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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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凍てつく新春と、黄金の獅子舞大作戦

 一月二日。大阪・あかね商店街の朝は、刺すような冷気と、どこか浮かれたお囃子の音で始まった。例年なら、喫茶「夕凪」は三日まで休みのはずだった。しかし、今年は商店街会長の茂雄から「初詣の客を呼び込むために、二日から店を開けてくれ」という泣き落としに遭い、弦は不機嫌極まりない顔でカウンターに立っていた。

「……正月早々、なんで俺がこんなところで豆を挽いてなあかんねん。親父も親父や、『腰が痛い』言うて朝からコタツで酒飲んで寝やがって」

「ええやん、弦ちゃん! お正月やもん、景気良く行こうや! 見て、今日の私の着物。お母さんのお下がりやけど、ええ感じやろ?」    

 陽菜は、華やかな朱色の振袖に身を包み、白いファーのショールを首に巻いて店内でくるくると回った。普段の快活さに艶っぽさが加わり、店内がパッと明るくなったようだ。

「……重そうやな。その格好でトレイ運んで、コーヒーこぼしても知らんぞ」

「もー! ちょっとは『綺麗やな』とか言われへんの!? ほんま、へんこつにも程があるわ……」

 そんな二人の「正月漫才」を遮るように、店の扉が勢いよく開いた。だが、入ってきたのはいつもの常連客ではなかった。

 カツーン、カツーン。

 冷たく硬い足音が響く。入り口に立っていたのは、漆黒の羽織袴に身を包んだ、銀髪を厳格に整えた老人だった。背筋は定規を入れたように伸び、その手には黒檀の杖。老人の瞳が、冷徹な光を放ちながら店内をスキャンするように見渡した。

「…………。……相変わらず、薄汚れた店だな。湊弦」

 弦の手が、ピタリと止まった。彼が初めて見せる、微かな「恐怖」と「反発」が混じった表情。

「……じいさん。……なんで、ここに」

 湊一馬。弦の祖父であり、京都で代々続く格式高い茶道の名門「湊流」の現家元。そして、弦が「コーヒーの道」に進むことを最後まで認めず、勘当同然で家を追い出した張本人だった。


「『なんで』だと? 出来損ないの孫が、大阪の掃き溜めのような場所で泥水を売っていると聞いてな。正月の挨拶ついでに、引導を渡しに来た」

 一馬の声は、暖房の効いた店内の空気を一瞬で凍りつかせた。陽菜が慌てて割って入る。

「あ、あの! 初めまして、私、向かいの辰巳屋の陽菜です! 弦ちゃん……じゃなくて、弦さんの幼馴染で……」

「……あぁ、君か。正蔵から聞いている。弦をたぶらかし、茶の湯の修行を挫折させた要因の一つだとな」

「……たぶらか……っ!? 失礼やわ、おじいさん!!」  

 陽菜が激昂しかけるのを、弦が手で制した。

「……じいさん。陽菜は関係ない。俺が自分の意思で、茶を捨ててコーヒーを選んだんや。……引導やと? 笑わせるな。俺はこの店で、あんたが一生かかっても出せん『凪』を作っとる」

「『凪』だと? 片腹痛い。……そんなに自信があるなら、今日一日、お前の仕事を見させてもらおう。もし、私が一度でも『退屈』だと感じたら、今すぐ店を畳んで京都に戻れ。お前には家を継ぐ義務がある」

 最悪の正月の幕開けだった。店内の一番奥、すべての動きが見渡せる「審判席」のような場所に、一馬が鎮座した。その威圧感のせいで、入ってこようとした客が次々と踵を返していく。

「あかん……。このままやと、今日一日の売り上げがゼロになってまうわ!」  

 陽菜が青ざめて呟いたその時。

 バタバタバタ!!

 商店街の若衆たちが、血相を変えて店に飛び込んできた。

「大変や、弦! 陽菜ちゃん! 獅子頭が……あかね天満宮の『黄金の獅子頭』が、盗まれたんや!!」


「……なんやて!?」  

 弦と陽菜の声が重なった。

 あかね天満宮の黄金の獅子頭。それは、江戸時代から伝わる商店街の宝であり、一月二日の「新春獅子舞」でそれを使わなければ、その一年、商店街に災いが降りかかると言われている。

「さっき、宮司が目を離した隙に、展示台から消えてたらしいんや。犯人はまだ近くにおるはずやけど……。あかん、獅子舞の時間がもうすぐや!」  

 茂雄が泣きそうな顔で訴える。

「……ふん。宝すら守れんとは、堕落した街だ。そんな街で淹れる茶に、何の価値がある」  

 一馬が鼻で笑う。

 弦の眉間に青筋が浮かんだ。

「……陽菜。店を頼む。……俺が、その獅子頭を取り戻してくる」

「えっ、弦ちゃん一人で!? 無茶や、相手がプロの泥棒やったらどないするん!」

「……プロやったら、こんな三が日に商店街で盗みはせん。……おそらく、この街の『ノイズ』を理解しとらん、ただの馬鹿や。……じいさん、あんたも付いてこい。この街が、あんたの知っとる『格式』とは別の力で動いとることを、見せつけたるわ」

 こうして、へんこつバリスタ、トナカイならぬ着物娘、そして京都の頑固一徹じいさんの三人による、前代未聞の「獅子頭追跡」が始まった。


 商店街の防犯カメラ(と言っても、八百屋の軒先にある古いタイプだ)を確認すると、大きな風呂敷包みを背負った怪しい男が、アーケードの裏路地へと逃げ込む姿が映っていた。

「あっちや! 串カツ屋の裏のゴミ捨て場の方!」  

 陽菜が振袖の裾をまくり上げ、全力で疾走する。

「陽菜! 走り方がガサツやぞ!」  

 弦が叫びながら追う。その後ろを、なぜか一馬が杖を突きながら、驚異的な脚力で平然と付いてくる。

 裏路地の行き止まり。そこには、盗んだ黄金の獅子頭を愛おしそうに撫でている、派手なジャージ姿の男がいた。

「へへっ、これさえ売れば、今年のギャンブルの軍資金はバッチリや……」

「……おい。その頭、お前には似合わんぞ」  

 弦が、氷のような声で男を呼び止めた。

「あぁ!? なんだてめぇ、喫茶店のマスターか? 邪魔すんな!」  

 男はナイフを取り出し、威嚇してきた。

「ひ、ひえぇっ! 弦ちゃん、逃げよ!」  

 陽菜が弦の後ろに隠れる。だが、一馬が一歩前に出た。

「……無作法な。刃物を向ける際の角度、足の運び、何一つなっておらん。……弦、これがお前の言う『街の力』か? ただの無秩序ではないか」

 一馬の言葉に、弦がフッと笑った。

「……いや。街の力は、ここからや。……陽菜、合図しろ」

「え? ……あ、そうか! 了解!」  

 陽菜は大きく息を吸い込み、商店街に向かって叫んだ。

「おーーーい!! ここに『ハワイ旅行の抽選券』落ちてるでーーー!!」

 その瞬間。  

 ドォォォォォ……!!

 地響きと共に、アーケードのあちこちから、おばちゃんたちや若衆、酔っ払いたちが猛烈な勢いで路地になだれ込んできた。

「どこや! どこにハワイがあるんや!!」

「わしのや! わしのもんや!!」

「う、うわぁぁぁ!! なんだこの大群は!?」  

 泥棒の男は、ハワイに目がくらんだ商店街住人の「欲の津波」に飲み込まれ、あっという間に踏み潰され、取り押さえられた。

 一馬は、目の前の混沌とした光景に絶句していた。

「……な、なんだ、これは。……民衆が、一つの偽情報でこれほどまでに……」

「……これが、この街のエネルギーや、じいさん。……綺麗事やない。泥臭くて、欲深くて、でも誰もが必死に生きとる。……この熱気の中でしか、俺のコーヒーは完成せんのや」


 黄金の獅子頭は無事に取り戻された。時刻はちょうど、獅子舞の開始時間。だが、問題が発生した。

「あかん! 獅子舞の踊り手の源さんが、さっきのハワイ騒動に巻き込まれてギックリ腰になった!」  

 茂雄が叫ぶ。

「えぇー!? 誰か代わりに踊れる人は!?」  

 周囲を見渡すが、みんな興奮してハァハァ言っているだけだ。

「…………。……貸せ」  

 弦が、重厚な黄金の獅子頭をひったくった。

「えっ、弦ちゃん!? 踊れるん!?」

「……じいさんに散々叩き込まれた『湊流・獅子舞神事』の型がある。……まさか、こんなところで役に立つとは思わんかったがな」

 弦は獅子頭を被り、商店街の真ん中で舞い始めた。それは、普段の不愛想な弦からは想像もできない、力強く、それでいて指先まで計算された、圧倒的に美しい「神事」の動きだった。

 笛と太鼓の音に合わせ、黄金の獅子がアーケードを翔ける。一馬は、その姿をじっと見つめていた。自分が教え込み、弦が捨てたはずの「凑の芸」が、この雑多な商店街の人々を魅了し、笑顔にしている。

 舞い終えた弦が、獅子頭を脱ぐ。湯気が立つその額を拭い、弦は一馬の前に立った。

「……じいさん。……俺の舞、退屈やったか?」

 一馬は長く、深い沈黙の後、小さく鼻を鳴らした。

「……型が甘い。……だが、観衆の熱を取り込む呼吸だけは、私よりも上のようだ」


 夕暮れ時の「夕凪」。一馬は、カウンターで弦が淹れた一杯のコーヒーを前にしていた。今回ばかりは、リン先生の生薬も、陽菜の隠し味も入っていない。弦が、一馬のためだけに、自身のルーツである「茶道」の精神をコーヒーの抽出に転化した、究極の一杯だ。

 一馬は、茶器を持つように、ゆっくりとカップを三度回し、一口飲んだ。

「…………。……雑味があるな」  

 一馬が呟く。

「……だが、この雑味こそが、お前が見つけた『この街の味』なのだろう」

 一馬は、懐から一通の封筒を置き、立ち上がった。

「……勘当は解かん。だが、湊の名を汚すことだけは許さん。……次に会う時は、この『泥水』で、京都の私を唸らせてみろ」

 老人は、来た時と同じカツーンという足音を残し、去っていった。封筒の中には、京都の最高級宇治茶の茶葉と、一枚の古い写真が入っていた。そこには、幼い弦と、まだ少し若かった一馬が、一緒に茶を点てている姿があった。

「……あー、緊張した! 弦ちゃん、大丈夫? 心臓止まってへん?」  

 陽菜が、ドッと疲れが出たようにカウンターに寄りかかる。

「……止まるか。……それより、陽菜。その振袖、よう似合っとったぞ」  

 弦が、カップを磨きながら、ぼそりと言った。

「えっ!? ……今、なんて!? もう一回言って!」

「……二度は言わん。……それより、もうすぐ常連たちが来るぞ。獅子頭奪還の祝杯や。コーヒーをタダにしろとか言い出すに決まっとる」

「あはは! それこそ、あかね商店街やな!」

 店外では、新しい年を祝う賑やかな声が響いている。  

 あかね商店街、喫茶「夕凪」。  

 過去と現在、格式と混沌が混ざり合い、また新しい一杯の物語が、琥珀色の湯気の中に溶け込んでいった。


(第二十一話 了)

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