4.「レオンさんって方向音痴なんですか?」
俺達は今、パレット・ハイロードという街道をのんびり歩いている。
さっきまで滞在していた如何にも平和な街はパレットという名らしい。あの街に長居しても何をやれば良いのか見えてこなかった俺達は、とりあえず別の場所に行くことにしたのだ。ここパレット・ハイロードを道なりに進むとハイグレイ王国っていう大きな国に通じるらしいので、今はそこを目指している。
外に出て思ったのだが、流石に1000年も俗世から離れていると、地理が全く知らないものに変わっていて困る。が、意外なことに違いはそれくらいで、今のところ文明は1000年前に比べさほど発達していないように思えるのだが……実際のところはどうなんだろうか。馬を引いて畑を耕す農夫の姿を見る限り、俺には違いが分からない。
ただ一つ気になるといえば、時折見かけないモノを手にしている人がいる。アレは何だろう。
「ああ、あれは方角を知ることが出来る"コンパス"です。」
物珍しそうな俺の視線に気付いたのか、横から解説してくれた。でもコンパスって昔から有った気がするけれど、あんなに大きくなかったぞ?
「コンパスと言ってもただ方角がわかるだけではありません。地図を投影することが出来ますし、あのコンパスを持つもの同士、お互いの位置がすぐに解かるという優れものなんです。」
へー。でもさっきから何人かが持ち歩いているけど、あいつらの位置情報がみんな判るのだろうか。
「それって困らないか? 知られたくないやつにまで、今の場所を知られるんじゃ。」
「その心配はないです。各コンパスは固有の番号を持っていて、番号を互いに登録した相手にのみ居場所がわかる様になっているんです。」
なるほど。このコンパスは最近になって発明されたマジックアイテムらしい。使用者が魔術を使えなくても相手の位置が判るなんて便利なモノが出来たもんだが、流石にそこそこ高価らしく使っているのは行商人や冒険者が多いのだとか。あまり普及はしていないのな。
「お前も持ってるのか?」
「はい、私の必需品ですから。」と得意そうに見せてくれた。大きさはリアの小さな手に少し余るくらいで、まんじゅうみたいな丸い形をしたコンパスの中心には何やら地図が表示されている。
「中心の三角が俺達?」
「その通りです。このコンパスの最も優れているところはナビゲーション機能なんです。これさえあれば、赤ちゃんだって目的地に辿り着けるんですよ」
すごいでしょ、と何故か胸を張る勇者さま。へー。ああこの灰色が山なのか。こっちの青色が川で、緑が平原。その中心を通る線がこの街道という具合に見るんだな。成る程コレなら迷いようがない。
俺が全くこの世界を知らない手前、自然と先導を勇者に任せる事になっているのだが正直に言って不安だった。この勇者は恐らく平気な顔して道に迷うタイプに違いない。でもいくらなんでもコレ持ってりゃ大丈夫だよな。
ところでさっきからキョロキョロしてるけど、どうした?
「……すみません、ここ、どこですか?」
「ふざけんなお前!」
ボケか? ボケたんだろお前。ちっとも笑えないけどな! さっき赤ちゃんだって大丈夫だと言ってから数秒しか経ってねえぞ。そもそもなんで一本道で迷えるんだよ、ナビいらねえじゃんか。
さっきまで絶好調で明るい場所を行進していたのに、気付いてみれば森の中。
いや、何で道を逸れたのかなー、とは思っていたけどさ。
「困りました。おかしいですね、どうしてこんなところに来てしまったのでしょう」
失敗の原因を真剣に考えてやがる。
「とにかく、来た道を戻ろう。さっきの街道に戻ればいいだけなんだろ?」
そうですね、と同意を得たところで踵を返した。やっぱり俺が先頭になろう。
* * *
「おっかしいなー」
10分経過。俺達はみごとに途方に暮れていた。
既に往路に費やした時間は軽く経過しており、もうこの森から飛び出しても良い頃はとっくに過ぎ去っていたのに、ちっとも森を抜けられそうにないのだ。
「レオンさんって方向音痴なんですか?」
「やかましいわ! このおおボケ勇者!」
誰のせいでこんな所をさまよってると思ってんだお前。
「ひどいですー」と抗議するちんちくりんを放置して真剣に悩む。おかしい、いくらなんでも来た道真っ直ぐ帰るだけで迷うわけがない。いくら1000年の間バカをやっていたからといって、方向感覚までバカになっていたとは思いたくない。多分、おかしいのはこの森だ。
さっきから気にはなっていた、妙に癇に障る気配と何か関係があるのかもしれない。
誰かに視られている。
「敵意満点って感じだな。こいつらか? 森が変になってる原因は」
『そのようだな』
……、この声は。
嫌そうに顔を顰めて振り返ると、やっぱりエク公が座布団の上に鎮座していた。
座布団って必須アイテムだったのか?
「困った時、こうやってエクちゃんにどうしたらいいか聞くんです」
リアと一緒だと俺が信じていた勇者像をことごとく否定されていくように思えるのは気のせいだろうか……などと思考がふらついた俺をよそに、リアは「ね、エクちゃんどういうこと?」と話を進めていた。
『どうやらこの森に居る輩が、我々を敵とみなしてうろついているようです。』
そう。森に入った時から変だとは思っていた。野生の動物には無い、色のある殺気がちくちくと鬱陶しいのだ。
『恐らく彼らの仕業でしょう、森全体に惑いの結界が敷かれているようです。脱出する為には術者を探して解除させるしかありません』
「でも、探すってこの広い森の中をですか?」
不安そうに眉を寄せるリアの言うとおり、確かにそれは問題だった。海のように広がる森は、何処までも続いていそうな程に広い。こんな広さの森をあても無く捜索したら、それこそ空腹や疲労で力尽きそうだ。
「転移魔術とか使えないのか?」
俺の勝手なイメージだと、一度行った事がある場所にはすぐ飛んでいけるような魔術がありそうな気がするんだけど。少し面倒だけど一旦パレットに戻ったほうが楽じゃないか?
「うーん……あるにはあるんですけど、敵対する結界が張り巡らされているような不安定な状況で無理に飛ぶと、困ったことになるかもしれません。止めておいたほうが良いですよ」
えー、いいじゃん頑張れよ。飛んだほうが楽じゃないか。
「困った事って例えば何だよ」
「気が付いたら腕を置き忘れちゃった、とか。聞いた話ですけれど、過去にそんな例があったみたいで」
やめましょう。うん。それがいい。
「念の為に聞くけど、コンパスはどうなってる?」
外へ出るヒントが表示されていないかと聞いてみたのだが、リアから差し出されたコンパスには森を示す緑一色と中心の三角しか表示されていなかった。このコンパス最大望遠の表示半径はざっと10キロって所だから、本当なら森以外の表示があってもよさそうだ。なのにそれが無いという事はコンパスすら影響下に置くのか、それとも森に入った瞬間に奥地に飛ばされたのかもしれない。
……だったら気付けよ俺。
なんだか急に自分が情けなくなる。俺は一応魔王だってのに、こんな罠に引っかかって気付かないとは。
困ったことに、自分は本格的に呆けているのかもしれない。思い出せば、エク公とちょっとバトルした時もイマイチ感覚がおかしいというか、慣れないというか……とにかく本調子じゃなかった気がする。うーん、全盛の頃の感覚が思い出せない。この1000年一切戦いなんてしなかったし。
「これからどうしましょうか、レオンさん」
「ま、悲観的に考えてもしょうがないな。ほらほらそんな顔しない。お前、勇者として今までやってきたのならこれくらいの試練あっただろ?」
「えと、私はずっと仲間の皆に助けてもらっていましたから」
えへへ、と恥ずかしそうに照れ笑いするリア。
予想はしていたが、やはりこの勇者にもパーティメンバーは居たようだ。でも今は一人なんだよな。あ、魔物退治が終わってパーティ解散したのかな。もうちょっと面倒見ていてくれてたら良かったのに。
『おい』
無粋に割り込む声。
わかってる。探す手間が省けたよ。
* * *
俺たちの代わりに丸焦げになった木の陰に隠れながら、周りを伺う。
「何人だ?」
複数なのは間違いない。相手は結構な力量を備えているようで、いきなり仕掛けられたこの炎術にしてもまともに当たれば痛そうな威力だった。周りの大木が燃え上がり炭と化してゆく様を横目に、襲撃者を探す。
「5、6人といったところでしょうか。どうしてこんな事を……」
リアも流石に戦闘となると顔つきが変わる。油断なく辺りを伺う表情は間違いなく戦士のそれだった。互いに背を向けて周りを伺う。ぶすぶすと木の焦げる音と匂いが漂うここからでは、襲撃者の姿を見つけられなかった。
「さあな、相手に聞けば早いんだけどさ。ところでリア」
「なんですか?」
「命を狙われる心当たりは?」
「無いですよっ、そんなの」
「それじゃ、やっぱ俺のせいか?」
「え、どうしてレオンさんが狙われるんですか?」
「こいつらはお前と違って常識的なんだろ、っと!」
今度は氷だ。1メートルは優に超える氷柱が片っ端から降り注ぐ。
どうやって対応しようか考える俺に先んじて、リアが進み出た。手にした剣を握り締めて1、2、345。最後は横薙ぎに一閃。5つの氷柱が使命を果たすことなく砕け散った。
「止めてください! 私たちに争うつもりはありませんから」
リアの呼びかけに対する返事は雷撃。威力は氷の一撃に劣るが、雷は広範囲を薙ぎ払うので回避が難しい。今度は俺が前に出た。
足元に染み込ませておいた魔力を一気に中空へ解き放ち、巻き上げた大量の土を盾のように前に固定する。相手から見れば、突如地面が垂直に立ち上がったように映ったかもしれない。狙い通り雷撃を防ぎきった土が地面へと還るタイミングを見計らって、ぽい、と拳大の石を適当な場所へと放り投げた。
「リア。ちょっと耳を塞いでいろ」
「はい。……どうしてですか?」
すぐわかる。
石は地面に触れた途端に閃光を発し、大きな破裂音が周りの草木を振るわせた。俺の影になるよう隠してやったのに、それでもかなり驚いたリアの顔が面白い。バカにしてやりたいが、先に面倒ごとを済ませないとな。
意識を集中した俺の耳に、俺達とは別の微かな足音が聞こえた。俺の反撃に驚いたのだろうか、浮き足立っている様だ。数は3。恐らく2手に分かれた片方だろう。残りの連中が潜む場所はまだ確信が無いけれど、恐らく俺達を挟んで反対側。挟撃される前に見つけた端から叩いていこう。数が半減すれば攻撃も少しは大人しくなるだろう。
こんな長ったらしい思考をする間に目標を補足した。やはり3人いた連中は、立派だがどこか草臥れた灰色の魔術師ローブを纏っていた。さて、どうしてやろうか。
「とりあえず、気絶しててくれ」
ここで下手に殺しちゃうと後ろの勇者に俺が裁かれかねないし。
苦し紛れに放たれた火の玉を素手で捕まえる。若干暴れる火の玉にちょっと細工して投げ返してやった。ぽかんと口を開けた三人の直上で"元"火の玉が弾けると、連中がばたばたと倒れる。疲労も手伝ってかアッサリと眠りに落ちてくれたみたいだ。
振り返ると剣の音が止んでいた。向こうの連中はリアが片づけたらしい。よしよし、偉いぞ。
* * *
「んー……」
自分の両手を見つめながら、俺は首を傾げた。やはり、自分の体に小さな違和感がある気がしたのだ。
今回程度の連中(恐らく、人間の一般的か少し上位クラスの魔術師だと思う)を相手にするには全く問題ないが、このままの状態でちょっと腕の立つ相手が現れたらと思うと、あまり笑えない。
今の自分が本調子じゃないという根拠はただの感覚であり、酷く曖昧なモノなのだが、親父らに鍛え(イジメ)られていた頃の自分はもっと力を持っていた気がする。なんだろう、何かされたか俺?
「レオンさーん、どーこでーすかー 逸れちゃだめですよー」
たかだか30メートルも離れていないのに逸れる方向音痴の泣き声で、思考がぷっつり途切れた。嘆息して救出に向かう。
「あれ、どーこでーすかー!」
ひょっとして俺の調子がおかしいのはアイツのせいかもしれん。本当に調子狂う。