突然の電話
快眠を妨げられて泣き喚く我が子の声がまだ耳に残っていた。遅くなりそうというメッセージをパートナーの川瀬愛姫に送って小一時間は経っていたが返信は来ていなかった。
電話の主は今すぐ来てと簡単に言うが、面談や研究チームという名のほとんどケース検討チームになっている会議、報告書の執筆、と仕事は山積みだった。確かに件のケースは今どき珍しい餓鬼憑きあるいはヒダル神の可能性があるために、原因の特定や問題解決は一筋縄にはいかないと感じてはいたが、だからといって全ての仕事を投げ出して向かうようなことは吉良にはできないことだった。
結局、予定していた面談を断ることはできずに、ファミリータイプの中古の軽を目的地まで走らせる頃には街並みは夕陽に染まっていた。なにせ面談者は隣県に住む高齢の女性だ。それも数年前の面接開始から何かのジンクスのように毎月第一水曜日に欠かさず通ってくる。他の仕事は調整できても、このカウンセリングを断ることは忍びなかった。
血の色みたいな赤い夕陽が、鰯雲を呑み込み、時代に取り残されたような人もまばらな商店街やマンションを覆う。吉良がそう思ってしまったのは、先日パートナーの出産に立ち会った際の印象がまだ残っているからかもしれない。
元々体が強い方ではない。さらに精神力も強いわけではない。出産という人生に何度もない大きな出来事に際し、吉良はいつも通り動揺して助産師の指示とパートナーの叫びに近い訴えの間を右往左往することしかできず、出産につきものの出血を見るだけで卒倒しそうにもなった。
果然と妻の手を握り「俺がついてるから安心しろ!」と言わんばかりのいわゆる男らしさ、父親らしさを演じることなんて到底できなかったのだ。
眼鏡を上げてなんとはなしにバックミラーを見ると、なんとも冴えない顔がちらりと映った。具合が悪そうな青白い顔に、眠そうな目。覇気の欠片も感じられない。
自然とため息が漏れ出る。昔からそうなのだ。トラブルに巻き込まれても我慢するか逃げるかだけ。自ら立ち向かっていくことができない。
だからなのか、吉良はこれから久しぶりに会うことになる二年も下だった高校の元後輩の強気な顔を浮かべて重苦しい気分になっていた。
四車線から二車線、それから一車線へと道路の幅が狭くなっていくにつれて、人の気配も車の気配も消えていく。以前はこの道にももう少し家屋が立っていたものだが、とだいたい一年前くらいの記憶と照らし合わせながらさらにゆるやかな坂道をひた走ること、十数分。小高い丘の上に目的地の姿が現れた。
「綺麗なままだ」
吉良はそう呟くと、少しだけ頬を緩める。




