帰路
山を下りる途中、レオンはふと立ち止まり、空を見上げた。
「……空って、こんなに青かったか?」
アリシアも同じように空を仰ぐ。
何も変わっていないはずの空が、なぜか少しだけ眩しく見えた。
「うん。たぶん、私たちが変わったんだと思う」
谷を越え、森を抜け、王都の門が遠くに見える頃には、季節が少し進んでいた。
風は柔らかく、空気の中に草花の匂いが混ざっていた。
王都の入り口で、アリシアはふと足を止める。
「昔は、ここに入るのも怖かったな。
誰かに見られるだけで、“気味悪い”って言われるんじゃないかって、ずっと身構えてた」
レオンは笑う。
「今のお前がそれ言っても、まったく似合わないぞ」
「……そう?」
「今は、ちゃんと“顔”してる。まっすぐで、強い目をしてる」
アリシアは何も言わず、ただ微笑んだ。
門を抜けて、王都に戻った彼女は、以前住んでいた外れの部屋にはもう戻らなかった。
代わりに、少し日当たりのいい場所、小さな庭付きの屋根裏部屋を借りた。
最初に育てたのは、白い**光草**という花。
夜になると淡く光る、かつては“穢れを祓う”として恐れられた草だった。
でも今は、彼女の手の中で、小さく優しく光っている。
◆
時は流れ、アリシアの背中の印は、もう人々の恐れの象徴ではなかった。
その跡はうっすらと残っている。だがそれは、彼女が何も消さなかった証だった。
ありのままで、ちゃんと生きてきた、証拠だった。
子どもたちが庭に遊びに来ては、アリシアに植物の名前を聞いたり、薬草の育て方を教わったりした。
「アリシア姉ちゃん、あの花の名前、もう一回教えて!」
そんな声が、昼下がりの空気に溶けていく。
レオンは、たまに顔を出しては手入れを手伝ったり、文句を言いながら重たい鉢を運んでいた。
「……なあ、たまには剣も握れよ」
「代わりに、この鉢持ってって。そっちの方が重いんだから」
そう返すアリシアに、レオンは呆れたように笑い、
「……ほんと、変わったな」と小さくこぼした。
彼女は静かに答えた。
「ううん。私は、変わってなんかないよ。
やっと、“戻ってこられた”だけ」
◆
夜。
庭先に咲くルーミアが、風に揺れながら光を放っていた。
アリシアはそれを見つめながら、小さくひと息つく。
そしてそばにいるレオンに、ふと問いかけた。
「ねえ、レオン。
“呪われてる”って言われ続けた私が、こうして庭で花を育ててるのって――変?」
レオンは少し考えてから、こう答えた。
「いいや。……それが、いちばん綺麗な魔法に見える」
アリシアはその言葉を聞いて、はにかむように笑った。
魔法も奇跡もない日々。
だけどそのなかで、彼女は確かに、“生きて”いた。
それこそが、彼女が選んだ、唯一の真実だった。
― 終 ―