『技名で言えと――』
「うるさいっての」
名前はともかく、なかなかの威力だ。さすがに無傷ではいられないだろう。
ちゃんと当たれば、だけれど。
「やれやれ、ずいぶんと風通しが良くなってしまったな」
俺の背後からムカつく声がする。まるで見えなかったが、どうやら避けられてしまったようだ。
「それが"奇跡"の力ってヤツか」
このヒゲ面は、ある程度の距離を相手に全く感知させないまま移動できるらしい。
どんな理屈なのかはさっぱり解らないが、恐らく宝玉の力を借りているんだろう。先程からこの部屋にある宝玉が何度か強く光っていたが、その数瞬後にヤツが移動したのだから。
「その通り。もっとも、気付いたところでどうにもならないがな」
「言ってろ」
このヒゲ面は余裕ぶってはいるが、こちらの攻撃が効かないわけじゃない。さっきの攻撃から逃げたのがいい証拠だ。
「サキ」
「わかった、なの」
アウグストの前後を囲むように動く。サキが放った一太刀を皮切りに二人同時に攻め立てた。
あの移動と呆れるほど硬い防御は厄介だが、身のこなしは普通以下だ。すでに動きを見切ったのか、サキは自信に溢れた動きで相手の懐へと飛び込んだ。
アウグストの右手をかいくぐった小さな身体が深く沈む。一瞬で背後を取ったサキが音もなく刀を鞘に収める。そのままグッと力を込めるように身体を捻り、凄まじい速度の一撃を横薙ぎに叩き込んだ。
「ッ、小娘が!」
硬いものが割れるような音が響いてアウグストの身体がふらつく。その隙を狙うように聖剣を大きく振りかぶって跳躍すると、宝玉がまた強い光を放った。
「無駄だと――」
俺は聖剣を振り下ろすことなく着地する。
その場から消えたアウグストは十歩ほど離れた地点でまだよろめいていた。こちらを見る目と俺の目が合って、驚いたように息を呑むのがわかった。
アイツはさっき俺が放った一撃を避けたあと、何の行動もしなかった。俺たちは驚きで隙だらけだったのに。
「その"奇跡"、一度使うとしばらく使えないんだろ」
この予想が正解かどうか、今から答え合わせだ。
床を蹴って再度跳躍する。ヒゲ塗れの口を憎々しげに歪めた相手に向かって、闇色に光る聖剣を振り下ろした。
「ぐ、う、おおおッ!!」
相手の交差した腕と黒い聖剣がぶつかり合う。サキの一撃を受けてふら付いた足元ではすぐに支えきれなくなって、アウグストが片膝をつく。身体ごと床に埋めてやるつもりでさらに力を込めると、骨が折れるような感触と共にアウグストの足元にヒビが入った。
「奇跡に、護られた、この、私に、歯向かう、など……ッ」
しかし、宝玉が激しく光った途端にアウグストに力が戻る。折れたはずの腕が力強く聖剣を掴み、白く眩い光と共に激しい熱量が生まれる。闇を照らす光に炙られて俺の全身が激しく痛みを感じ、力を取り戻した相手を抑えきれずに押し返されていく。これも"奇跡"なのかもしれない。
『もっと力を入れろ! このままではお前の身体が吹き飛ぶぞ!!』
だったらもう少しまともなアドバイスをしろと言い返したいが、口を開く余裕もない。対照的に余裕を取り戻したアウグストは、膝を突いていた状態から立ち上がると聖剣を左手一本で押さえつけた。
「くだらんな! その程度でこの私に傷をつけようなど片腹痛い!!」
「ガッカリさせて悪かったな。本命はこれからだ」
今使った"奇跡"で必死に逃げていれば助かったかも知れないのにな。
俺の右側、アウグストからは真左に五歩ほど離れた位置で、刀を納めたまま身体を沈めていたサキが大きく息を吐く。完全にその姿を見落としていたヒゲ面の顔が左を向いたと同時に小さな身体が動いた。
ヒビが入った床を強く踏みしめてサキが鞘から刃を引き抜く。少しでも手元が狂えば俺にも当たってしまうが、そんなことは無用な心配だ。普段の様子からは想像もできないほど激しい声と共に煌いた赤銀の刃は、男の胴体を貫いて一瞬で駆け抜けた。
「が……ぐ……」
何かが割れるような音もない。サキが背を向けたままゆっくりとした動作で刀を振り、鞘に収める音だけが僅かに聞こえた。
アウグストの身体から力が抜けて膝をつく。間抜けな表情のままパクパクと口を動かして何かを言おうとしているがどうでもいい。どうせ下らないことに決まっている。
「まだ終わりじゃないからな」
その一言で、アウグストの表情がはっきりと恐怖に染まった。膝立ちになった格好のまま暴れだした相手の腹を蹴りあげて動きを止めた俺は、そのまま大きく聖剣を振りかぶった。
「や、やめ――」
「――そう懇願した相手に何をしたか、お前は覚えているか?」
ヒゲに塗れた口が震え、ヒュッと空気が抜けるような音がする。だらしなく漏れた唾液がぽたんと床に垂れて糸を引く。血走らせた眼球を忙しなく動かして、男は意味不明な言葉をわめきだした。
その様を無感動に眺めながら両手に力を込める。高く高く聖剣を掲げながら絶対に外さないように狙いを定めて、そのまま一気に振り下ろした。




