ex2-2.疑念
リアと別れて城へと戻った俺は、ミズホ達にあいつが国外に出たことを簡単に教えた。ミズホは詳しく事情を聞きたがったけれど、自分の知らないことまでは答えられない。「無事だと良いけど」と心配そうに口にするミズホ達に頼んで、パージ達を介抱する手筈を整えてもらおうとして――思いとどまった。
どんな事情があろうとパージはこの国の勇者を殺した男だ。そんな相手を介抱しろなんて言われても嫌だろう。
考えすぎかもしれないけど結局サディアに頼むことにした。リアが治療したお陰か少なくとも見た目には問題なく、パージ達はただ眠っているだけに見える。しかしあの別館に夥しい量の血痕があったことから、相当ひどい状況だったんだろう。
「……機嫌が悪そうね、お兄様」
一旦話を終えて戻った俺の部屋の中で、なぜか我が妹がベッドに腰かけていた。相変わらずの衣服に身を包んだフェリンの顔はどこか不満そうだ。足を組んでいるせいで、膝上あたりまであるスカートから薄い褐色の腿が大胆に見えている。大きく開いた胸元といい、一体誰に見せるつもりなんだお前は。お兄ちゃんは悲しいぞ。
「やだレオン様ったら。そんなしげしげと実の妹を観察しちゃうなんてどういうコトですかー。ほらほら、もっと私も見てくださいよー」
その隣には、つい先ほど用事を押し付けたはずのサディアまでいた。こちらの衣装はもっと酷い。お子様の目の毒になるに違いない格好をした部下をよこすなんて、アレジは一体何を考えてるんだ。
「……完全に目が死んでるわね。妹が兄に会いに来ているのだから、もう少し嬉しそうな顔できないのかしら」
「あの勇者ちゃんにしか興味ないって感じですよね。もう夜も深くなってきましたし、私ならいつでもご奉仕しますよ。どんな過激なご要望でも絶対に拒否ったりしませんから」
「じゃあ帰れ」
「ヒドイです!」
俺はただ要望を言っただけなのに何故か文句を言われた。サディアに腕をからめ取られて仕方なくベッドへと腰掛ける。当たり前のように押し倒そうとしてきた不届き者の腕を叩いて、こめかみを強くグリグリしてやった。
「ギニゃっ! そ、そんなプレイは想定していませんでしたッ! もう少しだけ優しくしてもらえませんか!? われる、われちゃうぅ!」
さっきからコイツが何を言ってるのか理解できない、というか理解したくない。バタリとベッドに倒れふしてしまった部下は放置しておいて、隣に座る妹君へと視線を戻す。ひくひくと悶えているサディアを観察していたフェリンは、なぜか首を傾げていた。
「人間って変わった愛情表現をするのね。それともあの女だけがこういうのを好むのかしら。……まさかとは思うけど、サキちゃんに痛い思いをさせるのはいくらお兄様でも許さないからね。ちゃんと気持ちよくなるようにしてあげてる?」
正気に戻るよう祈りながら妹をペシッと叩く。どこをどう勘違いしたのか知らないがお兄ちゃんは悲しい。お前はもっと清純派だと思ってたのに。
「にゃ。フェリン様は今も清純派ですってば。愛しの"お兄ちゃん"の前で背伸びがしたいお年頃なのですよ。今着てるみたいなセクシーな服いままで見たことありませんからおうふ」
電撃を受けて今度こそ赤毛の痴女が静かになった。代わりに真っ赤になったもう一人が「し、信じないでよね!?」と叫んでいるが、追求したら本気で痛い目に遭いそうだったので黙っておく。
「ところでフェリン、お前いつの間にこっちに来たんだ」
「その疑問にたどり着くまで随分と長かったわね……まあいいわ。来たのは少し前よ。お兄様が面白そうな騒動に巻き込まれているってアレジから聞いていたから、仕事ついでに手伝ってあげようとか思っていたのだけれど」
どうやらサキの戦いをこっそり見学していたらしい。「手助けなんてまったく必要なかったわね」と感想を述べたフェリンは「あの子強いわね」と感心するように付け加えた。
「"レナスの秘宝録"って覚えてるわよね? あれにサキちゃんの武器も載っていたのだけれど、私たちにとっては間違いなく天敵ね。精神の強さがそのまま刃の強さに直結するのだけれど、あんなに鮮やかな赤色になるまで実体化させられる使い手は滅多にいないらしいわよ。今更だけど、よくあんな恐ろしい使い手を仲間にしたものだわ。一度でも斬られたら本当にヤバイもの」
うん、俺もそう思う。ちなみにお前は何度斬られてもおかしくないような行為をアイツにやり続けていたんだけどな。よく無事だったもんだ。
「やっぱりあの時みたいに膝上に抱いて、刺激に弱い右耳から攻略すべきね。腕を押さえるとこっちも手は使えなくなるけれど、口や舌を使ったほうが色々と効果的だし。首筋に気を取られている間にうまく手を縛っちゃえば、あとは――」
「どこが清純だよ! お前いつの間にそんな風に歪んでしまったんだ!」
「冗談よ」
ウソつけ。間違いなく本気の目だ。
フェリンは目を怪しく輝かせながら淫靡に笑っている。サキには厳重に警戒するよう忠告しておかないとマズイ気がする。真剣にそう考える俺を半目で睨む妹は、サラッととんでもないことを言いやがった。
「何よこれくらいで。恥ずかしがるサキちゃんをお風呂に連れ込んで奉仕させるお兄様に比べたらずっと健全よ。どうせ『俺も洗ってやるよ』とか言いながら隅々まで手を這わせて――」
「してねえよ!? 勝手に妄想を膨らませるんじゃない!」
「えー、いいなー。わたしにも今晩のお風呂でご奉仕させてくださいね」
「さらっと復活するんじゃねえよ! 話の邪魔だから大人しく寝てろ!」
「イヤイヤ、魔王様のお邪魔をするなんてとんでもない。んー、どうもイライラが蓄積していらっしゃるようですねー。ここは私がスッキリさせ……あの、ちょっとその愛は重すぎますのでご遠慮申し上げたいといいますか、その」
……わかってるんだ。力ずくで解決するのは良くない事だって。でもさ、もうダメだったんだ。仕方なかったんだよ。そう自分で自分を納得させて、俺は二人の頭を拳で思いっきりグリグリした。
* * *
ベッドの上で正座する二人を見下ろしながら腕を組む。そんな俺の目の前で肩を小さくしているサディアと唇を尖らせている妹が静かに俺の言葉を待っている。問題児をやさしく指導する鬼教官のような微笑が功を奏したらしい。「ここに来た理由は?」とやさしく尋ねると、フェリンが不満そうに口を開いた。
「こっちに来た理由は二つあるわ。一つは"レナスの秘宝録"絡みでの調査よ」
その名前はよく覚えている。ガイコツ屋敷での騒動の末に取り返した古い本だ。確か二つと同じものは無い貴重なもので、この世のあらゆる秘宝が掲載されているという代物だ。
それについてはもう解決したものだと思っていたのに、フェリン曰く見落としがあったらしい。
「お母様にあの本を手渡した途端『型を取られた形跡がある』って指摘されたの。恐らく"フォールの筆"というアイテムで贋作が作られてしまっていて、それがまだこの世界に残っているの」
本物を取り返して安心していたら、まんまとコピーを取られていた。そんなワケで現在鋭意調査中だという。何か問題が起きたら母親から素敵な罰が待っているらしい。
「そしてもう一つの理由は、あの女についての調査結果をお兄様に報告する為よ」
聞けば、ガイコツ城での探索後からリアについて調べていたらしい。"勇者リア"とは何者なのか、どんな経歴を持つのか。その結果を教えに来たという。リアについて色々聞かれたから不思議だったんだけど、そんな事をしていたのか。
「どんな結果が出たと思う?」
「さあ」
アイツがどんな伝説を残したかなんて想像もつかない。かなり破天荒なことをやっている予感はするけれど。そんな風に考えていたから、妹の口から出た言葉をすぐには飲み込めなかった。
「そんな勇者はどこにも存在しなかったわ」
「……どういうことだ?」
「使い魔を総動員してこの世界を調べさせたのだけど、誰も"勇者リア"なんて知らなかった。ついでに人間が遺した記録も調べてみたけれど、ここ数年どころか二十年を遡ってもそんな勇者はどこにも載っていなかったわ」
「何か見落しているんじゃないのか」
「私の使い魔の優秀さは、お兄様も良く知っているでしょう?」
その目は真剣そのものだ。いくらリアを嫌っているからってこんな嘘をつくとも思えないから、本当のことなんだろう。
「わかる? アイツは得体の知れない相手なの。そんな相手にこれ以上心を許さないで。それでなくても誰かさんは長い間行方不明になるようなミスを犯してるんだから」
ジトっと睨んでくる妹の視線が痛い。
……確かに少しだけ変だなとは思っていた。サキもミズホもリアを勇者だとは知らない様子だったし、街を歩いても勇者と知って声をかけてくる人物はいなかった。世界を救った勇者なら、それなりの知名度があってもいい筈なのに。
考えてみれば不思議なことは他にもある。うろ覚えだが、アイツは「遠くの国では今でも人が死ぬ争いが繰り返されている」と言っていたのだ。でもそこには俺を連れて行かずにフラフラと歩いてハイグレイの騒動に巻き込まれたり、ここの騒動に巻き込まれている。
まるで騒動が起きていることだけは確信を持って知っているのに、それがどこで起きているのかが分からない。だから俺を連れまわして騒動を探している、ような。
いかん、なんだか混乱してきた。ちょっと頭の中を切り替えよう。
「ところで、アイツの故郷については調べたのか? 確か既に滅んでしまったらしいけど」
「ええ、それが身元を知る大きなヒントになると思っていたのだけれど、それも空振りだったわ。少なくとも調べた範囲では近年滅んだ国なんて見つけられなかった。戦乱はもちろん気象災害の記録も調べたけれど、それらしいものは皆無だったわ」
なんだか溜息が出てくる。今更だけど、俺はリアのことをほとんど知らないんだよな。
この世界に復帰した直後はただただ出られたことが嬉しくて、リアについての疑問なんてちゃんと考えようともしなかった。アイツの雰囲気がぽやぽやしているというか……まるで敵意を感じなかったから、そんな些細な違和感は問題だと認識しなかったんだ。
「そういえばエク公……聖剣のことも凄さを知らないような口ぶりだったんだよな」
「えー、それはちょっと信じられませんね。命を預ける相棒についてよく知らないなんて、さすがにそれは嘘をついたんじゃないですか?」
「でもさ、そんな嘘をつく理由なんてあるか?」
「お兄様の油断を誘いたかったんじゃないかしら。何も知らないような演技をしておいて警戒心を解いてから、後ろから刺すつもりだったとかね」
いつの間にか正座を崩していた妹は、足を組み替えてそんなことを言う。
「俺をどうにかしたいのなら、そもそも解放しないと思うけどな。確かに一度エク公に襲われたけどさ」
――しまった。そう思ったときにはもう遅かった。エク公のくだりはフェリンに教えるつもりじゃなかったのに。
「……へぇ。それは初耳ね、お兄様。詳しく話を聞かせてもらえる?」
後悔しても後の祭り。激しく追及してくる妹に押されて洗いざらい白状させられた。そしてリアがセントアレグリーへ行ったと知ったフェリンは「これで失礼するわ」と言い捨ててさっさと出て行ってしまった。
今のうちに鎮火しないと面倒なコトになりそうだ。ベッドの上でクネクネしていたサディアを追い出して、俺も部屋を出ることにした。
* * *
「くしゅん」
不意に出たくしゃみに首をかしげる。
今日はいつもより風が強い。ボールを真ん中から切ったような建物から出てきた人物は、強く風にあおられて脱げてしまいそうになったフードを慌てて押さえた。
ここは切り立った山の頂上だ。周囲は崖になっていて一見どこにも道はない。しかし建物の入り口からちょうど反対側に位置する崖には出っ張った岩が点在していて、それを使えば崖下へと進めるようになっていた。
「っと」
一歩ごとに土色の崖を転げ落ちる小石がパラパラと音を立てる。誤って落ちればまず死んでしまうような高さだが、彼女はしっかりとした足取りでトントンと先へ進む。岩をちょうど十個降りた先には大人が横になれるほどの棚があり、目の前の山肌が不自然に削られていた。
そこには、ふたつの墓標が周囲と同化するように並んでいた。土埃で汚れてしまっていたそれを丁寧に拭いて綺麗にする。無言で作業に没頭していた彼女は、やがて満足したように微笑んだ。
「ゴメンね。ちょっと間が空いちゃった」
全身を覆う白い魔術師ローブが乾いた土に汚れてしまうのも構わずに、目線を合わせるように膝をつく。友達を相手にするように笑いかけながら、手にしていた杖を掲げて「これちょっと借りるね」とささやいた。
ややうつむき気味に目を閉じる。そのまま暫く沈黙を続けていた彼女は目を少しだけ鋭くして立ち上がった。「行ってくるね」と背をむけてからローブについた土をはたく。その全身が淡い光に包まれて、小さな破裂音とともに消えていった。




