01. 宇宙への道
今から4か月前のある春の日のこと。
ここはとある区役所の別館。
たくさんの長椅子が整列し、人々が静かに座る。テントもまた、緊張の面持ちで腰かけていた。
左手首に巻かれたバンドには、2021の数字が浮かぶ。
ふっと息を吐き、目を閉じ静かにその時を待っていた。
『審査はすべて終了しました。合格者の番号を、順次表示します』
宇宙事前審査。
その名の通り、人が宇宙で暮らすためにパスしなければならない免許のようなものである。
筆記試験の中身はなかなか難易度が高く、物理化学、多少の医療知識、さらには政治経済に宗教問題まで必要とされる。が、テントにとってそれらは問題ではない。
その傍らの身体検査に、昔から何度も挑戦し、その度に落ちてきた。
特別な疾患等はないものの、心肺機能の数値が少しだけ足りなかった。
まったく合格が見込めないわけではないため、諦めもつかず、多くの時間を要してしまった。
でも、これで終わる、気がする。なぜなら、今回は明らかに絶好調、過去最高に手ごたえを感じているのだ。
ざわっと喧騒がはじまった。目の前のモニターに、ぱっと数字が映る。
待機していた人達が一斉に画面を見つめ、様々な感情を乗せた声が漏れはじめる。
「2000番台は……あっちか」
この近くは1000番付近。早足で移動する。
遠くに見えた画面に、ピントが合う。テントは目を見開いて足を止めてしまった。
「あ………」
2021。
何度も左腕とモニターを見比べる。同じ数字が、そこにあった。
「――――やったあ!」
テントは嬉しさに目頭が熱くなり、もう一度深く息を吐いた。
そうして、今までは存在しないものとして、せき止めていた希望が溢れだす。
ひとまず手続きをして、まずは簡単な宇宙旅行に行こう。そうしたら、両親の暮らす宇宙拠点に行って、そこで暮らすのもあり。宇宙の大学に転学するとか、特別な資格を取って星を巡るとか、思い描いていた希望の生活が実現できるようになったのだ。
よし、まずは家族と友人に連絡。これから忙しくなるというのに、テントの心はなんとも晴れ渡っている。さっそく今後の計画を立てようと、軽い足取りでバスに乗り込み、家路についた。
宇宙。私の生まれた場所。
人類が初めて宇宙に乗り出したのは数千年前の出来事だ。そこから技術の革新が進み、今では地球以外にも人工的な拠点が数多く存在する。
私、天野テントは、そんな宇宙拠点のひとつで生まれた。
母は巨大宇宙船の船長、父はその船員。私の誕生は当然祝福されたし、家族仲は良く、そのまま幸せに暮らすものだと思っていたのだが……私は宇宙で暮らすのに耐えられる身体を持っていなかった。
宇宙での暮らしは、地球とは違った制約が色々とある。
広さ、食べ物、なにより医療資源が少ないため、一定の身体的基準をクリアしなければ強制的に地球へと送られるのだ。
といってもそこまで悲壮的なものではなく、わりとこんな話はありふれているのである。
いまは簡単に通信で繋がれる。子供が成人するまでは、毎日連絡をとるし、代わりに地上でのお世話をしてくれるシッターさんが2人つく。宇宙の福利厚生はとても厚い。
さらに幸運なことに、テントには全く同じような境遇の幼馴染、日辻ホタルがいた。
9歳頃に二人して地球に移り住み、小中学校と今通っている大学まで一緒なのだ。一言で表すなら、マブダチってやつである。
そんなホタルは、テントの宇宙事前審査合格の報せを受け、盛大に喜んだのち、頭をぶつけて保健センターに突き出されたらしい。このホタルらしからぬ出来事に、どれだけ待ち望んでいてくれたのか伝わり、改めてやつには感謝しようと思った。
さて、今日から大学は夏休み。
そしてついに、私の記念すべき初、宇宙旅行日である。
今から大学の学生支援室に宇宙渡航届を提出し、予約したレンタル宇宙船屋『タコや』に行き、そうしたらもう、ホタルと宇宙にびゅーんだ。ああ、わくわくする。
「テント、もうすぐじゃん……ちょっと朝からにやにやしてさ、恥ずかしいんだけど」
ホタルは片方の眉を上げ、困ってみせる。
透き通る長い黒髪をゆるく巻き、前髪は軽く流している。この超物静かそうな美人が、中身はよく笑うギャルである。
同じ宇宙拠点出身でテントと幼馴染。一緒にいた時間が長すぎて、もはや姉妹のような関係になっている。趣味も好みも全く違うけど、なんだかんだで仲がいい。
ちなみにこやつ、1年前に審査に受かり、一度この格安店『タコや』利用済みである。今回は、そのリピーター割引にあやかることにしたのだ。
なんたって大学生はお金がないからな! 見た目がぼろい、古い型式、そんなもの気にしていたらいつまでたっても宇宙に行けない。
テントは空を見上げる。地球では当たり前のこの光景だって、しばらくさよならなのだ。
「ああもう本当に、全ての生き物に感謝。ありがとうお母さんお父さん。あとホタルも。出会えて良かった」
「がちうるさい、前向いてすっとこ歩けこのバカ」
「んだとコラ!」
軽く小突いておく。
そういえばこの人、体力がなさすぎて、運動中に話しかけると口が悪くなるんだった。お腹すいてガルガルする犬みたい。
ホタルは私の浮かれきったパスを華麗に避け、私はホタルの口の悪さを受け流しながら、どんどん歩みを進めた。
そんなこんなで歩くこと15分、目の前にはかなり錆びれた巨大倉庫にぼろぼろな受付用の小屋、学生御用達の格安レンタル宇宙船店『タコや』にたどり着いた。
小屋に入ると、かなりごちゃごちゃしている。見たことのない機械やパーツが床にまで転がっていて、ここで本当に大丈夫なのか不安がよぎった。
カウンターに置かれた呼び鈴を鳴らすと、奥からはーい、と気の抜けた高めの声がする。
少し待つと扉がウィーンと開き、大きなゴーグルを顔の上に付けた、人当たりの良さそうなおばあちゃんが出てきた。
こちらを一瞥すると、一瞬ほう、と目を見開き、すぐに手元のパソコンを確認する。
「はい、ご予約の、アマノさま? 2名様ですねぇ、準備できてますよ」
「テンノです。天野、テントです。 よろしくお願いします」
すまないねえ、歳で小さい文字が見づらくてねえ、とくしゃっと笑う。よく間違えられるんですよ、とテントは返しておいた。
おばあちゃんは次から次へと話題を出す。あそこの大学かい。学部は。そういえばね、うちに犬が2匹いるんだけど、昨日はベッドまで来てくれてねぇ。
そのゆったりとした口調とは裏腹に、手はものすごい勢いで手続きを進めていく。
その間にホタルもだんだん息が整い、機嫌が直ってきたようだ。おばあちゃんへの返事が元気になっていく。
身分確認や渡航目的、期間など、さくさく入力しながらおばあちゃんは喋りつづける。
若いのに女の子だけで偉いねぇ、私も小さい頃には家出して宇宙へ逃げたさ、当時一緒にいた男がそれはまたとんでもないやつでねぇ……本当にお喋りが好きなんだろうなあ。
ホタルと2人で苦笑しながら相槌を続ける。
やっと一息ついたおばあちゃんに言われ、奥の倉庫へと続く。
左手首を扉の前にかざすと、ごご…と少しぎこちない動きで大きな扉が開いた。
「おお……」
色とりどりの巨大な宇宙船が、たくさん並んでいた。
形も大きさもばらばらだけど、表面は傷もなくぴかぴかに磨かれていて、テントが思っていたよりもずっと綺麗なことに驚く。
「お嬢ちゃんはこういうところ、初めてかい? 古いもんばっかりだけど、なかなか捨てたもんじゃないだろう……ほら、嬢ちゃんたちのはあそこ。すでに運んであるから、鍵だけもらって行きなさい」
さされた指の先を見ると、そこには真っピンクのど派手な船体があった。
「お、おおお……! なかなか厳ついですね、これ」
すごく目立つ!
きっとめちゃくちゃいいやつをわざわざ選んでくれたんだろう。いや機能が良ければそれで良いし、とてもカッコよくはあるのだが……。
隣ではホタルが心底楽しそうに笑っている。そういえばこいつ、派手色好きだったなあ。
ここにあるものはいわゆるサンプルで、契約前に見に来ることが多い。今回は自分で船体を選べない最も安いプラン、完全に当日の運任せ。ボロボロの古い船がくるものだと思っていたが、なんなら機能的にはグレードの高そうなものだ。おばあちゃんありがとうね。
実際に乗る船自体は、事前に宇宙発着センターに運ばれている。出発前3日以内に宇宙船所有者に鍵をもらい、当日はほぼ手ぶらでセンターに向かうシステムだ。
「あはっ、めっちゃ当たりじゃん! おばあちゃんセンスいい!」
「だろう? ありゃ50年前の上物さねぇ! あの頃の一級品をねぇ、当時の男が、プレゼントするから俺と結婚してくれとうるさくてねぇ」
「え、すご! その人とはどうなったの?」
2人はウマが合うようで、きゃっきゃと楽しそうに話をしている。さてはばあちゃん昔はギャルだったな。
その後もテンション高く雑談を続けると、「私のことは梅と呼んで!」だそうだ。
梅さん、元気でなにより。
「それで、鍵はどうやってもらうんでしたっけ?」
「ああ、鍵はリストを、あの光ってるところに翳したらいいよ」
梅さんに言われた方へ進み、ホタルと2人で左手首のリスト……個人認証用のデバイスを近づける。
すぐにしゃーんという軽い音がして、どうやら鍵の受け渡しが終わったらしい。
「それじゃ、宇宙センターには1時間前には行くんだよ。なんか困ったら連絡しておいでねぇ。楽しい宇宙の旅をね」
梅さんは柔らかな笑顔を向けて、両手でサムズアップする。
「はーい、梅ちゃんありがと!」
「お世話になります。いってきます」
2人は笑いながら『タコや』を後にし、そのまま宇宙発着センターへと向かうのであった。
・・・・・・
2人が宇宙発着センターに着いたのは、お昼を過ぎて13時頃のことだった。
大きなターミナル駅から電車を乗り換え15分ほど。
だだっ広い敷地には、ガラス張りの大きな建物が端が見えないほど長く伸びる。たくさんの人でにぎわい、楽しそうな歓声がそこかしこで聞こえてくる。近隣には大きな商業施設に病院、コンサート会場に空港まであり、今日は中央広場でフードフェスもあるらしく、香ばしい匂いまで漂っている。
とりわけ目立つのが、中央にある宇宙エレベーター塔。
そこらのビルよりもずっと太い塔がぐんとそびえたち、そのまま空の果てまで伸びている。上の方は霞んでいてまったく見えない。
あの中に巨大エレベーターがあり、人間や資材、宇宙船まで載せて宇宙近くのステーションまで運ばれる。
そのステーションも完全に宇宙ではなく、まだ少し重力が残る。地球の端っこ、とよく表現されていて、そこからそれぞれ宇宙に飛び立つのだ。
「今日も人いっぱーい! ねねテント、お昼どうする? あたしおすすめのラーメンでもいい?」
駅に降り立ってすぐ、ホタルはテントの腕を引っ張ってずんずん進みだす。
2人ともこの場所には何度も来たことがあるので、足に迷いはない。
「ちょっとホタル落ち着いて、今からはしゃいでたらいざ宇宙!って時に燃え尽きちゃうかもでしょ。まだ時間に余裕も……15時過ぎには受付か。よしレッツゴー」
「おー!」
左腕のリストに映った予定表を確認し、テントも負けじとずんずん進みだした。
先週ホタルと話した、新しくできた魚介豚骨ラーメンを少し急ぎめで食べる。うん、うまい。私はもう少し細麺が好きだが。隣でも満足そうな顔が見れたので、かなり美味しいお店なんだろう。
宇宙では魚が特に貴重でお高いから、今のうちに食べておかなきゃね。
食べ終わり、店をあとにする。なんともせわしない。
「よし、じゃあ地球脱出しに行くぞ!」
「手続きは、中央塔3番ゲートだって。ここからだとまた歩くなあ」
広すぎると大変である。
自動運転の移動車もあるが、あれは遅いしお金がかかる。自分の足で歩くのが主流なのだ。
疲れからだんだん眉間に皺が寄り始めたホタルを引っ張り、これまたずんずん進む。途中、いくつか地球土産を買って行った。
結局、エレベーター搭乗ゲートに着いたのは15時。ちょうどいい時間だ。
そのまま手続きも済ませ、ツアー待合の椅子に2人してぐってり座り込んだ。
「遠すぎる。なんであたしらが地球に追いだされたかよーくわかるね。やっぱ宇宙は厳しいねえ」
「ほんと、体力有り余ってる人の身体に一日でいいからなってみたいわ」
ペットボトルの水を飲みながらしばらく待っていると、ピシッとした紺の制服を着た女性が入ってきた。それを合図に部屋にいたすべての人の左手首のリストが光りだす。
『皆さま、本日は4社合同宇宙船団ツアーにご参加いただき、誠にありがとうございます。さっそくですが、ただいまより10分間ほど、ご説明させていただきたいと思います。どうぞ、体勢を楽にして、お聞きください』
マイク越しに、柔らかい女性の声が耳にびりびりと大きく響く。
内容を要約すると、
ここにいる人は正式に手続きが済んだ。今いない人は行けない。
今回のツアーは、それぞれの極小~小型船で別れて行くもの。
主な目的地は宇宙拠点ユキチ。2日滞在する。
操縦は不可で、一括でセンターが遠隔操作する。
豪華巨大船の後ろにくっついていくので、万が一何か起きた際の保険がついている。
期間は7日間。来週にはここに戻ってくる。
あとは食べ物や荷物はそれぞれ積んであるとか、次回の宇宙ツアーの紹介とか、細々したものだった。
普段はこういった説明の時間はつまらないものだが、何と言っても宇宙の話なのでテントは真剣に聞き入っていた。本当に楽しみである。
ホタルは、横でグミを次々と口に放り込んでいる。前回と一緒で飽きたのだろう。
このツアーは格安で、船のサイズが小型まで、自分で運転もできないし行先は普通の観光星、特別なサービスは全くなし。巨大船の後ろをおこぼれでついていくところから、巷では「弱小ツアー」なんて呼ばれている。
しかし、今回の行先は珍しく宇宙拠点ユキチ――テントとホタルが生まれた、家族の暮らす場所であった。
お金のないテントたちにはぴったり、まさに渡りに船である。
『それでは、エレベーターに乗ってステーションへ参ります。このお部屋ごと動きますので、揺れにご注意ください。所要時間は約50分です。お気をつけて、いってらっしゃいませ』
女性が深々とお辞儀をして退室すると、ぐわんという音とともに大きく揺れはじめた。
周りの人は、驚いてきょろきょろしたり声を出したりが半数、慣れた様子で寛いでいるのが半数といったところか。
テントも当然内心びくびくだが、態度には出さない。大人なので。
「じゃ、あたしちょっと寝るわ。おやすみー」
ホタルは小声で言うと、手持ちのカバンからアイマスクを取り出し、そのまま深く椅子に沈んでいった。完全に慣れている。
テントはというと、なんだか落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
だがまあ、ここで気を張っていても後々疲れそうだ。眠れなくてもせめて目だけは瞑っておこう。そう思ってイヤホンでいつもの曲を聴き始めたが、疲れからか気づけば瞼が下り、深い眠りに入っていた。
がこんっ
ひと際大きな衝撃を感じ、はっと目が覚める。
明るい気の抜けるような音楽が、部屋全体に流れ始めた。
『皆さまお疲れ様でした。ステーションに到着いたしました。準備ができ次第、G階ホールへお越しください。順次専任スタッフが参り、乗船が始まります』
つ、ついた!
ここはもう法律的には地球ではない、確実な宇宙への第一歩である。
身体が軽くなった。重力が減り、皆ふわんふわんと跳ぶように動く。
ぞろぞろと部屋から人が出ていく中、隣では黒髪の友人がそれは気持ちよさそうにひっくり返って寝息をたてていた。
「ねえ、ホタル、着いたって! 行くよ、起きて」
「んむ……」
慌てて体を揺さぶって起こす。この人寝起きとんでもなく悪いんだった。おい起きろ、急げ。
辛うじて動き出し、めっちゃくちゃ眠そうに目を擦りながら伸びをする。
「ふぁ……あ、テント。ありがと」
周りを見渡してさすがにいつもと状況が違うと気づいたのか、ホタルにしては信じられないほど早く目覚めた。本当に勘弁してくれ。
「G階のホールで集合って言ってたよ。ホタル場所分かる?」
「んーと、あーたぶん出て上行ったすぐのめちゃ広いとこ、かな。まああたしに任せろって」
「ほんとかなあ、信じるぞ」
ねぼすけの声にどんどん元気が戻ってきた。
部屋にはすでに清掃の人達が入ってきている。2人は急いで通路に出て、目の前のエスカレーターに乗り込む。
G階とは、要するに1階のことのようだ。階数ボタンがB1、G、2、3と続いている。
ポーンという軽快な音と共に、扉が開いた。一気に人々の喧噪が聞こえてくる。
宇宙と地球を繋ぐ入り口、ステーション。
人々がたくさんいて、談笑したりしているのは地球のセンターと変わらないのだが――なんだか、空気感が違う。こう、シャキッとしているというか、ど田舎から大都会に来た時のような、世界が変わったような感覚がした。
ここの重力は地球と比べてとても小さいが、人工的にも発生させているため身体が飛んで行ってしまうことはない。せいぜいジャンプ力がぐんと伸びてめちゃめちゃ楽しいぐらいである。
人工重力は約千年前だったか、第4次宇宙革命で開発され、そこで大きく人類の活躍が広がったとかなんとか……テントは歴史を履修していないのでおぼろげである。
「あーやっぱ何回見ても制服がかわいい! うらやましい!」
ホタルはちらちらと服装を見ては、はしゃいでいる。
そう、余談だが、ステーションで働く人の制服はセンスがいいと地球で大評判で、それ故にかなりの人気職なのである。たしかに実物を見ると、頷ける。
宇宙をイメージしたのだろう、紺を基調としたかっちりとしたジャケットに、シルバーで軽く装飾が為されている。よく見ると、白いキラキラが織り込まれているところもあり、見ているだけで時を忘れそうである。それぞれ職種によって異なるアレンジが施されていて、綺麗目な帽子で個性を出すところもあれば、ネクタイやスカーフで揃えられているスタッフもいる。
テントはホタルほどはオシャレに興味がないので、きっと宇宙の方が予算が潤沢でデザインにお金をかけられるんだろうなー、なんて現金なことを考えてしまった。
人混みに飲まれないよう端の方をゆっくり進んでいると、ホタルが振り返ってこちらを見た。
「あ、ほらあっち。ホール……第一第二? えーどれだろう」
案内板にホールの文字はあるが、よく見るとなんと第42ホールまである。
まあとりあえず進もうか、と再び歩き出した時、左手のリストが光った。誰かと通信したようだ。
不思議に思って止まろうとすると、視界の端から急に小人が飛び出してきた。
「うお」
「うわあっ」
スタッフロボだったらしい。驚いた。
白を基調としたデザイン、身長は100cmほどだろうか。つるつるの頭には、猫耳のようなものが取り付けられている。動きや形はほぼほぼ人間で、まさに小人や子供のようではあるが、色や肌の質感で一瞬でロボットであると分かる。なんというか、これはこれで美しさを感じる独特な見た目をしている。
「はぁい、こんにちは。ワタシはあなた方の船の専任スタッフの一人、ボンド号デス。よろしくお願いしマス」
胸のあたりには『天野さま御一行、ようこそ!』と書かれたボードを提げている。
にこにこしながらこちらに手を振る姿は、純粋で可愛い。これは人間にそう思わせるために緻密な設計をされているものだと気を引き締めないと、デレデレと構ってしまいそうで大層恐ろしい。
「え、ええと、よろしくお願いします……?」
「はいっボンドちゃん、案内よろしくね!」
「はぁい、今回は第五ホールでご案内ですヨ。ついてきてくだサイ、ねっ」
ボンド号が、ぴょこぴょこ歩く。まっすぐ目的地に向かい、たどり着くと左手を入り口へ翳した。
扉が開いたその先には、この無機質な広い空間には似合わない、超ど派手ピンクの宇宙船がとまっていた。
店で見た見本とは違って、ところどころ赤や白の灯りがついており、より存在感を増している。
「こちら、『梅ちゃん愛してる号』。代表者は天野テント様。お間違えなければ、リストにタッチをお願いしマス」
「えへぇ」
梅ちゃん、名前まで強烈だよ!
隣でホタルは「ちょっと独りよがりすぎよねーなるほどねー」と梅さんに同情している。
もうどう考えても自分たちの船で合っている。テントはすぐに左手のリストに右手をかざして認証した。
ボンド号がにこにこで頷き、そのまま船の中に入るように促してくる。
その表情も、子供の無邪気な笑顔がよく再現されていて、目尻には軽く皺まで寄っている。地上の一般的なロボに比べ、非常に精密で驚いた。
「はぁい、中まで完全に準備できてマス。一緒に、最後の確認だけ、お願いしマス。そしたらもう、出発ですからネ! もうちょっとだヨ」
ドキドキしながら中へ入る。
船の中はかなり広く、地球だと4人家族が悠々と暮らせるほどだ。これで極小型船なのだから、宇宙のスケールの違いには驚かされる。
家具や壁などは白を基調としたナチュラルなもので揃えられており、外観に比べるととてもシンプルで非常に落ち着く。
部屋を見まわしていると、ボンド号が前に出てきて、一つずつ説明を始めた。機械の簡単な使い方や、食料の場所、ごみの捨て方、緊急時の脱出ポッドの使い方などを早口で進める。
以上デス!という元気な声のあとに、あ、そうそう、と話を続ける。
「あとねぇ、所有者さんかな? こだわりのオマケみたいなの、ちゃんと全部残してあるから、楽しそうですヨ」
ボンド号の指さす方には、マイクと……DJセットだろうか。ほかにも昔の携帯ゲーム機に磁石製のボードゲームも多数、飛んでいかないように壁か床にくっついている。なるほどたしかに暇は存分に潰せそうである。
ホタルが楽しそうに近づき色々触っていると、なにかのボタンに触ってしまったのだろう、ピッと機械音がして天井の一部が開き――
「ねーみてみて! すっごいよこれ! なんていうんだっけ、えっと」
「ミラーボールだ、本物はじめてみた……」
どこでこの存在を知ったかは全く思い出せないが、地球で古から続くパーティ文化の一つだったような気がする。
ボールが回転しながら、ぴっかぴかに輝いている。床にも壁にもカラフルな光が飛び散っている。
同時に始まった軽快な音楽には、しっかりした重低音がついている。おそらくスピーカーもいいやつだろう。
しかもそのミラーボールの小さい版が、壁からいくつも出てくる。まるで夢のテーマパークのショーのようだ。
みんな楽しそうだし、梅さんの優しさはとっても嬉しいんだが。いかんせん情報量が多すぎるよ!
テントは心で静かに突っ込んだ。
「それでは、確認が終わりましたので、ここからはセンターに引継ぎマス。よい宇宙の旅を、いってらっしゃいませ!」
ボンド号がぴしっと敬礼をし、船から離れた。そのままこちらへ向かって笑顔で手を振っている。
ほどなくして、船の扉が閉まる。スピーカーから機械的な音声で動きますの案内があり、すぐにこの大きなホール自体の宇宙へと続く扉が開かれる。
自動で船が進んでいる。宇宙への発着場へ向かっているのだろう。暗くてよく見えないが、何度かゲートを越えて、1分くらいだろうか。
ホタルといつも通り駄弁っていたが、緊張の瞬間が近づいたことを察し、どちらからともなく静かになる。
突然広くて明るい空間に出たと思えば、その先に見えるのは――
「宇宙だ……」
宇宙船のサイドには小さめのガラス窓があり、そこからステーションの外観や星が見えた。
おおはしゃぎでホタルの手を取り、ぐるぐる回り、その勢いで壁にぶつかった。
「あっははははは、なーにしてんだよ。ここから長いぞ」
「んへへ、いやあ最高の気分ですよ、ホタルさん!」
この独特の浮遊感。長く待ち望んだ宇宙に、ついに帰ってきたのだ。
2人の笑い声が、船の中に響き渡った。




