プロローグ
クライン・シェードは毎日、自分の人生に絶望する。
これまでのこと。これから先のこと。
何度足を動かしても水底に張り付いたまま、上へと昇れない――そんな感覚が、ずっと体に纏わりついている。
ずっと何者にもなれずに、毎日を生きていくのだ。
誰からも必要とされず、誰からも気に留められず。
クラインは、昔からそうだった。
十六歳で魔法を授かった時、何かが変わるのだと思った。
魔法は生まれ持った魂の形を映すと言われる。授かった魔法がその人間の生き方を決める。
ならば自分にも、何か――と。
だけど、ここでも落ちこぼれ、より深く沈むだけだった。
二年後、十八歳になった今もクライン・シェードの魔法は、『暗く』することしかできなかった――。
* * *
『王より発令。
実力者求む。闘技大会にて褒美を授ける。
英雄への一歩を――』
* * *
「何見てんだよ、ボンクラ」
言葉と同時に、肩を強く突き飛ばされた。
地面に倒れ込んだクラインは、口の中に砂の味が混じるのを感じながら、ゆっくりと顔を上げた。
立っていたのは、赤い髪を逆立てた男だった。
薄笑いを浮かべながら、見下すように視線を投げ落としてくる。
カイエン。
王都で発言力のある金貸しの息子であり、クラインの目の上の瘤だった。
歳はクラインと同じくらい。
体つきは明らかにクラインより鍛え上げられている。魔法を授かった者は肉体そのものが常人より強くなる。同じ条件のはずなのに、目の前の男とクラインの体には埋めようのない差があった。
もっとも、その差は元々の地力と日々の鍛錬の違いなのだろう。
授かった力に差があれば、自然と生き方も体つきも変わっていく。
カイエンは土に汚れたクラインを一瞥すると、視線を更に後方へと移した。
先ほどまでクラインが眺めていた、掲げられた大きな看板。
「ハッ! 出てぇのか?」
カイエンは鼻で笑った。
「暗くすることしか出来ねえお前が?」
「――違うよ。ただ、見ていただけだ」
クラインは短く返した。
地面に手をついて、ゆっくりと起き上がる。服に付いた土を払う仕草に、習慣のような淡々とした手つきが滲んでいた。
決して上等ではない、何度も繕い跡のある服。
だがクラインにとっては数少ない、貴重な一着だった。
クラインの最初の記憶は、孤児院にある。
名前も知らない誰かに捨てられ、孤児院に引き取られ、そこで「クライン・シェード」という名前を与えられた。
育ててもらった恩はある。しかし、その孤児院も資金難で消えた。
残された借金を引き受けたのが、目の前のカイエン――の父親だった。
王都で幅を利かせる金貸し一家。その一人息子が、今クラインを見下ろしている。
借金はクラインの頭にも乗せられた。
他の孤児院の子供たちは散り散りになり、残ったのはクラインのみ。
なぜクラインだけが、と問う気力は最初の数日で尽きた。
しめて、五百万。
利息が積み重なり、増える一方で、到底返せる額ではない。
「ほら、さっさと働きに行けよ。そんで借金返せよ」
カイエンはそう言うと、クラインの尻を蹴飛ばした。
「うッ」
軽く蹴ったつもりだろうが、こちらにとっては痛みを堪えるのが精一杯だった。
クラインは何も言い返せず、一人で近くのギルドへと向かった。
その背中を見送るカイエンの視線は、しかしすぐにクラインから離れていた。
先ほどクラインが見ていた、あの大きな看板。
闘技大会の告知。
カイエンの目は、その文字を凝視するように細められていた。




