13.日天玉(にちてんぎょく)
辿りついたのはまるでボールを真ん中から切ったような、見慣れない様式の建物だった。リアが以前旅の拠点として使っていた物らしい。先頭に立つリアが手を触れた途端、何もなかった外壁に扉が出現した。
「こちらです。ついてきてください」
じいさんを抱えた俺は、余計な衝撃を加えないように気を遣いながらも早足でリアに従った。指されたベッドらしきスペースにそっと横たえる。相変わらず回復の兆しすら見せない主に、サキがそっと毛布を掛けた。
ただの回復魔術ならもう試したのだがそれでも全く効果が無く、しかし命を失ったわけではない。ただ目を覚まさないだけにしか見えないこの不可解な状態を、リアは理解しているらしい。
《――水よ 命の源たる母よ その御心で伏したる彼を救いたまえ》
リアの体が淡く光を発し、徐々にじいさんに移ってゆく。薄い青色の幕が傷ついた身体を優しく包み込むと、若干じいさんの顔が柔らかくなった気がした。
……それでも、目を覚まさない。
「リアっち、主様はどうして目を覚まさない、なの?」
主を守る事が自分の生きる意味とまで言い切ったサキには、何よりもそれが気掛かりなのだろう。生きているという喜びから一転、その表情が翳ってゆく。
「えと、どうやって言ったらいいのかな」
一仕事終えたリアの表情も同様に暗かった。どうしたんだろう、あとは回復するまで時間に任せるしかないと思うのだけど。そう俺が口を挟むと、リアは申し訳なさそうに否定した。
「それが、少し違うんです。あのねサキちゃん、落ち着いて聞いてね」
リア曰く、今じいさんを蝕んでいるものはある種の呪いらしい。先程の治療ではその進行を止めるのが精一杯であり、このままでは永遠に眠り続けるしかないのだという。
「元通りに回復させるにはどうしたらいい、なの」
「それは……」
リアの言葉が詰まる。サキからの視線を受け止めていた瞳が迷いの色に変わった。それは多分、解決法を知らないんじゃなく言うかどうかを迷っている表情。
「言えよリア。どうして黙っているんだ?」
「お願いなの。主様を助けたい、なの」
サキの真摯な瞳を受けて何故かリアが視線を逸らした。らしくない様子についつい口を挟んでしまう。ずっと何かを考えている様子だったリアがようやく口を開いたのは、それから大分後の事だった。
* * *
「"日天玉"という宝玉を耳にしたことがありますか?」
「それがあれば主様を救える、なの?」
「結論から言えばそうなんです。」
「何処にあるのか教えて欲しい、なの」
迷い無く答えを求める。方法があれば例え世界の果てにでも今すぐ向かうつもりなのだろう。真剣そのものの表情で提げた愛刀を握り締めたサキに、リアは首を振った。
「在る場所はわかります。でもその宝玉は使えないんです」
「壊れてるのか?」
「そうじゃないんですけど、それがなくなると多くの皆さんが困ってしまうんです」
リアは感情を抑えるように、少しずつ説明を始めた。
リア曰く、この世界は各国に点在する日天玉によって支えられているらしい。普段当たり前に生活している全ての生物は知らない内にこの宝玉に守られていると言うのだ。
「宝玉は常に膨大なエネルギーを国内中に発しています。無限と云われるその力は例外なく国を栄えさせると伝えられていますし、事実その通りになっています」
日天玉と名付けられた宝玉から溢れ出るエネルギーは、その通称を"命の息吹"という。無限にしかも膨大に溢れ出るその力は何にも染まっていない"魔力の原型"と言えるものらしい。
個体差はあるものの生物は体内に魔力を持っている。魔術を全く扱えない子供も、海を自由に泳ぐ魚も、空を自由に飛ぶ鳥も例外なくそれは変わらない。魔術師でもない限り意識することは無いが、実は魔力は宿主の体を支えている重要な要素の一つだ。
仮に体内における魔力が枯渇、または過剰に蓄積するなどして極端に変化すると、身体に悪影響を及ぼす。軽い症状だとめまいや吐き気、発熱程度だが、重度となると命に関わる程の体内機能不全に陥る。
そして生物はただ生きているだけで魔力を徐々に消費していく。早くて1週間、遅くとも1月以内には体内の魔力が枯渇してしまう。その為どうしても魔力の補給が必要になってくる。
大多数の人間は魔力というものを良く知らない。当然、コントロールする方法も知らないので魔力を補給したくとも出来るわけがない。そんなあらゆる生物に魔力を補給し続けているのが、日天玉だというのだ。
「日天玉はあらゆる生物の体内に魔力を送り続けています。ですから普通に生活していれば魔力が枯渇する事がありません。ですが、もしも日天玉からの魔力供給が止まれば当然大変なことになってしまうのです」
黙って聞いていたが、ここまでの説明ではリアの言いたい事がまだよく解からない。
「じいさんを叩き起こすにはその宝玉の力が必要だって話だったよな? 日天玉がどんなモノかって事は解ったけど、どうしてそれがじいさんの為に使えないんだ? 膨大な力を発散し続けているのなら、少しくらい借りたって問題無さそうだけど」
「ラインハルト卿を治療する為に必要なモノは命の息吹ではなく、宝玉の内に眠っている"何か"なんです。私も実物を見た事は無いのですけれど、それを使えばどんな奇跡も実現すると言い伝えられています」
その奇跡にかかれば、最高の名医が匙を投げた人の命でさえ救う事が可能なのだという。言い換えると、じいさんの現状はそこまで厄介な状態らしい。
そして、宝玉を自在に扱えるのは"語り部"と呼ばれるごく一部の人間だけだそうだ。それは宝玉の内側にある“何か”を操る能力を持った人を指すらしい。
「その語り部ってのは、どこにいる?」
「……ごめんなさい、知らないんです。昔お世話になった方の中に一人だけ居たんですけれど、もう亡くなってしまいましたし……」
非常に珍しい能力で、大陸に一人居るかどうか位の割合らしい。
そういう人間はやはり特別視されるらしく、何らかの形で世に影響力を持つ。その為に争いに巻き込まれることも少なくないらしい。詳しくは話さなかったけれど、リアの知り合いもその口らしかった。
「もし、その語り部が居ない場合はどうしたらいいの、なの」
当然の質問に対する答えは、まだ「どうしようもない」と言われた方が良かったかもしれない。
語り部の力を持たない者が同じ奇跡を願おうとするなら、宝玉を壊して中身をむりやり引き出す手段しかないとリアは言ったのだ。
そうすれば願いは現実になるらしい。
サキの主は助かるのだ。
「…………。」
ようやくリアが説明を逡巡した理由が掴めてきた。サキが今どうしても欲しいそれは、現状この国に住む何万という人の命を壊さないと手に入れられないモノなのだ。平和を守りたいリアと、主を救いたいサキ。このままだと確実にどちらかが折れるしかなくなってしまう。
「その宝玉はサキの国にある1つだけじゃなく、他の国にもあるんだろ? 探せば1つくらい誰も使っていないヤツが在るんじゃないのか」
「……ごめんなさい、私が知る宝玉は全てその国を守っている大切なものなんです」
「だったら宝玉なんて使わないで、アイツ締め上げればそれで解決しないのか? 呪いってアイツの仕業だろ? あの妙な金髪」
「普通の術には確かにそういう解決法もあるんですけれど、呪いというものは効果が無い場合が殆どなんです」
忌々しい事に、呪いの類というのは完成した時点で術者の手を離れる。つまりサキの主をこんな目に合わせた張本人をここに強制連行して、『さあ元に戻しやがれ』と迫っても意味が無い場合が殆どだ。しかも呪いは術者が死んでも効果が持続するという特性まで持っている。
半ば予想できた返事だったが、そうなるといよいよ手詰まりだ。
かといってじいさんをこのままにするのも後味が悪いけれど……。
「……ごめんなの、リアっち」
それは覚悟を感じさせる声だった。サキは愛刀を鳴らして立ち上がり、不安定だった瞳には強い光が戻っていた。
「サキ?」
「思い出したの」
サキが言う。まだ主が座に就いていた頃、宝玉の間に一度だけ立ち入ったことがあると。
「王国の丁度中心に誰もが無断で入れない地下神殿があるの。きっとそこにあるモノが宝玉、なの」
「待ってサキちゃん、気持ちは解かります。だけどそれは……それはハイグレイ王国みんなが困る事になっちゃうんだよ。王国のことを誰よりも考えているラインハルト卿ならきっと、」
「だって! ……だって、私には主様を守ることしかない、なの」
激しく髪を揺らしたサキがまるで叫ぶようにして遮った。しかしすぐに、まるで空気が抜けた人形のようにその語尾は弱々しく、震える。
「私は、主様を助けたい、なの」
自分を確認するように、奮い立たせるように。サキは少し掠れた声でそう言った。