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自由を愛する風の民

「ねえ、お話はおわった? オリバーのおじさん、遊ぼう」


 顔をあげたオリバーはやさしく目を細め、ノアを見つめる。


「わかった。今日はなにをする?」

「どっちが先に氷の塊を溶かすか、勝負しよう!」

「それ、私は勝てないやつだ……」


 オリバーは眉根をさげながら笑った。


「ノア。オリバー大公殿下に無理をさせてはいけませんよ」

「かまいませんよ、ビアンカ皇妃。私は陛下からノア皇子への教育を拝命いたしました。誠心誠意尽くさせていただきます」

「……ありがとうございます」


 ビアンカは気丈に振る舞っているが、オリバーを見る目は複雑そうだった。


「ご指導を賜りますよう、お願い申しあげます」


 彼女は振り切るように、オリバーに背を向けた。そのまま部屋を出て行こうとした彼女はふと、ミーシャの前で止まった。

 なんだろう? と構えていると、


「ミーシャさま。宮殿がこんな状態ですが、しかし、民は切望しております」

「……ビアンカ皇妃。なんのことでしょうか?」


 彼女はちらりとリアムを見て、ふたたびミーシャに戻した。


「陛下のお世継ぎですわ」

「お……っ!」


『世継ぎ』の単語に、一気に顔が熱くなった。今すぐ雪を頭から被って、熱を冷ましたい。ミーシャはリアムを見ずに、小さな声で答えた。


「ビアンカ皇妃、今は国の復興が最優先です。陛下とその、……ですから、急いではおりません」


 正確には、リアムが子どもを望んでない。

 二人のあいだで、その話題はあがってこないのだ。あえて、避けられている。


 繊細で微妙な問題だが、ビアンカはそこにみんながいるにもかまわず、「急いでいないですって?」と、とげのある声でミーシャに詰め寄った。


「皇族に子どもが産まれると、国の安定に繋がります。しかもリアム陛下と今回、国を救った魔女とのあいだのお子となれば、他国への抑止にもなるでしょう。同盟国のフルラとは結束を強められます。民も活気づくことでしょう!」


「そ、うでございますね……」


「出産は体力がいります。若いほうが比較的リスクも下がり回復も早い。年齢があがっても望めますが、急いでいないなど悠長なことを言わずに、積極的に励みなさい!」


「で、ですが、私はまだ婚約者の身……」


 積極的に励めと言われて正直驚きだった。自分の子ども、ノアを皇帝につかせるため、厳しい教育を強いていたビアンカから、そんなことを言われるは思ってもみなかった。

 ミーシャは動揺し、たじたじだ。


「後継者なら、王位継承権第一位のノア皇太子がいらっしゃいま……」

「ぼく、グレシャー帝国の皇帝にはならないよ!」


 オリバーと遊んでいたはずのノアがいつのまにかミーシャの傍にきて、見あげていた。にこりとほほえんでいる。


「継承権を、放棄するというのですか?」


 ノアは活発でまっすぐ、やさしい性格で魔力もある。能力的にもノアは国を治める器だ。甥を溺愛しているリアムが、放棄を許すとは思えない。


「ノア皇子。軽率にそういうことを口にしては……」


「ぼくね、カルディア王国の王様になるんだ!」


 ノアの言動を諫めようとしたミーシャは、かけようとした言葉を失った。


「…………え、ええっ! どうしてですか?」


 母親のビアンカを見た。彼女は眉尻をさげ、目は弧を描いている。困りながらも喜んでいるように見えた。


「カルディア王国には、魔力がある王位継承者がいないんだって」


 ミーシャはもう一度ノアを見た。彼と視線を合わせるためにしゃがむ。


「ノア皇子は、カルディア王国でも継承権が発生するのですね?」

「うん。ぼくの血、半分カルディアだからね。少しだけど、風も操れるんだよ」


 閉ざされた室内にもかかわらず、ミーシャの長い髪がふわりとそよぎ、浮かんだ。


「氷を溶かすのが早いのは、風を操れるからだろう」


 会話が聞こえたらしく、オリバーが説明を補足してくれた。


「凍結細胞を持つノアは冷の環境に適している身体だ。しかし、魔力を使って操るのは雪や氷ではなく、風だ」


 淡々と話すオリバーを黙って見ているリアムの顔からは、感情が読み取れない。


「……どうしてグレシャー帝国じゃなくて、カルディア王国の王様になりたいの?」


 ビアンカに言われているのだろうか? そう思ったが、


「わかったんだ。ぼくが大きくなって、カルディアの王様になったら、グレシャー帝国とはもう、戦争をしなくてよくなるって!」


 幼いながらになにかを感じ取った彼が、導き出した答えだった。


「ぼくが王様になったら、絶対に陛下とケンカしない!」


 リアムやオリバーと同じノアの碧い瞳には曇りがなく、きらきらと輝いていた。


「今、カルディア王国には魔力を使える者が乏しく、自然災害に見舞われ荒れているそうです。カルディア王国がビアンカ皇妃の救出にやっきになった理由の一つでしょう」 


 部屋の隅で、彫像のようにずっと黙って立っていたイライジャが、ぼそりと教えてくれた。


「ねえ、おじさんはぼくの先生になったんだよね? カルディア王国に行くときは、オリバーおじさんもついて来てくれるよね?」


 ノアの問いにオリバーは首を横に振った。


「私は生涯ここに幽閉の身だ。陛下の傍を離れられない」

「ええ? 陛下、オリバーさん、連れて行ったらだめ?」

「オリバーを連れ出すのは無理だ」


 駆け寄ってきたノアに、リアムは申し訳なさそうにしながら答えた。


「ノア。カルディアの王になるのは、もっとずっと先のこと。今はこの国で、オリバー大公殿下と、陛下の傍でたくさんのことを学び、ゆっくりと成長なさい」


 ビアンカはノアの肩に触れ、やさしくリアムから引き剥がすと、自分の腕の中に収めた。そして、真剣な顔でリアムをまっすぐ見た。


「陛下。発言の許可をいただきたく思います」

「……許す。なんだ」


 ビアンカは背筋を伸ばすと、はっきりとした声で言った。


「カルディアの民は、自由を愛します。風とともに行きたいところへ向かう。陛下、私はノアを縛りつけることをやめました。ノアが望むものを、選ぶ自由を与えたいと思っております」


「それは俺だって同じだ。ノアが望むものはなんだって与えてあげたい。だが、ノアが皇太子という立場は揺るぎない事実。勝手に他国の王になってもらっては困る」


 リアムは毅然とした態度で、否と示した。しかし、ビアンカも息子を守るために引きさがらない。


「陛下がご多忙なのは存じております。本来なら私は口を挟める立場ではございませんが、義姉として、あえて言わせていただきますね。今、グレシャー帝国の王はあなたです。この国を担う未来の王は、あなたのお子がよろしいでしょう。産み育てる責務は、陛下ご自身が担っていただきたい」


 ビアンカの言葉を真摯に受けとめてはいるようだが、覗くリアムの瞳はどこまでも冷ややかだった。


「病を克服した今、俺が皇帝としてしばらく国を治める。世継ぎの件は、変更するつもりはない」


 リアムはビアンカの言葉をにべもなく一蹴した。



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