20.「……そうですか」
結局、命が惜しい俺はリアの提案に乗ることにした。
妹との真摯な会話の結果、フェリンが抱えている案件を手伝う事になったのだ。首尾よく解決できれば鬼畜母への通報は待ってくれるらしい。自分から首を突っ込んできたリアに加えてサキまで来てくれることになったので、これから手伝う内容を聞くところだ。
場所を茶室に移した俺とリアとフェリンが鉄木の円卓に均等の幅をあけて座る。後ろでは侍女服を着込んだサキがテキパキとお茶の準備をしていた。じいさんの傍にいない時は、こんな風にメイドさんとして働いているらしい。
リアはサキに落ち着かない視線を送っていたが、手伝いの申し出をやんわりと断られて結局大人しくしていた。
「今一番早く終わらせたい案件は、古文書の奪還よ」
渋々と内容を語りだしたフェリンがテーブルをとんとんと叩くと、古めかしい本の絵が浮かび上がった。重厚な黒皮の表紙には金字で"Alchemy records"と示されていた。
「これがその古文書。正式には"レナスの秘宝録"という名前よ。お母様の親友だった人物が遺したもので、二つと無い貴重な本よ」
これには古今東西のあらゆる宝が記載されているらしい。凄いのはその質で、今では所在すら不明なレアリティの高い様々な秘宝が載っているという。
「それだけならまだしも、古文書には幾つかの秘宝の在り処がこっそりと記述されているという話なの。悪用でもされたら親友に顔向けできないから、絶対に取り戻すようにと強く言われているわ」
もしも誰かが秘宝を手に入れてそれで問題が起これば、ただでさえ危険な母親の理性が吹っ飛んでしまう。さらに言えばそのとばっちりが俺にまで及ぶ可能性が非常に高い。
うん、頑張ろう。
「古文書がこの世界に存在するってのは、確かなのか?」
無くなったと騒いでおきながら実は宝物庫の棚の裏側に落ちていた、なんてオチはないだろうな。
「もちろん確かよ。少し前に盗まれたばかりだもの」
フェリンの話によると、盗人は大胆にも城の宝物庫に進入し、警備を振り切ってこの世界に逃げ込んだらしい。忽然と姿を消してしまった罪人は、今も古文書と共にこの世界のどこかに潜んでいる筈だという。
「この世界のどこかなんて、幾らなんでも広すぎだろ。他に手掛かりは無いのか?」
「手掛かりがあるなら、こんな所で暢気にお茶を飲む前に乗り込んでいるわよ。まだこちらに来たばかりだし、今は低級悪魔たちに色々情報を集めさせている最中よ。この世界は魔力が薄いから、少し苦労しているみたいだけどね」
フェリンが使役するヤツらの調査能力はかなり高い。「珍しい銀髪の男がいる」という噂話から俺に辿り着くまで半日も要らなかったらしい。ミニデーモンの目があれば、犯人の手掛かりを掴むのも時間の問題だとフェリンは言う。
「盗んだ犯人は、どんなヤツなのか解ってるのか?」
「勿論。キールが後一歩のところまで追い詰めたのよ。結局まんまと逃げられて、お母様から罰を受けて喜んでいたけれど」
また懐かしい名前が出てきた。俺の教育係兼執事という肩書きを持つキールとも随分長く顔を合わせていない。いつも笑顔を顔に貼り付けている変な男なのだが、あいつは相変わらず人の母親に狂った忠誠を向けているらしい。
「彼の証言によると、犯人はオーガの一種みたい。体格はお兄様より頭ひとつ大きいくらいで、髪と瞳は緑色。眉尻の上辺りに小さな角が見えたと話していたわ。この世界にオーガなんてそうそう居るものじゃないから、見つけたらそいつに間違いないと思う」
へー。オーガねえ。あのキールからまんまと逃げ果せたとなれば、そこそこ腕が立ちそうだ。
「一部ではお母様に折檻してもらう為にワザと取り逃がしたなんて噂もあるみたいだけど。……それが本当だったら、わたしアイツ殺すわ」
現在抱えている問題に忙殺されているフェリンは真面目な声でそう言った。
* * *
話も終わり、後は偵察からの報告を待つことになった。目の前のカップが空になったので、今はサキが静かに新たな茶を注いでいる。
前にも思ったが、サキは刀を持たないと気配が希薄になる。これもメイドさんとしてのスキルなのだろうか。
静かに全員のカップに紅茶を注いだサキは、ぺこりと一礼してまた後ろへと下がっていった。
「ところで、リアさんとお兄様は目的を共にする仲間、と仰っていましたね。その目的とはどういったものなんでしょう」
ようやく柔らかくなってきたフェリンの目元がまた少し吊り上がる。言葉も硬くなっていて明らかに機嫌が悪い。さっさと白状しなさい、と全身が語っていた。
「あ、ああ。ええと」
俺は鬼畜両親から開放されたくてこの世界に来ただけだ。だから目的といっても、今のところは暇つぶしになりそうな面白い物を探すくらいしかない。
リアと行動を共にしているのは、あの白い世界から助けてもらったことに対する礼にすぎない。この勇者がどんな運命を辿るのかを見ていたい、という気持ちも少しはあるけどさ。
だが、そんな理由で今まで責務を放置して遊んでいました、なんて告白しようものならこの場で謎の大爆発が起きる可能性が高い。
「お兄様? そんなに汗をかいてどうしました?」
半目になった妹の視線がとても痛い。
俺の目的を正直に言ったところで、フェリンは到底納得しないと思う。
だからといって、リアの目的を正直に話しても新たな火種にしかならないだろう。
リアが言う世界征服はあくまで平和にするための手段であって、フェリンが思うようなものじゃない。「世界を平和にしたくて頑張ってます!」なんて言ったらどんな反応が返ってくるか想像しただけで恐ろしい。妹はそういうのが大嫌いなのだ。
俺はリアに視線を向け、「何とか誤魔化してくれないか」と念を送った。
「わたしは、この世界を平和にしたくて各国を回っている最中です」
うおい! 俺のアイコンタクト無視かよ!
以前イヤになるくらい正確に俺の心を読めたくせに、肝心な時に全く通じていない。
「……お兄様? リアさんの言うことは本当なのですか? 勇者でもあるまいし、そんな荒唐無稽なお題目を掲げて今まで遊び歩いていたと? そもそも征服はどうなってるんですか?」
口元はにこやかなのに声が笑っていない。鉄木のテーブルがミシリと軋んだ。
「わたしは勇者ですから。レオンさんはそれを手伝ってくれているんです」
リアさん、頼むから少し黙っていてくれませんかね!?
自分の馬鹿さを後悔してももう遅い。フェリンの顔が明らかに硬直した。
マズイ。小さな頃から勇者を題材にした書物を愛読していた俺とは違い、フェリンは勇者という存在を嫌悪しているのだ。それが魔族としてごく普通の反応だけど、この場で暴れるのは勘弁してほしい。
「……そうですか」
そんな俺の願いが通じたのか、驚くほどフェリンはあっさり引き下がった。ただしその顔からは表情が消えていた。
これは後で血が流れるかもしれない。
怯える俺をよそに、フェリンの顔がサキへ向く。
「ところで、お仲間がもう一人いらっしゃった筈ですが。……彼女なのですか?」
「あ、ああ。ちゃんと紹介するよ。名前はサキっていうんだけど――」
妹とケーキを配し終えたメイドさんの目が合う。
その姿を初めてちゃんと見た我が妹は、次の瞬間にはサキに飛びついていた。
「うにゃあああ!?」
今まで冷静にメイドさんを演じていたサキから素っ頓狂な悲鳴があがる。フェリンはじたばたと暴れる彼女を意に介さず、侍女服が皺になるほど抱きしめた。
「ねえお兄様、この娘わたしにちょうだい! 気に入ったわ!」
まるで愛玩動物を相手にするみたいにくしゃくしゃ頭を撫でて頬を寄せる。どれだけテンション高くなってるんだと呆れた俺の目の前で、妹とサキは「ちゅっ」と唇と唇を合わせた。
「!!!」
「かーわーいーいー! サキちゃんって言うんだっけ。ねえ貴女、わたしのペットにならない?」
絶句する俺達をよそに、テンションを最高以上に振り切ったフェリンがキスの嵐を浴びせる。完全な不意打ちに顔を赤らめていたサキが暴れだすまで、そう時間はかからなかった。
* * *
「……、なの」
「ああ、癒されるー。怒った顔までカワイイなんて、何て罪作りなのかしら」
双方の衣服が派手に乱れる程の激しい攻防は、結局フェリンの勝ちになった。
反撃空しく逃げられなかったサキは、今も膝上に乗せられたまま少しウンザリした表情になっている。フェリンはサキと比べて頭ひとつくらい背が高いので、この状態だと本当に大きい人形を抱いているみたいだ。にこにこと浮かぶ笑みを見る限り、我が妹は相当ご機嫌の様子だった。
「こんなカワイイ生き物を働かせようだなんて、お兄様酷いわ。いくら魔王だからって鬼畜にも程があるわよ」
無理やり抱き締めて相手がぐったりするまで離さないお前の方が数倍鬼畜だよ。
「いい加減に離してやれ。動物じゃあるまいし、ペットになんかできるわけないだろ」
「あは、さすがに冗談よお兄様。でもペットになってくれるなら喜んで飼うけどね。お兄様なんかよりずっと大切にするわよ?」
フェリンはまだまだ抱きしめ足りない様子だったが、最後に頬に口付けを残してようやくサキを開放した。ぺたんと床に座り込んでしまった彼女に手を貸すと、サキは「ちょっと風に当たってくる、なの」と言い残して出て行ってしまった。心配なのかリアもその姿を追っていく。
「やりすぎだっての。後で謝っておけよ」
はーい、といい加減な返事をした妹は相変わらず上機嫌だ。静かに目を瞑ったかと思うと、「ご苦労様」と呟いて俺に視線を戻した。
「実はさっきから偵察の報告を聞いていたの。サキちゃんを抱いていると集中力が上がるのか感度が良好で、思わず最後まで続けちゃったのよ」
だとしても、もう少しやり方が有るだろうに。きっとサキはフェリンのことが苦手になったに違いない。あの凍りつくような雰囲気から開放されたのは嬉しいけれど。
「……んで、目星は付いたのか?」
「ええ、お兄様。ここから西へ進んだところにある古城で、それらしき姿を見たらしいわ。早速だけど行きましょうか?」
人間に比べて少しだけ鋭い歯を見せてフェリンが笑う。「楽しみね」と呟く声はかつての妹とは違って、どこか酷薄な響きだった。