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44.引き金

 セントアレグリー大聖堂の最上階。そのフロア全てを占有して設えられた"語り部"の私室中央には大きな台座がある。黒く冷たい光を放つそれは四角錐の形をしていて、四方の面には枝葉のような模様が描かれている。頂点に配された日天玉が淡い光を静かに放っていた。

 

 よく見ると、宝玉は台座から少し浮いている。アウグストはその球体をおもむろに右手で掴み、空気中に漂う何かを吸うように大きく息を吸う。そして十秒ほど息を止めた後に静かに吐く。その動作を何度も繰り返すと、その度に日天玉から漏れる光が腕を伝い、彼へと吸い込まれるように移動していった。


「また"食事"かい」


「……お前のその登場の仕方は中々慣れんな」


 気分を害したことを主張するようにアウグストが目を細くする。それを気にした素振りも見せず、カミルは恭しく一礼をしてみせた。


「ほどほどにしないと、この国に重大な障害が出るかもしれないよ。既に農場はひどい有様だ」


「あまりに甘美なのでな。このえも言われぬ充足感はどんな娯楽よりも素晴らしい」


 アウグストが愛でるように宝玉を手で包み、滑らかな感触を楽しむように表面に何度も指を走らせる。「お前には解らないだろうが」と優越感を含んだ言葉はカミルにうんざりしたような表情(かお)をさせた。


「とにかく、食事はそこまでにしてもらいたいね。これが壊れてしまって困るのは貴方も同じだろう?」


「その為の"勇者"だ。国王である筆頭勇者をはじめとして今も連中は世界各地を駆けずり回っている。優秀な彼らならきっと新たな宝玉を手に入れてくれるだろう。私のためにな」


 まるで自慢するような顔をした語り部は、一転してその表情を鋭く変えた。

 

「それでカミル、お前の方はどうなのだ」

 

「至って順調だよ。彼女はもう僕に逆らえない。近いうちに目障りな魔王を始末できるだろうし、宝玉も献上できると思うよ」


「いい答えだ」


 望んでいた答えに満足気に頷き、大仰に足を組み替える。首周りを気にするように弄り、指で紐のような何かを摘んだ彼は、それをカミルに見せるように揺らしてみせた。


「わざわざこんな首飾りをつけて協力してやったんだ。失敗など許さんぞ」


「相手を欺くにはウソばかりではなく真実も混ぜないとね。その為の首飾りなんだ。ちゃんと着けていてほしいね……まあ、もう外せないだろうけど」


 だから鬱陶しいのだ、と文句をぶつけたアウグストが追い払うように手を振る。カミルは恭しく礼をして、登場時と同じように気配を感じさせないまま姿を消した。



* * *



 セントアレグリーの南区は肥沃な大地に恵まれていて、国の食料庫としての役割を担っている。穀類に果物、野菜や畜類の恵みに至るまでこの大農場は全てを揃えている。しかし、およそ三ヶ月前から始まった日天玉の異変により、緑の土地は既に半分が砂漠に変わっていた。


 今クリスがリアと歩いている場所は国の中心から近いので、まだ影響は見えていない。成長途中の穀物が見渡す限り一面に広がって風に揺られている。しかしこのまま国の中心から離れるように歩いていけば、いずれ広大な砂漠に突き当たる。

 

「この先は、畜類の放牧エリアです」


 大きな柵を通り抜けて新たなエリアへとさしかかる。のっそりとした大きな動物が草を食むのどかな風景が広がっていた。


 道はあまり整備が行き届いていない。雨上がりのぬかるんだ道には荷車がつくった轍があちこちに生まれていて、中には雨水が溜まっていた。彼女の白いローブが泥で汚れないように、クリスは慎重に道を選びながら歩いてゆく。


「でも、どうしてこんな所へ来たかったのですか? ここは本当に誰もいないんですけど」


「はい。だから、来てみたかったんです」


 クリスにはいまいち意図を察することができないまま、リアが言葉を続ける。


「実は眉間の辺りがピリピリするんです。クリス君は感じませんか」


「……すみません。意味が全然わからないです」


 まだ出会って一日しか経過していないものの、クリスにはひとつ分かったことがある。彼女はいつも唐突で、説明が明らかに足りないのだ。この先足手まといにだけはなりたくないので慣れないといけないのだろうけれど……いくら頭を捻っても無理なものは無理だ。なので正直に「どういうことですか?」と尋ねた。


「あ、ごめんなさい。わたしの経験則なので大した根拠がある訳ではないのですけれど、ここがピリピリする時は決まって何かに襲われるんです」


 ほら、と顔を突き出されてもクリスは困ってしまう。仮にそこを触っても絶対にわからない。彼女に他意はないのだろうけれど、また頭突きでもされたらと思うと心臓に悪い。


「襲われる、ですか?」


 周りに広がるのどかな風景には似合わない話だ。しかし、彼女は不思議なところがあるけれど悪意のウソをつくような人物には見えない。実力だって自分とは比べ物にならないほど高いのだ。気付けていないだけで本当に何者かが近くに潜んでいるのかもしれない。そう考えて、クリスの額に嫌な汗が滲んだ。


「あの、念のための確認ですけれど、リアさんの専門は何ですか? 僕は一応攻撃役(アタッカー)なんですけれど」


 ん? と彼女が首を傾げる。まさか知らないのかな、と不安になってきた頃に「一番得意なのは回復役(ヒーラー)ですね」と答えが返ってきた。

 

 回復役は基本的に攻撃には向かない。彼女が手にした杖はかなり立派なものだけれど、剣などに比べたら物理攻撃の威力は低い。実力差があっても手伝えることはあるはずだ。


「やっぱり僕にもお手伝いさせてくれませんか。リアさんには遠く及ばないと思いますけれど、これでも実戦経験だってあるんです」


 古臭い考えかもしれないけれど、女の子が戦っているのをただ傍観するなんて耐えられそうにない。そんな思いを込めてクリスは訴えるが、彼女は黙したまま答えを返さない。やや俯き気味の顔はフードに隠れていて、その表情が読めなかった。

 

「魔術が効きづらい相手なら、僕でも役に立てると――」


「クリス君!!」


 言い終わるのと、心臓を握り締められるような怖気を覚えたのは同時だった。候補生の制服の襟を掴まれて空中へと吊り上げられる。それがリアによるものだと理解したのは、今まで歩いていた道が黒い炎に包まれた後だった。




「あら、意外と良い反応をするのね。普段のとぼけた姿はどうしたのかしら?」


 何とか着地したクリスの背後に現れたのは、銀の髪の女だった。くるくるとロールさせたそれを黒いリボンで彩り、レースやフリルがあしらわれた闇色のドレスを纏っている。褐色に染まった美しい顔に蔑むような笑みを浮かべた女の右手には、黒炎が渦を巻いて燃え盛っていた。


 頭が痛くなるような瘴気が周囲に満ちている。あの黒い炎が光を飲み込んでいるかのように周囲が薄暗い。まるで突如異世界へ引きずり込まれたかのようだった。


 女が悠然と歩いてくる。射抜くような視線の先が自分に向いていないことを理解したと同時にホッとして、クリスはそんな自分を思い切り殴りつけたくなった。


「私が何故ここにいるのか、解かってくれていると話が早いのだけれど」


 優雅な笑みを浮かべる女に対し、リアの顔はフードに隠れている。隣にいるクリスからは口元が見えるが、正面からは顔自体が全く見えない状態だった。


 女が明らかに気分を害した様子で眉間に深い皺を寄せた。事情を把握できずに戸惑うクリスを完全に無視してリアだけを睨んでいる。


「聞きたいことは一つ。貴女が一体何をしようとしているのか、正直に白状しなさい」


「……ごめんなさいフェリンさん。それはできません」


「そんな答えが通ると思っているのだったら私もナメられたものね。貴女がここに来てから今まで何をしていたのか、詳しく教えてあげましょうか?」

 

 僅かに浮かべていた笑みを消し、不快さを隠さず口を歪めた女は「ふざけないで」と吐き捨てた。

 

 それでもリアの回答は変わらない。


「わたしは貴女と争うつもりはありません。どうか通してもらえませんか」


 瞬間、地面から湧き上がった黒い槍が白いフードの端を貫いた。穴の空いたそれがハラリと捲れて、隠れていたリアの顔が露になった。


「なんですって? よく聞こえなかったからもう一度お願いできる? それともここで死ぬ? 殺していいの? バカにするのもいい加減にしないと本当に許さないわよ。どうしてそこまで隠すのかしら。後ろめたいことをしているという自覚があるのかしらね」


 恐ろしい殺気に触れただけで力の差を感じる。自分も力になれるという発言がどんなに的外れなものだったかを知ってクリスの顔が赤くなる。


 しかし、それでも何かできないだろうか。何でも良いからリアの力になりたい。そんな想いに突き動かされて出た言葉が、決定的な引き金となってしまった。

 

「待ってください。後ろめたいことなんて何もないんです。魔王を倒すなんて荒唐無稽な話なので信じてもらえないかもしれませんが、僕たちは――」


 視界の天地が入れ替わった。クリスがそう自覚した時には、髪を無造作に掴まれて喉をさらす格好を強制されていた。視界の上から逆さまの顔が現れて、その視線に全身を縛りつけられた。


「ニンゲン。いま、何と?」


 悲鳴を上げたはずの喉から飛び出たのは、空気が抜けるような間抜けな音だった。細い指先がツプリと肌に触れて、怜悧な刃物よりも冷たい殺気が喉元に突きつけられる。

 

「う、後ろめたいことなんて、なにも……ッ」


 喉に小さな穴が空いたような痛みを感じる。その後の言葉を要求されてクリスはパニックに陥った。言わないと殺される。でも、言っても殺される。そんな直感に冷たい汗が止まらない。口が震えてカタカタと歯を鳴らしてしまう。自分が意味のある言葉を喋れているかどうかすら分からない。


「いっ!?」


 クリスの視界がまたひっくり返る。一瞬の浮遊感があった直後、何かの液体に全身を包まれた。「ガボッ」と口から漏れた空気が幾つもの泡になって離れていく。すぐに苦しくなって足を動かしても、空気を求める体は少しも前に進まない。

 

「ッ! ……ッ!!」

 

 残り少ない肺の中身はあっという間に尽きてしまって、クリスの意識は白く塗りつぶされた。

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