絵描きの海
海辺に、青い髪の青年が居る。
彼の前には、キャンバスが在った。
彼は、一心不乱に絵を描いている。
何を描いているのだろう。
或る日、彼の元に、一人の女性が訪れた。
「今日は。絵を描いているの?」
「うん。僕は、絵を描くのが好きなんだ」
「素敵な趣味ね。見てもいい?」
「どうぞ」
「うわぁ、綺麗……!海を描いてるのね」
「うん、毎日、この場所で」
「へぇ。……それにしても、真っ青な絵ね」
「海だからね」
「誰か、人とか描き入れないの?」
「うーん、この絵には、描き込む気は無いなぁ」
「そう」
「有り難う、お嬢さん。お礼に、貴女を描いてあげるよ」
「いいの?嬉しい!」
彼は、バッグからスケッチブックを取り出し、女性の似顔絵をさらさらと描き付けた。
「はい、出来たよ」
「まぁ、素敵……!有り難う」
「気に入ったなら、あげるよ」
「いいの?じゃあ、貰うね」
彼は、スケッチブックを一枚破り、女性に渡した。
女性は、礼を言って、帰って行った。
別の日、彼の元に、一人の青年が訪れた。
「やぁ。絵を描いているのかい?」
「うん。僕は、絵を描くのが好きなんだ」
「良い趣味だな。見てもいいか?」
「どうぞ」
「上手いな。海を描いてるのか」
「うん、毎日、この場所で」
「へぇ。……それにしても、一面、青い絵だな」
「海だからね」
「誰か、人なんかは描き入れないのか?」
「うーん、この絵には、描き込む気は無いなぁ」
「そうか」
「ありがとう、お兄さん。お礼に、君の愛する者を描いてあげるよ」
「えっ?」
彼は、バッグからスケッチブックを取り出し、昨日の女性の顔をさらさらと描き付けた。
「はい、出来たよ」
「ど……どうして、分かるんだ?」
「昨日、彼女が此処に来たよ。彼女に聞いて来たんだろう?」
「……鋭いな」
「その絵は、君にあげるよ」
「有り難う」
彼は、スケッチブックを一枚破り、青年に渡した。
青年は、礼を言って、帰って行った。
又、別の日。彼の元に、小さな少女が訪れた。
「こんにちは、お兄ちゃん」
「今日は、お嬢ちゃん」
「絵を描いてるの?」
「うん。僕は、絵を描くのが好きなんだ」
「すごいね!コモモにも見せて!」
「いいよ」
「うわぁ、きれい……!これは?」
「海、って言うんだよ」
「うみ……!真っ青だぁ」
「水の塊だからね」
「そうなんだ~。この絵には、人は、いないの?
コモモも、描いて欲しい!」
「うーん、残念だけど、この絵には、海しか描かないなぁ」
「そうなの?何だか、絵が、寂しそうだよ?」
「はは……。有り難う、お嬢ちゃん。
お礼に、別の画用紙に、君を描いてあげるよ」
「いいの?ありがとう!」
彼は、バッグからスケッチブックを取り出し、一昨日の女性の顔をさらさらと描き付けた。
「はい、出来たよ」
「うわぁ……!でも、コモモ、こんなに美人じゃ無いよ?」
「近い内に、こうなるよ。きっと、ね」
「うん、ありがとう!」
「この絵は、あげるよ」
「いいの?じゃあ、貰うね!」
彼は、スケッチブックを一枚破り、少女に渡した。
少女は、礼を言って、帰って行った。
又、別の日。
今日は、絵描きを訪ねて来る者は、居ない。
彼は、海を描き続けた。
ザザーン……
『絵が、寂しそう』
昨日の、子供の言葉が、思い出される。
それでも彼は、只管、青い色を塗り続けた。
ザザーン……
青い絵の具のチューブの、真ん中が凹む。
他の色は、一向に減る気配が無い。
彼は、バッグから、新しい青い絵の具を取り出そうとした。
バッグの陰から、白いものが飛び出した。
それは、真っ白な小さい亀だった。
白い亀は、彼の足元に擦り寄ると、小さく鳴いた。
「キュウ」
白い亀は、不思議そうに、彼を見上げている。
「……ふ」
彼は戸惑ったが、直ぐに、ふっと微笑んだ。
「キュウ」
白い亀は、座る彼の膝の上に、怖ず怖ずと這い上がった。
「ふふ」
彼は笑い、亀の甲羅を、ふわりと撫でた。
「この僕の、膝の上に乗るのか。
お前は、何処から来たんだい……?」
ザザーン……
彼の問い掛けは、引いて行く波の音に、掻き消された。
「……いいよ。ゆっくり、お休み」
甲羅を撫でられて、白い亀は眠り出した。
彼は、絵筆を止めて、ふと、今迄描いていた、青い海の、
遠い遠い、彼方を見遣った。
「……僕は、何が、描きたかった?」
彼は、膝の上で眠る、真っ白な小さい亀を、再び、見詰めた。
「君は、海の……」
彼は、真っ青なキャンバスの上に、
初めて、ぽたん、と、白い絵の具を垂らした。




