29.「儀式?」
軍議が終わってから少し時間を持て余したので、陽が沈む前にこの国の兵士を見ておいた。
予想以上にボンクラだったらどーしようと不安になっていたが、幸いにして思ったよりもマシだった。魔術こそ使えないものの指揮系統がしっかりしているし、武器を振る力強さも悪くない。将星職に就いているロベリアが丁寧に指導した賜物らしい。
しかし、安心して任せられるというレベルでもない。多対1の戦闘訓練なんてそうそうやらないだろうし、万が一にも失敗となれば契約者の願いが叶わないことになる。つまり隷属の呪いが解けないのだ。そうなったらこの先どんな馬鹿らしいことを強要されるかわからない。
故に、絶対にこの作戦は成功させなければならないわけで。相手が第三勇者だろうが第一勇者だろうが、ここは強制敗北イベントだと思って諦めてもらおう。
フェリンが言うには、あいつは既に近くにいる筈だ。周りに誰もいないことを確認してから、小声で懐かしい名前を呼んでみた。
「居るか? アレジアンス」
時刻はちょうど逢魔時。誰にも聞こえていない筈の呼びかけに応じて闇が迅速に収束してゆく。闇はやがて一つとなり形を成して、俺の前で跪いた。
「お久しぶりです、レオン様。ようやくお声を掛けてくださいましたね」
懐かしい声だ。この世界とは比べものにならないほど闇に彩られた俺の故郷には、代々魔王に仕える一族がいる。家事から戦闘、果ては参謀まで何でもこなす万能の補佐人として重宝している連中だが、その筆頭がこのアレジアンスだった。肩書きは近衛軍団長兼執事、だったっけ。
「……なんだ?その格好」
白い肌に黒髪と黒い瞳、長身の痩躯が特徴的な紳士、というのが本来の姿だった筈だけど……目の前に現れたのはどう見てもただの黒い子犬だった。
「フェリン様が繋げたこの世界との"路"が不安定ですので、極力魔力を消費しない形を取っております。……お見苦しいならば姿を変えますが」
「いや、別にいいけどさ」
見苦しいとは思わないが、そんなつぶらな瞳で喋る様はとてもこの男が親父の懐刀には見えない。それでも、アレジアンスは魔界全土で名を知られている数少ない一人だ。
彼の仕事は多岐にわたる。大半は両親のわがままを聞く雑用だったが、いちいち相手をしていられない親父に変わって勇者と戦うこともあった。そのせいでアレジアンスが魔王だと思い込んでいる人間も少なくなかったらしい。
魔王の代わりが勤まるだけあってその力は折り紙つき。ひょっとしたら俺も全然歯が立たないかもしれない。今は犬だけど。
「ご謙遜を」
……気がつきすぎるところも相変わらずのようだ。「主の考えが読めないようでは執事として名乗れません」とか言っていたが、どこまで読めているのか冷静に考えるのは止めておこう。
「お前が居るから俺は安心して家を空けていたんだけどな。面倒ごとが増えて母さんがブチ切れたってのは本当なのか? アレジ」
「ご安心を。少々キールに対する扱いがぞんざいになっておられますが、死ぬ程ではございません」
ならいいや。
実家にはアレジを筆頭に優秀な人材がいる。俺が戻らなくてもアレジ達がちゃんと母親の面倒を見てくれるだろう。
「ではレオン様、何なりとご用命ください」
姿に似合わぬ優雅な物腰のままアレジはふわりと頭を垂れた。本来の姿であれば嫌味なほどに決まっていただろうけど、子犬の姿ではどうも変な感じがする。……まあいい、早く用件を言ってしまおう。
「実は勇者と一戦交える事になった」
一瞬アレジアンスの殺気が膨らむ。しかしすぐにそれを恥じ入るように収めて、俺に深々と頭を下げた。
「久しく手合わせをしていないと思えば、まさかレオン様のお手を煩わせようとしていたとは……申し訳ございません。今すぐに排除いたしますゆえ」
声のトーンまで一気に低くなる。恐ろしく冷たい目がまだ見ぬ標的を射殺さんばかりに鋭い闇を宿した。
遥か昔、御伽噺になるような勇者と魔王の戦いが繰り広げられていた頃から、アレジアンスには数々の勇者を迎え撃ってきた経験と実績がある。今回のような事態を相談するには最適な人材なのだ。
「勇者の相手は俺がするから必要ない。加えて従者のうち二人は既に目処がついているんだが、残りの七人を相手する連中がいかにも心許ないんだ」
「では、その相手を?」
「わざわざお前に出てもらう程じゃない。俺が相手にする勇者にしたってお前じゃ物足りないだろうさ。お前が選んだ適当なヤツを送ってくれないか? ああ、できれば魔物と知られない人型がいい」
今の状況を教えると、名参謀は「早急に手配致します」と頭をたれた。
「只今偵察を向かわせました。ご希望に沿った部下をすぐにお送りいたします」
アレジはそう告げると瞬く間にその姿を消す。相変わらず行動が早いヤツだ。きっと有能な部下を送ってきてくれるだろう。
「それじゃ俺もリア達を迎えに行くか」
俺が突然姿を消して心配してるかもしれない。そんな姿を想像して、やっぱりそんな事ありえないかと思い直して俺は城に戻った。ミズホに頼んで連れてきて貰えばいいや。
* * *
「んしょ、んしょ……ふう。こんな物かな。そっちはどう? ロベリア」
「ええ。問題ありません」
俺がミズホの部屋に戻ると、ミズホとロベリアが何やら怪しげな作業をしていた。
部屋の様子がいつもと違う。窓は全て日の光が入らないように遮られ、祭壇にあるような大きな蜀台のみが部屋を照らしている。蜀台は部屋の四隅に設置されているだけなので部屋はかなり暗く、ミズホ達の影が炎に照らされてゆらゆらと揺れていた。床には俺を召喚した時のような魔方陣が大きく描かれている。淡く発光しているその上には赤い液体の入った怪しげなコップが置かれていた。
「……何をやってるんだお前ら」
「んに? おお、よくぞ現れたなレオン。わらわは嬉しいぞ」
何故か口調まで怪しくなっている。隣のロベリアが真っ直ぐ俺の元へやってきて、グイ、とあの怪しげなコップを手渡してきた。
「ライナの実をすり潰したものです。どうぞ」
「どうぞ、って言われても困るんだけど。喉なんて渇いてないし」
「"儀式"を円滑に進める為に必要なんだよ。ほらグイっと飲んじゃって」
「儀式? お前が何を始めるのか知らないけど――」
「失礼します」
目を離した隙に背後から近寄ったロベリアがトントン、と俺の肩をつつく。振り返った瞬間を狙って口に何かを突っ込まれた。
「って辛っ!? からい!! なんだコレ!?」
「どうぞ」
口の中が痺れるくらいに辛くて痛い。悶えている俺に向けて、ロベリアはあの怪しい液体を差し出してくる。思わず手に取って口をつけると、意外にも優しい味で飲みやすかった。
「ライナの実はミルクのようにほのかに甘いですから。辛さを和らげてくれますよ」
んぐんぐ、と口の端から零れるのも構わずに一気に飲む。口内の火災が和らぐまで汗が止まらなかった。空になったコップをロベリアに突き返して睨むが、当の犯人はグッと親指を立ててミズホと不気味な笑みを浮かべていた。
「……実はね、レオンの力が強すぎて私の体の負担がちょっと大きすぎるんだ。一応私がレオンの主ってコトになっているんだけど、その関係で私にレオンの力が流れ込んできているみたいでさ。このまま放置するとかなりマズイんだよね」
本来は主から召喚された者へ力を分け与えて使役するのに、その逆転現象が起きているということらしい。このままだと魔力過剰状態になってしまうのだとか。
俺に「お手」をさせようとしていたのも、その現象を解決しようとしての行動だったという。だとしてもアレはどうかと思うけど。
「んで、このヤバイ状況を解決するために儀式をやりたいのだ」
「……まあ、いいけどさ。具体的には何をすれば良いんだ?」
「一番簡単なのは、血の交換かな」
互いの血液を口から取り込むことで状況が改善されるらしい。目の前で死なれても困るので、俺は仕方なしに頷いた。
魔方陣が描かれた床に、若干頬を染めたミズホと向き合って座る。
「血が空気に触れちゃうとダメだから、直接ちゅーちゅーしてね」
ほら、とミズホが自らの白い首筋を差し出してくる。……これに噛み付けと?
「ちなみに、他に方法は無いのか?」
「無いことは無いんだけど……ちょっとだけ恥ずいと言いますか、乙女として複雑と言いますか……だ、唾液の交換、なんだけど。で、でもちょっと必要な量が多くってさ。多分一日中くらいチュッチュしていないと無理なんだよねー。あははっ」
むにむにと指を遊ばせるミズホの視線があちこちに彷徨う。
「も、もう一つ別の方法もあるんだけど……ボク、経験ないからさ。やっぱり最初の方法でお願い! ね?」
「ちなみに、もう一つの方法って?」
「性交渉ですよ」
すっかり存在を忘れていたロベリアの声にびくっ、とミズホの全身が跳ねた。そんな泣きそうな顔しなくていい。もう言わないから。
* * *
血は可能な限り心臓に近い場所から摂取する必要があるらしい。炎で炙っておいた簡素なナイフを鎖骨付近に当てると、ミズホは大げさなほど深呼吸を繰り返した。
「二人で一緒にする必要があるからさ。お願いね」
つぷ、と肌に食い込んだナイフが僅かに血に染まる。互いに抱きつくような格好になりながら、二人同時に口を寄せた。
「ん……」
しょっぱい鉄の味がする。瑞々しい肌に滲む血液を舌で丁寧に舐め取りながら、同時に肌を舐められる。ミズホの小さな舌でちろちろと何度も肌を舐められるのは、小動物に甘えられているみたいでくすぐったい。
「ふくっ、んちゅ、ちゅっ……ん、んんっ」
ミズホの細い肩が小刻みに揺れている。耐えるような吐息といい、どうやらミズホも同じようなくすぐったさに耐えているみたいだ。しかし途中で止めてしまえばまた最初からになってしまう。少々強引だけど、強く抱き寄せて動けないように固定してやった。
「んぅ!? ……んっ、んっ」
血に混じってふわり、と甘い花の香りを感じる。腕の中で微かに汗ばんでいる身体がぴくっと震えて、ミズホも俺の背中に腕を回してきた。
必要な血の量は小さなコップに半分程度。しかし、じわりと傷口から滲み出る血を吸い続けるとなるとそれなりに時間が掛かる。うっかりすると口の端から唾液が漏れてしまいそうだ。ミズホはくぐもった吐息を漏らしながらひたすら舌を動かしている。そんな相手にペースを合わせながら、俺も静かに血をすする。
ロベリアの方に視線をやると彼女は首を横に振ってみせた。まだまだ必要な分量には達していないようだ。
「ンン……」
水気のある音と耐えるような声だけが聞こえる中、数分ほど経った頃だろうか。ミズホの口から今までとは違う声が漏れ、同時に傷口がじんわりと熱を発し始めた。喪失感と充足感が交互に全身に押し寄せて来るような、よくわからない感覚が全身を巡ってゆく。
「うんッ……はぁ……」
一際大きな呻き声と共にミズホの身体が激しく痙攣して、直後に全身が弛緩した。最後に血を拭うように舌を動かしてからミズホが口を離す。それに習って俺も口を離すと、すぐさまロベリアが駆け寄ってきた。
「おーい、大丈夫か?」
清潔そうな布を手にしたロベリアにミズホを渡す。視線がやや覚束ない様子を見る限り、それなりに負担があったのだろう。立ち上がろうとしたのに膝が折れて、また座り込んでしまう。上気した頬のまま恥ずかしそうに笑っていた。
「もう、急にギュッてするんだもん。あれ反則だよ」
「ああでもしないと、お前が暴れそうだったからな」
そういうことじゃなくって、と言いかけたミズホの言葉がどんどん小さくなっていく。何故か不満そうな顔をして、意外なほどの速さで隣の部屋へ走っていってしまった。
「……どうしたんだ? アイツ」
「それが本心からの言葉なら、きっと貴方はいつか酷い目に遭いますね」
唐突に不幸を予言された。切れ長の目のせいで迫力ある眼光が心地悪い。何となくロベリアは敵に回さない方が良い気がするので、ここは話を変えてしまおう。
「ちょっと頼みたいんだけどさ。さっき言っていた俺の連れがこの町のどこかで迷子になってる筈なんだ。誰かに声をかけて探してくれないか?」
「わかりました。それではお名前と容姿について教えていただけますか? ……なるほど、魔王は幼い容姿の女性が好みなのですね。納得しました」
違うっつーの。