12.執行の日・2
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回残酷表現に当たる(と思われる)部分が少しありますので、苦手な方はご注意ください。
「どうしたカエル野郎。お前の手下はこんなモンか?」
周りに這う兵士の畏怖の視線を感じながらカエル魔導師に言い放つ。子供王すら驚きに目を見張るその様はなかなかに愉快だ。思い知ったらさっさと降参でもしなさいふはははは。
「ゲッゲッ!」
だというのに、ジャイノスだけはまるで堪えた様子が無かった。ざっくりと突きたてた己の杖を両手に持ちながら、あの気味の悪い声で詠唱を始めたのだ。
《――炎よ、万物を無に還す力の源よ。我に従いて目の前の仇にその力を示せ》
魔術師の周囲を覆うようにオレンジの炎が顕現し、一気にその場の気温が数度跳ね上がった。聞き慣れない呪文だが炎の攻撃魔術でも上位に位置する威力を持っているようだ。人間にこれだけの力を持っている魔術師はそうそう居ない筈だから、威張るだけの事はあるかもしれない。
「リア、出番だ」
「私ですか? わかりました!」
今の所一番ヒマそうな勇者の背中を押すと、久しく出番の無かった手元のエク公が嬉しそうに光を反射した。座布団があれば『ようやく出番か』とか憎まれ口を叩いているかもしれない。俺の言うままに進み出たリアは珍しくちょっと眉を吊り上げた。
「ジャイノスさん、こんな暑い日にそんな熱い魔法使っちゃダメですよ」
……その通りだけどさ。もうちょっと他に言うこと無いのかお前。
「ゲッゲッ、やかましいわオマケが。貴様からこんがりと刑を執行してやるわ」
「……おまけ?」
あ。
外見はニコニコしているリアの周りだけ温度が数度下がった気がした。
勇者として色々規格外な存在であるコイツは堪忍袋の短さも規格外な所がある。どうも正義の血が騒ぐのか、気に入らないヤツが相手だとその長さは特に短いみたいで。
「いやですねレオンさん。わたしぜんぜんちっともおこっていませんよ?」
怖いよその笑顔。
「ゲッゲッゲ! 消し炭になるがよい!」
一気に膨れ上がったオレンジの光が壁となって前へ進む。大量の熱が周りの兵士を巻き込む事など構いもせず、リアを一気に飲み込む勢いで迫ってきた。
対するリアは「いくよ、エクちゃん」と小さく呼びかけて上段の構えへと動く。掲げた刀身には既に輝く水が宿り、大上段から振り下ろされた聖剣が水のカーテンを描き出した。
オレンジ色の炎と淡く輝く水が正面から激突する。
リアの笑みを見た時点で予感していたけど、決着は想像以上にあっけなかった。
水と炎のぶつかり合いの結末は、水が蒸発してしまうか炎が消えるか。……だと思っていたのだけど、微かにじゅっと音をさせた水波動が炎の壁を真っ二つに引き裂いてしまったのだ。
「ゲゲッ!?」
核を打ち抜かれた炎の壁が霧散すると同時に、固まったカエルの杖の先端がポロリと落ちる。やるな、そこまで狙っていたらしい。
「ひどいです! 私オマケじゃありませんっ」
ところでやっぱりそこに怒っていた。こいつの地雷は何処にあるのかいまいち解かり辛いのでうっかり踏んだらどうしようとか本気で思う。
「……げぅ」
自らの杖を呆然と眺めるカエルの顔が不健康な色に変わる。元々不健康そうな色をしていた顔は面白いように蒼褪めていた。
* * *
「……小癪なマネを。貴様ら、何をしておる! 早く賊共を殺さんか!」
暫し呆けていたジャイノスが、先端の無くなった杖を振り上げながら無様に声を張り上げる。
「どうした、殺せ、殺さんか!」
しかし誰もジャイノスの言葉に何の反応もしない。それどころか兵士たちの様子が明らかにおかしい。冷水をぶっ掛けられた後みたいに眼を見開いて近くの仲間を呼び、そして何事かを口にする。皆一様に驚いている様子なのだ。
「うぅっ!……? うあぁ……ッ」
突然の変化は奥の天覧席に鎮座していた子供にまで及んでいた。頭を抱えて苦しそうに蹲るその姿に、世話係らしきメイドが血相を変えてすっ飛んでくるのが見えた。
変化はそれだけじゃない。よくよく見れば、先程までどこか虚ろだった兵士たちの視線が随分ハッキリして、この人数に相応しい音(例えば小さな囁きや、鎧の擦れる音)が聞こえる。それでようやく気付いたのだが、今までこの空間は不自然な程に静かだったのだ。あの杖が壊れた途端にこんな反応があるってコトは、この場の兵士全員がカエルの影響下にあったのかもしれない。
「やっぱりあのカエルさんが色々と悪さをしていたみたいです。でもこれできっと元通りになるはずです」
つまり、今リアが切り落とした杖が催眠魔術のキーだったってコトか。
確かに少し前までジャイノスから感じた力強さをもう殆ど感じない。これ以上何をする力も残っていないだろう。
「ゲ、静まれいっ! 王の御前であるぞ!」
やがてハッキリ声を出す者も現れ、場の混乱は加速度的に大きくなってゆく。勢いは留まる事を知らず、このまま行けば皆が正気に戻るのも時間の問題だった。
このまま何事もなかったら、の話だったんだけど。
「おやおや、大失態じゃないの?」
――地鳴りを巻き起こしそうだった程の勢いが嘘のように止まる。
新たに登場した人物は心底愉快そうに唇を歪めて、くすくすと笑っていた。
* * *
その人物がジャイノスよりも格上だということは、本人のみっともない動揺振りからも十分理解できた。リアより少し大きいくらいの背格好をした男が頭3つ分は大きいジャイノスを圧倒しているのだ。
鮮やかな金色の頭髪がクスクスと笑う度にゆらゆらと揺れる。それにすら怯えるようにジャイノスは一歩後退し、喘ぐように相手を凝視した。
「いやー、ラッキーだったよね。冷やかしのつもりでちょっと寄ってみただけなのに、こんなに面白いものが見られるなんて」
ふふふ、とまるで気の置けない友達との会話のように男は楽しそうに喋る。
「ねー、どうするの? このままじゃお前、間違いなく殺されちゃうよ?」
殺される? 内容を理解できない俺達の事は全く視界に入れずに、闖入者は金の髪を無造作にかきあげて深い闇色の瞳を窄ませた。
「まだ失敗などしておらぬ!」
「冗談言わないでよ、完全に力負けしていたじゃない。アレでしょ? "宝玉"を開放する為の鍵を処理するって仕事だったよね? まだ終わっていなかったんだ? もうかれこれ何ヶ月経ってるか知ってる? お前が非力なカエルだって事は知っているけど、流石にもう終わっているだろうと思っていたんだよ。けれど想像以上にお前は愚図だったんだねぇ。ボクなら一日要らないような仕事をコレだけ時間掛けて失敗でした、じゃあもう言い訳できないよ。あーあ」
男は相手が口を挟もうとする所に被せて言葉を連発する。ジャイノスは反論すら出来ないまま脂汗をポタポタと垂らす事しかできないでいた。
「ぐ、うぬぅ」
「……おっとそんなに睨まないでよ。何のために出てきたと思っているのさ?」
今までジャイノスに注がれていた珍品を見るような目が今度はじいさんを捕える。まるで値踏みするようにその瞳が動いて、「ハッ」と馬鹿にするように口元を吊り上げた。
「こんなヨボ爺を始末するのにどれだけ手間掛けているんだか。仕方が無いから手伝ってあげたよ。感謝しなよ?」
手伝って、あげた?
何を言っているんだコイツ。突然出てきてべらべら喋りやがって、あまつさえ訳のわからない事まで。不可解な言い回しをした男はもうじいさんに興味を無くしたのか再び視線がジャイノスへ向く。
「そうそう、鍵ってコレだけ? 他には?」
ドサっという音と共に、じいさんの体が地面に崩れ落ちた。
「な――」
「あ、主様!? どうしたなのっ!?」
血相を変えたサキとリアが駆け寄る、その様を眼の端に捕えて金髪は言う。
「なんだ、先代のグレイスを既に始末したのなら次で最後じゃん。だったら折角だから、ボクがお宝を運んで行ってあげるよ」
「ゲ!? それでは困る! それはワシが――」
運ぶんだ、とでも言うつもりだったのだろうか。抗議の意を持って背中に触れた瞬間、その腕が奇妙な方向に捻じ曲がった。
「ギャゥ!?」
「汚い手で触るな」
金髪は一切手を触れていない。ただジャイノスの腕がさらに捻じ曲がりミシミシと音を立てて――
「ゲっ……ぎゃぁぁああああああ!?」
ボキン、という乾いた音をさせた腕は、まだその動きを止めない。既に折れた腕をさらに捻り上げ、そして。
「やめろ、止め――」
「ばいばーい」
なにか、形容のし辛い音がした。鮮血が放射状に散らばって周囲を赤く染めた。
「ゲ……グ……」
「おー綺麗綺麗、どんな愚図でも血の色は紅いんだね。ボクこれ大好きな色なんだよね」
出血かショックか、腕を千切られたジャイノスはもう息を止めていた。壊れた人形のようにヒクッヒクッと痙攣する姿を呆然と見守る周りの誰かが「ひぃっ」と引きつった悲鳴のようなものを漏らし、それを皮切りに恐怖が波のように広がってゆく。その様をくっく、と楽しそうに眺める金髪は友達に語りかけるように明るく和やかに言う。
「さて、ちょっとだけ時間を無駄にしちゃった。――そうそう、君達も死んでくれる? これって一応部外秘なんだよね」
地面に染み込むようにして消えていった金髪の言葉が引き金だったのだろうか。気付けば音が再び静止していた。俺達は狂気に染まった兵士に囲まれていた。
* * *
「っ、主様っ! 目を開けてなのっ! あるじさま!!」
「リア! じいさんを連れてここから退くぞ、何処へでも良いから跳ベ!」
振り下ろされた大剣を弾き返しながら叫ぶ。水の奔流を出現させて兵士たちを食い止めていたリアが、一際でかい波を打ち出して一気に押し流した。しかし間髪なく、際限なく凶刃は殺到する。
「っ、でも! この人たちは……っく!」
襲い来る剣の嵐は先程までと威力も速度も段違いで、しかも完全に囲まれているのだ。一度に相手をする剣の数は十を超え、さらにそれごと潰す勢いで火炎が降り注ぐ。じいさんを庇いながらの状況で相手をするのはいくら何でも苦しかった。
「俺達が居なくなれば止まる! このままの方が危険なんだよ!」
それに、と後ろを確認する。俺の背後で必死に呼びかけるサキの声色は焦燥を通り越して悲痛な響きすら混じっていた。
「……解かりました、掴まってください!」
大きく剣を薙ぎ払った後に出来た一瞬の安息の間に、リアが素早く術を完成させる。
まだ意識の戻らないじいさんを抱え俺達は光となって空を駆けた。