2話
サイは多くの血を流しながら倒れている。あの剣。結構重そうだ。汗を拭きながら立ち上がろうとしたが、彼は俺に剣を突き立てたまま動かない。剣を喉に突き付けられたままでは動くことができない。
「…、こちらの言葉がわかっていないのか?別の民族がここら辺にいたか?」
「以前はいたと思うけど、今はいないわ。流石にこの場所に居れば命がないから。それに新しい文化が入ってきてうまくいかなくなったと言っていたわね。」
話をしながらも彼らは俺に対して気を抜いていない。剣は先ほどと同じ状態のまま固定されている。同じ姿勢を保つというのも難しいはずだが、彼は難なくやっている。その彼と同様、彼女も俺のほうを見て警戒している。その彼女は歩いて俺のほうへ近づいてくる。俺が後退りしようとするが、彼は剣をさらに首へと近づける。首の皮に当たりそうなところまで突き付けている。
「それ以上動くな。動くと斬る。」
彼の眼は真剣だ。おそらくこれ以上動けば斬られるだろう。その間に彼女は俺の鞄を漁っている。乱れていた呼吸が少し落ち着くと頭が正常に働き始める。彼らの格好はまるで西洋の中世を思い出す。戦争中ということか、もしくは彼らが兵士ということか。おそらく後者のような気がしている。彼は剣の扱いが慣れすぎている。そして、俺に剣を近づけても彼の表情は変わることがない。熟練の兵士か…。彼女は俺のほうを少し見て視界に入らないところへ移動した。その行動に合わせて彼は剣を少し突き立てた。
「私の言葉はわかるようだな…。障害者か?恰好を見る限り何か不自由しているということはなさそうだが。むしろ、俺たちよりも良い服を着ているようにも見える。ただ、黒い髪というのは珍しいな。貴族の中で黒髪の一族がいたはずだが…。その血縁者にも君を見たことはないな。」
異世界にも黒髪は存在しているのか。以前の転移者の子孫か…。しかし、彼女の行動がわからないため何をしているのかわからず不安だ。その上、剣に突き付けられているからか汗が止まらない。ここまで明確に死を意識したのは初めてである。掌からも汗が出ているのか砂が吸い付いている。スーツにも多くの砂埃や汚れがついている。着ているスーツに関しては市販のものを手直ししてもらっただけである。しかし、スーツというものは仕事の服である。スウェットのような動きやすく、吸水性がよく、通気性が良い服がいいだろう。しかも、このスーツは冬服だから暑すぎる。できれば汗だけでも拭きたいが、動けないのではどうにもできない。…、足が痛む。先ほどよりも少し痛みが強くなっている。汚れが傷口に入ったか。彼は俺の様子を見たのか、首をかしげる。
「ん、足を怪我しているのか…?さっきのビックデスにやられたか…。治療はまた別のところで行う。おい、何かあったか?」
「あるわ。しかし、私たちでは何もわからないものばかりよ。」
彼女は俺の鞄を持ちながら彼に見せている。本はわかるのだろうか。彼らは文字を読めるのか…。イヤホンやウォークマンなどの電子機器はわからないか…。どちらにしてもこの状況を何とかしなくては。彼も手に取ってみているが、使い方がわからないようだ。
「確かにわからないものばかりだな。本も読むことができない。知らない文字で書かれている。お前は何者だ?」
「日本人です。」
俺の声を聴いて2人とも少しホッとしているようだ。彼女の髪は赤色で隣の男は緑色だ。雰囲気的に染めているような感じは見られないため、地毛なのだろう。海外でも緑というのは見たことがないな。赤色はまだあるかもしれないか、血を連想するまでの赤はないか。緑もライトグリーンほどの明るさである。異世界人。その言葉が頭に浮かんでくる。
「ニホンジン…、聞いたことがないな。それにもう少し大きな声を出せないのか?君は聞いたことあるか?」
「ないわね。民族としても聞いたことがない。彼は本当のことをしゃべっているのかしら?」
…女が俺のほうに歩いてくる。彼が俺の動きを止めるように剣を首に近づける。彼女は俺のあらゆる箇所を触り、携行品や装飾品を外した。その物を見ながら彼女は首をかしげている。特にiPhoneに関しては触っているが、何も反応がない。俺の顔か、もしくはパスワードを入力する必要がある。知らないのであればそもそもわかるわけもないだろう。そして、時計を見て驚いている。彼女の懐から何かを取り出して時計と見比べている。
「時計か…、それは。」
「うん。かなり正確。私たちでも大まかな時間しかわからないのにこの時計はそれよりももっと詳しく時間を刻んでいる。それに小型。私たちはゼンマイだけど、この時計は何も動力がついていないように見えるわ。どうなっているの?」
彼は少し顎に手を当てている。こちらを見ながら何か考えているが、彼女は俺を監視しているようだ。日本という国はこの世界に存在しないらしい。日本という国を知らないということも考えているのだが、それなりに有名であったし、目の前の男は貧相な格好をしているわけでもなかった。
女はあからさまに俺に対して憎悪を向けている。そこまでの憎悪を向けてくるほどの何かがあったか。しかし、ここに来ているだけであって何かしているわけではない。女の警戒は解けないが、男の方は首を傾げている。とりあえず、ここでの情報を収集しなければ。彼は剣を首に再度近づけた。
「あんまり変なことを考えるなよ。お前を殺すくらいわけない。」
「私は周りを調べてくるわ。何かわかるかもしれないし。」
「頼んだ。」
このままでは悪い方向に進んでしまう。女が何を調べに行くのかわからないが、俺のことを調べに行くのだろう。俺がこの世界に来てからそんなに経っていないが、動線を追うことができるところは知れている。いきなり放り出されているのだから、途中で途切れているだろう。
「私は…、」
「ほう、しゃべることができるのか…。だが、今は黙っておけ。お前のことを信用などできないからな。ここに来ている以上、貴様は罪に問われる。」
どうして俺が罪になるのだろうか。犯罪などしていないのに。…もしかして、この場所が進入禁止のところ。それならばわかるが、それならば、人がいるところへ歩くことができたのは奇跡なのだろう。そして、彼らにサイから救ってもらったのもまた、奇跡である。普通は人が通らないところでもあるのだから。茂みから音が聞こえる。体が反応して首が剣先に近づいてしまう。茂みから出てきたのは小さなリスだ。
「…、ここら辺に大きな動物の気配はない。そこまでおどおどする必要はない…。」
俺のほうを見ながら彼は剣を収めた。どういうことだろうか。彼は周りを警戒しながら、何か指で合図を送っている。微かに音が聞こえているのは彼の部下か。風の音かと思っていたが、人間が出しているとは。暗部の人間かも。しかし、それほどまでに音を制限できるのはすごいことだ。剣を収めてもらったことで少し余裕ができる。日本にある木よりも若干、幹が太いような気がするし、背も高い。感触や表面は同じようだ。彼の格好を見れば革の胸当てと2本の鞘を持っている。ズボンは麻のズボンだろうか。暑いから通気性が良いものを履いている。革の胸当てには何か文様が刻まれている。どこかの国を表しているのか。
女が戻ってくる。彼女は何か考えながら、男のほうへ歩いていく。
「…、が…。」
「それは…しい。こ…だから。」
何を話しているか聞こえない。ただ、俺に聞こえないように話すのは何かがあったからだろう。
女は腰から小さな筒を取り出して、後ろにいる男へ手渡す。男は女の方を見た。女がわずかに頷いたのを見た。…、彼女の恰好は中世の貴族みたいだ。ロングスカートに帯剣しているのがアンバランスである。そのような走りにくい恰好で何をしていたのだろうか。
「ここを頼んだぞ。彼はおとなしいが、1人になればどうするかわからないからな。」
「わかっているわ。」
男は直ぐに後ろを向いてどこかへ走っていった。女は俺に鞘から剣を抜き、突き付けている。わずかに頬に痛みを感じる。頬を触ると血がついていた。どうやら彼女は本気で剣を向けている。何か狂気のような感じも受ける。過去に何かあったのだろうか。
「彼は甘いけど私はそう思わないほうがいいわ。」
それはもちろんのこと。いきなり剣を突き付けて頬にあてるような人はいないはず。俺は何も武器を持っていないし、降伏しているようなものだから。この世界では捕虜の扱いが悪いのだろうか。そこらへんは情報があればわかる。しかし、現状何もわからないので判断ができない。彼女もこちらを睨んでいるため、話ができる状況ではない。それにそもそも俺がうまく話すこともできないし。
「そのまま黙っておきなさい。私も変なことをしてほしくないわ。」
これはだめだな。彼女から動かないようにと指示を受ける。少し態勢が悪かったので少し足を動かしたが、左の足首に痛みを感じた。彼女はわずかに横目で左の足首を見ていた。サイの突撃を避けた際に怪我をしているが少し痛みが長引きそうだ。
「…足を怪我しているのね。だから、彼は剣を収めていたのか…。あまりに足が痛くなる場合には言いなさい。私たちはあなたを無暗に殺したいわけではないから。」
彼女の警戒心はまだ続いているが、幾分柔らかくなったような気がする。痛みがひどいようだったら申告するように言われた。彼女が言うことを信じるとするならば、捕虜に対する扱いを見ても良い国のような気がする。悪い国であればそれこそ、鉱山などで死ぬまで働かせるということもあるだろう。最悪の事態は免れたようだ。
先ほどの男がほどなくして戻ってくる。どうも険しい表情をしている。縄を持ってきているようだから連行されるのだろうが、何をしたというのか。男はこちらを見ながら女と話をしている。今回は俺に聞こえないようにしているようだ。
「手を出せ。今までもあまり話していないが、これからは何も聞くなよ。」
彼を見て頷いた。男は神妙な面持ちで俺の手首を縄で縛る。そのまま縄で引っ張られる。そういえば荷物が…。女の人が俺の荷物を全て持ってきているようだ。中をまだ物色しているけど。これから、どこへ俺を連れて行くのだろうか。
20分ほど歩いて森を抜けて、草原に出た。俺が足を怪我しているせいで余計に時間がかかった。そろそろ休みたい。先には馬車が4台ほど止まっている。今までの流れはライトノベルとそっくりだ。物語の中でも王族に捕まるのは運がいい。ほぼ名君の流れだからな。逆も多いので難しいところだが。しかし、縄で縛られるのは結構痛いな。俺の縄は馬につけられた。…馬よ、貴様良い体躯をしているが、暴れてくれるなよ。俺も一緒に暴れることになるからな。
金髪の背の小さな男が出てきた。衣服から考えても高貴な人物であるらしい。何か話をしているが少し心配になるような言葉が聞こえる。反乱軍かそれとも敵に攻められているか。ライトノベルではよくある展開だが、実際に起こっているとかなり不安になる。
どの兵士の表情が誰しも明るくないところを見ると劣勢なのだろう。…、沈む船に乗っているかもしれない。