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絶叫

 目的地へ到着したときには、もうすでに夜の帳が下りていた。人足はほとんどなく寒空の中を冷たい風が吹きつける。吉良は首をすぼめるとコートのポケットに手を突っ込んで椿が入院しているという病院へ足早に向かった。


 病院は月岡を通じて事前に教えてもらっていた。あやかしによる症状が収まったあとは別の病棟へ移動させられたらしい。詳細は聞けなかったが、原因はある程度想像がつく。先方にはあらかじめ連絡を入れており、向こうも訪問を歓迎していると聞いていた。意思の疎通は少なくとも取れるということだ。話が噛み合うのかどうなのか、真実を話してくれるのかどうかはわからないが。


 受付で用件を伝えると、戸惑いの表情を浮かべた若手の看護師にかわり落ち着き払ったいかにもベテランといった佇まいの看護師が病室まで先導してくれた。おしゃべりな人らしく聞いてもいないのにあれこれと患者の様子を話してくれる。


「ずっとね、耳を手で塞いでいて。ご飯も食べようとしないんですよ。仕方なく看護師が口にご飯を運んで」「あやかしの仕業だと言われれば逆に納得しますよ。病棟にいる他の患者さんとは全然違う。どこか異質なんですよね」「ブツブツ何か言っています。ときどきヒヒッっていう感じで変な笑い声を上げてね」「私達では手に負えないというか。病気……とも違うんですよね」「一度無理に手を離そうとしたことがあったんです。機能的には何も問題ないわけですからね。そしたら、壁に耳を激しく打ちつけ始めて」「目がね、ゾッとするんです。こちらを見ているようで見ていないというか、空洞なんです。目はもちろんあるんですけどね」「常に交代で看護師がつきっきりです。放っておけばご自分の耳に何をするかわからないですから」


 「ここです」と、厳重に閉ざされた扉の鍵を開けると看護師が先に中へと入った。一言二言、言葉を交わすと、再び扉の外に出てきて中へ案内する。吉良は大きく息を吸うと病室の中へと侵入した。


「いらっしゃい」


 看護師の話しぶりから変わり果てた姿を想像していたが、椿杏はこの前面接で会ったときと何ら変わらない様子でベッドの上で横になっていた。


「あら。これでは話しづらいですよね」


 耳から手を離さないように肘先でボタンを押してベッドの背もたれを動かすと、吉良の視線上に柔和な微笑みが移動した。


「ようこそ。遠くまでよくいらしてくださって。ありがとうございます。耳ですか? 大丈夫です。耳を塞いでいても話し声は聞こえるんですよ。どうぞ、お掛けになって」


 看護師の言う通りだった。口調や表情は上品なほどに丁寧で、物腰も柔らかいのに窪んだ瞳だけが色がなかった。そこだけぽっかりと穴が開いたみたいに。


「どうぞ、お掛けになって」


 生気のない薄い唇が動き、もう一度促した。ベッド脇に一つ丸椅子があるのを見つけ、座る。口を開こうとしたとき、部屋に留まっていた看護師がそそくさと部屋の外へと出ていった。


「それじゃあ、後はお任せしますから。何かあれば呼んでください」


 一秒でも早く逃れたいという気持ちが早足にありありと現れていた。部屋の空気がそうさせるのだろう。病室だということは差し引いても、綺麗に整理整頓された棚やベッドに窓辺に置かれた一輪の椿の花。一見すると高貴な香りが漂ってきそうなこざっぱりとした綺麗な空間。が、その実、香りの奥にあるものは禍々しい腐臭だ。たくさんの花が地面に捨て置かれたような。


 扉が乱暴に音を立てて閉められ、鍵が掛けられた。


「あら。閉じ込められてしまいましたね。吉良先生。私、看護師さん達に嫌われているみたいなんです。気持ちはわかります。気味が悪いですものね。私も心苦しいのですが」


 随分と饒舌だ、と吉良は思った。いつもは思い出すように訥々と喋っていたのに。


「あやかしが関わると、看護師さん達も対処のしようがわからないですから困ってしまうのだと思います」


「そうですよね。だから、先生が来てくださったんでしょう。やっぱり先生は優しい方です。私を助けに来てくださった。あやかしの話は聞いています。餓鬼、と呼ばれるあやかしが私に取り憑いたのだとか。でも、先生が退治したとも伺っていたのですが。おかしなことにまだ治らないのです。声が、耳に響くんです」


 吉良は知らずに下へずり落ちてきた眼鏡を上げた。椿は左右の耳を両手で塞いだままにこやかに笑っていた。ただ、笑顔は顔の上に一枚紙を貼り付けたように薄っぺらい。


「声が。まだ聞こえるんですか?」


 きゅっと椿の口角が上がった。


「そうです。まだね。聞こえるんですよ。あやかしがまだ私の中に取り憑いているのでしょうか。せっかく良くなってきたと思いましたのに。でも、先生が来られたからもう心配することはないのですよね」


 「それはまだどうなるか……」と答えてハッと気がついた。言葉数が少ない、いつもは話の輪郭がわからないようにされ、今は喋り続けることで煙に巻こうとしている。問題の核心から少しずつ少しずつ遠ざけようと。


 吉良は膝に置いた手をぐっと握り締めた。椿はあえて自分を選んだのだ。「優しい方」というのは間違っても褒め言葉ではない。


「その声の原因。最初からご存知だったはずです」


 相手が核心から遠ざけようとするのならば、核心を突く他なかった。


「過去の嬰児殺し。あなたの部屋に保管されていた日記を読みました。大事に押入れにしまわれていた。水子霊と明らかに繋がりますよね」


 これで言い逃れはできない。罪を認めた後に動機を探る。点と点を繋げ、一本の線にしなければいけない。この怪異を本当の意味で終わりにするためにも。


 ところが椿の笑顔の仮面は崩れることがなかった。


「それがどうかしましたか」


 椿は小さな子どものように小首をかしげた。


「どうかしたって。だって、殺したんですよね。日記にあんなに克明に書いていーー」


「そうですね。死にました。たくさんたくさん。先生のところにも生まれたばかりの子がいるからわかるかと思いますが、柔らかいんですよ。とっても。全身がぷにぷにして、頭も柔らかいんです。だから、ぐぅ、って力を込めると簡単に潰れていくんです」


「な、何の話をしてるんですか!?」


「先生こそ何の話をしているのでしょうか。たくさんの赤ちゃんがあの小屋で死んでしまったことが、この泣き声と何か関係があるのですか」


 色の無い瞳が吉良をじっと見つめる。答えを待っているようだった。


 まさか、そんな。


 手が震えていた。吉良がそのことに気づいたときには震えは全身に生じていた。


「……自覚がないのですか? ご自身が何をされたのか」


「自覚ーーああ、そういうことですか。ですが、赤ちゃんが死んでいったのは仕方のないことです。私はできうる限りのお世話をしていたんですよ。毎日毎日、この声を聞きながら。でも、買い手はいなくて売り手が増えるばかり。先生。どうしますか。売れない子たちはどうしますか」


 小さな口が大きく広がり、上品な笑顔が歪んだ。噛み合わさった歯と歯の隙間から、録音した音声を逆再生したような言葉になっていない耳障りな声が次々と発せられる。くぐもっていた声は鋭く激しくなり、熱を帯びていく。耳を澄ましてよく聞くと、同じ言葉の羅列が耳の奥へと飛び込んできた。


「ーーれーーまれーーだまれだまれだまれだまれだまれだまれーー」


 耳を塞ぐ手に力が込められ、青白い顔が赤黒くなっていく。破れるのではないかと思うほど額に血管が浮き出てくる。歯を食いしばり顔を震わせると、大音量が弾けた。


「黙れ!!!! なんとかしてくださいよ先生! うるさいんです! いつもそうだこの話をするとき、考えるとき、いっつもいっつも騒ぐんだ! いい加減に! 黙れ!!」


 ガクッと首が項垂(うなだ)れた。再び首が上がると同時に笑顔に切り替わった顔が近付いてくる。花の香りと腐臭が押し寄せる。


「ですが、先生は助けてくれる。そうですよね。私を助けに来てくださったんですもの。この声を消してください。今度こそ、確実に」


 吉良はじっと正面を見ていた。息がかかるほどの近くにある深く皺が刻まれた顔を見ていた。一体いつを見ているのか。もはや椿の瞳は焦点が合っていない。


「どうしたのですか、先生。教えて下さい。方法を。知っていらっしゃるんでしょう。さては、怒っているのですか。私が赤ちゃんを死なせたことを。でもね、私のせいではないのです。悪いのは産んだ母親です。孕ませた父親です。産んできた赤ちゃん自身です。私は悪くない。先生。仕方のないことなんて世の中にたくさんありますでしょう。その一つがこれです。だって私だって生き抜くのに必死だった。自分が生きるために手段なんて選んでいられないでしょう」


 生きるために手段は関係ない。それは一つの真実だろうと、吉良は頷いた。あやかしになってまで生まれてこようとする力を目の当たりにしたのだから否定はできない。


「ですから同じことなんです。あなたが殺した大勢の赤ちゃんも生きようとしていた。必死に。その思いと力があなたに声となって聞こえているのではないのですか? あやかしとして生まれてきたのではないのですか?」


 なぜ自分だけ助かろうとしたのか、誰かに救いを求めなかったのか。責任を追及しようとする言葉はつらつらと頭の中に浮かぶ。相手の非が明確な糾弾は簡単だ。


 吉良は握った手にさらに力を込めた。爪が食い込み、鋭い痛みを与える。そうまでしてようやく感情に任せてぶつけそうになった言葉を呑み込んだ。


 予想に反した台詞が返ってきたからなのか、それとも本人にしか聞こえていない声が激しくなったのかはわからないが、老婆の笑みはだんだんと引き攣ったものへと変わっていった。


「……でも、死んだら終わりでしょ? それなのにいつまでも纏わりついてくるんですよ。声を消してほしいと思うのは当たり前のことですよね。生まれてすぐに死んだくせに幽霊になっていつまでもいつまでも。だから、お願いですから助けてください! 助かる方法を教えて下さい! 私にはもう先生しか頼れる人がいないんです!」


「……無理です」


 乾いた唇を舐めて開けた口から自然に漏れた言葉に吉良自身も驚いていた。内に溜め込んだ黒色の感情を握り締めていた手はあっさりと解放される。


「えっ………………?」


 二の句を継げずに口を開閉させることしかできない疲れ切った表情を眺めながら吉良はおもむろに椅子から立ち上がった。


「無理だと言いました。私にはあなたの怪異を解決する術はない。幽霊は、私の専門外ですから」


「……へっ? ……へっ?」


 それ以降は言葉にならなかった。吉良はすかさずベッドに置かれたナースコールを押すと、踵を返してドアへと向かう。駆け付けてきた足音が止まり、ドアの鍵が開いた瞬間に病室の外へと出ていった。


「どうしましたかーーちょっと何を!!」「椿さん! やめて! やめなさい!」


 窓辺に置かれた花瓶が砕け散る。一輪の椿の花がポトリと床へと落ちた。


 吉良は決して振り向かなかった。声などまるで聞こえない。聞こえるのはただ、狂ったような絶叫だけだった。

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