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『喫茶「夕凪(ゆうなぎ)」の大阪日和 ~へんこつ店主と幼馴染のなんでやねん事件簿~』  作者: 花曇り


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真夏の氷点下エスプレッソと、情熱のタポリタン

 七月半ば。大阪の夏は、逃げ場のない蒸し風呂のようだった。アスファルトからは陽炎が立ち上り、あかね商店街のアーケードの下でも、じっとしているだけで肌がジリジリと焼けるような熱気がこもっている。

「……あかん。溶ける。私がバニラアイスやったら、もう液体になって流しに吸い込まれてるわ……」  

 陽菜がカウンターで、保冷剤を首に巻いてぐったりとしていた。

「やかましい。アイスやなくて、ただの暑苦しい看板娘やろ。……ほら、これ飲め」  

 弦が差し出したのは、銅製のマグカップに入った漆黒の液体。氷がカランと涼しげな音を立てる。

「わぁ、水出しコーヒー! 命の恩人や、弦ちゃん!」  

 陽菜が勢いよく啜ろうとするが、弦がその手をピシャリと叩いた。

「アホ、一気飲みするな。八時間かけて一滴ずつ抽出したんや。香りを味わえ」

「ええねん、今は喉越しや! ……ふぅ、生き返るわぁ……」

 弦は、冷房の効いた店内でも涼しい顔をして、明日の「あかね夏祭り」の準備を進めていた。商店街の各店舗が表に屋台を出す、一年で最大の行事。普段は「静寂」を愛する弦だが、今年は商店街組合の圧力(という名の茂雄の泣き落とし)に負け、夕凪も屋台を出すことになっていた。

「……で、弦ちゃん。出し物は決まったん? 私はもう、看板描いてんで!」  

 陽菜が誇らしげに見せたベニヤ板には、大きくこう書かれていた。

 『夕凪特製! 衝撃のタポリタン(たこ焼きナポリタン)&極寒珈琲』

「……タポリタン? なんやその、不敬罪みたいな名前の食い物は」  

 弦が心底嫌そうな顔をする。

「何言うてんの! 大阪の祭りで『粉もん』外せるわけないやろ! ナポリタンの具をたこ焼きにしたんや。ソースとケチャップのダブルパンチ、これこそが真夏のパッションやで!」

「パッション以前に、胃もたれするわ。……俺は、最高のアイスコーヒー以外出す気はない」


 翌日、祭り当日。あかね商店街は、朝から浴衣姿の若者や、走り回る子供たちで溢れかえっていた。夕凪の店の前には、即席のカウンターが組まれ、そこには巨大な氷の塊が鎮座している。

「いらっしゃいませー! 夕凪特製、タポリタンいかがですかー! 熱々と冷え冷えのコラボやでー!」  

 陽菜の元気な声が、祭囃子の音に負けじと響く。

 陽菜が鉄板で焼く「タポリタン」は、意外にも大盛況だった。濃厚なケチャップ味のパスタの上に、カリッと焼いたたこ焼きを乗せ、仕上げに追いソースと青のり。そのジャンクな香りが、祭りの高揚感に見事にハマったのだ。

「……チッ、あんなもんが売れるとは。世も末やな」  

 弦は屋台の奥で、黙々と作業をしていた。

弦が用意したのは、ただのアイスコーヒーではない。最高級のケニア豆を通常の三倍の濃度でドリップし、それをシェイカーに入れて、氷と共に激しく振る「シャカレ(シェイク)・アイスコーヒー」だ。

 シュラシュラシュラ……!!

 弦がシェイカーを振るたびに、銀色の器の表面に真っ白な霜が降りる。それを一気にカップに注ぐと、表面にはきめ細やかな黄金色のクレマが立ち上り、まるで黒ビールのようにも見える。

「……はい、お待たせ。……『氷点下のエスプレッソ』や。一気に飲まんと、まずは泡を唇で楽しめ」  

 弦が不愛想に差し出すと、暑さに疲れ果てた客たちが、その一杯を神の救いのように受け取っていく。

「う、美味い……! 何これ、冷たいのに香りが暴力的に押し寄せてくる!」

「生き返るわ……。あそこのタポリタンの濃い味に、このキレッキレの苦味が最高に合う!」

 図らずも、陽菜の「攻め」の味と、弦の「守り」の技術が、最高のペアリングを生み出していた。


 祭りが最高潮に達した午後三時。事件は、商店街の入り口付近で起きた。

「……あれ? 弦ちゃん、なんか向こうの方、騒がしくない?」  

 陽菜が指差す先、人だかりができていた。

「……おい、道を開けろ! 気分が悪くなった人がいるんだ!」  

 誰かの叫び声。見れば、一人の老人が道端に座り込み、顔を真っ白にして震えていた。熱中症だ。

「大変や、しづさんの旦那さんやないか!」  

 陽菜が駆け出そうとするが、人混みが邪魔をして進めない。

 その時、弦がカウンターを飛び越えた。

「陽菜! 店の氷を全部持ってこい! それと、保冷バッグに詰めた冷たいタオルや!」

 弦は人混みをかき分け、老人のもとへ辿り着いた。

「……落ち着け、呼吸を整えろ」  

 弦は手際よく老人のネクタイを緩め、陽菜が運んできた氷と冷えたタオルで、首筋や脇の下を的確に冷やしていく。

 そして、弦は自分が今しがた淹れたばかりの「シャカレ・コーヒー」に、少しだけ塩とシロップを混ぜたものを持っていた。

「……これを少しずつ口に含め。カフェインは利尿作用があるが、この濃度ならミネラル補給と覚醒作用が勝る。……ゆっくりやぞ」

 周囲が固唾を呑んで見守る中、老人が数口、それを飲み下した。数分後。

「……あ、あぁ……。楽になったわ……。湊さん、すまんなぁ……」  

 老人の顔に、ようやく赤みが戻ってきた。

「……無茶すんな、じいさん。祭りは逃げへん。……ほら、陽菜、うちの奥のソファーで休ませろ。冷房ガンガンにしてな」

「了解や、マスター!」  

 陽菜は老人の手を引き、救急車が来るまでの間、店へと誘導していった。集まっていた人々から、自然と拍手が沸き起こる。

「……なんや。見世物やないぞ。さっさとタポリタン買え」  

 弦は耳まで赤くして、逃げるように屋台へと戻っていった。


 夜。祭りの喧騒が遠のき、夜空に大輪の花火が打ち上がり始めた。屋台を片付け終えた弦と陽菜は、店の屋上で並んで腰を下ろしていた。

「……はぁー。長い一日やったなぁ」  

 陽菜が、浴衣の裾を少し捲って、夜風に足を晒す。

「弦ちゃん、今日はお疲れ様。……しづさんのおっちゃん、命に別状なしやって。お医者さんが、『適切な初期対応のおかげです』って褒めてたで」

「……当然や。俺は最高の温度管理のプロやからな。人間の体温くらい、冷やすのは造作もない」  

 弦がビールの缶を開ける。プシュッ、という音が夜の空気に心地よく響く。

「……でもな、陽菜。お前のあの、わけのわからん料理……タポリタンやったか。あれがなかったら、あのじいさん、うちの店に寄ろうともせんかったやろうな」

「え? なんで?」

「……お前の屋台が賑やかで、楽しそうやったから、あのじいさんも無理して歩いとったんや。……活気っていうのは、時に薬にも毒にもなるが、今日のあの場所には必要やった」

 弦は夜空を見上げたまま、不意に陽菜の肩を抱き寄せた。

「……お前の『ガサツなパッション』、たまには認めてやるわ」

「……なにそれ、全然褒めてへんやん!」  

 陽菜は怒ったふりをして、弦の胸に頭を預けた。

 花火の音が、ドン、ドンと腹の底に響く。

「……なぁ、弦ちゃん。来年の夏も、再来年の夏も……。私ら、こうやって屋台出して、喧嘩して、花火見てるんかな」

 弦はしばらく黙っていたが、やがて陽菜の手をギュッと握りしめた。

「……当たり前やろ。来年は、もっとまともなメニューを俺が考えてやる。タポリタンなんて二度と出させんからな」

「えぇー!? あれ、めっちゃ原価率いいのに!」

「……商売の話をするな、情緒がない」

 二人は、夜空を彩る大輪の火花を見つめながら、静かに笑い合った。あかね商店街、喫茶「夕凪」。どんなに暑い夏が来ようとも。二人が奏でる不協和音のマリアージュは、この街の風物詩として、いつまでも続いていく。


(第十五話 了)

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