表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/40

第一水曜日に来る依頼人

「ーーなるほど、状況はわかった」


 吸いかけのタバコを灰皿に押し付けるようにして潰すと、月岡はゆっくりと紫煙を吐き出した。ハンドルをしっかりと掴み、アクセルをぐっと踏む。スピードが徐々に上がっていく。


「で、依頼人はどんな相談をしてたんだ? ニ年も掛けているなんて通常ありえないんだろ?」


 月岡の隣、助手席には吉良が座っていた。ずれ落ちそうになるメガネを上げると、持ってきたファイルを開く。


「声が、聞こえると言っていました。赤ちゃんの声。それがずっと続いていると」


 二人は依頼人の家へと向かっていた。県外から毎月依頼人は通ってくる。これまで日時の変更も、遅刻も一回もなかった。その自宅へと今、高速を飛ばして向かっていた。速度制限を超過していたのが吉良には気に掛かったが、現役の警官がやっていること、そしてもう時間がないことで大丈夫なのだろうと言い聞かせる。依頼人からのメッセージは明らかに異常だった。


「簡単に信じることはできないが、子どもを亡くしたばかりとかだったのか?」


「いえ、高齢の女性です。たしか今年で八十六になるとか」


 月岡が噴き出した。


「ハ十六? 嘘だろ? それで毎月毎月通ってきてたのか?」


「ええ。ちょうど昨日も来られましたよ。沙夜子さんから今回の件で呼び出されたんですが、さすがにこの方ーー椿(つばき)あんさんと言う方なのですが、椿さんの依頼は断ることができなくて。しっかりされている方なんです。毎月第一水曜日に遅れることなく、休むことなく時間通りにピッタリと来て、帰っていく」


「なるほど。よほどの事態だな」


 前方車をどんどん抜かしていく。信号にも何にも捕まることがないためスムーズに進んでいく。


 沙夜子のところへは応援が来ていた。結界陣の本家とも言える京からの救援だ。それでも、原因がわからなければ根本的な対処はできない。怪異による症状の悪化を遅らせるのが精一杯だった。


「だから妙なんですよ。水子霊、僕は専門外なので詳しくはないですが、母親に取り憑くような話はよく聞くじゃないですか。でも、もちろん数年前に子どもを産んだ事実はないですし、本人の話では生まれつき子どもの産めない身体だということで、子どもを産んだ経験がない。なのに数年前から急に子どもの声が聞こえるようになったという」


「……あやかしの仕業か?」


「可能性はある、と思って依頼を引き受けてきた面もあります」


「聞いてる限りだと、一筋縄ではいかなそうな気もするが、それでもニ年も掛かっているのはなぜだ?」


「残念ですが僕の力不足もあります。ただ本人に聞いても心当たりが何もない、というのも理由としては挙げられます」


 車窓からは深い森が見えた。緑豊かな木々の中に少しずつ色付き始めた木々も現れる。秋はもうすぐそこに来ようとしていた。


「心当たりがない、ね。でも、本人からしたらなんでもそうだろ? 今回の件だって誰に聞いても理由はわからねぇーんだ。だからこんなに苦労する羽目になる」


「そうですね。だけど、どこか違うんですよね。今回のケースは背景に何が起こっているかはまだわかっていないんですが、表に出てきている面、つまり現象は具体的なんです。恐ろしいくらいに。でも、この方の場合は違う。なんというか、全体的に靄が掛かっているというか。そう、曖昧なんです。怪異の形があまり見えてこない。話を聴いても問い掛けても霧の中にいるような感じです。出口どころか入口もわからないと言えばいいのか」


 ちょうど森の中に迷い込んだよう、と吉良は思った。依頼人の話を聴いていると、方向感覚がズレていくような感覚がある。進んでいるようで足踏みしていたり、あるいは後退していたり、ぐるぐると同じところを回っているような。


 月岡はまたタバコに手を伸ばして、しかし止めた。代わりなのかどうなのかわからないが、窓を開閉する。


「それだと、まるで化かされているみたいな言い方だな」


「そう、ですか?」


 月岡の言葉の意図を上手く理解できなくて、吉良は横顔を見た。男らしい、という表現が似合いそうな強面だが端正な顔立ちが、今の天気のように曇って見えた。


「そう言えば……」


「なんだ?」


「あの、気に障るようだったらすみません」


「なんだよ、そういうのがめんどくさいんだ! さっさと言え!」


「は、はい。あの、病院で確か狐がどうのこうのって」


「ああ」


 と言ったきり、車内には沈黙が訪れた。やはり触れてはいけないことだったのか、とまた窓の外を眺めると、雨が降り始めていた。目では捉えにくい細雨が窓に点々と水滴を付けていく。ワイパーが一度、上がった。


「狐はな。侮辱の言葉だよ。あいつらは、本部の連中はな、そう言ってバカにしてるだけだ。気にしたってしょうがねぇ」


 我慢できなくなったのか、月岡は諦めたはずのタバコを取り出すと火をつけて吸い始めた。タバコの匂いが密閉空間に広がっていく。


「なあ、先生。あんたは専門家だろ? だったらぜひ、考えを聞かせてもらいたい。ニセモノの専門家は殺しても構わないかどうかってことについて」


 また燃えるような瞳をしていた。ギラギラと憎悪すら感じるような。暗闇の中に浮かぶ線香花火のような。


「ニセモノの専門家?」


 声を落とす。ワイパーがもう一度上がった。


「そうだな。こういうのはどうだ? めんどくさくない、単純な話だ。狐憑きの少女がいた。ニセモノの専門家は噂と迷信を拠り所にして、家族に少女を殴り蹴るの暴行を実行させる。少女は死ぬ。だからニセモノの専門家を殺す。これは、いいか悪いか」


 雨足が激しくなってきた。吉良の背中に悪寒が走る。


 狐憑きは、古来から言い伝えられてきた憑物の話だ。単なるあやかしの憑物とは違い、憑物筋といい代々遺伝として、つまり家に憑くとされることも多い。憑物筋の家系には時折、狐憑きが生まれる。その狐憑きを退治する方法として狐落としが行われる。


 吉良が冷や汗をかいたのは言い伝えの話だからではない。口ぶりからして今の話は月岡が体験した話だと理解したからだった。


「……亡くなったのは、誰ですか?」


「妹だ。亡くなったんじゃない殺されたんだ」


 雷が鳴った。遥か遠くの上空。大きな渦を巻く灰色の雲が瞬いたように光る。


「連絡があって向かった。抵抗されたがな。顔を見るなって。怒鳴り散らして、いや少しは手を出したかもしれないが白い布を顔から剥がした。無惨だった。腫れ上がってるとか傷付いているとかそんなもんじゃねぇ。あれを見たとき心の中で思っちまったんだ。化物、ってな」


 また雷が鳴った。光とともに見えた月岡の瞳から雨粒が一滴垂れ落ちた。おそらくは怒りで滲み出た僅かな一滴だろう。吉良の目の錯覚かもしれないが。


「専門家とやらを見つけ出して殴った。全身も顔もボコボコにしてやった。だってそうだろう。妹が家族がボロボロの顔になっているのにあいつだけは涼しい顔をしていた。そんなことあっていいはずがねぇ。あっていいはずがねぇんだよ! ……だからだ。こんなところに飛ばされた。ちょうどいい人事だと。そりゃそうだ。狐があやかしの事件を捜査するんだからな」


 月岡はタバコを吸った。


「先生なら知ってんだろ。狐はな、タバコの煙が嫌いなんだ」


 狐に化かされた話だ。男が夜道を歩いていると本当に真っ暗になった。狐に化かされたかと思いタバコに火を点けると、狐は逃げていき辺りは明るくなったという。


「わざわざ言うこともないけどな。だから嫌いなんだよ。あやかしとかなんとか、先生みたいな専門家とやらが。俺にとってはあやかしはあやかしじゃねぇ。本当のあやかしは人間だよ」


 吉良が何も言えずに黙って濡れた窓の外を見ていると、車が急に減速を始めサービスエリアへと吸い込まれるように入っていった。


「えっ」


「休憩だ。適度に休憩を入れないと運転は危ない」


 スピード超過は許されるのか、と言いそうになったが口から言葉が飛び出る直前に留めた。時間はないが、疲れは溜まる。今の話を聞くだけでも月岡も相当な疲れを抱えているはずだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ