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空転

 ぐるりと目が回った。この上ない気持ち悪さが込み上げてきて、吉良は急激に目覚めた。染み一つない真っ白な天井から誰かの笑い声が聞こえる。ほのかな甘い香りがタバコの強い匂いに混じって消えた。


 身を起こすと、そこには月岡の姿があった。ソファに座って製菓雑誌を読みながらタバコの煙をプカプカさせていた。


「……どうなって……」


 雑誌に目を通していた視線が上がった。


「起きたか、先生」


 辺りを見回す。見覚えのある部屋だ。ソファを挟んでコーヒーテーブルが置かれ、コーヒーの木、ポトスといった観葉植物が月岡の後ろに並んでいる。


「ここは、家?」


「そうだ。あの病院よりかはこっちの方がマシだろう」


「……ありがとうございます」


 頭が割れるように痛い。頭だけじゃない。脚や腕に鈍い痛みが走った。


「そうだ……頭が重くなって目が霞んで……」


「倒れたんだよ。急にな。助けに入らなきゃ顔を強打。そのまま入院だったな。まっ、その方が頭は冴えたかもしれねぇーが」


 「そうか」と呟くと、吉良はテーブルに置かれた曲がったメガネを掛けた。視界がクリアになると同時に、倒れる前の景色が鮮明に思い出される。喚き散らす声に、どす黒い血の色。


「……すみません」


 自分でも情けないと思うくらいくぐもった声が出た。


 血は苦手だった。初めてのことではない。この仕事を始めて何度も血は見てきたし、人の死も見てきたつもりだった。だから覚悟はしていたはずだったのに。


 雑誌がパタンと閉じられる。


「何に対しての謝罪だ?」


 タバコをくゆらせる。煙は上へと上がり、空気と混ざり消えていく。また、笑い声が聞こえた。ただ楽しそうな無垢な笑い。


「原因が特定できていないこと。それからこんな、迷惑までかけてしまって」


「ああ、そうだな。迷惑だ。捜査は中断するし、無駄な体力とガソリンを使ってしまった」


「……すみません」


「謝るだけなら誰にでもできるんだよ、先生」


 真正面から視線がぶつかった。芯のある強い眼差しは漆黒のように深く。見ているだけで妙な緊張が体を支配する。


「どうするかじゃねぇのか? 何ができるかじゃねぇのか? 今も本部は捜査を進めてる。あの寺では柳田が一人でたたかっている。あやかしに取り憑かれた大勢の人間が恐怖におののきながらたたかっている! これからあんたはどうするんだよ、先生!」


 吉良は視線に耐えかねて下を向いてしまった。言い返す言葉を探してみるも、何も浮かんでは来ない。あの母親の憎しみに満ちた顔が頭をよぎる。


 月岡は深く吸った煙を噛み締めるようにゆっくりと吐くと、携帯灰皿に捨ててソファから立ち上がった。


「もう一度聞いておく。覚悟はあるのか? 答えはまた今度聞かせてくれ」


 扉が開かれ、また閉められる。車が動き出し、すぐに遠く離れていった。


 重い腰を上げると、吉良は2階へと上がっていった。なにはともあれ、また愛姫に迷惑をかけてしまったのは事実だ。体調を崩したばかりでこれ以上迷惑はかけられない。


「ごめん愛姫」


 リビングのドアを開けると、奥の置き畳で一人で手と足を動かして遊んでいる優希のぼんやりとした笑顔が目に飛び込んでくる。パートナーはその隣で眠っているようだった。近付いていっても、赤子の妙な声にも反応を示すことなく熟睡している。具合が悪いのかと疑い、広いおでこを触ったが熱くはなく、無防備な幸せそうな顔で軽く寝息を立てているのを見て、吉良はタオルケットを掛けて優希とともに再び一階へと降りていった。


 降りる途中。玄関棚に鬼灯が活けられているのが吉良の目に入った。来客時などに使うガラス製のロンググラスを花瓶代わりにして上手い具合に鬼灯の橙色の実が三つ縁にかかるように入れられていた。興味があるのか優希はパッチリと目を開けて手を伸ばそうと試みる。


「鬼灯はね。魔除けの効果があるんだ。もしかしたら、生まれたばかりの君を守ってくれるかもしれない。まだ、力の無い君をね。……いや、力が無いのは僕の方かもしれない」


 俯いた拍子にメガネがズレてしまった。優希が新しいオモチャを見つけたみたいにかわいい声を出しながら右手でなんとか掴もうとしている。


「あっちょ。これはダメだよ」


 掴まる前にメガネを掛けると、吉良は階段を降りて扉のドアノブに手を掛けた。


「そうだ。鬼灯はね。見るだけで触っちゃだめだよ。あれの茎や葉っぱ、特に根には強い毒があるんだ。昔の人は薬やそれから……まあ、そんな難しい話はいくらなんでも早過ぎるか。飾っておくだけで魔除けの効果があるらしいからね」


 昨夜と同じくベビーベッドに寝かせると、吉良は重い足取りで書斎へと向かっていく。自分を呼ぶような甘えた声に幾度か振り返りそうになったが、その度に時間がないと、自分に言い聞かせるようにして奥の部屋へと足を進めていく。


「わかってるよ。やらなきゃいけないんだ。早く原因を見つけないと」


 また誰かが亡くなってしまう前に。関連すると思われる本や資料は机に乱雑に置いたままにしておいた。どの文献も昨日、一通り目を通したのだが、もしかしたら何か見落としがあるかもしれない。


 先程の月岡の言葉が甦る。


「わかってるよ。そんなこと。十分、わかってるんだ!」


 椅子を引き倒した吉良は感情を抑えるのも忘れて文献を読み漁り始めた。

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