34.魔矢使い
軍の指揮を預かるロベリアは焦っていた。
予定通りこの東門付近に飛ばされてきた七人に対し、待ち構える兵士は千を越える。孤立する彼らを数の力で押し切ってしまうという作戦は、当初は予定通り進んでいた。
混乱の隙を突いて数人がかりで襲い掛かり、動きを封じて取り押さえる。単純極まりない作戦だが、七人のうち二人を拘束することに成功していた。
「オラオラオラァッ! 悪党が卑怯な手を使いやがって!! 貴様ら全員ぶっ飛ばしてやるからなァ!!!」
しかし、落ち着きを取り戻した彼らの強さは計算外だった。特にあの黒髪の大男は"トンファー"という短い棒のような武器を振り回して暴風のように兵士をなぎ倒してゆく。このままボヤボヤしていては、逆に押し切られてしまうかもしれなかった。
「ロベリア様、止むを得ません。アレをやりましょう」
「しかし、アレは――」
「このままでは、やがて全滅してしまうのは明らかです! どうかお願いします!!」
……確かに迷っている時間などない。残りの四人から完全に目を離してしまうことは避けたかったが、だからといってこれ以上ポカンと眺めているのは悪手以下だ。
やるしかない。だが、現状では難しいだろう。アレをやるには少なくとも相手の動きを鈍らせる必要がありそうだ。
ロベリアが頷く。進言してきた副長も大きく頷いて、彼女に武器を手渡した。
* * *
黒髪の男を囲んでいた兵士が引き波のように一斉に下がってゆく。
片眉をひそめた男が構えを解き、つまらなそうに唾を吐く。あれだけの兵士を相手にしても怪我らしい怪我をしていない。
「ナンだァ? もう降伏かよ。もっと殴らせてくれてもイイじゃ――」
呼吸の乱れもなく放たれた罵声が途中で止まる。新たな獲物を見つけた猛禽類のような眼で、十歩先で立っているロベリアの全身を舐めるように見回してきた。
「流石はセントアレグリーの戦士。その強さには敬意すら覚えます」
「ハッ、女だてらに戦場に立つか。面白ぇ、相手になってやる」
男が獰猛な笑みを浮かべ、その視線がロベリアの手にした"弓"に移る。感心するように口笛を吹いてみせた。
「テメェ、"魔矢使い"か」
彼女が手にしているのは、わずかに弓形に曲がった棒だ。全長はロベリアの身長の半分ほど。水晶のように透き通った本体と使い込まれている持ち手部分などは弓そのものだが、肝心の弦が張られていない。両端は鋭く尖り、刃のように光っている。触れれば切れてしまいそうだ。
「よくご存知ですね」
ロベリアが弓の両端を繋ぐように指を走らせると、そこに光の糸が生まれ弦となる。まばゆく光を放つそれを右手で掴み、ぐいと引き絞って、男の胸元に狙いをつけて静止した。
「ウィクマム軍将星、ロベリア。参ります」
「ジェイルだ。せいぜい楽しませてくれよ?」
前傾姿勢をとりながらジェイルが吼える。予備動作なしとは思えないほど鋭い出足を見せながら、血に染まった獲物を振り上げた。
対するロベリアの右手が淡く光る。ぐっと握りこむように力を入れると、その手中に青白い矢が生まれる。切れ長の目を細めて弦を弾くと、矢が尾を引きながら五又にわかれて放射された。
「五重撃ちか。どんな国にも骨のあるヤツは居るもんだねェ」
笑みを浮かべたまま音速の矢を回避される。相手の両頬と腕からわずかに血が滲んだがスピードは衰えない。十歩あった間合いをあっという間に詰められ、みぞおちを打ち抜くように右腕が襲い掛かってきた。
「くッ」
弓の背で受けたロベリアの脚が地面に線を引く。衝撃に片目を閉じながら、弓を右手に持ち換え鋭く振る。ぷらん、と片側が外れた光の弦が鞭のように太く長く膨張し、丸太のような左腕を強打して押し返した。
「なんだァ!? そんなコトもできるのかテメェ」
「……少しはダメージが通ったと思いたいですが、あまり期待はできませんね」
防具のない腕に直撃したというのに、まるで手応えがない。すかさず弓を構えて矢を放つが、変わらないスピードで軽く回避されてしまった。
まだ始まったばかりだというのに、ロベリアの額に汗がにじむ。
この戦いを長引かせてはいけない。長引けば、それだけ残りの四人と合流されてしまう可能性が高くなる。まだ何とか持ちこたえられているようだが、悠長に構えている時間はない。
「"雨"を撃ちます。巻き込まれないように」
心中の焦りを隠しながら周囲にそう告げて、ロベリアは弓をまっすぐ天に向けた。
《――命を糧に、命を奪う。緋色の雨が大地を貫く》
弦を引く右手が今度は赤く光をおびる。詠唱の終わりと共に弦を弾くと、炎のように燃える光が尾を引きながら空へ駆けてゆく。バッと花が咲くようにそれが弾けて、数百の赤い光が豪雨のように降り注いだ。
「ぐおっ!?」
さすがにこれは避けられない。大きな身体にいくつもの小さな矢が突き刺さり、ジェイルに初めて苦悶の表情が浮かぶ。肉を焼いた矢が溶けるように消えると、流れ出た鮮血が地面にポタポタと垂れ落ちた。
手応えはある。しかし、決定打にはまだ遠い。
「チンケな火傷くらいでこのオレが止まるかよ!!」
大男が目を凶悪に光らせて笑う。いささかも衰えない気迫を込めて、いまも天から降り注ぐ火雨の中を突っ切って、武器を槍のように突き出してきた。
しかし傷の影響か、その動きにさっきまでのキレがない。
チャンスだ。
ロベリアは一歩を踏み出して、荒々しい一撃をかいくぐって懐へと飛び込む。
弓を両手に持ちかえて、まるで剣のようにして大きな胸板に突き刺した。
「グッ!?」
僅かに急所は外したが、確かな手応えを感じた。整った口元を微かに綻ばせてその手にさらに力を込める。弓が青白く発光し、傷口から氷の結晶が一斉に広がってゆく。ゼロ距離からの氷結魔術ならば、いくらこの男でもひとたまりもないはずだ。
このまま勝負を決められるかもしれない。そんな甘い見通しがロベリアの隙となった。
「ガ……ぁ……な、めンじゃねェ!!」
「ッ!」
苦しげに振り回された太い腕に殴られて、ロベリアの側頭部に凄まじい衝撃が走った。
視界が真っ白に染まって膝が折れそうになる。辛うじて意識を取り戻したが、視界がぐにゃりと歪んで定まらない。
「クソアマが……もう殺すだけじゃ許さねェ。その顔を涙でグシャグシャにしてやるよ」
胸に深い傷を負ったというのに、相手はいまだ倒れる気配がない。怒りに顔を歪ませ、獣のように咆哮して一直線に襲い掛かってくる。なす術なく腹を強打され、勢いよく飛ばされたロベリアの両足が力を失った。吐血と共に激しく咳き込んだ口元が赤く染まり、地面に赤い染みが広がった。
「……ッ、ゲホッ……く」
やはり、一対一では敵わない。
予想していたことだったけれど、現実として突きつけられるとショックを隠せない。
血に塗れた指で地面の土を掴んで握りしめる。ろくに力が入らなかった。
「やはり、私だけでは、勝てません」
意地を張るのはここまでだ。
圧倒的な力の差を埋めるためには、手段を選んでいる場合じゃない。
正々堂々を貫けるほど強くない自分が情けないけれど、自分が守りたいものは、ちっぽけなプライドなんかじゃないのだから。
「――アレをやります」
狂ったように笑う男を無視するように大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。気遣う周囲の言葉を受け止めながら「頼みますよ」と呟いたロベリアが弦を引く。彼女の腕がピタリと静止して相手の額に狙いをつけた。
「バカが。そんな状態でトロい矢を撃ったところで――」
「行くぞ貴様ら!! アレをやるぞ!!」
副長の声に「応!!」と叫んだのは、彼女を取り囲むようにして見守っていた兵士たち。武器を捨て、命をも省みず、副長をはじめ十数人の兵士がジェイルへと一斉に飛びかかった。
二人が太い腕に飛ばされたが、動きの鈍った体にひとりがしがみ付いた途端、次々と兵士がとりついて動きを封じてゆく。
「いまさらッ、ザコがッ、しゃしゃり出てッ、来るんじゃッ、ねェよ!! 離しやがれ!!」
ミチミチと筋肉が膨れ上がる音が聞こえるようだ。ジェイルは凄まじい膂力で抵抗するが、兵士たちは必死にしがみついて離さない。
「今です、ロベリア様!」
サアッと冷たい空気が流れ、今までとは比べ物にならないほどの力がロベリアを中心に渦巻く。周囲は既に白く染まり、パキパキと乾いた音が響いた。
これから何が始まるのか。それを悟ったジェイルの顔が青ざめた。
「仲間ごとだと!? テメェら正気か!?」
「むしろご褒美だッ!! あのロベリア様に凍らされるなんてゾクゾクするだろう!?」
満面の笑みに、ジェイルの額にダラダラと汗が浮かぶ。全力で振り払おうと筋肉をさらに隆起させて足掻くが、さらに二人の兵士が飛びついて完全に身動きが取れなくなった。
そして、弦を離したロベリアから数百の氷礫が一斉に降り注ぐ。
「ありがとうございますッ!!」
「どうして貴方たちは、いつもそう言うんですか……」
もろともカチコチに固まってしまった連中に、ロベリアは呆れるようにため息をついた。
* * *
受けたダメージは大きいが、何とか三人目を撃破した。あと四人だ。
ロベリアは口元をぬぐい、まだふらつく頭の具合を確かめるように手をあてる。あまり思わしくないが、そんな弱音を吐いている暇があったら動くべきだ。レオン達の助けが必ず来てくれるとは限らない。少しでも早く残りを制圧しないと――
「――だから単騎で暴走するなと釘を刺したというのに。ジェイル君は後で説教確定だね」
「ヒヒヒ、それがアイツの良いところだし。こいつらを片付けた後で、思い切り笑ってやればいいんじゃないの?」
「……この氷を溶かすのは骨だぞ」
――最悪、その一歩手前。これが盤上遊戯なら迷わず投了する程度に悪い状況が、目の前に広がっていた。
ジェイルを制圧したロベリアの前に現れたのは、六人の精鋭。戦闘開始直後に拘束したはずの二人までも解放されてしまっていた。槍、斧、剣、鞭、鎚、杖。どれも一癖も二癖もありそうな顔をしている。
「く……」
見通しが甘かった。目を離した隙に彼らはチームを組んでいたのだ。各個撃破ができなくなれば攻略難度は跳ね上がる。こうなる事だけは避けなければいけなかったのに――
「ずいぶんと浮かない顔をしていらっしゃいますね、将星」
振り向くと、副長が爽やかな笑みを浮かべていた。こんな時にそんな顔ができる男だっただろうか、と違和感を感じたロベリアが目を丸くする。副長だと思っていた顔が徐々に変化して知らない男になったのだ。
どういう事なのか、混乱した頭は考えをまとめられない。そんな彼女に男は「実はワタクシ、レオン様の命令によりお邪魔した魔族でございます」と耳打ちした。
「あまり目立つなと言われておりますので、ほどほどにお手伝い致します。ちょうど強力な援軍もいらっしゃったようですし」
視線を誘導された先には、鮮やかな赤髪の少女がいた。周囲の視線を集めながらロベリアの元へとテクテク歩いてきた彼女は「フレイが寝ちゃったから運ぶのを手伝って欲しい、なの」と、普段と変わらぬ調子でそう言ってから六人に刃を向けた。
「回復はお任せください。周りのお仲間がゾンビ兵顔負けのしつこさになることをお約束しますよ。あの六人がいつ音を上げるのか、楽しみですね」
いつの間にか、身体が軽くなっている。ロベリアは力強く弓を鳴らした。