49.暗転
こんにちは。読んでいただきありがとうございます。
今回は残酷描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
リアの思惑通りカチコチに固まってしまった俺は、動かない視界の中のリアに向けて文句をぶつけていた。
俺はともかく、お前これからどーすんだよ。
待ってろとか言ってたけど、この様だとお前もここから動けないんじゃないのか。
ひょっとして加減を間違えたのか?
俺と同じく蝋人形のようになっているリアは目を瞑ったまま何も言わない。どう見ても完全に固まっていた。
俺がこうして固まってしまったことで、リアに課せられた"約束"は達成されたのだろうか。約束の具体的な内容は知らないのだけれど、達成できていると願いたい。こんな間抜けな状態になってもダメだとか言われたら俺もリアも浮かばれない。べつに死んではいないけれど。
……バカなことを考えている場合じゃないな。どうやってこの間抜けな状態から脱出するかを考えないと。
フェリンなら何とかしてくれるだろうけれど、この状況をどんな風に説明したら納得してくれるだろうか。今更だけど、この格好は俺がリアに乱暴しているようにしか見えないから困る。こんな場面を誰かに見られたらただでさえ低い俺の評価が地に潜って二度と出てこなくなるかもしれない。
――ん?
どうしようかと心底困っていた俺の視界の端っこに誰かの影が映った。
誰だ? と少し考えた俺は、リアの隣に誰かが居たことを思い出した。確か勇者候補生とかいう肩書きの人間だったはずだ。
小柄な男、というより子供と形容したほうがしっくりくる姿を辛うじて思い出す。見えている小柄な影と一致するので、いま動いているのはそいつなのだろう。なるほど、リアはこの男に助けてもらうつもりだったらしい。
計画通りにやられたのかと思うとちょっと面白くない。そんなことを思いながら固定されたままの視界で眺めていると、影が何か細いものを振り上げた。
……何故コイツは、そんな動きをするんだ?
何かが変だと感じても何もできず、影が腕を振り下ろす。無防備に晒した背中に向けて振り下ろされたダガーが、俺の腹を突き破って顔を出した。
身体を貫かれたというのに何故か痛みを感じない。状況を理解できず呆然とダガーの先を眺めていると、直後に強烈な雷光に全身を焼かれて今度はちゃんと激痛が走った。
あまりの衝撃に視界が暗くなる。そのあとに叩き込まれたもうひと刺しで強制的に現実に戻されて、
「げほっ、ッ……く」
口から吐き出た鮮血が、目の前にある白いローブに赤い染みをつけた。
肩を掴まれてグイと押される。されるがままに地面に倒れた俺の前で血塗れのダガーを手に笑っていたのは、やはりあの勇者候補生だった。
リアは驚いたように眼を見開き、困惑した声色で男に何かを問う。しかし男はただ笑みを深くしてリアの胸元にダガーを深く突き立てた。
「……あ……ぐ……」
全身が震えて、リアの口からこぽりと一筋の鮮血が溢れ出た。
「ふ、ふふ。ははははははハハはは!!」
リアの小さな手が突き立ったダガーの柄にかかり、掴もうとする。
しかし、弱々しく震える手では何の抵抗にもならない。
「ご苦労サマでス。貴女ノおかゲで、予定通りニ、ジャマモノを排除できまシた」
男は汚い笑みを浮かべたままナイフを捻った。びくんと震えた相手を嬲るように、何度も、何度も。
「大ァい丈夫ですよ。勇シャはそう簡単ニ死ねませんかラ。貴女ハこれからもうヒトつとってモ大事な役目が残っているんでス。それまでは死んジャ駄目でスよ?」
綺麗だった白のローブがリアの鮮血で真っ赤に染まる。嬉しそうに笑みを浮かべた男はリアの前髪を掴むと首元に手を伸ばして、首飾りをぶちりと引きちぎった。
「これハ、もう要リマセン。貴女ガ護りたかったヒトとは、二度ト会えませンかラ」
お前は、何をしているんだ。お前はリアの味方だったんじゃないのか。どうしてリアにナイフを突き立てているんだ。傷口を見て嬉しそうに笑っているんだ。お前を庇うように気を配りながらさっきまで戦っていたリアは、この結末を知っていたのか。これでリアが護りたいと思っていたヤツが救われるのか。全てに絶望したような表情をしたリアが、この結末を受け入れているとでもいうのか。
「な、にを、わけわからないこと、言ってるんだテメエッ!」
びちゃり、と鬱陶しく胸から流れ出る血を振り払って叫ぶ。立ち上がった俺を見た男は「カカカカッ」と奇妙な哄笑をあげてリアを掴むと、すでにぐっしょりと血に濡れたローブごと抱えて後ろを向いた。
「あとハ任セましタよ。ネイキス」
「はやく行け。始末したらすぐに合流する」
後ろから聞こえた声に咄嗟に振り向く。今の状況でも十分厄介なのに、さらに二人も増えていた。
「やあ魔王。久しぶりだね?」
「……なんなんだこの展開は」
金髪の鬼と、パージと似たような気配を持つ黒い短髪の男を見て吐きそうになった。
俺は今更ながら、一人でここに来たことを後悔した。
* * *
どう贔屓目に見ても友好的な雰囲気には見えない連中を前に、俺はかつてないほどに最悪な気分になっていた。
「……誰だよ、お前」
「セントアレグリー第七勇者。ネイキスだ」
「これから消える相手にわざわざ名乗る必要など無いよ。ネイキス」
それもそうだな、と短髪の男が口を閉ざす。
こうして対峙している間にも俺の腹や背中からボタボタと血が流れて止まらない。体の頑丈さには自信があったつもりだが、どうやら厄介なもので傷付けられたらしい。
「あの子供は、お前らの仲間なのか?」
「"子供"……クリスのことかい? それはちょっと答えづらい質問だね。たとえ道具でも仲間だと答えたほうが彼は喜ぶのかな? あの子を選んだ理由は、僕の術との相性が最高だったってだけなんだけどね」
くっく、とムカつく笑いを浮かべる鬼を睨む。
とんでもなく気分が悪い。
目の前の全てを破壊したくなる衝動に身を任せてしまいたくなるほどに。
「あの子供とリアを今すぐここへ連れてこい。でなければ、お前らを殺す」
「随分と吠えるね? 傷の具合が思わしくないようだけど、既に脳にまで影響が出ているのかい?」
鬼がバカにしたように笑い、ネイキスは小さく肩を竦めた。
「彼女には最後の大切な務めが残っている。それが済めば返却してもかまわない」
「それが終わればもう捨てるだけだからね」
つまりだ。案の定リアは最初から騙されていた訳だ。
血溜まりの上に立つ俺を見て、鬼がせせら笑う。
「ともに似た力量の者同士が戦えば激しい消耗は必至。その隙を突いてクリスが彼女を無力化して拘束し、僕達が魔王に止めを刺す。考えていたのはこの程度だよ。まさかここまで上手くやってくれるとは思っていなかったけれどね」
「魔王と聞いてどんな化物かと思っていたが、肩透かしもいいところだな。無駄な抵抗は自身を苦しめるだけだ。大人しくしていれば一瞬で終わらせてやる」
俺はもう話を聞いていなかった。それよりも、こいつらをどうやって殺すかを考えていた。
余計な力は使えない。虫の息は言い過ぎにしても、相当危険な状態なのは間違いない。
右手を軽く握りこむ。既に血が流れすぎているからか感覚が鈍い。時間を掛けるほど悪化するだろうから、あと一時間もこのままなら本当に死ぬかもしれない。戦うとしたらせいぜい五分程度が限界だろう。
なんだ、一匹につき二分半程度も使えるのか。
「うるせえよ」
背後に立つ黒髪のみぞおちを狙って手の平を当てる。
「――爆ぜろ。クソッタレが」
肉が掌の形に陥没していく。衝撃が芯を抜け、背の衣服が弾けるように散った。
まず一匹。次は金髪だ。
「おっと、思ったより活きがいいんだね。さすがは魔王といったところかな?」
唇を吊り上げて余裕の笑みを浮かべる鬼の、癇に障るその口を焼き切ってやる。
口を覆うように手で鷲掴むと、手加減なしで魔力を一気に破壊の力へと昇華させた。
「――でも、やはり眼は霞んで役に立たないみたいだね」
しかし、掴んでいたはずの口から滑らかな言葉が聞こえ、鬼はひょいと顔を傾けてみせた。
顔の向こうから顔が出てきた? なんだそれ。
「つまり、お前は俺の掌の上で踊らされてるということだ」
誰かが背後で喋る。振り向くと、最初に吹き飛ばしたはずの男がまるで無傷の状態で立っていた。
「キミがネイキスに腕を振り回したのも、僕に手を伸ばして掴もうとしたのも、まるで見当違いだったよ?」
ガッチリと掴んでいたカミルの顔も煙のように消えてしまう。手に残ったのは、ただの石ころ一つ。
「まるで祭りの見世物だね。手負いの獣は死ぬまで幻惑に気付かぬまま闘士に倒される。哀れだよ」
自分の呼吸が過剰なほどに荒くなっている。流れ出る血も全く止まる気配が無い。目の前には勝ち誇った顔の二人組。自信たっぷりにこちらに向かって歩いてくる。
俺にとって全く楽しくない状況だということを正しく理解しているらしく、鬼は満面の笑みのまま口を閉じようとしない。
「さて、無駄な時間を過ごすのは好きじゃないんだ」
鬼がおもむろに虚空に腕を伸ばす。手首から先がグニャリと捻じ曲がり、一振りの剣が引き抜かれた。
流線型の刀身がほのかに青白く発光している。小さな手が持つにはやや太い柄には凝った意匠が施されている。言葉をかければすぐに噛み付いてきそうな生意気な気配が伝わってくる。
「……お前、何やってるんだよ」
どこからどう見ても、聖剣エクスガリオンだ。
「これは彼女から譲り受けたんだよ。これで止めを刺してくださいってね」
「いい加減なことを吐くんじゃえねえよ!!」
今度こそ頭に血が上りきった。前傾姿勢のまま全力で地を蹴ってカミルに向かって――左から現れた黒髪に下顎を打ち抜かれた。
「――ッ!」
「なるほど、急所は人体と同じなのか。それならもう動けないだろう」
「安心しなよ。用が済んだら彼女も同じ場所に捨ててあげるからさ」
完全に棒立ちになってしまった俺の心臓に、聖剣が深く深く突き刺さる。
覚えているのはここまでだった。意識が遠のいて、もう何も見えなくなった。