氷の宮殿、半地下の部屋⑵
陛下とミーシャさまはこのドアの先にいる、オリバー大公殿下にお会いするおつもりですよね?」
イライジャの問いにミーシャは頷いた。
重体だったオリバーは数日前、意識を取り戻した。今も起きあがれず、動けない状態だ。元の宮殿の牢は半壊して使えないため、リアムが新しい宮殿の半地下に部屋を造り、オリバーを幽閉した。
ミーシャはやっと彼と会う覚悟ができて、今日ここに来た。
「オリバー大公殿下が、部屋のバルコニーに現れ、ミーシャさまを襲いましたよね。手引きをしたのはこの私です」
いきなりの告白にその場の空気が凍った。
ミーシャとして、初めてオリバーに会ったあの夜のことを思い出し、背筋がぞっとした。しかし、それを悟られないようにすっと姿勢を正した。
「陛下から伺っております。やむを得ない事情だったと。なので、謝罪は結構ですよ」
柔らかい声を心がけたが、イライジャは下を向いたまま顔をあげなかった。
「その前にも私は、ミーシャさまに酷いことを申しあげました」
――あなたは陛下の傍にいるべきじゃない。クレア師匠を思い出させ過去に縛る。治療を済ませ、早く帰って欲しい。
「私は、ミーシャさまの覚悟を見誤っておりました。傷つけるような大変失礼な発言をしたことをお許しください。申し訳ございませんでした。私はあのときと真逆のことをこれから申しあげます」
イライジャはそこで言葉を切ると、隣にいるリアムを一度見た。そしてふたたび真剣な面差しをミーシャに向けた。
「お願いいたします、ミーシャさま。あなたこそ陛下の妃にふさわしい。これからも傍で、陛下を支えてください」
リアムを想う、まっすぐな言葉と瞳だった。ミーシャはそっと彼に近寄った。
「イライジャさま。実は私、会ったらお聞きしたいことがありました。私が、単独で結界を見に行った日のことです。民の避難誘導の時なぜ私を『悪い魔女』と、言わなかったんですか?」
あの時は洪水がいつ起こるか、どれほどの規模かわからない状態だった。
一人一人説得するよりも、炎の鳥と魔女を見せ、恐怖を煽って避難を誘導するほうが速いと思い提案した。自分はどう思われようとかまわなかったからだ。
「洪水に備えての避難については私も優先すべきことだと思い、賛成でした。ですが、自分は陛下から『ミーシャさまを守れ』と仰せつかっておりました。悪い魔女を言いふらした先……未来は、あなたを守るにはならないと判断しました」
驚いたミーシャとリアムはお互いの顔を見合った。
「俺の命で、ミーシャの名誉を守ったということか?」
リアムの問いに、イライジャは頷いた。
「陛下のためもありましたが、ミーシャさまのためでもあります。ずっとそばで護衛しておりましたからね。あなたが悪い魔女じゃないことは良く存じております。明確な嘘をつくのが心苦しくて、無理でした。それと……もう、どんな理由があっても、陛下を裏切るようなことはしたくなかった」
オリバーを信頼させるために、何度もリアムや帝国を裏切った。事情はリアムもちゃんとわかってくれている。それでも、イライジャは後悔しているようだった。
リアムはイライジャの肩に触れた。
「おまえは今日まで、休みなく国中を走り回り、守ってくれた。ここへ帰ってきてすぐ、ミーシャにあやまリに来てくれた。もう、じゅうぶんだ。感謝する」
「避難誘導なんて大変なことをお願いしたのに動いてくださり、本当にありがとうございました。……私はこれからも陛下の傍にいます。彼を支えるから、イライジャさまも支えてくださいね」
リアムの言葉のあとに、ミーシャも続けてお礼を伝えると、リアム以上に表情が乏しい彼が、珍しくふわりと笑った。
「陛下もミーシャさまも自己犠牲が過ぎますので傍にいます。できれば、ご自分から先んじて無理や無茶するようなことは今後、自重していただけると助かります」
「……わかった。善処する」
「私も、気をつけます……」
一拍置いて、同じタイミングで三人で笑った。
「……そろそろ、あの人に会おうか。心の準備はいいか、ミーシャ」
「大丈夫よ。リアム」
視線を分厚い氷で閉ざされたドアへと向ける。リアムが近づくと、護衛兵の二人は、ドアをゆっくりと開け広げた。
「……やあ、リアム。久しぶり。凍化の具合はどうだ?」
暗くて、寒々とした狭い部屋の寝台で寝ていたオリバーは、ミーシャたちが中に入ると上体を起した。
オリバーは全身包帯だらけだった。
「あれ以来、凍化は起きていない。流氷の結界を作る以前の状態に戻った」
リアムはオリバーの傍の椅子に座った。
ミーシャは、天井付近の小さな窓が塞がれているのに気づき、開けていく。小鳥も通れないほどの大きさだが、詰められていた物を外すと、少しだけ光が射した。
「もしまた凍っても、ミーシャがいれば俺は死なないよ」
「国を思う、賢くてやさしい無敵の皇帝の誕生だな」
「どうだろうな。寵姫に傾倒して、民を疎かにするかもしれない」
「寵姫がそれを許さないだろう」
オリバーと目が合ってどきっとした。ミーシャが意識のあるオリバーに会うのは、あの日以来だった。ぐっと拳を握って向き合う。
「オリバー大公。具合はどうですか?」
「リアムに蹴られた脇腹は治ったよ。狼の牙が刺さった背中の傷はまだ痛む」
リアムを庇い、倒れたオリバーは一週間、生死を彷徨った。やっと少しずつ安定してきたが、まだ動くことがままならず、独房内で静養中の身だ。
「氷の剣で切られた胸の傷は塞がったが、こちらも痛い」
言いながら押さえたオリバーの胸には、ネックレスチェーンで繋がれた指輪が首から下げてあった。
オリバーがルシアに贈った指輪とおそろいだと言う。炎の鳥でも復活できずに彼女は煌めく細氷となって消えたが、そのとき、彼女の薬指にあった光輝くダイヤの指輪も一緒に消えた。
「そんな顔をするな。奥方」
ミーシャは指輪から視線を上げて、オリバーを見た。
「あの暗くて寒い場所から救えたのが唯一、私が彼女にしてあげられたことかな」
オリバーは「一目会えて、よかった」と目を細めた。
「クレア。いや、ミーシャ。二度も殺してすまなかった」
リアムと一緒の、銀色の絹糸のような美しい髪をミーシャは見つめた。自分に向かって頭を下げる彼を、簡単には許せない。だけど……
「オリバー大公殿下。私への謝罪は結構です。あなたが私を許せないように、私もあなたを許せませんから」
オリバーはゆっくりと顔を上げた。彼からゆらりと冷気が発生すると、リアムが席を立ち、ミーシャの横に立った。




