証拠
エンジン音がうるさい車内の中で吉良はつとめて大きな声を出して疑問に思っていることを聞いた。
「月岡さん。押し入れの中の物ですが、もう押収されているなんてことは……その、ないですか?」
「ないとは言い切れないが、何か具体的な犯罪が起きたわけじゃない。あの暴れ回っていた婆さんは静かにさせられて救急車で連れて行かれたし、俺やお前を遠ざけてしまったから、どう対処したものか考えあぐねているところなんじゃないか? メンツがあるからな。外部の人間にはあまり立ち入ってほしくないと思っているはずだ。事が大きくなれば別だが」
「問題はもう大きくなってますよ」
「県外のことは関係ないんだ。人間誰しもそうだろ? 自分と関係ないことはどんなに異様で悲惨でも、冷たくなれる」
いつもこうだった。外からの人間、特に権力を持った警察組織なんかがあやかしの問題に入ってくると、一つ一つに手間取りスムーズにいかない。向こうにとっては、事件として、自分達が主導を握れるのが大事なのかもしれないが。
「そう熱くなるな。重要なものを見逃すぞ」
それは自分のことではーーと横顔を見れば、なんとも曖昧な微笑が浮かんでいた。
「これはただの戯言だから、聞き流してくれていい。お前や柳田が警察を嫌っているのはなんとなくだがわかる。結局堅物なんだよな、組織自体が。あやかしなんてよくわからないもんに、捜査が左右されてたまるか。だけどな、この仕事をしていて面白いことが一つある」
吉良は頭を横に捻った。面白いことなんてあっただろうか。それよりも心臓に悪いことばかりが次々起こっている。
「真相に近づいていくこの瞬間だ。綱引きみたいなもんだ。最初はどう引っ張ってもビクともしない綱でも多くの手が引っ張ることで綱の先が少しずつ見えてくる。暗闇の中に埋もれていたものが姿を現してくる。埋もれさせてはいけないものがある。真実を明らかにしないといけないものもあるんだ。怒る役割は俺でいい。お前はそんなキャラじゃないし、ポジションでもないだろ。警察のごたごたは俺がやるから気にするな。真相を明らかにするのが、お前の役割だろ」
正確に月岡が何を言いたいのか、吉良にはわかりかねた。出会ってすぐに共感ができそうな相手ではないと思っていたこともあるのだろう。ただそれよりも感じていたのは、見ている景色の違いだ。
雨こそ止んでいたが、頭上は分厚い雲に覆われていた。月の見えない夜はなお暗く、そしてどこまでも深かった。
街灯の眩しい光に虫が集まっていた。そのせいでちらちらと揺れる光が、誰もいない道路を何の意図もなく照らし続けていた。その街灯の下に暗闇から抜け出てきたような黒光りした車が姿を現したのは、もう日付が変わった時刻。寝静まった住宅街を揺り起こすかのように、一台の車が走り抜けていった。
白い筒状の先端に赤い火がつく。タバコを加えたまま、月岡は話し始めた。押し黙ったような車内に久しぶりに人の声が響く。
「たぶん何人か、警官が家の前で待機しているだろう。俺達がいなくなったことはわかってるからな。止めようとしてくるだろうが、無理矢理押し入る」
まるで強盗のような言い方だと思ったが、これから人の家に無断で入って目的の物を探そうとしていることを考えれば、あながち間違えてもいないと思い直して、吉良は静かに頷いた。
「ケンカはしない。後のことを考えると、なるべく穏便に済ませたいからな。ただ、どうしようもないときは吉良、お前だけで二階へ上がってもらう。目的の物が見つかれば、事の深刻さが理解してもらえるだろうからな」
「……もし、見つからなければ?」
「お咎めを受けるだけだ。まあ、下手すれば公務執行妨害で捕まるかもしれねぇが」
気づかないうちに唸り声を出してしまった。捕まってしまったら時間がかかる。ただでさえ予想外に時間が経ってしまっているのだから、もう無駄に時間をかけるわけにはいかない。
あれから沙夜子から連絡は来ていないが、怪異が何ら解決していない以上、今も一刻を争う状況にいることは間違いがない。
「大丈夫だ。証拠は絶対ある。そうじゃないと説明がつかないことが多すぎる。そうだろ?」
「……ええ、そう、なんですが」
自信はなかった。そうだろうとは思っていても、いまいち自信が持てない。何もわからないところから、細い糸を手繰り寄せるように少しずつ点と点を繋ぎ、ここまで辿り着いた。もし、この線が偽物ならば全てが意味をなくしてしまう。
「着いたぞ」
思わず体がビクついた。一瞬頭が真っ白になってしまった吉良の肩を大きな手が叩く。じーんとした痛みが肩から頭にかけて広がる。
月岡が降りるその後ろを吉良も急ぎ足でついていった。月岡の予想していた通り、暗がりの中、張り巡らされた黄色いテープの前に数人の制服姿の警官が姿勢良く佇んでいる。
「止まってください。あなた方を中に入れるわけにはいかない」
「無理だ。入らせてもらう」
年若い警官の一人が張り詰めた声で制止を呼びかけるも、月岡は問答無用で突き進む。両脇に二人の警官が飛び出し、場合によっては実力で止めようと体を構えた。
明らかに面倒くさそうに月岡の足が止まった。
「探し物をするだけだ。通してほしい」
懐中電灯が眩く光り、月岡の顔を照らした。
「こちらで捜査中です。必要があれば話を通してもらえれば、我々が探しに行きます」
「見つけたものは押収するだろ。俺達には見せずに。こっちには時間がないんだ。今すぐ確認して帰らなければならない。頼む」
若い警官は片腕を前に突き出し、拒絶の意志を示した。
「無理です。何をされるのかわからない。ここで起きた事件なんです。判断は我々がしますから、お引取りください」
「そうかよ」
舌打ちが、暗闇の中をこだまする。ややあってライターの火が点けられてタバコに火が宿った。
「……失礼ですが、本当に警察官の方でしょうか。人の目の前でタバコを吸わないでいただきたい。それも人の敷地内ですよ」
「なあ、知ってるか?」
「……何をですか?」
警官はタバコの煙を手で払いながら聞いた。疑い深そうに目を細めて眉間に皺が寄る。
「タバコの煙が苦手なあやかしがいるんだ」
「な、何を……」
あやかしという言葉が出た途端にピクリと肩が上がったのを、吉良は見逃さなかった。
「狐だ。狐と言っても動物の狐じゃない。あやかしの、ほら、狐憑きと言えばわかるか?」
「だからそれが何だって言うんですか!?」
声は荒げ、裏返る。単純なことではあった。恐怖は、人間が生きていくために欠かすことのできない最も原初的な反応の一つだ。だから人は、未知の恐怖に襲われると声を荒げる、体を硬直させるなどの簡単な対処法しか選べなくなる。
「だから狐が憑いてんだって言ってんだよ。俺の体にはな」
全員が息を呑み、体を硬直させた。その瞬間に月岡は弾丸のように足を、体を弾かせた。
「あっ、コラ!!」「待て!」
足止めは一瞬。すぐに任務を思い出した警官三人によって月岡は羽交い締めにされて取り押さえられてしまった。だが。
「行け! 吉良!」
吉良が走っていた。全速力ではあるものの、傍目にはゆっくりとした動作に見える。それでも反応と対処と行動が遅れたために、三人は吉良を捕まえることが叶わなかった。吉良は立入禁止の黄色いテープの下を潜り抜けると、そのまま家へと入り、二階へ駆け上がっていった。
あるはずだ、絶対に。あるはずだ。
ドアを開き、まだ荒らされたままの状態の部屋に突入する。ヨダレでベトベトになった畳の上を躊躇うことなく走り抜けると少しばかり開いた引き戸に手を掛けて思い切り押し入れを開けた。
「!」
啞然と口が開く。押し入れの中には何もなかった。
「そんな……」
全部間違っていたのか。最初から関連性なんてなかったのか。
下からドタドタと乱れた足音が上がってくる。あと数秒もすればきっと部屋の中に入られてしまう。
ダメだ。やっぱり、ダメだった。わからないまま、何もわからないまま、また時間だけを無駄に過ごしてしまった。何度同じことを繰り返せばーー。
「止まってください!」
ライトの明かりが吉良を照らした。諦めたように前方を見つめ、肩を落とした姿が光の下で露わになる。
「こちらへ来てください。大丈夫です。何もしませんから」
これ以上は無理だと判断し、吉良は顔を向けようとした。
「えっ?」
妙な裂け目が目に飛び込んできた。左側に設置された板の端に噛み千切ったかのような穴が開いている。穴の先に見えたのは、色褪せて茶色く滲んだ御札だ。
「ちょっと、動かないで!」
自分でも驚くくらい、そのときの吉良は何も考えていなかった。警官の声に従うこともなく、板に手を触れる。力を込めるとぐるっと回転して奥へと隙間が開けた。中には大小問わずびっしりと御札が貼られており、埋もれるようにしていくつかの分厚い書物が置かれていた。一番手前にあった書物を手に取り、中を開くとカビ臭い匂いが鼻孔を埋め尽くした。
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4月3日(水)
声が聞こえた。耳を澄ませばあの声が聞こえてくる。一年前のことなのに随分と懐かしい。久しぶりに聞く声に耳は震え、心も震えた。嬉しい、とにかく嬉しい。
気がつけば口元がよだれでべっとりと汚れていた。手の甲で拭って鼻に擦り付けるように匂いを嗅ぐ。目を閉じれば、温かい匂いがする。生まれたてのまぁるくて、やわくて、ちいさい匂い。
思い出す。思い出す。あの泣きじゃくる声。
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「おい! いい加減にしろ!」
腕を引っ張られ、頭を掴まれても、吉良の目はただただ文面を追っていた。異様な言葉、異様な情景。
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声は小さくならない。消えていかない。
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大きくなる一方
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うるさい。うるさい。うるさい。
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何をしても消えな
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置いてくる。置いて
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そこで日記は取り上げられてしまった。
「全く。わかるかい? 不法侵入なの。あやかしの専門家だかなんだか知らないけどねーー」
「見てください!!」
吉良は大声を張り上げた。メガネ越しに映る瞳の奥が赤々と燃えているようだった。
「き、急になんだ?」
「見ろと言っているんだ! 事件の真相が書いてある! これは重要な証拠だ!!」




