19.「オ・ニ・イ・サ・マ?」
ハイグレイでの騒動が解決してから、一週間と少しが経過した。
静養していたサキは、リアが「完璧ですっ!」と太鼓判を押すまで回復し、俺達は明日からまた別の場所へ向かう事になっていた。次は是非とも気楽な展開を望みたいが、俺は相変わらずこの世界の地理がさっぱりだ。なので行き先はリアとサキに一任してある。
リアの目的からして、基本的には何か騒動がありそうな場所へ向かう事になるのだろう。今頃は情報収集をしている筈なのだが、この世界の情報伝達手段はあまり発達していない。
遠く離れた相手に情報を即座に送る手段は、使える人間が限られる魔術しかない。だから基本的に国から出ない人間は、他国の情報を殆ど知らないらしい。
じいさんにも聞いてみたのだが、少なくとも交流がある周辺国に騒動が起きているという話は無かった。そこで、比較的他国の情報を知っている商人や冒険者を頼ろうって話になっていた筈だけど……そろそろ行き先が決まっていても良い頃合だというのに、あいつら未だに報告に来ない。
今頃北上するのか南下するかで揉めているのだろうか。いや、どうせおやつをケーキとクッキーどちらにするかで悩んでいるとか、そんな下らない理由だろう。
コンコン。
新たな行き先について考えていた矢先に部屋の扉がノックされる。やっと次の目的地が決まったのかもしれない。
コンコン。コンコン。
随分せっかちにノックが続く。リアにしては音が大きいのでサキだろうか。
「開いてるよ。どーぞ」
がちゃりとノブが回り、扉が開く。現れたのは闇色を基調としたレースやフリルに彩られたハデな衣服と、過剰に膨らんだスカートを纏った誰か。まるで人形のような出で立ちだった。
誰? サキじゃない……よな?
「見つけた……」
その顔は俯いている為に見えない。何故かわなわなと肩が震えている。強調するように大きく開かれた胸元からは薄い褐色の肌が覗いていた。俺と同じ銀色の髪をロールさせてリボンで結んた女はキッと俺を睨み付け、ベッドに腰掛けていた俺にツカツカと歩み寄ったかと思うと、俺はそのまま押し倒された。
「やっと見つけたわよ! バカお兄ちゃん!!」
頭に響く大きな声で俺を罵倒した人物は、俺をそんな風に呼んだのだった。
* * *
正直に言うと、ビックリしすぎて最初は声が出なかった。
「フェリン!? お前、どうしてこんな所に居るんだよ」
「それはこっちの台詞よ! おにいちゃ……こほん、お兄様。魔王としての務めを彼方に投げ捨てて、一体何をしているのかしら?」
ベッドの上で馬乗りにされた格好で、頭上から雹のように硬く冷たい声が降ってくる。
最後に会ったのが1000年以上前だからだろう。短かった手足が随分伸びていたせいで、一目見たくらいでは全く気付かなかった。
フェリンは俺の妹だ。昔一緒に暮らしていた頃は、まるで雛鳥のようにいつも俺の後ろを歩いていた。両親から受ける地獄のような教育の最中もずっと俺の傍を離れずにいた彼女は、傷の手当てもしてくれる優しい性格の女の子だった。
当時はとても内向的な性格だったので、今みたいな声を出す姿を見ているとどうも同一人物だとは思えない。しかし、輝くような銀の髪も瞳も薄い褐色の肌も、間違いなく妹のそれだった。
「オ・ニ・イ・サ・マ?」
こんな風に目を吊り上げて首を絞めてくるような娘じゃなかった筈なんだけど、長い月日は性格も変えてしまうらしい。というか苦しい。
「ぐぇっ、ちょ、待ってくれ。本気で絞まってるから! 落ち着け!」
ぺしぺしと薄い褐色の手を叩く。唇を尖らせていた妹君は「うー」とひとつ唸ってようやく手を離してくれた。
「げほ、ったく、お前も随分力が強くなったな。っぷあ!?」
「女の子にそんな事言うな!」
鳩尾を見事に打ち抜かれて悶絶する。どうやら下手な発言は寿命を縮めるだけらしい。両手を挙げて降参をアピールすると、やっと大人しくなってくれた。
「いやー、てっきり俺の事なんて忘れられてると思ってたからさ、まさか迎えが来るとは思わなかった」
「今まで自由にさせてあげていただけでも感謝して欲しいわよ。お父様が亡くなってから今まで、本当に大変だったんだからね」
ぷんすか怒りを露にするフェリン曰く、父親ジェノサイが死んでからは母親のサクヤが王代理として指揮を執っていたらしいのだが、ある日突然キレたらしい。どうやら仕事の量が限界を超えた途端、息子に殺意が芽生えたのだとか。
フェリンが言うように、魔族の王にはその世界を治める義務がある。普段ふざけた事ばかり言って母親に半殺しにされるような俺の父親も、魔界で発生するイザコザにはある程度目を光らせていた。
無論ただのケンカ程度は日常茶飯事だし、魔物同士で殺しが起きようと口を挟む事はしない。ただ、神が暮らす天界と協定が結ばれていて、他世界に影響があるような騒ぎは自主的に鎮める約束になっている。
俺が暮らしていた頃は大した騒動も起きていなかったが、オヤジが死んで久しい最近になって、ちょくちょくと事件が起きているらしい。
……やっぱり俺が不在だったから、なのか? 母親であるサクヤの名前も相当怖がられていたと思うけど、"魔王"という肩書きは俺が思う以上に影響力があるのかもしれない。
「今お兄様は魔界全土から指名手配されてるわよ。お母様は本気で連れ戻したがっているわ」
「なんだよそれ……」
扱いがまるで世紀の大犯罪者だ。かつて勇者が侵攻してきた時だって我関せずのスタンスを貫いていた母親がそこまでするなんて、これは相当本気らしい。
「と言う訳で、わたしはお兄様を連れ戻すために此処に来たの。だから今すぐ城へ戻ってきて。自分から出頭すれば、まだ九割九分殺しで許してくれる可能性も少しはあるから」
「殆ど死んでるだろそれ!」
今ノコノコ帰ったら、俺は殺されるらしい。
「イヤだ。俺は自分から死刑台に飛び込む趣味なんて無い。お前だって縛られるより自由な方がいいだろ?」
俺の拒否回答に、妹の整った眉の角度がさらに吊り上がった。
「わたしは本来お兄様が行うべき案件を幾つも抱えさせられているのですけれど? その事に対する謝罪の言葉は無いのかこのバカ!!!」
腹を狙って振り下ろされた両手を今度は何とか掴む。フェリンは黒いオーラを纏いながらキッと俺を睨んだ。
「だいたい、この世界の征服なんてとっくに終わってると思ってたのに、フツーに人間たちが間抜け面晒してるし。今まで何処で何やってたのよ!」
そういえばそんな言い訳して家を飛び出したんだっけ。
確かに無断で1000年以上家を空けたのは悪かったと思ってるよ。でもさ、俺だって好きで長い間フラフラしていた訳じゃないんだよ。悪いのは俺を閉じ込めやがった人間で……。
……何を言い訳しようと、頭に血が上って真っ赤になっている妹の勢いが止まるとは思えない。むしろ言い訳するだけ火に油を注ぐのかもしれない。
突然の妹襲来にどう対処したものか困り果てていた俺。この状況を動かしたのは、ふらりと部屋にやってきたリアだった。
「レオンさん? なんかすごい音がしましたけど、大丈夫ですか……ぁぅ!!」
開いていた扉の向こうからひょっこり顔を出していたリアは、何故か顔を赤くしている。
「やっぱりレオンさんって胸が大きい女性が好きだったんですね!?」
「待て待て待て! 何かものすごい勘違いしてないかお前!?」
こんな感じで、事態はより混沌とした方へと進んでいった。
* * *
ベッドに仰向けに転がる俺と、その上に馬乗りになるフェリン。そしてそんな俺たちを入り口から顔を半分だけ出して見ているリア。こんな状態で騒いでいたらあまりにもアレなので、まずはフェリンを退かしてリアを部屋に招き入れた。
沈黙が重苦しい。さっきまでの剣幕がなりを潜め静かに負のオーラを撒き散らすフェリンと、それを困ったように伺うリアはさっきから一言も言葉を交わしていない。
俺からの簡単な紹介の後リアが何度か話しかけたのだが、悉くフェリンは無視し続けていた。
「あ、あのっ」
俺が窘めても睨み返すだけだったフェリンへ、リアが再度声をかける。その出鼻をくじくように、フェリンはようやく口を開いた。
「アンタね」
「はい?」
「お兄様が、責務を捨て置いて遊び歩く腑抜けた風船みたいになってしまったのは、貴女がお兄様を誑かしたからんでしょう」
……あっているような、違うような。どう答えたら良いのか困っている間に、フェリンの怒りは勝手に燃え上がる。ところで、俺そんなナヨナヨしてる?
「お兄様はそんなヒマじゃないの。悪いけれど、わたし達はもう失礼するわ。今日からはこの世界での溜まりに溜まった仕事を全部片付けてもらいますから」
「あのっ」
さすがと言うべきか、リアはこんな刺々しい雰囲気でも臆したりはしないらしい。フェリンとは正反対の柔らかい笑みを浮かべながら「そのお仕事、私も手伝います!」と元気に発言した。
…………。
お前、相変わらず前のめり気味に厄介事に突っ込んでいくのな。