神官シルヴィアの書庫
夜影獣との戦いから二日が経った。
アリシアとレオンは、王都の北部にある神殿区へと足を運んでいた。
そこには、アリシアの数少ない理解者の一人である神官シルヴィアがいる。
彼女は巫女としての立場でありながら、“穢れの烙印”について唯一偏見なく語れる人物だった。
石造りの古い回廊を抜け、地下の書庫へ続く階段を下る。ひんやりとした空気が二人の肌を撫でる。無数の巻物と古文書が眠るその場所は、まるで時間そのものが封じられているようだった。
「お久しぶりね、アリシア。それに、そちらは……?」
灯火の前に現れたのは、青い祭服をまとった女性。歳は三十手前ほどだが、整った顔立ちと澄んだ声が印象的な人物だった。
「レオン・フェルガードです。警備団所属で……最近、アリシアと少し一緒に行動しています」
シルヴィアは目を細めて微笑んだ。
「あなたが、“見ていてくれる人”なのね。ようやく会えて嬉しいわ」
アリシアは少し頬を赤らめながら、話を戻した。
「シルヴィア。あの“烙印”……少しだけ変わったの。光ったの。もしかして、それって……」
彼女の言葉に、シルヴィアは静かに頷く。
「ええ。変化が起きたなら、それは“拒絶”から“受容”への第一歩。
穢れの烙印とは、外から与えられたものではなく、“内にある力”が形になったものなの」
「内にある……力?」
レオンが首を傾げる。
シルヴィアは棚から一冊の古い書を取り出し、開いた。そこには、緻密な図と共にこう記されていた。
「光と闇の均衡を欠いた時、人の魂はその深部に“影”を持つ。それを刻んで生まれし者――穢れの民は、神の試練を背負うものなり」
「呪いじゃなくて、“試練”……?」
アリシアの声に、シルヴィアは小さく頷いた。
「あなたがその烙印を背負って生まれたのは、神の怒りじゃない。
それは、“均衡を壊したこの世界”が、あなたという存在を通して癒されようとしている証。
本当は、その力を“解放”すれば、世界のどこかに光をもたらすこともできるのよ」
アリシアは目を見開いた。
自分がずっと“消したい”と思っていたものが、実は“使うべき力”だったというのか。
「でも、そんなこと……できるの? 私に」
レオンが、すっと言葉を挟んだ。
「できる。お前は、あの泉でやったじゃないか。
誰も助けてくれなかった中で、何年も一人で立ってきた。もう、十分証明してる」
その言葉に、アリシアの胸がまた、少しだけあたたかくなる。
シルヴィアが巻物をもうひとつ広げた。
「“浄化の儀”を完全に行うには、あと二つの試練が必要。
一つは、“封印の谷”にて闇の記憶を受け入れること。
もう一つは……“選ぶこと”。」
「選ぶ……?」
「そう。“何を捨て、何を抱くか”を自分の意志で選ばなければならない。
浄化とは、外から与えられるものではなく、自らの内に確信を持つことなの」
その言葉は、アリシアにとってとても重かった。
烙印を消す代償として、何かを手放さなければならないのかもしれない。
レオン、今得たばかりのつながりさえも――
シルヴィアは微笑んで、巻物をアリシアに手渡した。
「道は険しい。でも、あなたなら行ける。だってもう、あなたは“ひとり”じゃないから」