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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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23/30

卒業と、琥珀色の旅立ち

 三月。あかね商店街のアーケードの隙間から差し込む光が、少しずつ白から黄色へと色を変え始めた。風はまだ冷たいが、どこか土の匂いが混じっている。喫茶「夕凪」の入り口には、陽菜が勝手に買ってきた「啓翁桜」の枝が活けられ、数輪の小さな花が、へんこつ店主の不機嫌な顔を嘲笑うように咲いていた。

「あーあ、サキちゃんも今日で卒業か。寂しくなるなぁ、弦ちゃん」  

 陽菜が、いつになくしんみりとした声で呟きながら、テーブルを拭いていた。

 サキちゃん。商店街の酒屋の末っ子で、放課後になるといつも「夕凪」で宿題をしたり、陽菜の恋バナ(というか弦への文句)を聞いたりしていた、いわば「商店街のアイドル」だ。

「……卒業は別れやない、ただの通過点や。……それに、あいつは東京の大学へ行くんやろ。めでたい話やないか」  

 弦は、いつものように無愛想に答えながら、カウンターで「モカ・マタリ」の欠点豆を取り除いていた。

 そこへ、カラン、コロン、と勢いよくドアが開いた。入ってきたのは、制服の襟元に卒業式のコサージュをつけたサキだった。目は少し赤く、鼻の頭も桃色になっている。

「……マスター。……陽菜さん。……お願いがあるねん」

 サキの声は震えていた。

「……私、このまま東京に行かれへん。……タクヤくんに、ちゃんと気持ち、伝えたい」

 陽菜が持っていた雑巾を放り投げ、サキの肩を掴んだ。

「サキちゃん! よう言った! その心意気、私が買ったるわ!!」

「……勝手に買うな。……で、そのタクヤとかいう男は誰や」  

 弦が冷ややかに尋ねる。

「……サッカー部のキャプテンで、隣のクラスの……。今日、三時にここで待ち合わせしてるねん。……でも、私、顔を見たら何て言えばいいか……」

 サキが俯く。その時だった。店の奥のボックス席から、ガタッ! と音がした。

「聞いたか、茂雄! サキちゃんが告白やと!!」

「おうよ、正蔵! これは商店街を挙げた国家プロジェクトや!!」

 そこには、いつの間にか(というか朝から)酒を飲んでいた茂雄と、弦の父・正蔵が隠れていた。

「……おい、酔っ払い共。出ていけ」  

 弦の静止も虚しく、あかね商店街の「お節介軍団」に火がついてしまった。


「ええか、サキちゃん! 男は胃袋から掴め! 告白の前に、まずは『夕凪』の最強メニューで胃を温めるんや!」  

 茂雄が拳を握る。

「……アホか。告白の前にナポリタン食わせて、口の周りケチャップだらけにしてどうする」  

 弦が毒づく。

「なら、これや! 弦、お前が『告白のコーヒー』を作るんや。飲んだ瞬間、心臓がバクバク言うて、『あれ、俺、サキのこと好きかも?』と錯覚するような魔女の媚薬みたいなやつや!」  

 正蔵が無茶苦茶な注文を出す。

「……コーヒーは魔法の薬やない」  

 弦は溜息をついた。だが、サキの不安げな瞳を見た時、弦の中に、かつて自分も経験した「旅立ちの前の、あの言えなかった言葉」が微かに疼いた。

「……サキ。……三時やな」  

 弦は時計を見た。あと一時間。

「……陽菜。……店の看板を『貸切』に変えてこい。……それから、茂雄さんと親父は、カウンターの下に隠れとけ。……音を立てたら、一生出禁や」

「弦ちゃん、やる気やな!」  

 陽菜が嬉しそうに駆け出す。

「……勘違いするな。……卒業生への、はなむけや」  

 弦は、棚の奥から「ある豆」を取り出した。

 それは、イエメン産のモカ・マタリに、ほんの少しだけエチオピアのイルガチェフェを混ぜたもの。華やかで、切なくて、でもどこかにスパイシーな「決意」を感じさせるブレンド。

 一方、商店街の外では、陽菜と茂雄たちが「演出」と称して暴走を始めていた。

「おい、トメさん! 電器屋のスピーカー持ってきて! 三時ちょうどに『愛の挨拶』を流すんや!」

「魚屋の源さん、道に桜の花びら撒いて! 扇風機で飛ばすんやで!」

「……やめろ! 告白の舞台をドリフのコントにする気か!」  

 弦の怒声が響くが、商店街の熱量はもう止まらなかった。


 午後三時。「貸切」の札がかかった「夕凪」の扉が開いた。入ってきたのは、坊主頭で少し照れくさそうに制服を着た、タクヤだった。

「……あ、サキ。……ごめん、待たせたか?」

「ううん、今来たところ……」

 二人が気まずそうに、少し離れた席に座る。その瞬間、店のあちこちから、ゴソゴソという音がした。

(……茂雄さん、鼻息荒いですよ!) (正蔵さん、酒の匂いが漏れてます!)  

 カウンターの下で陽菜が必死に二人を抑えている。

 弦は、無言で二人の前に立った。

「……ご注文は」

「あ、えっと……。サキが『美味しいコーヒーがある』って言うから……。お任せでいいですか?」  

 タクヤが緊張しながら言った。

「……わかった。……少し、時間がかかるぞ」

 弦は、いつにも増して丁寧に豆を挽いた。ミルが刻む音。それが、静かな店内にメトロノームのように響く。お湯を注ぐ。コーヒーの粉が、ふっくらと膨らみ、濃厚な香りが立ち上る。

 それは、春の夜明けのような香り。甘酸っぱい果実のようでいて、最後にはビターな現実が顔を出す。  

 「旅立ち」という名の、一杯。

 弦が二人の前にカップを置いた。

「……どうぞ。……『卒業ブレンド』だ」

 タクヤが一口飲む。

「…………。……うわ、すごい。……苦いけど、なんか、すごくいい匂いがする。……胸の奥が、熱くなるな」

 サキも一口飲み、ギュッとカップを握りしめた。

「……タクヤくん。……あのな。……私……」

 言え。サキ。今や。カウンターの影で、陽菜も弦も、そして隠れている老人たちも、息を呑んだ。

 その時だった。

「おっしゃー! 桜、発射やーー!!」

 店の外で、タイミングを読み違えた源さんが、巨大な扇風機を回した。  

 ドサッ!! という音と共に、窓から大量の「偽の桜の花びら(という名のピンクの紙吹雪)」が吹き込んできた。

「!? なんだ、これ! 火事か!?」  

 タクヤが驚いて立ち上がる。

 さらに、トメさんが持ってきたスピーカーから、爆音で「贈る言葉ヘヴィメタアレンジ」が流れ始めた。

「……あ、あかん! 演出が強すぎて告白が聞こえへん!」  

 陽菜が飛び出した。

「源さん、止めて! トメさん、音下げて!!」

 しかし、一度始まった「商店街のドタバタ」は止まらない。茂雄と正蔵も「サキちゃん、頑張れ!」とカウンターの下から飛び出し、クラッカーを鳴らし始めた。

 パパァーン!!

 店内はピンクの紙吹雪と、火薬の匂いと、大音量のメタルのカオスに包まれた。


「…………」  

 弦は、静かにサイフォンを置いた。その額には、はっきりと青筋が浮かんでいた。

「……陽菜。……モップを持ってこい。……じじい共は、外に放り出せ」

「えっ、でも、弦ちゃん、告白が……!」

 カオスの中、サキは真っ赤な顔をして立ち尽くしていた。タクヤも、頭にピンクの紙を乗せたまま、呆然としている。

「……サキ」  

 弦が、低い、でも通る声で呼んだ。

「……外の雑音は気にするな。……お前の前にあるのは、ただのコーヒーやない。……お前が三年間、ここで過ごした時間そのものや」

 弦は、タクヤを見た。

「……タクヤと言ったな。……このコーヒーを飲み干したら、この街の『ノイズ』を全部忘れて、こいつの言葉だけを聞け。……それだけの価値があるコーヒーを、俺は淹れたはずや」

 タクヤは、弦の眼力に気圧されるように座り直し、冷めかけたコーヒーを一気に飲み干した。そして、サキの手をしっかりと握った。

「……サキ。……ごめん、俺から言わせてくれ。……お前が東京に行っても、俺、待ってる。……俺、お前のことが、一番好きや」

「…………っ!!」  

 サキの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 大音量のヘヴィメタルの隙間で、二人の心が重なった瞬間だった。


 数時間後。大騒動の跡を、陽菜と弦が二人で片付けていた。サキとタクヤは、手を繋いで「あかね天満宮」へ、本当の報告をしに行った。

「……あーあ、結局、ドタバタやったなぁ。でも、ハッピーエンドで良かった!」  

 陽菜が、ゴミ袋いっぱいのピンクの紙吹雪を押し込みながら笑う。

「……おかげで床がベタベタや。……あのじじい共、次は絶対にコーヒーに塩入れてやる」

 弦は、カウンターを拭きながら、ふと窓の外を見た。そこには、サキたちが去っていった、三月の澄んだ夜空が広がっている。

「……なぁ、弦ちゃん。……弦ちゃんも、卒業の時、誰かに告白したん?」  

 陽菜が、悪戯っぽく覗き込んでくる。

「……忘れた。……そんな昔のことは」

「嘘や! 弦ちゃん、絶対、未練がましいタイプやもん! 『コーヒーの苦味は未練の味』とか、詩集に書いてたんちゃうん!?」

「……やかましい! 掃除しろ、掃除!」

 弦は背を向けたが、その頬が、わずかに緩んでいた。かつて自分が言えなかった言葉。それを、次世代の若者が、この「うるさい」商店街のど真ん中で叫んだ。それで十分だった。


 閉店間際。弦は、陽菜のために、もう一度だけ豆を挽いた。

「……はい、余りもんや」

「え、珍しい。弦ちゃんからくれるなんて、明日は雪か、大雨か」  

 陽菜が、大切そうにカップを受け取る。

「…………。……卒業は別れやない、言うたやろ」  

 弦は、カップを磨きながら、視線を合わせずに言った。

「……たとえどこへ行っても、……ここに、この味が残っとる。……それを覚えとけば、迷うことはない」

 陽菜は、一口飲み、満面の笑みを浮かべた。

「……うん。……最高。……これさえあれば、私はどこへも行かへんよ、弦ちゃん」

「……当たり前や。お前が辞めたら、誰がこのカオスな商店街の相手をするんや」

「なんでやねん! 私も被害者やっちゅうねん!」

 あかね商店街、喫茶「夕凪」。  

 三月の夜風は、新しい春の香りを運び、二人の不器用な「今」を琥珀色の光で照らし続けていた。


(第二十三話 了)

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