ぜんそうきょく
タオルだけでかくれたみやざきかずひろは、じたくにしんにゅうしたともがらを、あたまからつまさきまでみつめている。おおかみはえものにであった!
こうがみあゆみは、ぱんくろっくのそろあーてぃすとになりたいとゆめみていたが、こんきゅうし、おばのばーでうぇいとれすとしてはたらいていた。しかし、はじめてのこい、たかぎまこととのうんめいのであいが、かのじょのめをひらく。かのじょはおさないもくひょうをおいかけることでじんせいをむだにしていることにきづく。そして、けいじをうけたかのじょは、おーでぃしょん、ぷろだくしょん、ぎたー、うた、そしてとうきょうをすてる。
にねんご、あゆみはついにあいするこきょうにもどり、まことがもとめていたおとなにせいちょうしていた。しかし、かのじょがさったあと、べつのだれかがかのじょのいえにすんでいた—ろっくばんど「ミシチカルキー」のぼーかりすとけんりーだー。
** へろ!あきりんです。じつは、わたしはにほんごのきょうみんではなく、ブルガリアじんです。だから、わたしのはなしにはたくさんのえらーがあるかもしれません。あらかじめおわびします(ほんとうにごめんなさい!)。そして、かんじのじょうずさにじしんがないので、ふりがなでかくことにしました。それでも、わたしのろまんすをたのしんでいただければうれしいです!あらかじめありがとう!**
ひとがこいにおちるとき、じぶんがなにをかんじているのかをせつめいするのはむずかしい。あつさとかんさがこうごにおそって、はだがしびれるほどだ。ふれたいというきもちがうまれるたび、いたみのなかからたのしさをもとめ、さわがしいばしょでもしずけさをかんじる。よろこびとくつう、ふたつのはんたいのかんじょうがせいりつかずにむねをふさぐ。じぶんがまばたきする、かれもまばたきする、ふかくいきをすって、そしてすべてがばくはつする。
ながいあいだ、ふたつのへいこうせんのようにひとつのじくうをすすんでいたわたしたちが、あるひととき、へいこうせんをぬけてしゅうごうし、たがいにふれる。やがておたがいのくちびるがふれあい、はるかかなたにオーケストラのねいろがひびき、びりびりとあいじょうがめばえる。
そのしゅんかんをわすれることができるだろうか。じくうがきえていくなか、わたしはやさしいむなしさのなかにおちていく。かれのかおにはどこかふあんげなえがお。
「あゆみ…」 かれがかみしめるようにわたしのなまえをいいおわると、てにしていたてがみをそっとかえしてきた。「いわなきゃいけないことがあるんだ…」とつぶやき、くびをかるくさする。「ぼく、こんやくしてるんだ」
わらってしまった。くちからこぼれたちいさなわらい。「なに?ありえない」 かおをうつむけたまま、わたしはゆっくりあとずさる。
つめたいよるかぜがわたしのはだをひねり、しかし、わたしのからだのあつさはそのつめたさをきえさせた。
かれのかおをみあげると、ながいねんげつあいしていたそのかおはどこかへんかしていたが、かれのこえのひびきはかわらなかった。おなじおとをもっていた。
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あのばしょ、わたしがすきをつくようにしてこころをきりさかれた、かいがんのゆうひのまえでのこえ。
「このつきのおわりにはいくことにしたんだ」 かれはさめたこえでいった。
わたしはじぶんのなかであせらずにたいおうしようとこころにきめていたのに、ながいあいだ、あのおそろしいしんじつをききだそうとしていたけれど、がまんできなかった。「いくの?」とくちにだした。
じゅうにねんもあいしてきたひとへのなみだをとめることなんてできなかった。
まことをしるまえのひをひとつもおもいだせない。まことはずっとわたしのそばにいた。けっこんするのはこのひとしかいないとゆめみていた。まことのしぐさやことばで、わたしはまこまことのきもちがわたしとおなじになるひがくるとしんじていたのだ。
「なぜ、いまだったの?」こえをつまらせながらきいた。「とどまろうとはおもわないの?」
まことのしたでがなるおとがきこえた。「あゆみ、ぼくには、これがいいんだ」
つめたくあしらわれることにたんじゅんにたえられるわけもなく、わたしのこころにそのことばはしみこんでくる。あわれっぽいことをいっているのか?いや、ぼくにすがりつくこともしない、うでをのばしてだきつくこともしなかった。でも、そうしたかったんだ。
「でも…」そのとき、こえがつっかえた。「ほんとうに、さびしいんだよ!」 はずかしくて、かおをてでかくしてなきくずれた。
「あゆみん、ぼくもだよ」 まことがやさしくわたしのかみをなでる。
なみだをぬぐいながらちらりとみるとまことがえみをみせていた。そのたいど、ほんとうにひどい。まことはひどいひとだ。
「でも、ぼくはもどってくるよ、きみに、みんなのために」
「え?ほんとう?」
「ほんとうさ」 こゆびをさしだしてきた。「これはやくそくだ」
おちついたゆうひのあたたかさとまことのえがおがまざりあって、こころがすこしだけおだやかになり、わたしもこゆびをからませてそのやくそくをかためた。
そのときすべてがすぎさったとおもっていた。しゅくあいのきもち、わたしだけをみてほしいというのぞみは、あのはまべのすなにうもれたはずだった。しかし、その大切な人を取り戻したいという思いが砂の中に広がっていた。
あれからふたつきがたち、わたしはまいしゅうあのうみべにおもいをかよわせた。しかし、まことはかえってこなかった。まことは、やくそくをしたひからしちねんごになってようやくかえってきた。
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ふたつのしゅうかんがたち、ふたたびしんゆうのようにかけがえのないかんけいをきずいた。まことがまたわたしのいちからいなくなるのをおそれて、こころのなかのすべてをかんじさせたいとおもった。そのため、かうたのかたちで、じぶんのあいをつたえることにした。しかし、それはまちがいだった。なにをかんがえていたのか、わからなかった。
「もうしってると思ってた、みんながしってるから」
じぶんのあいがかえられなかったことをしらなかった。
「ほんとうに わたしと つきあう つもり だったの?」と、まことはくすくすわらいながら、わたしのかみをかるくなでる。「ままだこどもなんだから」
そのことばは、まことにとってはなんでもないしんじつかもしれない。しかし、わたしにとってはきずとなってしみこみ、じわじわとひろがった。
「まなぶべきこと、じぶんのゆめをすてること、せいかつについてかんがえはじめることだ」まことはわらいながらはなをふる。すこしうつむいて、まことがもどっていくのをみつめる。どうしようもなくなった。
わたしはかんかくのようなもので、はじめてのまことをしり、しっかりしたしんゆうにしんじてきた。まことのこえはじぶんのなかでつきささるようにきこえた。
はなれ、ためいきをつき、まわり、バーのドアにむかってあるきだした。 「ごめん」とささやいて、ドアをしめるまえに。
おばのバーのうしろで、わたしはじんせいではじめてのこうひょうをうけた。わたしのてには、いちばんのともだちとのともだちをうしなわせたあいのてがみが、わらっていた。
いらいらしながら、ようしをにぎりつぶして、みちにすてた。
そして、しんごうのあかりやまちのかんばんがわたしをまぶしくしても、まことがもどるとやくそくしたときのえがおが、わたしのめのなかにのこっていた。
「こんなふうにかえってくるつもりだったの…」さいしょのあまいなみだをあじわいながら「よりももどらなかったほうがよかった!」と、きゅうにおおきなこえをあげて、てんにひざをかくして、そこにいるあいだ、よるをすごした。
バーにもどると、ともだちがみんないなくなり、おばはまいといっしょにさいごのテーブルをそうじしていた。よるのあいだ、わたしたちみっつはカウンターにすわり、まことがまちがっている、せいちょうしなければならないとおなじけつろんにたどりついた。
すうねんにわたって、わたしはせんたくやディスコグラフィーからのちゅうもくをもとめていて、せいこうできなかった。ずっとこうひょうをうけ、じんせいがとまってしまった。すべてはこどものゆめのせいだった。
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でも、わたしはそれをやった、まなびおわった。しごとをさがし、いちねんまえにてにいれたきゅうしょくのたいとうをいかして、ざっしでいちいをえた。こうして、数かげつごにおおさかにひっこし、まじめで、せきにんかんがあり、いちばんたいせつな、まなびおわったひとになった。
にねんご、わたしはとうきょう、わたしのまちにかえってきた、すべてがはじまり、すべてがおわるべきところ。 しかし、アパートのドアをあけると、なにかへんだった。つよくて、せんどくて、だんせいのコロンのにおい、「おばのせいだろう」とおもった。
いりぐちにはあたらしいかぐがあり、「おばのせいだろう」とくりかえした。
しかし、リビングに。はいったとたん、いろいろなふくがあった;ブラジャー、スカート、パンツ、ショーツ。ソファのうえ、ゆか、じゅうたん、テーブルに。 「おばのせいだろうか?」
とおくから、はしのほうでシャワーの水がながれるのがきこえ、ついに、いきなりあしおとがそれをかくした。
「なに?」
たったのタオルをみせたかたちで、しっかりとわたしにちかづいてきた。くせのあるかみ、ピアスのかがやきがわたしにおしえてくれた。
「あなたはだれ?」とたずねた。
こごえ、じょうきょうをうけいれようとした。わたしのいえ、あらされたのか?
「わたしたちのであいはてきとうではなかった。ばくはつはよていされたものではなかった。」
「いいえ。。。あなたはだれ?」
ひとがあいするじょうたいをせつめいするのはむずかしい。いきおいはどうしようもない、ひかりのはやさでとびたち、あいのかんけいのなかにはいると、いたみ、たのしみ、うそ、ふくざつ、すべてがゆっくりになる。おいつめられ、きがつかないうちに、こころのなかのカクテルがばくはつする。