人の目
人の話を聞かず、自分の価値感を押し付けてくる人に悩んでいる方に読んでもらいたいです。
「もう、誰かの期待に応えるのは疲れた」とアイは思った。
子どものころは、母親に「いい子にしなさい、お母さんが恥ずかしい思いをするから」と言われた。
私は、他の友だちのように、のびのびふるまいたかったが、母にどこかで見られているようで、いつもびくびくしていた。
大人になった今、母は「私がどう思うかよりも、母自身が人からどう見られるか?」ばかりを気にしている人だったと感じる。
元気なよその子どもを見て、ちょっと馬鹿にしたような発言をすることも多かった。
「Tちゃんは、スポーツはできるけど、ちょっと落ち着きがないよねえ」などと、言われると、嫌な気分になった。
そして、「アイは、お行儀がいいといつも他の人に褒められて、お母さんは嬉しい」と、人からの評価でいつも私を判断した。
それはアイが大人になっても、一人暮らしをしても、結婚して子どもができても、いつも母は世間体ばかりを気にし、私自身の話や本音は無視だった。
子どものころは、「母に好かれたい、認められたい」と頑張ってきたが、大学生になり、一人暮らしをすると、「世界は広い」と感じた。
母はずっと生まれた田舎で暮らし、「狭い世間が全て」だった。
私の人生を狭い田舎の人たちの基準で判断をしてきた。
田舎から進学するのは難しい都内の国立大に入学したときは、「お母さんが素晴らしいから」と周りからちやほやされ、鼻が高かったらしい。
だから、「私が何学部に入り、何を学んでいるか」は一切興味がなかった。
「偏差値が高いT大学に行っている娘がいる」ということしか、母には関心がなかったようだ。
当時は、それが悲しかったが、周りの友だちがいい人だったので、「田舎の親はそんなものだろう」と思うことにした。
私が大学を卒業するころは、バブルがはじけた数年後でいわゆる就職氷河期だった。
すぐに就職してもいいところには行けないし、専門職に就きたかったので、母に「大学院に行くことにした」と伝えると、「お金がかかる」とちょっと嫌そうだった。
しかし、それも周りの人たちから「アイちゃんは、勉強熱心で将来有望だね」と言われると、母は態度をガラリと変えた。
母の基準は、「世間にどう見られるか?」なので、もうそれについてはどうでもよかった。
だが、大学院を修了しても母が希望していた有名な企業には入れず、母は激怒した。
私も就職活動を頑張ったつもりだが、そもそも求人が少なかった。
起業する能力もなかった。
アイは大学も大学院も奨学金を借り、バイトもしていていたが、母は「仕送りがいくらかかったと思う?」と罵り続けた。
やっと就職先が見つかったが、そこでは、同僚の年配のおばさんたちから「T大学から入社してくるなんて、今の時代、本当に就職難なんだね」と珍しがられ、気の毒がられた。
それでも、実家に帰って母に「できそこない」と言われるよりはマシだった。
都会でひとり暮らしをしていくには、厳しい給料ではあったが、アイは我慢には慣れていた。
そして、何より、尊敬する先輩方もいて、ここで得た経験は、今でも私の仕事の向き合い方の核にもなっている。
だが、私の直属の上司は、なんとなく母に似ていた。
私を利用して、手柄はとっていくし、うまくいかないことは責任転嫁してきた。
それでも、20代の私は他の部署からも可愛がられたので、当時50代の直属の女性の上司は、それも気に入らなかったらしい。
「私になんでも相談してね」と満面の笑みでいうけれど、実際に相談すると、悩みの張本人に直接、私の話をそのまま話してしまうし、かえってややこしいことになってしまったことがあった。
「この人には、秘密を守るという意識がないのか?」と軽蔑した。
なので、「相談して」と言われても、「特にありません」と断り続けたら、今度は露骨に不機嫌な態度をとるようになってきた。
月曜はだいたいむすっとしていて、夕方以降、だんだん機嫌がよくなる。
朝は、ぶすっとしていても、少しちやほやされると、途端に顔つきが緩む。
子どものころから大人の顔色をうかがってきた私には、上司の機嫌がくるくる変わることが、不愉快でストレスだった。
「最近、顔が引きつる」と思っていたら、いつの間にか、顔面神経麻痺になっていた。
気遣ってくれる同僚がいたから、それでもなんとかやれていた。
しかし、上司の露骨な嫌がらせが続いたせいか、通勤途中に突然意識を失い、倒れてしまった。
もう限界と思い、退職を決めた。
すると、焦った上司は、周りの人たちに「アイさんは娘のように思っていたのに、急に辞めてしまって残念だ」などと、心にもないことを言ってまわった。
みっともないと思ったが、嫌いな人のすることはもうどうでもよかった。
それなのに、、とアイは後悔している。
もう人の目を気にする人は、こりごりなのに、自分が選んだパートナーも同じタイプだった。
結婚前は、「アイちゃんは、熱心で真面目で頭もいいし、仕事もできて憧れの人です」と、尽くしてくれる人だった。
でも、実は、「少しでも稼ぎのいい人と結婚して、働いてもらいたい、自分は学歴がないから、頭がいい女性と結婚すれば夫である自分の価値もあがるはず」と思っていたらしい。
結婚してしばらく経ち、妊婦になった私が体調不良で仕事を休んだり、家で横になっているとき、夫の言葉に耳を疑った。
「寝転がっている暇があるなら、夕飯を作っておいて欲しかった」と。
アイは、ただごろごろしているわけではなく、つわりがひどかったので、ちょっと横になっていただけなのに、なんて思いやりのない人なのだろうと恐ろしく感じた。
夫と離婚しようかと悩んでいたとき、出会った保健センターの保健師は、「優秀な奥さんが前のように働けなくなると、モラハラ化するご主人もいるのは事実です。動けるようになるとまた違うから、少し様子を見た方がいいですよ」と助言をくれた。
でも、それからもワンオペで子育てをしていても、夫はひとりで野球を見て、何もせず無関心だった。
子育ての困りごとも「俺は知らない」と無責任だった。
そのくせ、子どものスポーツチームの集まりでは、役職に就き、ちやほやされて嬉しそうだった。
早く死んでほしいと思って、学生時代の友だちのマヤ、ユリ、サキが笑って話していたニンジンの呪いを試してみようかと思ったけれど、そんな生易しいものでは夫のような人はびくともしないと思った。
アイは、人の目が気になる人は、どうしてそうなってしまうのかがよくわからない。
目の前にいる人のことを知ろうとせず、周りの人の評価ばかり気にするなんて滑稽だ。
だいたい、他人は無責任で、「めんどうだから適当に人を褒めておこう」くらいにしか考えていない。
だから、目の前の人を真摯な言葉を受けとめず、自分のためを思っているわけでもない人たちの評価を気にする人たちがアイにとっては、とても気の毒に思える。
子どもの私、若いころの私、妊婦で自由に動けなかった私、子どもが小さくて必死だった私は、母や上司や夫の言動に傷ついてしまったが、今の私は自由だ。
子どもも大きくなり、親がすることは学費を出すくらいだ。
困ったときに何もしない夫と一生一緒にいる必要はない。
実家の母は、プライドが高いので、「子どもの世話にはならない」と誰に聞かせるでもなく、ひとりで宣言しているので、本人が困るまでそのままにしておく。
ハラスメント上司は、私が辞めた後、それに続き、次々と職員が辞めてしまい、鬱になったと風の便りで聞いたが自業自得だと思った。
正直、自分を困らせる相手にかまっている時間もエネルギーももったいない。
自分と大事な子どものために、残りの人生を生きたいと思う。
今まで頑張ってきた私ならきっとやれる。
困ったときに支えてくれた友人には、本当に感謝している。
人生の伴侶選びは本当に難しいが、離婚したらもう結婚をすることはないだろう。
わざわざ苦労をしたくない。
私は人の目を気にせず、自分の人生を生きて行こうとアイは静かに誓った。
「
人の目が気になる人が多いと感じます。大切なことは、自分がどうしたいか?であり、人はそんなに他人を気にしていません。自分に自信をもって生きていける人が増えたらいいなと思います。