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39.勇者候補生

 セントアレグリー大聖堂の奥にある隠された部屋は、長い時間にわたり閉じ込められている空気で満たされていた。気分が悪くなってしまいそうな程に淀んでいて、ここが清浄な大聖堂の中とはとても思えなかった。


「よく考えたら挨拶もまだだったね。キラノ」


 その場には白いローブ姿の他に誰も居ない。

 

 彼女が問いかける先にはひとつの像が静かに立っている。クリスタルのように透き通ったそれは、エプロンドレスを着た小柄な女の子の姿をしていた。当然ながら問いかけに答えはない。


「ごめんね、今まで見つけてあげられなくて。わたし、頑張るからね」


 しばらくの無音の後にそう呟くと、背後に現れていた男へと振り返った。


「もう気配を掴まれてしまうのか、恐ろしいね。お友達との会話はもう良いのかい?」


「早く話を進めましょう」


 淡々とした答えしか返ってこないことに不満そうだったが、男はすぐに笑顔を貼り付けて要求を語る。相手の気配が鋭くなったことを敏感に察知した彼は「大丈夫。その首飾りに誓って約束は守るよ」と何度目かになる言葉を繰りかえした。


 彼女は返事をしない。男は構わず言葉を続ける。


「とるべき道は一つしかない。それはもう十分に理解しているだろう?」


「……そうですね」


 フードに隠れた表情は誰にも見えない。


 硬く硬く握り締めた白い手をローブの中に隠しながら、彼女は小さく頷いた。



* * *



「聞いた? あの話」


「ただの噂だろ。あのパージ様が敗れただなんて想像もできない」


「でも、従者の一部だけが帰還してるのは明らかに変ではないですか? フレイ様もクラリス様も、誰も姿を見ていませんし」


 第三席が敗北したという衝撃的な非公式情報は、またたく間に彼らの間にも広まった。信じる者、信じない者、冷静に見極めようとする者。その受け止め方は様々だ。この場に集う若者たち"勇者候補生"の間では、パージ一行に関する話題で持ちきりだった。


「よう、クリス。お前はどう思う?」


「……信じられないって気持ちが強いかな。あの人達の強さは骨身に染みているからね」


 友人からの質問にそう返した候補生は、茶色い瞳の目をやや疲れ気味に細めた。長めにそろえた栗色の髪を揺らす彼がそう答えたのは今日だけで三回目だ。中性的な顔立ちとあいまって女の子に見えなくもないが、今のように渋い表情をしている時なら間違える人はいないだろう。


 彼――勇者候補生のクリスは「信じられない」と考えている一人だった。パージの雷魔術を目前で見たことがある彼は、その凄まじさを夢に見るほど強く覚えている。竜族すら打ち倒したという伝説を持つパージは、その功績から第三席の地位を得た最強レベルの戦士なのだ。


「ま、どちらにしても宝玉が手に入っていないことだけは明らかだよな。もう南区の農場は半分が砂漠化しちまってるらしいし」


 この国を守る"語り部"アウグストが唱える「我が国の日天玉は限界が近い」という主張を裏付けるように、国内の各地で影響が顕在化している。このままでは国民の体調に影響が出るのもそう遠い話ではないだろう。この深刻な事態を受けてセントアレグリーの勇者は世界中へと散らばり、新たな宝玉を発見しようと今も捜索を続けている。


 しかし、いまだ日天玉を発見したという知らせは届いていない。それはこの国の現状を見れば誰の目にも明らかだった。


「そこにきてウィクマムへ向かったパージ様たちが謎の失踪……あーヤダヤダ。嫌なことって本当に連鎖するよな」


 パージ達がどんな理由でウィクマムへと赴いたか、その明確な理由は知らされていない。だからこそか、候補生たちは色々な可能性を思いつくままに話し合う。今最も有力なのは「パージが戻らない理由は現代に復活した魔王に敗れたから」というバカバカしい説だ。


「ウィクマムの王族は代々優秀な召喚士を輩出することで有名だからな。当代の女王はまだ若いらしいけれど、実力は例に漏れず相当なものらしい。その力を持ってすれば魔王を召喚することも不可能じゃないらしいぞ」


 あのパージ様を負かすなんて、それこそ物語に出てくるような魔王くらいしか思いつかないって安直な発想だけどさ、と半笑いで付け加えた友人をクリスが呆れた目で睨む。


「ウィクマムの女王がそんな危険なことをしようとした理由は何なの?」


「さあ? でもこの噂は皆けっこう信じてるぜ。『魔王を従えてウィクマムが世界征服に乗り出すんじゃないか』なんて考えているヤツもいるみたいだし。パージ様はその真偽を確かめに行ったところで魔王に襲われたんじゃないか、とかな」


 結局すべてが妄想にすぎない。そもそも本当に魔王が現世に現れたのなら笑い話ですむはずがない。だからクリスはこの話に付き合う事にいい加減ウンザリしていた。そんな空気が伝わったのか、友人はつまらなそうにクリスに別れを告げて他のグループへと歩いていってしまった。


「クリス君。クリス・フェザード君はいませんか」


 ほお杖をついて外の風景を眺めていたクリスの名が連呼される。部屋の入り口に立っていた炎魔術の教師が部屋中の視線を集めて、それが一斉にクリスの方へと向いた。


 何だろう、特に問題は起こしていないはずだけれど。不思議に思うクリスの胸のうちに少しの不安がよぎる。教師に呼び出されるだけでこんな気持ちになるのは一体何故なんだろう。そんな考えを頭の隅に抱えながら、彼は教師に言われるまま部屋を連れ出された。



* * *



 驚くことに、クリスが一人で向かうように指示されたのは、国の中心に位置する大聖堂だった。歴代の勇者を祀るために建築されたここは、祈りを捧げる為の空間を除いて一切の立ち入りを許されていない。今彼がいる場所は立ち入りが禁じられた区画であり、ここに入るのは当然初めてだった。


「すごい……」


 厳重な警備をあっさりと通り抜けたその先には、圧倒されるほどに美しい装飾が至るところに施されていた。神とそれを守る天使の姿が描かれた天井には目がくらむほどの黄金と宝石がちりばめられ、高みから見下ろしてくる勇者像の一つ一つはまるで命が宿っているようだ。窓から降り注ぐ陽光と、自ら淡く光を放つ魔法石に照らされているこの場所は現実感がまるでない。異世界だと言われれば信じてしまいそうだった。


「やあ。キミがクリス君か」


「わあっ!?」


 圧倒的な光景に心を奪われていたクリスは、いつのまにか目の前にいた人物に声をかけられて思わず大声を出してしまった。静謐(せいひつ)という言葉が相応しいこの空間に自分の情けない声が幾重にも響いて、彼は恥ずかしそうに小さくなった。


 ごめんごめん、と楽しそうに笑う人物には見覚えがない。自分より少し背の高い男性は鮮やかな金の頭髪と真っ黒な瞳が印象的で、その姿を見ていると理由もなく背筋が寒くなっていく。だからといってそれを態度に出すのも失礼なので、クリスは慌てて頭を下げた。


「楽にしてくれて良いよ。キミを呼んだのは他でもない、ある重要な仕事を頼みたいと思ったからなんだ」


 カミルと名乗った男性はクリスに右手を差し出してくる。つられるように差し出した手を握られて、その冷たさにかなり驚いた。そんな反応を気にも留めずカミルは手を離し、「こちらに」と背を向けて歩き出した。




 カミルは大聖堂地下へと進んでいく。陽の光が入らないこの空間は薄暗く、魔法石の灯りだけがボンヤリと周囲を照らしている。地上階とは一転して装飾が一切見当たらない。そんな殺風景な空間の奥へ奥へと連れられてゆく。

 

 辺りは暗く、数歩先もろくに見通せない。まるで魔界の淵へ足を踏み入れるような感覚に、だんだんと恐れの感情が大きくなる。一体どこへ向かっているのだろう。もう一度尋ねてみようと息を吸ったタイミングで先を行くカミルが足を止めて振り返った。どうやら目的の場所に到着したらしい。


「それであの、仕事とは一体何をするんですか?」


「うん。キミには魔王の相手をしてもらおうと思ってね」


「……え?」


 クリスは「ちょっとすみません」と一言断ってからカミルに背を向けて耳を手で軽く覆う。「あーあー」と声を出して首をひねった。ちゃんと正常に聞こえたのだ。


「あの、もう一度お願いして良いですか?」


「だから、魔王を殺してきてねって言ったんだよ」


「さっきより内容が過激になってますよね!?」


 ちゃんと聞こえているじゃない、とカミルが不思議そうな顔をする。冗談なのか本当なのかも判断できないまま、話はどんどん進んでいってしまった。

 

「大丈夫、一人で行けなんて言わないよ。後で紹介するけど二人旅だから」


 決して大きくない声に何故か威圧されている。どんな顔をすれば良いのかわからないままクリスは冷たい手に頭を撫でられた。まるで温かみを感じない掌が触れていたのは、ほんの数秒のことだった。



* * *



「……それで話は終わりなのか?」


「うん。頭を撫でられたのは"洗礼"の為らしいんだ。聖水を頭からかぶるとかを想像していたんだけど、それだけ。一体何だったんだろう」


 あの真っ黒な瞳にジッと見つめられながら、ただ頭を撫でられただけなのだ。特に体に変化があるようには思えない。クリスが改めてそう答えると、幼馴染は「ふーん」とだけ答えて何かを考えているようだった。

 

 候補生の学び舎から近いこの中央公園は、豊かな緑が美しく管理されている老若男女に人気の場所だ。今は緩やかな斜面に生えた芝生に寝転がって遊ぶ子供たちの声があちこちから聞こえてくる。それを少し離れた木陰から眺めながら、クリスは不満そうに隣を睨んだ。


「ふーんっ、て。魔王だよ? 確かに現実感が無い話だけどさ、もう少し反応があっても良いと思わない?」


 そう訴えても幼馴染は答えない。短く刈り込んだ黒い髪がわずかに動く他は微動だにしない。そのまま沈黙を守っていた彼は数十秒ほどしてから再びクリスの方を向いた。

 

「お前が会ったカミルという男は、恐らく"語り部"アウグストの部下だと思う。何度か隣に控えていたのを見たことがあるからな……それにしても、聞くほどに腑に落ちないことが多い話だ」


 まっすぐにクリスを見つめる幼馴染は、ゴツゴツした右手の人差し指をまっすぐに立てて見せた。


「まず、どうしてお前が選ばれたのかということ。ここはセントアレグリーだ。言っちゃ悪いがお前のような"勇者候補生"は幾らでもいるし、その中でお前が特別優秀だというわけじゃない。なのに何故お前が選ばれたのか」


 幼馴染は人差し指に続いて、中指をピッと立ててみせる。


「次に、どうしてお前のパーティが二人構成なのかということ。他の国ならいざ知らず、この国で支持されている"パーティーを組む最小構成人数"が三人だということは知ってるよな? 攻撃役、防御役、回復役のどれが欠けてもバランスに欠けるのは言うまでもないことだ」


 もちろん各々が高レベルに達すればこの境界は自然と曖昧になってくる。攻撃役が防御を担当することもあれば回復役が攻撃に躍り出ることもあり、各々が攻撃、防御、回復を一手にこなすことができるのであれば、極論を言ってしまえば全員が攻撃役になる。


 それでも各々に得意分野というものは存在する。魔術使いが魔術の効かない相手に杖を振り回すよりも戦士が対応した方が良い結果になるように、専門職の特化した能力は他分野の人間がどれだけ努力しても届かないレベルにまで達する。その為、いくら高レベルであろうとも殆どのパーティーは三人以上で構成されていて、それぞれ役割が決まっている。


「だというのに、どうして二人なんだろうな?」


 最後に、と薬指を立てた幼馴染は「こんなふざけた構成のパーティをどうして"魔王"にぶつけようと思ったのか」と眠たそうな目をしながら首を傾げた。


「よく知らんが、その"魔王"ってのはよっぽど弱いのか?」


 矢継ぎ早に浴びせられた質問に、クリスは全部「わからない」としか答えようがなかった。「だよな」とひとりで頷いた幼馴染はまた置物のように黙ってしまう。


「全部わからないよ。だから、第七勇者のネイキス様ならば"魔王"について何か知っているかと思って相談してみたんだけど」


「その呼びかたは止めろって言っただろ……少なくとも、俺には一切情報がきていないな。あいも変わらずアウグスト(ヒゲオヤジ)の『宝玉を捜索しろ』というお言葉に従ってせっせと探す毎日だ」


 いつも淡々とした口調で語る幼馴染(ネイキス)は、珍しく苛立ちを滲ませながら「まるで厄介払いだ」とこぼした。


「候補生の間で噂話が飛び交っていることは知っている。確かに自己顕示欲の塊みたいなパージが結果報告を部下に任せてダンマリってのは変だから、アイツがドジを踏んだってのは本当なのかもしれない。これはもしもの話だが、パージが誰かに()られいて、その誰かを"魔王"と呼んでいるんだったら……お前死ぬぞ」


「ですよね!? 絶対ヤバイよね!?」


 事情はまるでハッキリとしないが、とんでもない仕事を引き受けてしまったかもしれない。今更そんな事を理解したところで断るには遅すぎるけれど、何とかならないだろうか。どんどん青くなってゆくクリスはすがる様な目を向けたが、その希望を打ち砕くようにネイキスは首を横に振ってみせた。

 

「無理だな。一度受けた仕事はどうなろうと結果が出るまでは変更できない。もう耳にタコが五つくらいはできているだろ?」


「がー!! そんな古臭い慣習は今すぐぶち壊してやりたい!!」


「無理だな。そもそも一度請け負った仕事を最後までやるってのは、ヒトとして当たり前の話だ」


「わかってるよ! わかってるから少しは慰めてくれよ勇者様!!」


 無理だな、とにべもなく切り捨てられてクリスは地面に崩れ落ちた。


「それで、もう一人はもうすぐここに来るはずなのか?」


「うん。もう来ても良い頃はだいぶ過ぎているんだけど」と答えたクリスの背後から、白い魔術師ローブを纏った人物がこちらにやってくる。幼馴染に教えられて振り向いた先に立っていた人物は「遅くなってごめんなさい」と綺麗な声を発して丁寧に頭を下げてきた。


「あなたがクリスくんですよね?」


 はじめまして、と目深に被っていたフードを脱く。クリスとほとんど同じ背丈の女性は柔らかく微笑んでみせた。


「リアといいます。よろしくお願いしますね」


 いま自分を押し潰そうとしている厄介ごとの全てを忘れて、クリスはその笑顔を呆けたように見つめていた。

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