表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
働かなくてよい世界  作者: 水無月 黒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/14

教育、医療

 今回から「働かなくてよい世界」を実現する上で少々難しい問題についても考えてみたいと思います。

 まずは、教育です。子供に対する教育を無人で行うことができるでしょうか?

 知識を詰め込むだけならば学習用のソフトでもある程度対応できるでしょう。

 毎日出勤する必要が無ければ、両親が子供の勉強を見ることもできます。

 しかし、いくら「働かなくて良い世界」であっても、人類総引きこもりを目指しているわけではありません。

 学校による集合教育はあった方が良いでしょう。

 そうなると問題となるのは学校を運営する教員職員です。

 学校の運営に関してもある程度のことはテクノロジーによって肩代わりできるでしょう。

 しかし、どれほど万全なシステムを作ったとしても、無人の学校に児童だけを通わせたいと思うでしょうか?

 大学生くらいになればほとんど大人と同じ扱いで自己責任ということもできるでしょうが、小中学生となるとそうもいきません。

 少なくとも、子供の状態を把握して問題が発生しないか見守る大人は必要でしょう。

 裏方の職員は機械的なシステムどうにかなったとしても、学生と直接接する教員を機械で置き換えるのは非常に難しいものがあります。

 「働かなくてよい世界」ではこの人が必要という点がネックになります。

 問題点は二つ。

 一つは十分な数の教員を確保できるかという問題。

 本当にその仕事をしたい人だけが働けばよいのが「働かなくてよい世界」です。教育に対する熱意も意欲もない、やる気のない教員はほぼいなくなるでしょう。

 逆に言えば、意欲を持って教師になろうとする人間だけで、必要な人数の教員が揃うかが問題となります。

 また、熱意だけでなく能力や人格的な面で不適格な人を教師にするわけにもいきません。知識だけなら教材を工夫すればどうにかなるでしょうから、子供の悩みに応えるような能力がより重要になるでしょう。

 それに、子供をあまり遠距離通学させるべきではないでしょうから、各都市に学生の数に応じた教員を配置する必要があります。つまり、教員になると都市を超えた長距離通勤をするか仕事のために転居する可能性があり、労働条件が厳しくなります。

 もう一つの問題は、教育の格差につながらないかという点です。

 足りない教員を補う簡単な方法は給与を支払って雇うことです。本人の熱意が足りなくてもお金が入るならば仕事を引き受ける人もいるでしょう。「働かなくてよい世界」でも収入を得ることは働く動機の一つになります。

 教員の給与を税金から支払うという方法もありますが、税収はそれなりに経済が回っていないと見込めないものです。公立学校の教員に高い給与は期待できないかもしれません。

 一方で、私立学校ならば高い授業料と引き換えに多くの教員を雇うこともできます。つまり、仕事をして収入の多い金持ちだけが、子供を優秀な教員を揃えた私立学校に通わせるという構図が出来上がる可能性があります。

 子供に高い教育を受けさせるためにやりたくもない仕事をするはめになるというのも、「働かなくてよい世界」としては避けたい状況です。どちらかというと親は子育てに専念できる方が望ましいです。

 仕事をしてお金に余裕のある家庭が子供に特別な教育を施すことは否定しませんが、無収入でも最低限の教育は受けられる必要はあります。

 親が仕事をしていないから子供が教育を受けられず、教育を受けていないから意欲はあっても仕事ができない、という負のスパイラルは避けたいところです。


 この問題に関して完全無欠な解決方法というものは存在しないと思っています。

 どのような対策を取っても、全ての人を納得、満足させることは難しいでしょう。

 だから複数の選択肢を用意しておくのが良いと思うのです。

 まずは、親がサポートしながら教材ソフト等で自己学習を行う方法。集合教育が合わない子供や学習速度が他の子供と異なる児童が補助的に利用することもできます。

 自己学習のみでは社会性が身に付くか? などの不安もあるでしょうから、地域で子供も参加させるイベントを行うなど地域ぐるみの子育てが重要になると思われます。

 それから教員を育成し、必要な場所に割り振るシステム。学生と教員のはバランスが取れているならば、学校で集合教育を行うことも可能です。教員をサポートするシステムを充実させれば少ない教員で学校教育を回せる可能性もあります。

 今の、少なくとも日本の学校では学生を進学させるか就職させることが至上課題になっているようなところがありますが、「働かなくてよい世界」では卒業後に無理に就職する必要はありません。良い企業に就職するために有名大学に進学する必要もありません。学生の人生を左右する重大な進路に責任を持つ必要が少なくなるので教員の負担が減るのではないでしょうか。

 教員を支援するシステムとしては、リモート教育の推進も考えられます。

 各地の学生の人数に合わせて教員を異動させると、長距離通勤や転居の必要に迫られる教員が出て負担になりますが、リモートならばその心配がありません。VR技術が進めば、国境を越えた集合教育も可能になるでしょう。

 リモートの集合教育だけで人間関係など大丈夫か? という懸念もありますが、これからの世の中リモートで会議したり仕事をしたりする機会も増えるでしょうし、ネットワーク越しの対人能力も重要になって来るかも知れません。

 さらに技術に頼った解決方法を進めると、AIやアンドロイドに教員をやらせることが考えられます。

 この場合問題になるのは、教師が務まるほど高度なAIやアンドロイドを作ることができのかという技術面での課題が一つ。それから、子供の教育を機械に任せられるかという問題が一つ。

 この「機械に全てを任せることができるか?」という問題は、技術的には十分に可能であっても、人間側が受け入れられるかがポイントになります。

 たぶん、この問題に最初にぶち当たるのが、自動車の自動運転、それもレベル5の完全自動運転が実用化されたときでしょう。


 教育と並んで人の存在が必要になりそうな職業が、医療関係です。

 コロナ禍で、休業や自宅待機を余儀なくされたり、テレワークに移行する人が続出する中、現場で忙しく働くことになっているのが医療従事者です。

 同じくコロナ禍で有名になった言葉に「エッセンシャルワーカー」というものがありますが、医療従事者もエッセンシャルワーカーの代表格の一つです。

 エッセンシャルワーカーは私たちの生活を支える必要不可欠な職業のことです。「働かなくてよい世界」ではこのエッセンシャルワーカーを無くすことが一つの目標になります。

 ここまで、エッセンシャルワーカーの仕事の幾つかを自動化することを考えてきましたが、次は医療関係の自動化について考えたいと思います。


 そもそも、医療関係の仕事は資本主義経済や市場原理とは相容れない面があると考えていました。

 確かに、自由競争によって腕の良い医者のいる病院が繁盛し、質の悪い医者が淘汰されるという良い面もあるでしょう。

 しかし、病院の経営・利潤の追求を優先した先にあるのは、金持ちに対して高度な医療をふんだんに行い、一方で治療費の支払えない者は見捨てる医療格差の社会です。貧乏人の間で伝染病が蔓延すればそこから様々な変異株が発生して誰にとっても不幸になると言うことはコロナ禍で得た教訓です。

 また、多くの人がかかる病気に対しては様々な治療薬や医療器具が開発されますが、症例の少ない珍しい難病に対してはなかなか治療薬が開発されないと言った問題もあります。

 今回のコロナ禍で患者が増えて病院が繁盛しているかというと、コロナ患者を受け入れるために一般の入院患者を制限する必要が出て、かえって経営が悪化したなどと言う話も聞きます。

 現在の日本の医療は、資本主義経済の原理ではなく、命を救おうとする医療関係者の必死の努力で支えられている側面があります。

 コロナ患者を受け入れるために病院側の体制を整えて、暑くて動き難い防護服を着て、それでも自分も感染する危険にさらされながら、普段に比べて大きく給料が上がるわけでもなく、足りない人員を遣り繰りしながら、医師も看護師も頑張っているのです。

 医療関係者が現状に音を上げて職場を放棄してしまえば、そこで医療崩壊が発生します。

 医療従事者の負担を軽減するためにも、医療の自動化の技術は重要なのではないかと思います。


 「働かなくてよい世界」における医療は、教育と同じ問題を抱えることになります。そして教育の問題よりも深刻です。

 医師や看護師に必要な知識と技術は、教員よりも高度で特殊です。親が教師代わりに子供の勉強を見ることは可能でも、医師の代わりは難しいでしょう。

 歳を取ったり症状が重くなったりすると自力で病院に通うのも大変になりますが、リモート診察などでできることには限度があります。

 少数の医者に過剰な負担がかかったり、金持ちだけが治療を受けられる社会は避けたいので、人手に頼らずに治療が受けられることが望ましいのです。


 医療の自動化・無人化を考える場合、問題となる点は二つあります。

 一つは、機械による医療行為を人が受け入れられるかという点です。

 自動運転の自動車が事故を起こしたら誰が責任を取るのか? という問題と同様に、機械が誤診や医療ミスを起こしたらどうするか? という難問が存在します。

 完全無人のシステムでは責任を取る人がいません。それに何をどうすれば責任を取ったことになるのかも難しい問題です。

 そのようなリスクを承知の上で利用するしかないと思うのです。

 もう一つの問題は、そもそも機械的な無人のシステムで医療行為を行うことができるか、という点です。

 機械的なシステムは、決められたことを決められた通りに行うことは得意です。しかし、人の身体は一人一人異なります。同じ病気でも症状の出方が異なったりもします。

 様々な病気のさまざまな症状に対応して的確に診察や治療を行うことができる医療システムを作ることができるのか?

 まあ、人間の医者でも誤診も医療ミスもあるから完全無欠である必要はありません。ただ、経過を見て治療の効果が無かったり悪化した場合には、速やかに治療の方針を変更したり、必要な対処を行えることができなければなりません。


 おそらく、技術的にはありふれた病気や怪我については機械的に診察して治療することも可能になると思います。たくさんの症例があれば、機械学習を行ったAI等でもそれなりに正しく診察できるでしょうし、経過に応じた対応のパターンもほぼ網羅できるでしょう。

 一方で、世界的にも珍しい症例や、滅多にいない体質の患者相手に手探りで治療を行うような場合は、経験を積んだ人間の医師を超えるのは難しいのではないかと思います。

 特に新しい病気や治療法の見つかっていない病気等に対する治療方法の開発など、新しいことへの挑戦は人間が主体になると思われます。

 また、難病治療中の苦痛を和らげる緩和ケアや終末期医療など、心の問題も含めた治療行為を考えると人間の医療スタッフの需要が無くなることはないでしょう。


 以上のことを踏まえて、「働かなくてよい世界」における医療を考えると、すでに治療方法の確立された症状の軽い患者は無人の治療装置で、珍しい症例や治療の難しい難病などの重症患者は人間の医療従事者が対応するという役割分担になると思います。

 特に無人の医療システムは、病気になったから病院に行くのではなく、普段から本人の体調を管理し、病気の予防及び早期発見早期治療を行うものになると考えています。

 病気になってから、あるいは重症化してから治療を始めるよりも、そもそも病気に罹らない、罹っても軽いうちに治してしまう方がはるかに楽で安全です。

 また、「働かなくてよい世界」では人の移動を最小限にすることを考えているので、新型コロナウイルスのような世界的なパンデミックが発生し難くなることを期待したいところです。

 後は、医師や看護師などの人間による医療制度が、金持ち優先で働かない人には無縁のものにならないことを望みます。これは技術的にどうこうできる問題でもないので、法整備などで対応する必要があるでしょう。


・AIにできることについて

 現在人にしかできないことを機械に行わせようと思ったら、AI――人工知能が重要になります。

 人工知能の研究の歴史は結構古く、コンピューターが登場した初期のころから行われていました。

 人工知能を実現するために様々な方式が考えられてきましたが、現在脚光を浴びているのはディープラーニングでしょう。

 それ以前のAIの研究成果がそれほど目立った効果を上げられなかったのに対して、ディープラーニングによる画像認識、音声認識等は高い精度を出して実用化されました。

 しかし、成果を出したからと言ってディープラーニングさえあればそれで良いということにはなりません。

 新しい技術が注目されると、なんでもかんでもその技術でやればよい、みたいなことを言い出す人が出てきますが、実際にはどれ程優れた技術であってもできることとできないことがあります。

 ディープラーニングも同じことで、決して何でもできる万能のAIではなく、得意なことと苦手なことがあります。

 ディープラーニングを利用するには、まず大量の学習データが必要になります。正解の分かっている大量のデータで学習することで答えを出すことができるようになります。

 論理的に推論して、学習データには存在しない答えを出すことはできません。

 また、ディープラーニングで正解を出すことができても、その理由を知ることはできません。

 例えば、動物の映っている写真を見て、これは犬、これは猫、と判断することはできます。しかし、なぜ犬なのか、どうして猫なのか、その理由を説明することはできません。これは人間が写真を見た場合と同じでしょう。

 医療にディープラーニングを利用した場合、レントゲン写真や血液検査などから特定の病気に罹っているかを判定することはできるでしょう。

 病名が判ればデータベース等から治療方法や有効な薬の情報を取得することもできます。その後の経過を診て投薬量を変えたり、治療方法を変更したりすることもできるでしょう。

 しかし、学習データにない症例に対しては正しく病名を判定することはできません。

 治療を行った結果、予想外の反応が起こったとしても、何が原因で身体の中で何が起こっているのかを推測することはできません。

 ディープラーニングで誤診したとしても、なぜ誤診したのかという理由は分かりません。

 基本的にディープラーニングはパターン認識です。学習データとして用意した過去の事例に当てはめて似たものを探してくるのが基本です。

 過去に例がないものや、数が少なすぎて例外扱いされる特殊なものに対しては弱いのです。

 だから、医療用のAIが実用化されたとしても、新しい病気や珍しい症例に対しては、まだまだ当分は人間の医師の力が必要になります。


 ディープラーニングは人間の能力のうち、「勘」と呼ばれるものを機械的に再現したではないかと思うのです。

 あてずっぽうの山勘ではなく、多くの経験に基づいた「勘」は正確で素早いことがよくあります。

 多くの経験を大量の学習データで代用して、限定された内容に特化して鍛えた機械的な「勘」がディープラーニングではないでしょうか。

 しかし、いくらよく当たるとしても、「勘」だけで全ての問題を解決することはできません。

 現状、AIに足りないのは論理的な推論を行う能力だと思います。

 コンピューターなのだから、論理的な思考は得意なんじゃないの? と思う人もいるかもしれませんが、実はそんなことはありません。

 コンピューターの得意なことは計算することです。プログラムは論理(ロジック)に基いて動作しますが、その論理(ロジック)を考えるのは人間の仕事なのです。

 プログラムを組んだことのある人は分かると思うのですが、コンピューターに数学の問題を与えても勝手に解いてくれません。

 数学の問題に対してどのような手順で解けばよいのかというアルゴリズムを考えてプログラムを作るのがプログラマーの仕事です。数式を解くのならば、公式に当てはめて解を計算するか、順々に数式に値を入れて計算して正解に近付けて行くようなプログラムを作ることになります。

 この「アルゴリズムを考える」部分をコンピューターに任させられればプログラマーが要らなくなるのですが、そう簡単にはいきません。

 AIの研究の中には、論理的に推論を行って問題解決を行おうとしたものもありますが、特定の状況で決められたルールに基いて推論を行う限定的なものにとどまり、汎用的に使えるものはなかなか出てきません。

 ディープラーニングはディープラーニングで今後も発展していくでしょうが、論理的な考察を重ねて結論を導き出すことのできる人工知能が次のAIのブレイクスルーになると私は考えています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ