月がきれいだった夜⑵
リアムのふいを突いた質問に、ミーシャの心臓は跳ねあがった。ぴたりと足をとめる。一つ、大きく息を吸ってから振りかえった。
「陛下とナタリーさま、とてもお似合いです。陛下の治療のために傍にいる私は、二人の恋路を邪魔する厄介者だと思ったんです」
笑顔を添えて伝えたが、
「自分のことを厄介者だと思った。だから、俺に会いたくなかった?」
リアムはミーシャの言葉を繰りかえしながら眉根を寄せた。
「普通、誰かに会いたくないと思うときは、相手に問題があるときじゃないか?」
「……そういうときもありますが、自分に問題があるときだってあります」
「そういうものか。だったら……」
リアムはミーシャに近づくと、まっすぐ目を見つめがなら続けた。
「次からは、俺に会いたくないとは思うな」
雪に埋もれた足が凍ってしまったみたいに動かない。ただ、彼を見つめる。
「思うな、とは、……どういう意味ですか?」
「自分を否定したり、卑下してしまうときって、弱っているときだろ。そういうときこそ真っ先に俺を頼って。ひとりで落ち込むくらいなら、会いたいと思ってほしい。きみの痛みは全部、俺が受け止めるから」
彼の大きな手が、ミーシャの頭にやさしく触れた。
「なにも打ち明けられずに無理されたり、避けられるのって、寂しいものなんだ。だから、言ってほしい。困っていると。きみのことを助けてあげたいから」
氷像のように、その場から動けない。なのに、まるで身体の中は、炎の鳥がいるみたいだった。心臓が高鳴ると同時に、胸が熱くなっていく。
――どうしよう。私が彼を支えるべき立場なのに。リアムのやさしさが、言葉が嬉しい。
リアムは、昔から人を思いやれる、やさしい子だった。今は強さまで備わってしまった。大きくなったのは身体だけじゃない。心は広く、慈悲深い。
成長した彼を知るほどに、どうしても、胸がときめいてしまう。
「陛下。仮の妻に、そこまで義理を立てる必要はありません」
「その言葉、そっくりきみに返すよ」
リアムはミーシャの頭をくしゃりと撫でた。
「それと、俺は、ナタリーに恋愛感情などない。お似合いと言われても困る」
膨れていく感情を抑えようとしたが、失敗した。顔を覗きこまれて、心臓がひときわ強く跳ねあがった。
「仮であろうがなんだろうが、俺の婚約者で、未来の妻は、きみだけだ」
「でも……」
「きみ以外に妃を迎えろとか、こうしろとか、もう二度と言うな。わかった?」
リアムはミーシャの後頭部に手をまわすと、そっと引き寄せ、前髪にキスを落とした。
「俺が子どものころよく、師匠がしてくれた。親愛の証だそうだ。大切だからこそ、言葉と態度で伝えることが大事だと、教わった」
「……クレアは、陛下のことがとても大切だったんだと思います」
――リアムが大切で、大事。その気持ちは今もずっと、変わらない。
「あなたは、クレア師匠と見まがうほどだ。だから、最初から気になっていた。だが今は、きみをひとりの人間として気にかけている。傍にいられる限り、大事にしたいと思っている」
碧い瞳が、いつにも増して真剣な色に染まっていた。
「陛下こそ、今日、なにかありましたか?」
恩師であるエルビィスが意識を取り戻したというのに、それにしては浮かない顔をしている。リアムの言葉やしくさが、いつも以上に真摯に感じた。
「……オリバーの情報が少しだが入った」
「……あまりよくない情報ですね?」
暗い表情のまま、彼は頷いた。
「きみを危険にさらしたくないと、今まで以上に強く思った。オリバーの痕跡を知るまでは、正直、きみとは距離を取るべきだと考えていた。だけど、もう無理だ。誰にどう思われてもかまわない。俺は全力できみを守るし、きみも、全力で俺を守れ」
化学反応するみたいに、リアムの強い言葉と眼差しに反応して、ミーシャの心と身体が熱くなっていく。
『あなたは陛下の傍にいるべきじゃない』
――わかってる。クレアの影から彼を解き放つのが私の役目。
『陛下にはナタリーさまがお似合いだ』
――私もそう思った。そして同時に、苦しかった。リアムがナタリーさまと一緒にいるのが、彼の笑顔が自分ではないものに向けられていることが、悲しかった。
……浅ましくも、リアムを取られたくないと、思ってしまった。
「私は、陛下の婚約者ですよ。全力で守ってください。私も全力であなたを守ります」
ミーシャはリアムに手を伸ばした。
親愛の気持ちをこめて、彼の頬に、触れるだけのキスを残す。
すぐ傍で、碧空を閉じ込めたような瞳が、やさしくミーシャを見つめていた。
――この瞳に映るのは、自分だけでいたい。
彼の心を、独り占めしたかった。
今まで知らなかった感情が次々に溢れてくる。リアムが愛しくて、親愛の気持ち以上のものが身を焦がしている。
ミーシャはそっと、リアムの背に自分の手を回した。抱きつかれるとは思っていなかったらしく、彼は一瞬、身体を強張らせたが、すぐに抱きしめ返してくれた。
彼の胸に顔を埋め、背に回した手に力をこめる。
リアムは囁くように、「ミーシャ」の名前を呼んだ。
とくとくと速い鼓動はどちらのものか、わからない。
大事な人と言葉を交わし、触れて、触れられる幸せで胸がいっぱいだった。
それを、クレアだった自分が感じて良いのかという罪の気持ちと戸惑いで頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
たしかなことは、この一時は、かけがえのないもの。絶対に、もう二度と、失いたくないということ。
――やっと、わかった。今さら、気づくなんて……。私は、なんて鈍感なんだろう。
月がきれいだったあの夜。
炎の鳥に導かれ森を抜けた先に、天空の星々のような碧い瞳と、髪が銀色に煌めく彼を見つけた。
リアムだとわかったあの瞬間、ミーシャは……恋に落ちていた。




